百度前総裁・張亜勤 新たなステージに臨む
2020年7月17日 趙一葦(『中国新聞週刊』記者)、吉田祥子(翻訳)
学術研究は最前線の発展の趨勢に対し明確な認識を持つ必要がある。これは技術製品として実用化し、市場を判断する際の前提である。
2019年は張亜勤の人生のなかで特別な意味を持つ1年だった。博士号を取得して30年目で、結婚30周年でもあるこの年、企業家という役割に自ら幕を引いたのである。
企業家としての舞台を降りたことで、張亜勤は人生の選択の自由度が一段と増し、学術と生活にエネルギーを傾けるようになった。それでも変わりなく、自身の事業目標は未来感あふれるスマート産業に照準を合わせ続けている。競争の舞台が学術界に切り替わったにすぎない。
「フィールド上でチームの指揮を執るキャプテンからサイドにいるコーチに転身したようなもの」と張亜勤は説明する。試合のタイトルは依然として「スマート産業を巡る争奪戦」だ。
実は、張亜勤の百度退職はかなり前から準備されていた。早くも2018年末には同社創業者の李彦宏CEOに辞任の意向を伝えており、その後すぐに着々と業務の引き継ぎを進めている。昨年3月に李彦宏CEOが社内通知で百度の高級管理職退職計画を発表すると、張亜勤はその対象者として真っ先に手を挙げた。
そして10月、5年連れ添った百度に正式に別れを告げ、科学者出身の彼は学術界に戻る道を選んだ。退職が報じられるとすぐに清華大学車両・輸送学院の楊殿閣院長から招聘状が届き、同時に国内外の数多くのハイテク企業や有名大学、投資機関からも声がかかった。
しかし、相次ぐオファーにも張亜勤は自身のプランを曲げることなく、まず企業からのオファーをすべて辞退した。人生の次の一歩について、はっきりと「大学こそが自分にとって興味の対象であり、もっと独自に学術研究をしたい。さらに重要なのはリーダーとなる人材を育成することだ」と考えていたのである。
2019年12月31日、張亜勤は正式に清華大学の「知能科学〔Intelligence Science〕」特別招聘教授として招聘に応じ、さらに同大学の「智能産業研究院(AIR)」設立計画の取りまとめ役を引き受けた。人工知能と脳型〔ニューロモーフィック〕コンピューティングをスマートカーの開発に結びつけ、世界トップクラスのイノベーション研究プラットフォームを構築したいという思いがある。
「第4次産業革命がまさに到来し、機械知能〔MI、Machine Intelligence〕が個々の産業を変えつつある。私はAIRを、スマート産業が革新性のある成果を生み出すための、国際的視野を持つ技術人材の育成の場にしたい」
5年間歩みを共にした百度に別れを告げた張亜勤は学術界に戻る道を選んだ。
「続けたいと思うのは興味があるから」
2019年10月13日、張亜勤はハーバード大学で執り行われた2019年アメリカ芸術科学アカデミー新会員就任式典に出席し、数学・物理学部門フェローに正式に選出された。
百度の総裁という重荷を下ろすと、張亜勤はさっそく世界各地の大学での講義や講演の予定を組み、学術研究と公益事業にいっそう力を入れ始めた。長年にわたり企業の高級管理職に就いていたにもかかわらず、科学者としてのバックグラウンドはいまだに色あせていない。
1978年、張亜勤はわずか12歳で中国科学技術大学の少年班〔飛び級で大学に進学する英才教育クラス〕に合格し、当時最年少の大学生となった。
電子工学との出会いは、情報電子系の教師が授業で語った「情報化された世界とロボット」の未来像だった。張亜勤はその新鮮さと面白さにすっかり魅了された。
その後、専攻を決める際に迷わず電子工学を選び、数十年の長きにわたる探究がここから始まったのである。
「私は何かを決める前に長期的な計画を立てることはありません。タイミングが違えば目標も変わる可能性があるからです」。張亜勤は当時を振り返ってこう続けた。「唯一確かだったのは、ずっと続けたいと思うものこそ、きっと自分が心から興味を持っていることなのだという点でした」
1986年、20歳そこそこで中国科学技術大学電子工学専攻修士課程を修了すると、留学のため単身渡米した。この時期に、張亜勤は初の大型医療情報システム用画像圧縮・画像強調ソリューションの分野で数々の新たな研究成果をあげ、高水準の論文を著している。3年後、順調に23歳でジョージ・ワシントン大学の博士号を取得した。
博士課程修了後、アメリカのConTel〔Continental Telephone〕がワシントンDCに設立した研究所に入所し、上級研究員として動画圧縮の研究に従事した。同社はその後、GTE〔General Telephone and Electronics〕に買収され、張亜勤はGTE本社に異動した。
研究所での5年間で、合計100編余りの動画圧縮・デジタルテレビ・デジタル電話などに関する電子工学分野の論文を発表し、動画圧縮および超低ビットレートでの圧縮符号化の分野で重要な成果をあげ、一部の技術と特許が国際標準に採用されている。
1991年、張亜勤の手掛けたウェーブレット変換を用いた全静止画像・動画像の符号化方式および無線映像伝送システムが新規分野を切り開き、彼は電気・電子学研究分野の第一人者として知られるようになった。1994年、アメリカの電子分野で権威ある研究機関、デービッド・サーノフ研究所(現スタンフォード研究所)に入所し、マルチメディア実験室の主任として世界最先端のマルチメディアチームを率い、世界のデジタル動画符号化と通信分野において際立った貢献をした。
1997年、張亜勤は31歳の若さで米国電気電子学会(IEEE)のフェローに選出され、電気・電子学研究分野における世界最高の学術的栄誉を獲得した学会史上最年少の科学者となった。
1999年1月、李開復〔当時のマイクロソフト中国研究所所長〕の招きに応じ、アメリカでの恵まれた研究環境を放棄して北京に戻り、マイクロソフト中国研究所でチーフサイエンティストを務め、2000年8月に所長に就任した。
2001年11月1日、マイクロソフト中国研究所がマイクロソフトリサーチアジア〔以下、MSRA〕に昇格し、張亜勤は初代所長を任された。次いで2004年にはアメリカ本社に転勤となり、マイクロソフトのグローバル副社長に就任、同社の七大部門の1つであるグローバル移動体通信およびエンベデッド製品〔Windows Embedded〕事業の責任者となった。
2006年、張亜勤は再び帰国してマイクロソフト・アジア太平洋研究開発グループを設立し、当時の多国籍企業が設立した中国国内最大規模の総合型研究機関を一手に作り上げた。この時期に、張亜勤は率先して「クラウド+エッジ」、「3つのプラットフォーム」(エッジプラットフォーム・クラウドプラットフォーム・クラウドアプリケーションプラットフォーム)、「インターネットの物理化」という3つのコンセプトを提唱した。これは、マイクロソフトのその後15年間の戦略計画に直接影響し、インターネット業界全体にも多大な影響を及ぼした。張亜勤が中心となって研究開発した革新的技術は次々にマイクロソフトの製品に応用され、全世界に進出している。
張亜勤は中国電子学会クラウドコンピューティング専門家委員会副主任委員、中国インターネット協会物聯網〔IoT、モノのインターネット〕ワーキング委員会主任委員を歴任し、中国のクラウドコンピューティングとインターネットの発展に重要な貢献をした。また、張亜勤が提唱した「ABC雲」(AI+ビッグデータ+クラウドの融合)、「クラウド2.0」〔第2世代クラウド〕、「AIプラス」といったコンセプトは業界で広く承認されている。
GTEからスタンフォード〔サーノフ研究所〕を経てマイクロソフトへと移籍するなかで、張亜勤は徐々に「マニアックな研究者」から「技術実用化専門家」に転向していった。張亜勤がおこなっていたのは基本的に学術研究だったが、その一方で、こうした研究を技術製品に実用化し、企業に資するようにも努力していた。
「学術研究から技術製品へ、さらに市場へというフローそのものにタイムラグが存在するので、学術研究は最前線の発展の趨勢に対し明確な認識を持つ必要があります。これは技術製品として実用化し、市場を判断する際の前提です」
「ミッションコンプリート」
パソコン時代の衰退とともに、中国では新興ハイテク企業の発展の勢いが強力になり、重点的に力を入れてきた先端科学技術事業も評判が高まった。
イノベーションの活力は火花散る競争の最前線から生まれる。先端技術のすぐ後を追いたいといつも思っていた張亜勤は、中国内のハイテク企業に目を向け始めた。
2014年9月3日に開催された「百度世界大会」で、張亜勤は図らずも李彦宏CEOの傍らに座った。それからほどなくして、張亜勤が百度に加わったというニュースがインターネット上を駆け巡った。
マイクロソフトを辞職するときに、張亜勤は正々堂々と「使命達成」という言葉で16年にわたる同社での歩みに終止符を打った。
「使命」の一端として、張亜勤は「長城計画」〔MSRAと中国教育部の連携による人材育成計画〕を発起し、中国で累計30万人余りの各種人材を育成、10の大学に企業と大学が共同で研究開発する共同実験室を設立した。また、マイクロソフトベンチャーズアクセラレーター〔MSVA〕プログラムを立ち上げて、中国のIT産業のために300社を超える優秀な企業の起業を支援し、中国で最も優れたインキュベーターに何度も選ばれた。
百度入社後、張亜勤はさらに大きな活躍の場を与えられた。企業家と科学者の2つの身分を兼備しつつ、「新規事業統括者」という役割を担い、検索サービス以外のほぼすべての技術部門と事業部門の管理を任された。
5年間で、張亜勤は「百度智能雲」〔バイドゥAIクラウド〕事業および「AI to B」〔企業向けAIサービス〕事業の統合・発展を相次いで推進し、かつ、積極的に最先端のAIチップと量子コンピューティング分野の強化を図り、スマート運転〔AI自動運転〕を含む新規事業を指揮した。とりわけ、百度の事業の重点がパソコンからモバイルインターネットに転換し、さらにAI戦略へとシフトする節目の時期に、張亜勤が主導するクラウド事業「百度雲」は極めて重要な存在だった。
2016年以降、中国国内のクラウドコンピューティング市場は競争が激化し、阿里雲〔アリババクラウド〕をはじめとする国内大手クラウドサービスのみならず、AWS〔アマゾンウェブサービス〕に代表される国外大手も参入した。百度はクラウドコンピューティングの新興勢力として、ライバル会社よりもやや出足が遅れていた。
だが「ABC(AI+ビッグデータ+クラウドコンピューティング)三位一体」というコンセプトを提唱する張亜勤の主導のもと、「ABC」と「クラウド+AI」を戦略に掲げた百度雲は、先発優位性を欠く状況のなかで参入障壁の打破に成功した。
2018年、百度智能雲は中国のパブリッククラウドサービス市場で第4位となり、トップ陣営のなかで安定した地位を得た。
同年12月に百度は、AIクラウド事業ユニット(ACU)をAIクラウド事業グループ(ACG)に昇格させて、企業向けAIとクラウド事業の発展を担うものとした。
AIクラウド事業はまさに百度の新たな成長エンジンとなっている。2019年第3四半期の決算報告書によると、主な営業収入である検索・情報フロー事業が204億元、動画配信サービス・AIクラウド・AI搭載デバイスなどを含むその他の事業の収入が76億元だった。なかでも百度智能雲とAI事業の営業収入が依然として大きな伸びを維持している。
百度を率いること5年、張亜勤は事業の転換と開拓というミッションを見事に達成した。このとき、事業が勢いに乗って展開する姿を目の当たりにしながら、彼は身を引く決心をしたのである。
「私は研究と人材育成の仕事をもっとやりたいと思い始めたのです」と張亜勤は明かす。いまや会社は堅実な事業の基礎を打ち立て、成熟したリーダーも育ち、将来の見通しは大変良好だ。「このタイミングなら私が会社を去っても安心だと思いました」
5年間勤めた百度では新規事業統括者として活躍した。
スマート運転は人類の夢
2019年12月の第1回百度アポロ生態大会に、スマート運転事業グループ総経理の李震宇とともに10月に百度を退職した張亜勤が姿を現した。その肩書はアポロ理事会の理事長に変わっていた。
「現在の私はアポロプロジェクトでこれまで以上にサポート役と調整役に努めています。決して実際の管理者ではありません」と張亜勤は明言する。
このプロジェクトは、張亜勤にスマート運転の技術製品に対する探究の道を開き、学術界に戻ると決めた後もこの分野の研究を続けている重要な要因でもある。
2017年4月、百度は「アポロ」と名付けたこの新計画を正式に発表した。その主な目的は、自動車業界と自動運転分野の提携パートナー向けに、オープンで完全かつ安全なソフトウェアプラットフォームを提供し、車両およびハードウェアシステムに結びつけて、カスタマイズした完全な自動運転システムの迅速な構築をサポートすることである。
百度の「アポロ」計画は、「アポロ月面着陸計画」にちなんだもので、情熱と期待に満ち溢れたネーミングだ。
「スマート運転は人類の夢であり、かつての月面着陸への夢にそっくりです」。張亜勤はスマート運転の未来には無限のチャンスが秘められていると語り、第1に巨大な社会的便益を備えていること、第2に多くの新興産業やサービスを生み出し、さらには従来の自動車産業とビジネスの枠組みを再構築する可能性があることを指摘する。「これはエキサイティングな産業です」
張亜勤は、スマート運転はAIの各種技術の集大成であり、狭義のAI分野において最も複雑で最も挑戦的なミッションだとみており、過去2年間のうちほぼ3分の1の時間をスマート運転とアポロエコシステム構築に費やしたと話す。
スマート運転分野に対する尽きない興味ゆえに、この分野を学術面から掘り下げて研究したいという思いが芽生え、それが前述の清華大学車両・輸送学院に「場所を移して」研究するという方向性と偶然一致した。張亜勤はかつて〔マイクロソフト中国研究所時代〕清華大学の客員教授を務め、多くの学院長や教授と自動運転分野で意見交換をおこなったことがある。
「清華大学はコンピューター・自動車・情報など様々な学科の優秀なリソースを保有しているうえ、十分な研究スペースの提供を申し出てくれたのです」。張亜勤は、ほとんど躊躇なく清華大学を人生の「次のステージ」に選んだと述べた。
彼にとって、現段階で学術界に戻るとは、論文や専門書の理論研究に改めて没頭するということではない。
張亜勤は「自分がどれだけ論文を発表したかということには興味がない」とはっきり言った。その計画によると、やろうとしているのは学術研究とスマート産業を十分に融合させ、「革新性があり歴史を変える」研究成果をあげることである。「これこそ一流の研究機関がやるべきことです」
まったく新しいチャレンジに、張亜勤は興奮している。清華大学では智能産業研究院の設立計画を担当し、自動運転、AIとIoTの融合、脳型知能〔Brain-inspired Intelligence〕を要とする技術のブレークスルーを目指して、世界トップクラスのイノベーション研究開発プラットフォームを構築しようとしている。
目下、このような研究所は、参考にできる具体的な比較対象がどこにも存在せず、極めて革新的かつ挑戦的な学際的研究機関となる予定だ。
「第4次産業革命に向けた、国際化・産業化・スマート化された学術研究・イノベーションセンターとして位置づけています」と張亜勤は述べ、さらにこう続けた。「学術が先行し、革新性のある研究成果を技術製品に投入して実用化してこそ、スマート産業の発展における本当の問題を解決できます。最も重要なのは中国企業のために国際的視野を持ったトップクラスのCTO〔最高技術責任者〕やアーキテクトを育成することです」
張亜勤はいまこのビジョンを実現するために努力している。すべて順調にいけば、今年の4月には大まかな準備が完了し、7月には研究院を正式に設立できるという。
将来について話が及ぶと、張亜勤は期待する気持ちを抑えきれない様子でこう言った。「これまでもこれからも学術はずっと私の興味の対象です。いつか学術と産業が十分に融合したときに、私の情熱はさらに大きくかき立てられると信じています」
※本稿は『月刊中国ニュース』2020年5月号(Vol.99)より転載したものである。