制度か資金か―研究者の科学普及活動参加へのハードルとは?
2021年09月28日 張 曄(科技日報記者)
北京二中教育集団で基調講演を行った後、学生のテクノロジー作品を見学する中国科学院の院士で、中国の月探査プロジェクト初代の首席科学者・欧陽自遠氏。(画像提供:新華社 撮影・周良)
奨励は必要なことであるが、より大切なのは、科学研究者らが、科学普及活動は有益であるのを心から感じることだ。また、科学界全体がそれを科学研究者の職務の一環と見なし、その活動に取り組んでいる科学研究者に対して、「正業を真面目にしていない」といった見方を持たないことが大切だ。
周忠和 中国科学院院士、中国科学院古脊椎動物・古人類研究所研究員
江蘇省農業科学院農産品加工研究所の沈奇所長は、「動画のアカウントを開設して、総合保健や食品安全関連のショート動画を週に2本ずつアップしようと思ったが、プロの撮影・動画制作業者に相談すると、1本につき1,000-2,000元(約1万7,000~3万4,000円)かかると言われた。その経費はまだ捻出できていない」と、昨年に所長に就任して、まず思い付いたのが、食品健康分野の科学知識を一人でも多くの人に伝えることだったと話す。
しかし、沈所長によると、それを実現するのは至難の業で、「経費のほか、公式アカウントを開設するためには、いろいろな審査・許可が必要で、さらに、興味を持つ科学研究者を見つけて、担当してもらう必要がある」という。しかし、「最近、中央政府の各部・委員会が科学普及活動を強化する姿勢を見せるよう求めており、希望が見えた。来年には公式アカウントの開設経費を確保できるかもしれない」と話す。
科学研究者は、「サイエンスコミュニケーションのトップバッター」と見なされており、科学の普及に取り組むというのはその職責の一つだ。しかし、長年にわたり、科学普及活動に取り組む科学研究者の割合が低く、科学知識を一般の人に伝えようという気風も、科学研究界で育たなかった。では、その原因は、制度が足りない、または経費が不足しているからなのだろうか?一部の科学研究者の見方は、国の関係当局が政策を制定するための根拠となるかもしれない。
科学普及活動に最適な科学研究者が消極的なワケは?
中国科学院国家天文台の研究員・鄭永春氏は、火星探査車「祝融号」や「初の月面での植物発芽成功」などがきっかけで、中国のネット上で親しみを込めて「火星おじさん」と呼ばれており、科学普及の分野の「ネット有名人」となっている。
鄭氏は、「この分野に、私が自ら進んで入ってきたのではない。以前に専攻を選ぶ時も、自ら進んで選んだわけではない。しかし、そのような機会が目の前にあり、拒否することはできず、それを理解しようと努めるようになった。そのような過程を経て、少しずつ入っていったのだ」と振り返る。鄭氏は2015年に、ある授業をしたことがきっかけで、科学普及に関する文章の創作に触れた。その時から、少しずつ科学普及活動の分野の達人となり、「本を出版し、ブログのアカウントも作り、より多くのことをする機会があり、活動も増えていった。そのようにして、全く新しい世界の扉が開いた」という。
「クリエイト・イン・チャイナ」が時代を反映する言葉となっている今でも、鄭氏のように「ネット有名人」となる科学者は限られており、「科学普及活動」が科学研究者の本分であるかどうかをめぐって、依然として議論されている。
ここ数年、科学研究者が科学普及活動に関わっている状況をテーマにした複数の調査を分析した結果からも、「共感度が高く、意欲も比較的強いが、行動力が弱い」という結論が出されている。では、科学普及に取り組むのに最も適している科学研究者が、なかなかその殻を破れないのはなぜなのだろう?
中国科学院南京地質古生物研究所・サイエンスコミュニケーションセンターの王永棟センター長は、科学研究者が科学普及活動に携わろうとしない主な2つの原因を指摘する。1つ目の原因は、客観的に見て、科学普及活動に携わると、研究者としての時間や気力を奪われるのに、人事評価ではそれが加味されない点だ。例えば、賞与の評価対象にならず、職階の昇格も加味されず、相応のポストもなければ、相応の奨励メカニズムもない。科学研究機関の人々はプロジェクトや論文、インパクトファクター、肩書などを重視している。
2つ目は、主観的に見て、ほとんどの科学研究者は、科学普及活動にそれほど深い専門知識は必要ないと考えているほか、科学普及活動に携わると、他の人の成果を使うケースが出てきて、知的財産権の分野でのトラブルに巻き込まれることになるのではないかと心配して、不慣れな科学普及活動に時間を使うよりも、自分の論文を書くことに集中するほうが良いと考えている点だ。
取材を受けた科学研究者らは、「現行の科学研究や人材評価体制においては、科学普及活動への貢献は大部分が名前も残さず、何の利益にもならず、骨折り損のくたびれ儲け」と声を揃えた。そのような「旗振り役」の下で、科学研究を重視し、科学普及活動は軽視する全体的な思考が徐々に形成されていったのだ。
鄭氏は、「文化的観点から見ると、科学研究と科学普及活動は表現の仕方が違うだけに見えるが、実際には全く別物。科学研究文化は、内に向かっており、学術圏内、専門分野の圏内で認められることを追求している。それに対し、科学普及活動の文化は、外に向かっており、一般の人々に認められることを追求している」と説明する。
研究者が科学普及を画一的に行うことはできない
現有の「旗振り役」が科学普及活動を重視していない環境下で、科学研究の評価体制において科学普及の貢献をもっと重視すれば、科学研究者の科学普及活動に対する熱意は高まるのだろうか?
取材では、中国は近年、科学普及活動を奨励する関連の政策を打ち出していることが分かった。例えば、「科学研究機関と大学が、一般社会を対象に科学普及活動を展開することに関する若干の意見(国科発政字〔2006〕494号)」の中で、「サイエンスコミュニケーションの業績評価を、科学研究者の職階評価、ポスト招聘の重要な根拠とするよう提案する」と明確に打ち出している。しかし、それを実際に実行するための細則や義務化する規定はなく、政策を実行することができていない。
取材では、科学研究者の間では、科学普及活動を評価する硬直的制度の制定について、賛否両論があることが分かった。
例えば、鄭氏は、「以前は、科学研究者が科学普及活動に取り組むようになるためには、奨励、または制度化した奨励メカニズムが必要だと思っていた。しかし、今は、一概には言えないと思うようになっている」とし、「科学研究者の主業は科学研究。科学普及活動に取り組むには、科学研究の経験、幅広い知識を共有したいという願いが必要であるだけでなく、多くの時間やエネルギーを費やして経験を積まなければならず、誰にでもできるわけではない」との見方を示す。
中国科学院の院士で、中国科学院古脊椎動物・古人類研究所の研究員・周忠和氏は、第27回全国科学普及理論シンポジウムで、「行政化というのは諸刃の剣で、政策を通して画一的に対処することはできない。例えば、科学普及活動を、画一的に全ての科学研究者の評価指標とすることはできない」との見方を示した。
一方、沈所長は、「一つの課題グループ、一つの実験室、一つの研究所などを単位として評価を行い、チーム、機関の責任者が科学普及活動を重視するよう逆の方向で働きかける」ことを提案する。
周氏は、「奨励は必要なことではあるが、一番大切なのは、科学研究者らが科学普及活動は有益であると心から感じることだ。また、科学界全体がそれを科学研究者の職務の一環と見なし、その活動に取り組んでいる科学研究者に対して、『本業を真面目にしていない』といった見方を持たないことが大切だ」との見方を示す。
長年海外で勤務している南京信息工程大学の気候・応用フロント研究院の羅京佳院長は取材に対して、「海外の科学者は、自分の科学研究の進展や関連の科学知識を、喜んで他の人と共有している。論文を書くというのも、専門家を対象にしているだけで、それも科学普及活動の一環であるはずだ。専門家たちと共有できる以上、一般の人にはしないというのは筋が通らない」と指摘する。
そして、「言語が違えば翻訳が必要であるように、学問分野が違えば、全く分からず、違う分野の科学者も『一般の人』になるため、その知識を伝えることが必要になる。そのような認識や科学普及文化が一旦形成されれば、制度によって強引に牽引する必要はない」との見方を示す。
科学普及活動制度体制の一日も早い構築が急務
取材では、「科学普及活動の経費が不足している」という声が最も多かった。では、科学研究機関は、科学普及活動という特定の支出を行っているのだろうか?
中国科学院の南京地質古生物研究所は中国科学院傘下の全120機関中、サイエンスコミュニケーション指数でランキングの上位に入っている。本来、同研究所は多くの資金を人件費や材料・設備費に投じているはずだ。王センター長は取材に対して、「当研究所はサイエンスコミュニケーションを非常に応援しており、当センターだけでも、今年の予算は780万元(約1億3,260万円)近くに達している。支出には、複数の専門雑誌の編集・出版費、図書館の文献・資料購入費、標本のメンテナンス費、南京古生物博物館の運営費・人件費などが含まれる。一方、財政支出を含めた年間收入は非常に限られており、支出が収入を上回るため、当研究所が300万元以上を補填しなければならない。そのような状況は、主に基礎研究を展開している研究所にとっては、大きな負担となる」と説明する。
また、同研究所の科学者は、非常に積極的に科学普及活動に取り組んでいる。王センター長は、「今年5月18日、当研究所が招聘した研究員20数人が、サイエンスコミュニケーション専門家第一陣に選出された。それら専門家は、博物館の展示の概要や展示物の説明の執筆、ブース、展示物の設計などのほか、動画撮影、科学普及講座、科学普及イベントなどにも積極的に参加している」と話した。
鄭氏は、「国は科学普及制度体制を速やかに構築するべきだ。そして、科学研究を支援するように、科学普及活動を支援すべきだ。例えば、科学普及活動基金、科学普及人材計画の設立や科学普及成果奨励制度の制定などだ。科学研究者は、プロジェクト支援や国の奨励を得ることができると、同業者からも認められ、自然と科学普及活動に力を入れるようになる」との見方を示す。
王センター長も、「国は自然科学基金の中に、サイエンスコミュニケーションのプロジェクトを設置することができる。三大テクノロジー賞の中にも、サイエンスコミュニケーション賞を設置することができる」と提案する。
また、取材では、科学普及活動をめぐる研修や人材育成も重視しなければならないという声が一般的だった。鄭氏は、「科学普及活動や科学教育に携わるようになってから、誰が高エネルギー物理を研究していて、誰が応用数学を研究して、誰が分析化学を研究しているかが分かるようになったが、果たして科学全体の研究をしている人はいるだろうか。私たちが必要としているのは、さまざまな研究領域間の懸け橋となり、それらを結び合わせ、将来の人材を育成するという観点から、彼らに科学全体の教養を与えることができる人が必要だ」と指摘する。
さらに、王センター長は、「大学の理工系の学科の必修科目として、サイエンスコミュニケーションを開設し、学生が、専門的で難しい内容を、誰にても理解できるような方法で伝える能力やメディアとの融合のノウハウをマスターできるようサポートする。そうすることで、学生らは将来、研究に携わるようになった時、成果を分かりやすく説明し、それを他の人に伝えることができ、一般の人々を含む社会全体がそれを聞いたり、見たりして理解し、応用することができるようになる」と提案する。
※本稿は、科技日報「缺制度還是少経費 科研人員做科普究竟難在哪?」(2021年8月4日付5面)を科技日報の許諾を得て日本語訳/転載したものである。