【21-01】春節映画・日本に放たれた矢
2021年02月26日
青樹 明子(あおき あきこ)氏: ノンフィクション作家、
中国ラジオ番組プロデューサー、日中友好会館理事
略歴
早稲田大学第一文学部卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。
大学卒業後、テレビ構成作家、舞台等の脚本家を経て、ノンフィクション・ライターとして世界数十カ国を取材。
1998年より中国国際放送局にて北京向け日本語放送パーソナリティを務める。2005年より広東ラジオ「東京流行音楽」・2006年より北京人民ラジオ・外 国語チャンネルにて<東京音楽広場><日本語・Go!Go!塾>の番組制作・アンカー・パーソナリティー。
日経新聞・中文サイト エッセイ連載中
サンケイ・ビジネスアイ エッセイ連載中
近著に『中国人が上司になる日』(日経プレミアシリーズ)
主な著作
「中国人の頭の中」(新潮新書)「<小皇帝>世代の中国」(新潮新書)、「北京で学生生活をもう一度」(新潮社)、「日本の名前をください 北京放送の1000日」(新潮社)、「日中ビジネス摩擦」(新潮新書)、「中国人の財布の中身」(詩想社新書)、「中国人の頭の中」(新潮新書)、翻訳「上海、か たつむりの家」
中国を拠点にして活動する日本人俳優・大塚匡将さんは、香港出身のスタージャッキー・チェンさんに憧れて中国に渡った。大陸から香港映画界への足掛かりを探ろうとしたのである。何年か後、ついに夢にまで見たジャッキーさんに会う機会が訪れた。
「私は貴方に会いたいがために中国に来ました。いつかは香港で映画に参加したいでです!」
するとジャッキー・チェンさんは笑いながら言う。
「香港に来る必要はないよ。香港映画界は、ほとんど大陸に移動してきているんだからね」
その言葉の意味を、大塚さんはほどなく知ることになった。
かつて「アジアのハリウッド」と称された香港映画界は今や中国に取って代わられ、それどころか中国エンターテインメント界は、本場ハリウッドをしのぐまでに急成長を遂げた。
それを端的に示しているのが、映画の興行成績である。特に春節(旧正月)映画がもたらす巨額の富は、世界の予想を遥かに超えている。
昨年の春節はコロナ禍ということもあり閉鎖された映画館も多かった。今年はまさにリベンジで、前売りの段階から記録を更新してきている。
21年1月29日午前8時。今年の春節映画・前売り券が発売開始になったが、その5日目の2月2日午前8時には、販売額が2億1500万元(約35億円)を超えた。
前売り販売額は、公開後の数字にも反映する。
春節初日の2月12日。興行収入は21億元(約341億円)を突破した。1日当たりの数字としては中国映画市場における過去最高額であり、同時に世界記録も更新した。世界中がコロナ禍に苦しむなかでの数字である。
そんな春節映画で、前売りランキング、そして興行成績ともに首位を獲得したのが、『唐人街探案3』(邦題:僕はチャイナタウンの名探偵3)である。
前売り券の売り上げは9億6800万元(約157億円)。中国映画史上最高を記録。
公開初日には、10億5800元(約172億円)を売り上げて世界記録を更新。
公開後4日間で29億元(約472億円)を突破。
......。
異例の大ヒットと言っていい。
中国・映画興行の数字を塗り替えたこの作品、人気シリーズの第3作である。同時に日本人として無視できないのは、舞台が日本であるということだ。
中国のスター、劉昊然さん演じる青年探偵と王宝強さん演じる彼の叔父が、世界のチャイナタウンで起こる事件を解決していくというミステリー・コメディーで、1作目はタイ、2作目はニューヨーク、そして3作目が東京である。
密室殺人事件を軸に、温泉、相撲、歌舞伎町などが次々と登場し、中国人がイメージする「日本」が満載だ。そこに「やくざ」がからみ、ミステリー度もコメディー度もステージアップしているという。
出演者も豪華である。中国側の主演二人は言うまでもなく中国国内の人気スターだし、共演の日本人俳優は、中華圏での知名度が高い大物がこぞって登場する。前作から出演している妻夫木聡さん、台湾映画に中国語で主演した長澤まさみさん、中華圏ではいまだに「神スター」の三浦友和さん、日本語学習者のバイブル『東京ラブストーリー』のヒロイン鈴木保奈美さん、そして日中合作映画『空海』に主演した染谷将太さん、中国映画に出演経験があり、中国出知名度のある浅野忠信さんなどである。
さて興行的には大成功を収めているが、公開後の評判はどうなのだろう。
見終わった人たちの感想を拾ってみると、
― 商業映画なので、どうしても低俗的になりやすい。それでも、謎解きの面白さと、大笑いの後に、芸術や文芸の味わいもあって、観客を楽しませている。
娯楽性は問題なく高得点である。同時に、お正月映画で、大作で、コメディだというと、芸術点が低くなるのは否めない。
― 豆瓣(映画、ドラマ、書籍、音楽などのレビューを投稿する中国最大級サイト)によると、評価は6.5だった。公開後低下していき、あっという間に5.9だ。『俺は薬の神じゃない』(原題:我不是薬神)は9だったのに、この点数はかなり低い。もう少し高くてもいいと思う。
― 商業的に大ヒットしただけ。満足とは言い難い。(爆発する)ポップコーンのようだな。
そんななか、満足度が高いとした人は、どういう点に賛同したのだろうか。
それは「東京」と「日本人スター」である。
- 『名探偵コナン』を思い起こす。東京の今が見られたのは嬉しい。
- 日本人俳優の存在感が素晴らしかった。三浦友和と長澤まさみが特にいい。ふたりの演技は精彩を放ち、作品の世界を昇華させている。日本語に好感を持った。
なかでも三浦友和さんには高い評価が寄せられた。
- 三浦友和は確かに年を取った。しかしそれでもかっこいいおじさんだ。
― この映画には、若くて美しい俳優が多く出演している。しかし最も魅力的だったのは、69歳の三浦友和だ。一人の男性が、一生涯このように美しく輝けるのだということを、我々に教えてくれた。
― 三浦友和の演技は素晴らしい。複雑な心の内部を、細かく演じている。
― 三浦友和が演じたのは「やくざの親分」で、中国人の心にある彼のイメージとは程遠い。しかし演技に説得力があり、複雑な心の内を深く表現していて、見るものに深い印象を刻み、記憶に残る演技だった。
ご本人にお伝えしたいほどの高評価である。
ちなみに出演している日本人スターは、一人一人が映画の主役級なので、日本国内の映画で、ここまで揃うのは不可能に近い。
今や人々の関心は、中国映画の興行収入首位の『戦狼 ウルフ・オブ・ウォー』(原題:『戦狼2』)を抜くかどうかに移っている。『戦狼』は、愛国映画として話題になった。
このように『唐人街探案3』は、春節の話題の中心にあったことは間違いない。
そこで思い起こすのが08年の映画『狙った恋の落とし方。』(原題:非誠勿擾)である。
中国映画史上こちらも記録に残る大ヒット作だが、映画後半の舞台は、日本の北海道だった。釧路、阿寒湖、網走、厚岸、斜里、美幌などの美しい風景が描かれ、この作品を契機に、中国で北海道観光ブームが巻き起こった。
これが日本経済に与えた影響を改めて言うまでもない。北海道への中国人観光客が激増し、釧路空港への国際便乗り入れも増加した。また、いいことか悪いことかは別にしても、中国人投資家による北海道の土地購入も増えた。
中国人に何故北海道が好きかと尋ねると「高倉健さんの映画」『狙った恋の落とし方。』と、このふたつの影響を上げる人は多い。
コロナでインバウンド観光が消滅して1年になる。しかし疫病はいつかは収まるものだ。北海道ブームの次は東京やチャイナタウンかもしれないので、しっかり準備しておく必要がある。
日本と中国は、コロナ以降なんとなくざわついている。そんななか『唐人街探案3』は、日本に放たれた良い意味での一本の矢なのかもしれない。