第152号
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中国イノベーションの本質:デジタル・ネイティブとソフトウェア・イノベーション

2019年5月13日

三竝康平

三竝 康平:帝京大学経済学部講師

略歴

2015年,神戸大学大学院経済学研究科博士課程後期課程修了,博士(経済学)。専門は中国社会経済論とイノベーション論。主要研究業績は,Nakagane, Katsuji and Kohei Mitsunami, Nexus between privatization and marketization during transition process: an experimental analysis based on China's provincial panel data, Journal of Contemporary East Asia Studies, 2018; 7(1):50-75.や,Mitsunami, Kohei and Miwa Nakai, A study on yogurt consumption: A case of industry-academia collaboration in Fukushima and Tokyo, Drug Discoveries & Therapeutics, 2018; 12(3):178-181.など。
帝京大学教員紹介:https://www.e-campus.gr.jp/staffinfo/public/staff/detail/2832/18

はじめに

 「イノベーション」という言葉は、企業・行政問わず、ひろく一般社会において用いられている言葉である。しかし、「イノベーションとは何ですか?」と聞かれると、多くの方が、端的に答えることが出来ず少し戸惑ってしまうような気がする。

 筆者は大学でイノベーション論という授業を担当しているし、イノベーションは自分の主要研究分野のひとつであるから、その研究をするための外部資金を頂戴しながら日々研究に精を出しているが、イノベーションとは何かと聞かれたときに、それについて明確かつ普遍的な答えをすぐに提示できる自信はない。その答えを探すために「イノベーション」について一生をかけて研究をするのだと主張すれば聞こえはよいが、その場その場で、自分なりのベストな答えは持っていたい。

 私はこれまで、「中国」をメイン・フィールドとして、その経済を主に「イノベーション」と「制度」という視点から研究してきた。そこで、本コラムは、中国のイノベーションを題材にして、その独自性の一端を明らかにしながら、イノベーションとは何か、という問いへの答えを模索することを目的として執筆したい。

「デジタル・ネイティブ」とイノベーション

「デジタル・ネイティブ」という言葉がある。デジタル・ネイティブとは、「生まれたとき、または物心がつく頃にはインターネットやパソコンなどが普及していた環境で育った世代」を指し、日本における商用インターネットは1990年代半ばより普及したため、おおむねこれ以降に生まれた世代を指す、という(デジタル大辞泉)。

 筆者が小学生や中学生の時、遠足や修学旅行には必ず、コダック社や富士フィルム社のインスタントカメラを、コンビニやホームセンターなどで2つも3つも購入して持って行った記憶がある。

 筆者のゼミ生(1998年生まれ)にインスタントカメラを知っているか、恐る恐る質問したところ、悲しいことに知らない人が多い。まさに彼らは「デジタル・ネイティブ」世代だが、彼らよりももう少し若い世代になれば、写真は「アルバムなどに収納して鑑賞するもの」よりもむしろ「iPadなどの液晶の上をスワイプ(タッチスクリーンを、指で触れたまま左右に滑らせる動作のこと)して鑑賞するもの」だという認識に変わってゆくだろう。

 日本では、ITバブル頃からインターネットが急速に普及し、mixiなどのブログサービスが始まった。スマートフォンが普及すると、その主役はtwitterやInstagramなどのSNSへと急速に変化していった。その流れの中で、「アルバムをめくる」から「画面をスワイプする」という動作への変化は、単なる行動様態の変化であるだけでなく、幼少期における価値観や思考法の形成にも大きな影響を与える変化である。「アルバムをめくる」世代の気づきやひらめきと、「画面をスワイプする」世代の気づきやひらめきは、思考のベースが異なっているため決定的に異なっているはずだ。「画面をスワイプする」世代が活躍する時代が到来したときに、彼らがひらめき、生み出すイノベーションは、これまでと大きく異なったものになるだろう。

急速に進化する中国のソフトウェア・イノベーション

 このような大きな変化は日本特有の現象ではなく、中国にも同様に存在する。中国では、格安スマホの誕生や3G回線の普及を契機として、人々の、特に都市部の人々の日常生活が大きく変化した。李(2018)は、その生活の変化を以下のような例を挙げて記述する。「朝起きると、まずスマホのアプリを開いてニュースを読む。通勤ラッシュを避けて、シェア自転車か中国版ウーバーの滴滴出行を利用して出勤する。オフィスに着くと、スマホで出前サービスの餓了麽(ウーラマ)に朝ごはんを注文する。食べた食事の中身はアプリに記録し、さあ仕事だ―」。このような生活は、上海でも10年前には想像もできなかっただろう。

 中国電子商取引(EC)最大手のアリババは、11月11日を「独身の日」として、年間で最大のインターネット通販セールを実施している。2018年の取扱高は、過去最高の2135億元(約3兆4千億円)を記録し、1日で、昨年の楽天のネット通販取扱高(3兆4千億円)を越える規模の取引を達成したという(日経新聞電子版 2018年11月12日付)。

 マスメディアなどでは、しばしば、中国・深圳などにおける急速なイノベーションの深化を取り上げながら、中国はイノベーションで日本を追い越したかのような「脅威論」を過度に煽ることが多い。中国のイノベーションは、一部の面で日本を追い越した部分もあるが、それは一部であり全部ではない。中国のイノベーションを考えるときには、深圳などの状況だけでなく、たとえば、「中国の農村部のお年寄りの生活」にも注目する必要がある。

 先述の、アリババの「独身の日」における3兆円近い消費には、都市部の住民の消費だけではなく、農村部の住民の消費も含まれている。たとえば、農村部の村には、スマホの使い方が分からないお年寄りやスマホを買うことが出来ない農民のために「商品の購入代行」をする業者があり、お年寄りや農民はその店舗まで出向いて商品を注文し、到着後に受け取りに行く。これまで農村部の商店では手に入らなかった、都市部にしか無い商品を購入することが出来ると非常に好評だという。中国のイノベーションは、特にソフトウェアの面で急速な進化を見せ、その余波は都市部だけでなく、内陸の農村部にまで到達したのである。

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中国では、QRコード決済が地方都市の市場にまで浸透している
(写真:筆者の先輩である大森信夫氏(神戸大学大学院経済学研究科研究員)が撮影し提供してくださった。
2019年4月,遼寧省の撫順にて)

 先述のような都市部での生活の変化は、中国におけるソフトウェア・イノベーションの成果であるが、ソフトウェア・イノベーションの日常生活への浸透、言い換えれば、日常生活を変化させ「デジタル化」するスピードやパワーという点においては日本のそれを超えていると筆者は見ている。

 たとえば、米国のアマゾン・ドット・コムは2018年1月に米国シアトルでアマゾン・ゴーと呼ばれる無人コンビニエンスストアを開業した。センサーやカメラ等の最新設備を惜しげもなく設置して開業した同店舗は、早期の商業化を目指すというよりは、ひとまず社会実験や社会貢献を目指すことに主眼が置かれていると考えられる。アマゾン・ゴーから注目を集めるようになった無人コンビニであるが、人件費が比較的高い日本よりも、それが比較的安い中国において普及の兆しを見せている。

 今回はその詳細には踏み込まないが、筆者が特に注目している点は、アマゾン・ゴーと中国の無人コンビニの「思想」の違いにある。アマゾン・ゴーは社会実験や社会貢献を当面の目的としていると考えられるが、中国の無人コンビニの場合は、早期の商業化・収益化を目的としており、設置するセンサー類も、コストを計算しながら現状において収益化できるギリギリの設備を導入しているだろう。したがって、店舗運営に必要とされる技術水準は、中国の無人コンビニはアマゾン・ゴーのそれに遠く及ばず、まだまだ多くの課題が残されているはずだ。

 しかし、将来的に多くの人々に必要とされるであろう素晴らしいアイディアや発想であるかどうかを瞬時に嗅ぎ分けると、多くの課題が残されていることを分かっていながらもひとまずスタートさせ、漸進的に進めてゆきながら課題を克服し、最終的に大きな経済的成果を獲得するということを目指して「見切り発車的に」中国企業が無人コンビニ事業をスタートさせたとすれば、その一連の流れは、(若干議論は飛躍するが)建国以降における大躍進政策や文化大革命によって経済的に疲弊した中国経済を立て直すために、1978年に鄧小平が改革開放政策を導入し、社会主義と市場経済という「相反する」二つの概念を有機的に結び付けながら多くの諸問題を解決し、世界第二の経済大国に押し上げた中国の人々の経験を鑑みれば、それは難しいことではなく、むしろ、中国の人々が得意とするところであるはずだ。その意味でも、中国における無人コンビニのゆくえは、今後も注目してゆきたい。

最後に

 先述のように、たとえば「社会主義」と「市場経済」が有機的に結びつきながら中国の社会経済システムは形成されているように、中国は多くの制度的独自性を内包している。アメリカ発のイノベーションと日本発のイノベーションが完全に同じではないように、イノベーションは、生まれた国の「風土」や「土壌」によってその特徴が大きく変化する。その国の「風土」や「土壌」を形作る要素の一つが「制度」である。中国には制度的独自性があるとすれば、そこで生まれるイノベーションもまた中国独自のものであるはずだ。筆者はそのような問題意識のもと、中国における「制度」と「イノベーション」の連関に焦点を当てて研究を続けてきた。近年、米中の貿易摩擦が激化する中で、独自の進化を遂げてきた中国のイノベーションをめぐる状況は大きく変化している。そのような状況も踏まえながら、中国のイノベーションの独自性やその特徴について、今後も発信してゆきたい。

 本コラムでは、「デジタル・ネイティブ」をキーワードに、中国におけるソフトウェア・イノベーションの深化にともなう日常生活の変化やその将来性について議論してきた。本コラムで紹介したような中国におけるライフスタイルの急速な変化、全国的な変化は、単にソフトウェア産業の成長という文脈でとらえるだけではなく、日本よりもより「デジタル化」された「デジタル・ネイティブ」を中国でより多く誕生させることにつながるという視点が重要だ。日本よりも多様なサービスを日常的に利用する中国の「デジタル・ネイティブ」は、多様な「デジタル体験」に基づくより柔軟な発想をもとに、中国の今後のイノベーションを担う「科学技術人材」として、いままでにない数多くのサービスを生み出し、中国のソフトウェア・イノベーションをより確かなものに、世界有数のものに高めてゆく原動力になる可能性が高い。「デジタル・ネイティブ」と「ソフトウェア・イノベーション」いう視点は、中国の今後のイノベーションの行方を展望する上での重要なヒントになると確信している。

参考文献

李智慧(2018)『チャイナ・イノベーション―データを制する者は世界を制する』日経BP社。