【20-05】日本で人気急上昇・中国歴史ドラマの謎
2020年12月09日
青樹 明子(あおき あきこ)氏: ノンフィクション作家、
中国ラジオ番組プロデューサー、日中友好会館理事
略歴
早稲田大学第一文学部卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。
大学卒業後、テレビ構成作家、舞台等の脚本家を経て、ノンフィクション・ライターとして世界数十カ国を取材。
1998年より中国国際放送局にて北京向け日本語放送パーソナリティを務める。2005年より広東ラジオ「東京流行音楽」・2006年より北京人民ラジオ・外 国語チャンネルにて<東京音楽広場><日本語・Go!Go!塾>の番組制作・アンカー・パーソナリティー。
日経新聞・中文サイト エッセイ連載中
サンケイ・ビジネスアイ エッセイ連載中
近著に『中国人が上司になる日』(日経プレミアシリーズ)
主な著作
「中国人の頭の中」(新潮新書)「<小皇帝>世代の中国」(新潮新書)、「北京で学生生活をもう一度」(新潮社)、「日本の名前をください 北京放送の1000日」(新潮社)、「日中ビジネス摩擦」(新潮新書)、「中国人の財布の中身」(詩想社新書)、「中国人の頭の中」(新潮新書)、翻訳「上海、か たつむりの家」
もう20数年ほど前になるが、北京電影学院の近くに、2年ほど住んでいたことがある。
ある日のこと、自転車で正門前を通ると、前方からマラソンしている集団にでくわした。体育の時間だったのだろう、全員ジャージを着て走っている。女子学生だ。
すれ違いざま、私は思わず自転車のブレーキを踏んだ。
なんだ、これは!
女子学生マラソン集団、全員が美女だった。とんでもないレベルの美女が十数人、固まって走っていたのである。
これが名高い北京電影学院の、未来のスターたちか。
北京電影学院とは、中国で唯一、映画関係全般の人材を専門に養成する大学である。卒業生には、国際的に有名な監督・張芸謀氏、陳凱歌氏も名を連ね、演技科(表演系)からは、映画やテレビの世界でのスターを輩出している。黄暁明・陳坤・趙薇・蔣雯麗など、ドラマ一作品での出演料が、1億円を軽く超すスーパースターたちである。
また別の日、食事の後、南鑼鼓巷(南锣鼓巷)を散策した。かつては単なる古い胡同だったが、今は昔ながらの四合院建築を現代風にリノベーションしたエリアとして、外国人や流行に敏感な若者たちに人気である。近くに俳優養成大学・中央戯劇学院があることでも有名だ。
夜9時過ぎだったが、昼間に比べて人通りが多く、若い女性、しかもとんでもない美女が目に留まる。ある雑貨店で見かけた美女は、日本では高身長の私より約十センチは高いと思われ、黒いロングヘアに白い肌、大きな瞳があまりに美しく、思わず後をつけてみたい気分になった。間違いない中央戯劇学院の学生だろう。
中国の大学入試は、倍率その他、過酷なことで知られている。なかでも、芸術系の大学は天文学的といっていい。
志願者数は毎年「史上最高」を更新していて、2019年のデータによると、北京電影学院に願書を提出したのは約6万人で、前年同期比31.02%増である。
特に演技科の倍率は、100倍を超すケースは少なくない。北京電影学院・演技専攻の受験者数は、2018年、前年比13・69%増で、倍率は前年の114倍から194倍へと難易度が増している。
この数字だけでもわかるように、俳優業はじめ、エンターテインメント界は中国中の若者たちが憧れる、超人気の職業である。俳優やテレビのニュースキャスター志望は、応募するだけで、容貌、才能、出自などに相当の自信があるはずで、まさに14億人からの選抜でもある。
めまいがするほどの倍率をくぐってきた人々で構成される中国エンターテインメント界は、規模ではすでにハリウッドをしのぐとも言われている。コロナであろうが何であろうが、その勢いは止まらない。
中国映画・ドラマは「大きく作って大きく儲ける」というビジネスモデルが確立されていて、制作費は拡大するばかりである。映画の場合、興行収入目標値は高く、「大ヒット」と言われるには、興行収入30億元(約477億円)以上なのだそうだ。(中国人ジャーナリスト)
中国エンターテインメントは、破竹の勢いで、中国国内のみならず世界にも進出している。もちろん日本も例外ではない。
日本において、海外テレビドラマといえば、韓ドラ(韓流ドラマ)だった。中高年女性を中心に、この10年、アメリカを含め、他の海外ドラマの追随を許さないほどの人気である。知り合いの中年女性は、韓ドラを見たいがために、有料のCSチャンネルを複数契約したという。同じ理由で、新型コロナ期間中に契約を増やした動画配信サービスも多い。
プライムタイム(英語:prime time)というのは、テレビ業界において夜の看板番組が並ぶ時間帯を指すが、公共放送NHKでは、日曜夜は地上波、BS、ともに韓国歴史ドラマを多く放送してきた。日曜夜は韓ドラ枠だったのである。
ところが最近異変が起きた。日曜夜9時から、BS放送で中国歴史ドラマが放送されることになったのである。
作品名は「コウラン伝 始皇帝の母(皓镧传)」、韓ドラ枠がついに中国歴史ドラマ枠に取って代わったのである。
かつての韓ドラファンの女性は言う。
「遅すぎるくらいです。この現象は、数年前から起きていた。韓国歴史ドラマファンのおばさまたちが、次々と中国歴史ドラマに移行していたから」
そういえば、私が中国歴史ドラマ「瑯琊榜(琅琊榜)」にはまっていた頃、何故か日本でもファンのおばさまたちがいたことが不思議だった。日本の有料チャンネルで放送されていたらしい。
また、先日新宿の地下道を歩いていて驚いたのは、壁面いっぱいに描かれていた中国歴史ドラマの広告である。"イケメン"が多く登場することで、中国国内で人気の作品だった。ついに日本上陸かと感無量で、しばし見入っていたら、横で壁面広告をうっとりとした表情で眺め、やがてスマホに収めようとしている女性がいた。これは2019年のもので、かなりの情報通でないと、知らない作品のはずだ。まさに、中国歴史ドラマ人気を目の当たりにした瞬間である。
中国歴史ドラマにはまる日本人、とくに女性たちが多くなっているのは事実である。
ファンになった人たちは、それまで中国には何の興味も抱かず、中国に対する知識もない。ましてや、中国には行ったことがないという方々が、中国歴史ドラマを通じて、中国にはまっていくという現象が起きている。彼女たちは中国語の勉強を始め、中国旅行をする。行き先は北京上海ではなく、ドラマの舞台だった所、東北だったり内陸の古都だったりするのである。
では何故、中国歴史ドラマに夢中になるのか。
まずは、これまで知らなかった時代が舞台になっていることだろう。
日本人にとって、中国史の有名人といえば、三国志の英雄たちか、清朝の西太后(浅田次郎氏のベストセラー「蒼穹の昴」の影響か)くらいで、他の時代についての知識は非常に少ない。そんななか、始皇帝以前の時代や、春秋戦国時代、明や宋の時代の物語には、おおいに興味を惹かれるのである。
また、中国歴史ドラマは、豪華絢爛たるセット、素晴らしい衣装、何より美男美女がこれでもかというくらいに、次々と登場する。日本の歴史ドラマは真実追及の面が大きいので、この違いは大きい。
歴史ドラマ、日本での一番人気は「宮廷の諍い女(后宫・甄嬛传)」である。
ファンが集まるサイトに寄せられたコメントを見ると、中国歴史ドラマの人気理由が凝縮されているようだ。
「中国ドラマにハマったきっかけの作品。中国版大奥で、ハラハラドキドキの連続です。中国の歴史や宮廷のことなど無知でしたが、この作品は字幕で都度説明があるので、分かりやすいです。女優さんもとても綺麗で、衣装や装飾もとても素敵です」
「ストーリーが工夫されていて、長編作品でしたが、全く飽きることなく、楽しめた。衣装や女優さんが美しくて、ビジュアル的にも素晴らしくて絵画鑑賞をしている感じもありました」
「非常に多くの女性が出てくるのですが、またみんな綺麗な人ばかりで、それだけでも魅了されました。また、女同士ののし上がるための覇権争いが非常に醜くもあり、また凄さを垣間見ることができ少し恐怖さえ感じました」
人気上昇中の中国歴史ドラマだが、日本の視聴者が見て、疑問に思うことも少なくはない。言ってみれば「中国ドラマの謎」「中国ドラマ・あるある」である。
代表的なものは、以下の点である。
〇何故、中国人は空を飛ぶのか。
小学生だった甥と、中国映画「HERO・英雄」を見た。その後、彼は友人たちに必ず言ったものだ。
「中国の人って、空を飛ぶんだよ」
たしかに空を飛んでいた。
小学校低学年の子供に、間違った事実が刷り込まれてしまうことになったが、中国歴史ドラマの一ジャンル「武侠」に関しては、大人の視聴者でも、「入り込めない」という声は高い。
「中国歴史ドラマは大好きだけれど、空を飛んだりするのは好きになれず、視聴をやめてしまう」(50代・女性)
中国では大人気の「武侠」ドラマは、日本人には受け入れられないようだ。
〇史実より娯楽性
以前、抗日ドラマで軍人役をしていた日本人の俳優さんが言っていた。
「日本の軍人は、屋内で軍帽は被らない。しかし、中国のドラマでは、被っている。これはおかしいと指摘すると、そんなことは、どうでもいいんだ。かっこいいほうがいいから、と言われた」
史実より見た目重視は、私も気になる。
後宮もので、妃役の美しい女優さんが、長らく病で寝込む設定があるとする。そんなシーンでも、メイクはばっちり、衣装もきらびやか。何より驚いたのが、10年近く病で寝ていた設定の美女が、目覚めた後、老けることもなければ、衣装も10年前と同じ衣装だったということである。
リアリティより、見た目が大事か。
〇吹き替えが主流
中国ドラマのファンになって、中国語に興味を持つ日本人も少なくない。
そこでファンたちが残念がるのが、お気に入りのスター本人の声ではなく、吹き替えが多いことである。
日本人は、出身地がどこであっても、ほぼ問題なく標準語を話すことができる。しかも俳優やテレビのアナウンサーを目指す人は、徹底的に正しいアクセントを叩き込まれる。日本の場合、方言といってもそれほどの差はないので、訓練次第で、それが可能なのだ。しかし、中国は事情が異なる。方言が外国語に近いということを、日本人は知らない。
いずれにしても、文化の力はとてつもなく大きい。
中国ドラマがゴールデンタイムに進出し、ファンを増やしていくのは、とても喜ばしいことである。