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中国に金融管理のナショナルセンターが生まれる日―金融都市・北京の発展

2019年5月16日 趙一葦(『中国週刊新聞』記者)/王宇/脇屋克仁(翻訳)

北京、上海、広州、深圳...... いま中国で金融センター建設の構想を掲げる都市は1つではない。しかし、名実ともに金融センターといえる都市はどこか。また、司令塔として中国金融業全体を統括する都市はどこになるのか。その答えが出る日は近い。金融街からフィンテックへ―首都北京の到達点を探る。

 北京市金融科技〔フィンテック〕発展促進計画(2018年-2022年)」(以下、「計画」)と題する通達が先ごろひそかに出された。この通達が今後の北京の金融都市としての発展をポジショニングした意義はきわめて大きいと関係者はみている。

「現在の構造をみると、北京は管理・監督機関が集中する金融の中枢として、事実上すでに国家の金融管理センターであるといえます。今後は、センターならではの資源基盤をさらに盤石にし、より高次の発展を実現するということです」。こう話すのは北京市金融局研究室の趙維久(ジャオ・ウェイジウ)主任だ。国家レベルの金融中枢を建設する――北京のこの試みは、京津冀(けいしんき)〔北京市、天津市、河北省〕一帯に、より強固な金融環境を提供するだけにとどまらない。国が描く金融の成長シナリオで北京が「管理者」と「サービス提供者」の二役を演じるということであり、中国金融業全体の構造において、金融リスクのコントロールと、あるべき金融モデルの提示という2つの役割を果たしていくということだ。

 長いスパンでみると、「金融管理のナショナルセンター」という考えはかなり以前から北京と密接に結びついていたことがわかる。金融街を中心点とし、そこから市全域を覆うように広がる都市計画。「金融管理のナショナルセンター」は首都機能の最適化にだけ着目したものではない。その意図は、北京を国際的影響力のある金融センターという地位をもつ都市として創り上げることにある。

「セールスポイント」はフィンテック

「計画」に書かれているのはこの計画の背景や全体構想にとどまらない。フィンテックの基盤技術のイノベーションと応用の道筋や、他に先駆けた先端技術の創出、フィンテック産業チェーンの育成の加速、革新的エコシステムの構築など、全部で9つのテーマで構成されている。

 なかでも注目すべきは、フィンテックのリーディング・カンパニーを5社~10社たちあげ、国際的な影響力をもったイノベーション・クラスターを最低3つはつくり、重要プロジェクトを少なくとも10は展開するという全体目標だ。

 フィンテックの発展に全力をあげることが、いまや「4つの中心」戦略の1つ「科学技術とイノベーションの中心」の重要な柱になりつつある。

 都市空間デザインの面でも、「計画」はフィンテックの発展をサポートする内容になっている。「一区一核、多点支撑」、すなわち、フィンテック企業が集中するモデル地区を建設し、関連企業が林立するイノベーション・エリアをその周りに配置するというものだ。

 昨年の金融街フォーラムの年会で、陳吉寧(チェン・ジーニン)北京市長が明らかにしたところによると、2017年、北京市経済に占める金融業の割合は17%に達し、すでに市の産業の大黒柱になっているという。首都の金融業が国の金融全面開放政策の最前線になり、ハイエンド金融人材が世界中から北京に集結する日はそう遠くない。金融管理のナショナルセンターとして、北京は日増しにその機能を整えていくだろう。

 ビッグデータやクラウド・コンピューティングなど、新たなテクノロジーが脚光を浴びる時代に「金融管理のナショナルセンター」をどのようにして建設するのか。この問いに「計画」は次のようなロジックで答える。西城区〔金融街〕を中心に、そのまわりに金融、フィンテック、管理・監督それぞれを得意分野とするエリアをマルチポイントとして配置する――その目的は、国家レベルの一大金融センターをつくりあげることである。

始まりは金融街

 西城区の再開発がはじめて俎上にのぼったのは1985年。源をたどれば、北京金融街の構想はこのときからすでに始まっていた。

 ただ、大きな転機になるのは1992年、鄧小平の南巡講和がきっかけだ。この年出された「北京城市総体計画」に、「西二環路、阜成門、復興門で囲まれたエリア一体に国家レベルの金融センターを建設する」ことが明記され、ほどなくして開発会社、開発指揮部弁公室が設立された。改革開放の歩みが最もスピーディーに進んだ1993年から2003年の10年間は、北京金融街がゼロから出発し、建設から発展へと飛躍した10年間でもある。

 1990年代初期の計画では、南は復興門内大街、北は阜成門内大街、西は西二環路、東は太平橋大街に囲まれた103ヘクタールのエリアが金融街予定地とされた。この地区に延べ床面積402万㎡にもおよぶ高層ビル群を建設するプランだった。

 しかし、計画はつくられたものの、金融街建設は当初から度重なる困難に直面した。開発指向のハイエンド産業機能エリアを建設するのは、中国にとってはじめての試みだった。専門的な経験や資金面での堅実なサポートが北京金融街には不足していた。同時に、1994年から95年にかけては中央政府が固定資産投資規模規制の厳格化にのりだしたため、金融街も政策調整を余儀なくされ、種々の曲折を経験することになった。

 それでも、1994年の金竜大厦(現在の金陽大厦)着工を皮切りに、巨大ビルの建設プロジェクトが次々と着工にこぎつけ、2000年代に入ると建設ラッシュの時期を迎えることになる。2004年〜2006年の2年間に竣工されたプロジェクトは実に20を数える。2006年時点で核心区のビル群の延べ床面積は、当初計画を上回る455万㎡にまで達していた。

 金融街は「金融管理のナショナルセンター」という位置づけにあるということは、この四半世紀、何度も繰り返し言われてきた。直近の「北京城市総体計画(2016年-2035年)」になると、金融街ははっきりとこう定義されている。「国の金融政策、通貨政策を司る管理部門や監督機関が集中し、金融機関の本部が数多く集結する金融管理のナショナルセンターである」

 市場経済への転換が軌道に乗ると、最新の財政情報と政策的支援を得られることも、多数の金融機関が北京におしよせる要因になった。金融街は、監督機関と金融機関が共存共栄する空間を次第につくりあげていった。豊富な金融資源はこうして蓄積されていったのである。

 2003年以前から、北京はすでに「金融センター建設」を標榜していたが、そのころ上海も「金融センター」としての機能を整備しつつあった。その結果、当時北京に本部を置いていた証券会社やファンド会社などの金融機関が、次々と上海に移転していくという事態が起こった。

 北京市政府が2004年に出した報告書には、財政、金融などの経済政策と情報プラットフォームにおける首都としての独自の優位性を十分に活用し、ビジネスエリアと金融街の集約による効果とサービス機能を発揮し、国内外の企業と各種金融、サービス貿易機関を誘致、対北京投資で発展しなければならない、と書かれている。その後、北京市は金融顧問団を相次いで立ち上げ、北京金融街商会を組織し、京港金融協力フォーラムなどの活動に精力的に取り組んだ。すべては金融都市としての実力向上のためだった。

 2007年10月の「金融街区域の拡張および機能向上を完成させることについての意見」〔北京市発展改革委員会〕では、北京金融街をロンドン金融街に匹敵する規模にする拡大プランが打ち出された。このプランに基づきビル群も増築された。新たに建設されたビルの延べ床面積は合計で200万㎡を超える。

 今日、金融街高層建築群の延べ床面積はすでに700万㎡に達し、その7割以上がオフィスである。国の金融管理部門、大型商業銀行、保険会社、証券会社、ファンド会社、重要市場機関――これらに代表される金融機関や国有企業本社1800余りがここに集結し、全国の9割におよぶ与信業務をおこなっている。

 1,800余りの金融機関全体の資産規模は99兆5,000億元。これは中国全体の金融総資産の4割に迫る数字だ。同時に、西城区は国内外の上場企業計59社〔国内企業34、海外企業25〕を擁し、その総資産価値は8兆元を上回る。上場以外の企業を含めた企業全体の資産価値は97兆元を超え、中国の四大資産管理会社〔AMC〕もすべてこの場所で成長していった。

 こうして金融街は金融管理のナショナルセンターとしての地位を着実に固め、国内における中心的地位を基本的に確立したといえる。2016年末時点で、金融街の擁する金融資産は中国全体の約半分に迫る。また税収への貢献にも注目だ。面積からいえば金融街は西城区全体の2%にすぎない。そのわずかな用地から区の税収の実に8割以上が賄われている。

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写真1:2016年末、金融街が擁する金融資産は中国全体の4割に達した。写真/視覚中国

金融業に対する貪欲な志

「金融センター」確立にむかって猛然と突き進む北京の持ち駒は金融街だけではない。金融業に対する貪欲な志が北京にはある。それは都市計画から産業設計に至るまで随所にはっきりと表れている。

 CBインサイツ「グローバル・テック・ハブ・レポート(Gobal TechHubs Report)」〔2018年版〕が世界中の都市から選ぶ「グローバル・テクノロジーの中心都市25」に入っている中国の都市は、北京と上海だけだ。

 テクノロジー・カンパニーの総融資額をみると、北京市の過去6年の累計は720億ドルで世界第2位となっており、世界第4位の上海市の約3倍に匹敵する額だ。

 同じくCBインサイツのデータによると、この6年間に誕生した北京発のユニコーン企業はニューヨークや上海の倍以上、その数は世界第2位である。アジアの五大ユニコーンといわれる企業のうち4社が北京生まれだ。

「研究をしていて気づいたことですが、いわゆる従来型の上場金融機関や証券・保険会社の時価総額を都市別でみると、世界で最も高い額になるのは北京なんです」〔浙江大学インターネット金融研究院の賁聖林(ベ ン・ションリン)院長〕。アジア投資銀行やシルクロード基金をはじめ複数の国と地域にまたがって事業展開する機関や海外の大型機関もおしなべて北京に本部を置いている。これもまた、金融管理のナショナルセンターとしての優位性を側面から証明していると同氏は言う。

 中国政治の中心である北京は、金融に対する管理・監督の分野でも優位性をもつ。中国における金融管理・監督の中心である「一委一行両会」〔国務院金融穏定発展委員会、中国人民銀行、中国銀行保険監督管理委員会、中国証券監督管理委員会〕はじめ、全国レベルの業界団体、中国五大金融機関、中国四大資産管理会社、世界トップ500〔うち2割が中国企業〕の企業本社、ゴールドマンサックス、AXA、JPモルガン、新三板〔店頭市場〕、アジア投資銀行本部......すべてが北京に本拠を置いている。

 いまの北京には金融業の優良な資源が全国から集まっている。国家の金融政策を決定し金融業を管理・監督する機関がここ北京に集結している。さらには中国銀行業協会や中国証券業協会、中国上市公司協会〔上場企業の協会〕など、中国金融業を代表する10の協会や組織も一堂に会している。「中国の金融政策は北京で決まり、情報は北京から発信される」といっていい状況だ。

 各種の資源が他都市に比べて優位にあるというのも北京の恵まれた点だが、ここ数年の北京には、いくつかの軸が互いに連動して発展していくという構図がみられる。国家金融の司令塔としての能力を培っていくうえでは、これもまた重要な要素だ。

 金融業の市内分布に関する陳吉寧市長の説明からみえてくるのは、金融業の発展において市内各地域がそれぞれ異なった役を演じさせ、ロケーションやポジショニングに優劣をつけないということだ。金融街は金融管理の中心として主に管理・監督機能を担い、国の金融改革政策の根幹を引き受ける。他方、海淀中関村地区は主としてフィンテック・イノベーション分野を担い、積極的な投資で民間の創意と活力を引き出す。さらに、CBD〔商務中心区〕は国際金融に力を入れ、金融開放政策の最前線を担う、といった具合だ。

「科学技術主導の中関村と金融主導の西城区の、それぞれの資源を将来的にはマッチングさせていくことになります。その際フィンテックが両者をつなぐ糸になるでしょう」〔中関村西域園管委員会産業処長・王愛軍(ワン・アイジユン)氏〕

 この点は、北京市が提唱する「一核両翼」構想からもわかる。金融街とともに新たな金融機能や専門的な金融サービスの発展を担っていくのが「核」すなわち市内中心部で、それに対して郊外地区は、フィンテックをはじめとする新分野の開拓やイノベーションの「解放区」にしていくという構想だ。

「金融イノベーション分野では北京はまだ努力が必要です。行政資源への依存を減らし、企業と市場の活力をさらに引き出す、あわせて金融面での規制緩和を推し進めていく、ということです」と中国人民大学国際通貨研究所の向松祚(シアン・ソンズオ)副所長は言う。「北京のフィンテックの地盤は強力です。全力をつくせば、非常に明るい未来が待っているでしょう」

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競争から「差異化」へ

 中国で金融といえば、長らく人々の目は黄浦江東部〔上海市〕に向いてきた。北京が「金融管理のナショナルセンター」として台頭してくるにしたがって、中国国内に数ある金融センターそれぞれのポジショニングや違いが再び議論の俎上に上ってきた。

「後発組」の北京にとって「差別化」が発展の選択肢になるのは必然だった。

「消極的な面でいえば、金融大都市間で大局的にみて不利益をもたらす競争を生じさせないようにすること。積極的な面でいえば、それぞれの違いを活かして相乗効果を生み出すようにするということです」〔趙維久氏〕。それぞれの都市には独自に有する資源からくる強みがあるので、都市ごとにタイプの異なる金融業が集結する構図ができるはずだと同氏は指摘する。

 対外開放の最前線として金融貿易資源に恵まれた上海は、国際金融の中心であり、中国と海外、金融業とサービス経済との協力関係をどうつくっていくか、そのルール作りの場でもある。一方、滙豊グループ、中銀グループ、外資系銀行が集まる香港は言わずと知れた世界の銀行業における中心地の一つであり、国際競争の舞台でもある。上海と香港のポジショニング、強みは明らかに異なる。

 ただ、金融業の発展からみたとき上海と香港に共通しているのは、港湾都市という地理的優位性だ。これが貿易金融を盛んにさせた土壌となっていた。逆にいうと内陸部に位置する北京にこの強みはない。そうした状況だからこそ、フィンテックが北京金融業発展の柱になる。科学技術イノベーションの中心である北京は、西城区の金融資源と中関村、高等研究教育機関の科学研究資源という「資源の二重集中」を持つ。これが北京独自の強みだと趙維久氏は言う。

 将来の金融業をみたとき、フィンテック産業は重要な変化の方向の一つであり、この新興分野に力を集中すれば北京の前途は明るい――こう語るのは賁聖林(ベン・ションリン)氏だ。「いまのところ、上海も香港も従来型の金融業がメインです。簡単に言えば、滬港〔上海と香港〕の金融業は北京に比べて『伝統寄り』ということです」

「金融管理のナショナルセンター建設が進むにつれて、将来北京は国際的影響力を備えた金融中枢都市になっていくでしょう」〔趙維久氏〕。いくつかの金融大都市が中国の核になってそれぞれの得意分野で役割を果たし、「差別化による協力」を実現していく――そんなビジョンがみえてくる。

金融管理の司令塔として

 中国の金融分野の開放が進むに伴い、金融業における管理・監督面やサービス面での強化が喫緊の課題になりつつある。しかし、実際の情況をみると、金融に対する中国の管理・監督能力は、さらなる開放を進めていくにはまだ十分ではない。こうした背景のもと、金融管理のナショナルセンターにふさわしい管理・監督能力の強化が、北京にとってまったなしの課題になっている。

 昨年10月22日、「首都におけるフィンテック・イノベーションの発展に関する指導的意見」が北京市金融工作局から出された。そこには、フィンテックとプロフェッショナルサービスのイノベーションモデル地区において、サンドボックスモデル〔プログラムの動作領域を限定し、コンピューターウイルスなどの影響が外部に及ばないようにするセキュリティー上の仕組み〕の研究開発や「金融リスク管理実験区」の設立を推し進め、フィンテックの発展およびリスク管理が同時に機能するメカニズムならびに両者の意思疎通経路を整備し、フィンテック・リスク管理の国際協力システムを構築することが明記されている。

「金融が安定すれば経済が安定し、首都が安定すれば全国が安定します。首都金融の安全と安定を維持することには、他には替えられない重要な意義があります」〔陳吉寧市長〕。首都の金融業は、国が進める金融開放の最前線になる。外部の金融リスクが簡単に北京に伝染するからといって、あるいは、全国レベルの金融リスクが北京に集中しやすいからといって、ネガティブにとらえるのではなく、むしろ管理・監督の中心としての北京のモデル的役割を高めていく契機になるととらえなければならない。北京市長はそう考える。

「北京におけるナショナルセンターの建設は、金融業の成長とリスク管理を同時に追求する我が国にとって1つのバランスポイントになるでしょう」〔趙維久氏〕。趙氏は次のようにみる。たしかに現在の中国では、金融の中心とそれを管理・監督する中心とが分かれて存在する傾向がある。他方、世界的にみると両者が1つの都市に集中するほうがむしろノーマルだ。しかし、中国における金融発展の歩みはきわめて特殊であり、独自の状況から出発している。金融センターの発展モデルをどこか他の国から借りてきたところで、中国の現状にそのままあてはめられるわけではない。

 同氏は言う。「諸外国の金融センターの発展における共通項を基礎として、そこに中国の実情を融合させ、最終的に独自の道筋をみつけ出すこと。金融管理のナショナルセンターを北京につくるというのはそういうことなのです」

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写真2:銀行・保険会社の本部が多く集結する北京金融街。写真/視覚中国


※本稿は『月刊中国ニュース』2019年6月号(Vol.88)より転載したものである。