文化の交差点
トップ  > コラム&リポート 文化の交差点 >  File No.19-17

【19-17】中華伝統文化の中国語国際教育における応用(一)

2019年9月30日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.9-2006.6 山東大学文史哲研究院 修士
2007.9-2010.9 浙江大学古籍研究所 博士
(2009.9-2010.9) 早稲田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11-2013.3 浙江大学哲学系 補佐研究員
2011.11-2013.3 浙江大学博士後聯誼会 副理事長
2013.3-2014.08 山東大学(威海)文化伝播学院 講師
2014.09-現在 山東大学(威海)文化伝播学院 准教授
2016.09-2017.08 早稲田大学文学研究科 訪問学者
2018.10-2019.01 北海商科大学 公費派遣

 2014年3月29目、習近平主席はベルリンでドイツの漢学者や孔子学院教員代表、中国語を学ぶ学生代表との座談会に参加した際、「世界が多極化し、経済がグローバル化し、文化が多様化し、国際関係が民主化する時代背景においては、人と人とのコミュニケーションが重要であり、国と国との協力が必要となる」と指摘した。コミュニケーション交流の重要なツールは言語である。ある国の文化の魅力や民族の結集力は主に言語を通じて表現され、伝えられる。一つの言語をマスターすることは、ある国の文化へと通じる鍵を手にしたことになる。さまざまな言語を習得することで、異なる文化の違いを理解し、そうすることで客観的かつ理性的に世界を見つめ、友好的かつ包摂的につき合うことができる。習主席は、「一部の人は中国に対して偏見がある。それは主になじみがない、隔たりがある、理解されていないことが原因だ」と強調した。中国を理解するには、ある点や面だけを見て、「群盲象をなでる」ようなことではいけない。中国を紹介するには、特色ある中国とともに全面的な中国を紹介し、古い中国とともに現代の中国も紹介し、中国の経済社会発展とともに中国の人や文化についても紹介するべきだ。中華の優秀な文化伝統はすでに中国文化の遺伝子となり、中国人の心に深く根ざし、知らず知らずのうちに中国人の行動様式に影響している。

 北京師範大学人文宗教高等研究院の許嘉璐院長は「国際情勢や中国情勢、異なる文化間の交流情勢から見て、中国は世界に正確かつ全面的に、深く理解してもらう必要がある」と指摘している。したがって、我々は世界平和と各国国民間の交流を促進する上で中国語国際教育がより大きな役割を果たせるような段階へと進めていかなければならない。

 現在の中国語国際教育の現状から言って、学界はすでに次のような共通認識にほぼ達している。すなわち、中国語国際教育の主な目標には、少なくとも中国語能力の獲得、交流能力の確立、経済利益の実現、中国文化の伝播、国内外社会の相互作用の5項目が含まれていなければならない。そのうち「国内外社会の相互作用」は、中国語国際教育全体の根本的な目的、すなわち「中国語」とそれに付随した中国文化を伝えることであり、「中国語で行う国際教育」と捉えなければならない(2014:胡范鋳ら[1])。しかし中国文化を伝える過程には弊害も生じている。たとえば、中国文化が食文化や日常生活の文化、基本的な礼儀など些末な礼節に薄められてしまっている。これは、表面的には中国語国際教育の授業展開に利するように見えるが、深い層での教育伝達という意味から言うと、国外の人がより良く中華伝統文化を理解し、実感する上で、こうした方法はプラスにならない。本稿では、世界的視野に立った中国語国際教育において、我々は綱領性、根本性、源流性のある中華文化の要素や理念を伝えることに力を入れなければならないと考える。中国語国際教育の授業の場での実践を通じて、世界の他の文明と交わる点を探し出すことで、外国の学生に向けてより高い見地からより良く中華文化の精髄と理念を伝え、中国語国際教育の縦方向への発展を推進し、最終的に中国語国際教育の「国内外社会の相互作用」という究極の機能を実現するべきである。

 上記の認識に基づくと、中国語国際教育における儒教・道教・仏教の三つの伝統理念の革新的転化理論には、以下のいくつかの主な問題と内容がある。

一、中国語国際教育における国内外文化交流では、国外の学習交流者により良く中国の伝統文化を理解してもらうために、稷下学派[2]によって形成された陰陽五行学説の内容と位置づけを十分に説明する。陰陽五行学説は中国の哲学史と思想史において非常に重要な位置を占めており、「意識の各領域に満ち、生活のすべての面に深く埋め込まれている。陰陽五行の図式が分からなければ、中国の文化を理解することはほとんど不可能だ」。陰陽五行説は戦国時代の中期に生まれ、秦・漢代に成熟した。代表的人物は斉国の稷下学宮の鄒衍で、鄒衍の学説は主に燕と斉の両国で流布し、「燕や斉の海上の術士らが鄒衍の道術を伝えたが、その術に精通してはいなかった。そのため奇怪なことをして名声を求める者やこびへつらう者、烏合の衆が数多く現れた(燕斉海上之方士伝其術不能通、然則怪迂阿諛苟合之徒自此興、不可勝数也[3])」。当時の反響は極めて大きく、「王侯大臣はその術を見て非常に驚き、これを重視した(王公大人初見其術、懼然顧化[4])」、「鄒衍の陰陽が運命を主導するという説は、諸侯列国の間に広まった(以陰陽主運顕於諸侯[5])」。受けた礼遇もかなり高いもので、「かくて鄒衍は斉で重んぜられた。梁におもむくと、恵王は国都の郊外に出迎えて、主客対等の礼を行い、賓客として待遇した。趙におもむくと、平原君は極めて敬虔な態度で接し、彼の側につきそって歩き、彼の座席を自分の衣服で払ってやるほどであった。燕におもむくと、昭王は箒を手にして道を清めて先駆し、弟子の座に連なって学業を受けたいと請い、碣石宮を築いて、自ら出向いて彼に師事した。鄒衍はそこで『主運篇』を作述した。鄒衍が諸侯の間に遊歴して尊敬礼遇されたのは以上のようであって、仲尼が陳・蔡で飢えて青白くなり、孟軻が斉・梁で苦しんだのとは、同日の談ではない(是以鄒子重于斉。適梁、恵王郊迎、執賓主之礼。適趙、平原君側行撇席。如燕、昭王擁彗先駆、請列弟子之座而受業、築碣石宮、身親往師之。作『主運』。其遊諸侯見尊礼如此、豈与仲尼菜色陳蔡、孟軻困於斉梁同乎哉[6])」。しかし後に現実の政治や世の中の出来事の動きにより、「その後、これを実行することはできなかった(其後不能行之[7])」。秦の始皇帝が中国を統一した後、鄒衍の後学は引き続きその学説を広め、「秦帝に斉国人がこれを奏したため、始皇帝に採用された(及秦帝而斉人奏之、故始皇採用之[8])」。そうして、「始皇は五徳の遷り変わりの終始を推察し、周は火徳を得ていたとし、秦は周にとって代わり、周が秦に勝てない所<徳>に従った。まさにそれが水徳の初めであり、年始を改め、朝賀は全て十月一日からとした。衣服・旄・旌節・旗は全て黒を尊んだ。数は六をもって紀とし、符・法冠は全て六寸とし、輿は六尺、六尺は一歩とし、六馬を駕した(始皇推終始五徳之伝、以為周得火徳、秦代周徳、従所不勝。方今水徳之始。改年始、朝賀皆自十月朔。衣服旄旌節旗皆上黒。数以六為紀。符、法冠皆六寸、而輿六尺、六尺為歩、乗六馬[9])」。こうして、五徳終始の学説が初めて実現することとなった。

 上述の陰陽五行思想が人と人との関係に応用されると、集団や個人への尊敬の念として体現され、国と国との関係に応用されると、小異を残して大同を求める協商精神として体現される。この思想は、万事万物にはいずれも対立と統一が存在し、対立と統一の中で相互に働きかける抑制・均衡関係を持っていることを強調している。世界的視野に立った中国語国際教育において、その価値はとりわけ重要である。すなわち、中国は各国の文化の違いを認めた上で、文化の多様性を十分に尊重し、世界で最も誠意ある極めて大きな平和の力となった。こうした平和の力は、現在に至るも悠久の中華民族の知恵の伝承に根ざしている。

二、中国語国際教育と国内外文化の交流において、中国特有の伝統的な「天人統一」というエコロジカルで調和のとれた発展理念を大いに広める。この「天と人とが相通じている」という思想は、最も古くは道家まで遡ることができる。すなわち、「老子」のいうところの「道は一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む」であり、「天と人とが相通じる」という思想は天、地、人の関係を統合し、それらに一種の神秘性や自然な親和性を与えた。このような「天と人とが相通じる」という思想は中国古代文明において欠かすことのできない部分となった。張光直はこの文明を「シャーマニズム的(shamanistic)文明」と呼んだ。張は、「中国古代文明における重大な観念では、世界はいくつかの層に分かれる。そのうち主なものが『天』と『地』である。異なる層の間の関係は、厳密に隔てられて相互に行き来ができないというものではない。中国古代の多くの儀式や宗教思想、行為の重要な任務は、この世界における異なる層の間の交流を行うことである。交流を行う人物は中国古代の巫女や祈祷師だった」と述べている。一方で中国古代祈祷師が天や地と通じる際に用いる道具は、通常は神山、大木、動物、舞楽、酒・薬、玉器などを中間段階としていた。管仲の「塩を国の専売制とする政策が民衆から支持された(軽重魚塩之利、以贍貧窮[10])」、「物品を流通させ、財産を蓄え、国を豊かにし、軍隊を強化する(通貨積財、富国強兵[11])」、「土地の良し悪しに応じて課税する租税方式(相地而衰征[12])」、「山林の伐採や河川・沼での漁を季節によって禁止したり解禁したりする策(山澤各致其時[13])」などの経済的主張は、こうした天人統一思想が世の中の出来事として体現されたものだ。2014年9月24日、習近平主席は孔子生誕2565周年を記念する国際学術シンポジウム・国際儒学連合会第5回会員大会開幕会での演説において、「世界の一部の有識者は、儒家思想を含む中国の優秀な伝統文化には、現代の人類が直面する難題を解決する重要なヒントが隠されていると考えている」と指摘した。同時に習主席は、「正確に異なる国や民族の文明と相対し、正確に伝統文化と現実文化に相対することは、我々がしっかり取り組まねばならない重大な課題である」とも指摘している。天人統一というエコロジカルで調和のとれた理念はこうした問題を解決する理論の源泉だ」と指摘している。

 天人統一というエコロジカルで調和のとれた理念は、環境汚染や生態のアンバランス、エネルギー不足、人口の激増、戦争の頻発など、現在の世界的な問題を効果的に解決することができる。天人統一は人と自然との共存を強調している。ハーバード大学アジアセンターの杜維明上級研究員は、「現在世界が直面している試練は世界の各文明間の対話を必要としている。それは平和な世界秩序を構築する前提である」との見方を示している。

 中国語国際教育において、我々はこの思想を大いに伝えていかなければならない。その理由は、中国語国際教育は本質的に公共外交の有機的構成部分であるからだ。公共外交は往々にして、さまざまな伝播と交流手段を使って、国外の人々に向けては自国の国情と政策理念を紹介し、国内向けには自国の外交方針政策と関連措置を紹介するものである。その目的は、国内外の人々の理解と認知、支持を獲得し、民心と民意を得て、国と政府の良好なイメージを作り、有利な世論環境を醸成し、国の根本的利益を守り、促進していくことにある。根本的な意味で、それは中国語国際教育の実践においてもあるべき筋道なのである。


[1] 胡範鋳; 劉毓民; 胡玉華「漢語国際教育的根本目標与核心理念----基于"情感地縁政治"和"国際理解教育"的重新分析」『華東師範大学学報(哲学社会科学版)』,2014年。

[2] 中国の戦国時代、斉国の都臨淄に各地から集まった学者達によって形成された様々な学派。

[3] 『史記』封禅書。

[4] 『史記』孟子荀卿列伝。

[5] 『史記』封禅書。

[6] 『史記』孟子荀卿列伝。

[7] 同上。

[8] 『史記』秦始皇本紀。

[9] 同上。

[10] 『史記』齊太公世家。

[11] 『史記』管晏列伝。

[12] 『国語』斉語。

[13] 同上。


朱新林氏記事 バックナンバー

中国語における日本語由来の外来語に関する判定議論と性質研究

近代中国語における日本語由来の外来語に関する研究

方術文献としての「淮南子」の価値について

中国の大学における国学基礎類講義の設置・改革をめぐる私見

崔富章「版本目録論叢」を読む

青木正児と「江南春」

内藤湖南と「燕山楚水」

太宰治の女性観をめぐって----1930~40年代を中心に

中国における常滑焼朱泥急須

「静嘉堂」の過去と現在

芦東山に対する中日学者の再評価----芦東山と中国文化の関係もともに論じる

国立公文書館展示会「書物を愛する人々(蔵書家)」について

金沢文庫から中日文化交流を見る

足利学校と中国のルーツ

「淮南子・兵略篇」と先秦兵家の関係について(三)―「淮南子·兵略」「呂氏春秋·蕩兵」「六韜」「尉繚子」を 中心に

「淮南子・兵略篇」と先秦兵家の関係について(二)―「淮南子・兵略」と「孫子兵法」を中心に 

「淮南子・兵略篇」と先秦兵家の関係について(一)―「淮南子・兵略」と「荀子・議兵」を 中心に 

中国の伝統における冠礼と成人式との関係

威海伝統文化の転化・革新の方策について

威海の伝統文化の継承が直面する問題

古代中国の祭祀文化をめぐって

敦煌と日本

横山大観と「屈原」

釈清潭とその「楚辞」研究