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地方政府主導のイノベーション―自らを改革し続ける天津経済技術開発区

2019年4月26日 霍思伊(『中国新聞週刊』記者)/吉田祥子(翻訳)

34年にわたり改革開放とともに成長してきたこの開発区は、ここ1年の効率を重視した内なる改革で大きく変貌を遂げた。

 2017年4月5日、天津。企業家フォーラムの席で「猟聘(リエピン)網」〔就職情報サイトliepin.com〕の創業者、戴科彬(ダイ・コービン)はやや気をもんでいた。

 それまでの5カ月間、上場成功を目指して猟聘網は中外合資人材仲介業務許可証を申請し続けていた。天津自由貿易試験区管理委員会と天津市人力資源・社会保障局〔以下、人社局〕は前向きな姿勢を示したが、〔国の機関である〕人力資源・社会保障部〔以下、人社部〕には明文化された規定があり、外国出資者に3年以上人材仲介業務に従事した経験があることが許可証の発行の必須条件の1つになっていた。猟聘網は外国出資者の多くがベンチャーキャピタルで、この条件を満たしていない。そのため、人社局が人社部に特別にかけあったところ、次のような指導意見が出された。「地方は具体的な状況に基づき条例を破るか否かを決定してよく、各自の判断に任せる。ただし、原則的に監督する立場の人社部としては、条例は勝手に破ってはならないものである」

 戴科彬は相手の出方をうかがいながら猟聘網の窮状を訴えた。天津市共産党委員会のトップは話を聞くと、「自由貿易試験区は『先行先試〔全国に先駆けて新たな試みをおこなう〕』の試験田だ。人社系部門に調査させ解決に当たらせよう」と即答した。

 問題解決の効率性は戴科彬の予想を上回っていた。わずか2日後に、全国初の中外合資企業人材仲介業務許可証が手に入ったのだ。

 彼は知らなかったのだが、猟聘網が上場のために国が定めた規定を破ろうとしていたとき、天津市も改革の大鉈を自身に向けて振るっていたのである。その後ほんの半年余りで、「先行先試」の試験田が自由貿易試験区から経済技術開発区〔以下、開発区〕へと拡大された。

 2017年末、天津市濱海(ひんかい)新区は新たな体制改革に着手した。改革の最初の重要課題は、元の中心業務区〔CBD〕と開発区の合併だった。

合併が優位性を増幅させる

「改革には最も核心的で根本的な問いが存在する。それは、開発区の初志と使命は何かということだ」

 天津開発区管理委員会の鄭偉銘(ジョン・ウェイミン)主任はこのように述べ、「天津開発区が最優先すべき根本的な任務は経済を発展させることであり、これが主要責務であり本来の業務だ。この位置付けを原点とし、すべての改革はここを中心に展開しなければならない」と指摘する。

 同開発区は34年の歩みのなかで、長江デルタと珠江デルタの破竹の勢いの発展を目の当たりにしてきた。鄭主任によると、開発区の原型である工業団地モデルはすでに現在の新しい発展スタイルに適応できなくなっているという。将来的に開発区は産業ニュータウンにモデルチェンジする必要がある。

 この壮大なプランの下で、改革の第一歩となったのが、以前の中心業務区と開発区の合併実現だ。

 天津開発区新経済促進局の李濤(リー・タオ)局長は「合併は都市空間の再編成・再構築であるだけでなく、産業部門の高度な統合でもある」と語る。

 開発区は主に工業用地で、中心業務区はその多くが都市用地であり、両者はわずか道路1本を隔てているだけだが、その位置付けの違いは一目瞭然である。

 開発区は実力が十分にある老舗の工業団地であり、2010年に設立された中心業務区は金融サービス・現代ビジネス・ハイエンド商業など現代サービス業を発展させる場である。2015年4月21日、中心業務区に設立された天津自由貿易試験区が正式に始動すると、中心業務区も自由貿易試験区の政策による恩恵を受けた。

 天津開発区発展改革局の梁軍(リアン・ジュン)局長は「開発区の中心エリアは都市総合区に進化しようとしているが、土地資源の不足がネックになっている」と指摘する。新港4号路が2つの地区の地理的な境界になっているうえ、機能面でも分割している。「このラインは本質的に工業団地と都市機能集積区を分けている」(梁局長)

 開発区がモデルチェンジするには、まずこの地理的な境界を取り払う必要がある。

 鄭主任はこれについて明確な見方を示し、「合併後に都市計画の実施と空間資源の整理統合を一本化しておこなうことで、開発区を濱海新区の中心市街地にきちんと沿う形に整備できる」と語る。

 短期的には、現在目に見えている効果は産業上の強者連合および関連政策が生んだ相加作用によるものである。梁局長によると、業務区が金融イノベーションを実行するには、実態産業のサポートが足りないという。開発区の従来型製造業もインテリジェント製造へのモデルチェンジを模索している。合併することで、第二、第三の産業が高度に融合して相互補完を実現できる。そのうえ、開発区には強大な製造業が下支えする実体経済という基盤があり、自由貿易試験区には優れた制度が下支えするイノベーションという強みがある。業務区の編入は、自由貿易試験区の政策を開発区全体に複製し普及できることを意味する。「これは最大のボーナスだ」(梁局長)

 開発区と自由貿易試験区のどちらにも部門の拠点を置く猟聘網にとっては、なおさら直感的に合併後のメリットを実感できた。

 2014年、猟聘網は同社のグローバルキャリア発展センター国際本部を天津開発区泰達サービスアウトソーシング産業パークに正式に移転し、次いで一部の部署を自由貿易試験区に移した。

 猟聘網で企業戦略合作部の責任者を務める于挺(ユー・ティン)氏はこう説明する。「アウトソーシング産業パークへの移転は、入居している『インターネット+』企業に対し開発区が審査・認可効率の向上、ワンストップ型のサービス、科学技術資金の援助、事務所家賃の減免など多くの特別な支援措置を講じているためだ。自由貿易試験区への入居は、金融・クロスボーダー投融資・貿易円滑化などの分野における革新的な政策が気に入ったからだ」

 また、合併以降はそれまで別個に扱っていた2つの部署が統合され、開発区にある部門も自由貿易試験区の政策の恩恵を受けることができるようになったとして、「強者連合」後の効率のよさを強く実感したという。

 昨年1月末から着手し6月29日の香港証券取引所への正式上場までの5カ月間で猟聘網は本土外での上場に必要なあらゆる手続きを完了し、香港証券取引所の最速上場記録を更新した。

 この過程において、開発区は猟聘にマッチする「上場専門サービスチーム」を新経済促進局の一部の幹部で特別に組織した。企業のVIE〔変動持分事業体〕スキームを再構築する段階では、専門サービスチームが天津市商務委員会・国家外貨管理局・自由貿易試験区銀行などの関係部門と何度も折衝し、企業と共同で「企業上場専門調整会議」を開催した。

 于挺は、サービスチームがまるで創業チームのようで、運営モデルも企業に似ており、項目に応じて具体的にコーディネートする担当者がいるので効率がよいと感じたという。サービスチームとのコミュニケーションは上下関係を感じさせず、2つの対等なチームがコミュニケーションをとっているようだった。逐一文書で報告したり公文書を書いたりする必要がなく、コーディネーターを探せば事が済み、かつての政府の事務スタッフとは印象が違っていた。

 于挺氏は上場資料の処理をしたときのことを今でも覚えている。天候不良で高速鉄道が遅延し、サービスチームに遅刻しそうだと電話した。それまでの経験から、何も期待しないでいたのだが、思いがけないことに高速鉄道の駅を出ると車が待っており、事務処理窓口まで直接送ってくれたのだ。

 また、上場前のクロスボーダー資金調達では、自由貿易試験区の外貨利便性向上政策を活用することで1カ月かかるところを1週間に短縮できた。このことも上場のスピードアップに一役買っていた。

 新経済促進局の李濤局長は「自由貿易試験区の『先行先試』は、ある具体的な項目に限定した優遇政策ではなく、幅広いイノベーションの可能性を提供することが最大の長所だ」と語る。

 例えば、自由貿易試験区の条例に付加価値電信業務〔インターネット情報サービスなど〕を段階的に外資へ開放するという方向性はすでに明示されているが、具体的な実施細則はない。猟聘網がインターネット上で営業するための電信情報服務業務経営許可証(ICPライセンス)を申請すると、自由貿易試験区の「特別な事情には特別な方法で対応」という仕組みに則り、天津市関係部門の協議を経て、開放区が工業情報化部や商務部などの査定官と直接話し合う。その結果、承認ルートがスムーズになり、最終的にこうした連携により順調に申請の回答を得たのである。

 その後、開発区は標準化したフローを整備した。企業はこのフローに従って申請することで大幅に時間を短縮できる。

 前出の鄭偉銘主任〔天津市開発区管理委員会〕は、合併後に「自由貿易区+開発区」という枠組みが形成されることで、昔ながらの実体経済が発達した開発区に自由貿易試験区という翼が与えられ、制度面の刷新というボーナスが付与されたと指摘する。

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天津経済技術開発区は1984年12月に天津市の濱海新区における重要地区として創設された、中国で最初の国家級経済技術開発区のひとつである。

機構と人事の改革

 現在、開発区の都市と産業の融合はすでに基礎が築かれているが、これは改革の第1歩に過ぎず、さらに3つの重要なプロセスが続く。

 まずは、機構の整理統合と再編である。改革により開発区の党工作委員会および管理委員会の機構が以前と比べて7つ減少し、より簡素化・効率化された。かつ、整理統合後の31の機構のうち、企業誘致部門が7つを占めた。

 鄭主任は「今回の機構改革は開発区の経済発展という主要な責務に緊密に関わるものであり、企業誘致・資金導入・企業サービスの機能を重点化している」と指摘する。商務局・投資促進局・インテリジェント製造産業促進局・新経済促進局・貿易促進局・科学技術工業イノベーション局・金融サービス局の7つの企業誘致局が特別に設立された。その特徴は、新経済・新産業・新原動力に特化し、産業のモデルチェンジ、構造の最適化、質の高い発展を際立たせた改革方針である。それゆえ鄭主任は、より正確には「企業誘致局」というよりも「企業サービス局」と呼ぶべきだと思っている。

 李濤局長は、7つの企業誘致局を産業の方向性に応じて区分するとそれぞれに重点分野があると指摘する。明らかに変化したのは、改革後は企業誘致だけに関心を払うことをやめ、企業の成長周期全体に注目するようになった点である。発見プロジェクト、導入プロジェクトから育成プロジェクトに至るまで、この3つのプロセスはどれも重要であり、とりわけ企業に対する後期の育成が重視された。これは、理念上の重大な転換だった。

 また、改革前は、企業誘致・資金導入・企業サービスの過程における一部の難しい問題については投資促進領導小組弁公室に報告して統一的に対処していたが、改革後は、もともと県処級の機関である投資促進領導小組を廃止して投資促進委員会を特設し、管理委員会のトップが主導し、党工作委員会と管理委員会の主要指導者と関係企業招致部門の指導者が委員を務めた。

 天津市開発区投資促進局の梅志紅(メイ・ジーホン)局長は「連携効率を高めるために、開発区管理委員会は企業招致部門の協調による段階的な向上を常に心がけている」と語る。

 機構の調整が一定レベルに達したら、次は人事の調整である。

 鄭偉銘主任は、開発区の幹部は視野が広く、資質に優れているが、士気が低く、活力が足りないと指摘し、幹部を流動化させて、開発区の中堅職員に、ある種の危機感と職業上の緊張感を持たせるべきだと主張する。それは、「成果をあげれば昇格し、成果をあげられなければ随時リストラされる可能性がある」というものだ。

 開発区の人事制度の刷新は、「市場化と企業化」に立脚し、全職員の任用制度を実施して「終身雇用」を廃止し、「能力に応じて昇格・降格が決まる」という人事システムを確立する。任用期間は3年とし、任期が満了すると任用関係は自然消滅する。

 改革は幹部が持つ身分の壁を打破した。行政組織・事業組織・企業組織のいずれに所属していようと、全員が同じステージでポストを争うことが可能になり、同一組織内での配置転換から組織の枠を越えた人員交代へと変化したことで、部門間や分野間の障壁が取り払われた。

 改革後、正県処級幹部7人が副県処級の指導職務に、県処級指導幹部6人が非指導的職務にそれぞれ転任し、県処級幹部1人が早期退職した。幹部陣の人員はよりスリム化し、質がさらに向上し、多くの若手幹部が抜擢された。

 さらに鄭主任は「開発区全体の人事管理体制を根本的に変革しようとするなら、身分制限を打破し、身分による管理からポストによる管理に変えなければならない」と強調する。

 これとセットになるのが、給与をポストと業績に直接連動させる業績評価制度の改革である。改革後は「基本給+業績給」という給与体系が実施され、基本給は最低額を保証し、待遇は貢献度で、業績給は傑出度で評定される。

 天津開発区人社局の王安波(ワン・アンボー)副局長は「今回の人事改革は、企業の給与体系の概念を採用し、ポストを核にしている」と分析する。部門の職責に基づいて具体的なポストを設置し、管理者ポストと専門技術者ポストの違いを際立たせた。さらにポストの性質に応じて専門性に対する要件を付加してより細分化した類別をおこない、ポストが異なれば基本給も異なるよう設定し、かつての給与と職級〔職務上の序列〕が連動するモデルを変更した。現在、給与にはポストにおける専門性の度合いがより強く反映されている。

「職務給からポスト給への変更は行政的要素を弱め、企業的色彩を強めることになり、給与体系が変化した」(王副局長)

 ポストごとの総合的な給与についてはあまり多くの制限を設けず、企業の業績評価の概念を導入し、幹部は能力さえあれば相応の労働報酬を得ることができる。「ある幹部は科長でなくても、例えば人力資源管理師〔国家資格〕の首席合格者で、人材招聘面で能力を発揮すれば、それだけで科長よりも収入が高くなることが可能」と王副局長は説明する。

 鄭主任は「今回の幹部人事制度改革の目標は、経済発展と緊密に結びついた主要責務と本来業務の企業化・市場化管理モデルを形成し、斬新な幹部人事管理制度を構築し、思想や概念、人員の選任、配分方式における常識を覆すイノベーションを推進し、各組織の管理責任者の創業の情熱を燃え上がらせることである」という見方を示す。

「改革の道は永遠に終わりがなく、改革はいつまでも途上にある」鄭主任はこう言って感慨深げに言葉を続けた。「改革したからこそ現在の開発区が作り上げられ、開放したからこそ現在の開発区の発展が促進された。それゆえ、天津開発区は改革・開放の道をこれからも歩み続けるだろう」


※本稿は『月刊中国ニュース』2019年5月号(Vol.87)より転載したものである。