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【19-07】方術文献としての『淮南子』の価値について

2019年4月26日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.9-2006.6 山東大学文史哲研究院 修士
2007.9-2010.9 浙江大学古籍研究所 博士
(2009.9-2010.9) 早稲田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11-2013.3 浙江大学哲学系 補佐研究員
2011.11-2013.3 浙江大学博士後聯誼会 副理事長
2013.3-2014.08 山東大学(威海)文化伝播学院 講師
2014.09-現在 山東大学(威海)文化伝播学院 准教授
2016.09-2017.08 早稲田大学文学研究科 訪問学者
2018.10-2019.01 北海商科大学 公費派遣

 現在、学術界では『淮南子』のテキスト校勘・注釈は比較的整っている。内容の体系についての研究では、中国国内外の研究者は道家、儒家および天道観などの哲学史、思想史での研究に多くの関心が注がれており、その中の方術研究は「天文」の天文・暦譜の内容に集中している。たとえば、清朝の銭塘『淮南天文訓補注』、陶磊「『淮南子·天文』研究----従数術史的角度(『淮南子』天文の研究----数術史の視点から)」、李零『中国方術正考』、『中国方術続考』、饒宗頤・曽憲通『雲夢秦簡日書研究』、米国ハーバード大学Michael PuettのTo Become a God: Cosmology, Sacrifice, and Self-Divinization in Early China、The Huainanzi and Textual Production in Early Chinaなどがある。これらの研究成果はこの研究テーマを進めるにあたって文献と研究方法のヒントを与えてくれる。それぞれ様々な見解があるが、『淮南子』全体にみえる方術の内容については全面的、体系的な研究が不足している。

『淮南子』は方術の専門書ではないが、その中には大量の方術の内容が保存されており、これは前漢初期および初期の方術史を読み解く一つの鍵となる。前漢は諸子学終焉の時代であり、経学が興る時代でもある。この諸子学終焉と経学勃興の特別な時期にいた淮南王劉安による諸子学集団は極めて重要である。先秦諸子学思想が前漢へ伝承されたときに重要な資料となった『淮南子』そのものであり、これは淮南王劉安の諸子学集団の集大成というだけでなく、先秦の子学思想、楚文化の前漢学術思想上の結実でもある。この集大成のなかに、数術方技と陰陽家の思想が大量に保存されており、材料としての多さだけでなく、体系的であり、この体系的な材料は方術一派の秦漢時代の発展の軌跡に明確な認識を与えてくれ、私たちが『淮南子』の方術関連記載を文献的な基点として、上は先秦、下は後漢までの当時の方術史の変遷の軌跡に比較的明確な認識を与えてくれる。

 方術には数術と方技の2つの面が含まれ、数術の学が中国のいわゆる「天道」の研究に重きを置き、方技は主に「生命」を研究する学問であった。戦国時代、中国の方技学はすでに発達していた。前漢と後漢の方術の流派は大抵ここに源流を求めることができるが、当時の方術は多くが口伝で伝えられていた。前漢に学術が興り、武帝の時代に至って、方士は最も活躍する時代となった。当時の一部の方士は例えば茅盈、甘忠可など、後漢の道教と深い関係がある。『淮南子』が武帝の時代に成書し、その中に保存される方術の記載は非常に貴重なものである。これらの資料は、戦国時代の方術文化の前漢時代における転換や前漢と後漢時代の方術の発展を理解し、戦国秦漢の方術学の発展における前後関係を理解するために重要な意義をもつ。先賢や当代の大家による秦漢方術史の研究では、『史記・日者列伝』、『史記・亀策列伝』、『史記・封禅書』、『漢書・五行志』、『漢書・郊祀志』などの伝承文献と考古学的文献との間の関係に注目が集まっている。それぞれの見方はあるが、往々にして『淮南子』中の方術記載を見落としている。したがって、『淮南子』に保存される方術文献には、自らの見解を述べる余地がかなり残されている。

 20世紀以降、考古学によって出土文献が次々と発見され、秦漢方術関連の出土文献も大量にあり、これらの文献と伝承文献を統合して読み解く可能性と必要条件を提供してくれた。たとえば象牙式古式、後漢銅式古式、睡虎地秦簡『日書』、放馬灘秦簡『日書』、平山戦国中山王墓出土の『兆域図』、馬王堆漢墓帛書『陰陽五行』や『禹蔵図』、長沙子弾庫戦国楚帛書、湖北荊門市漳河車橋戦国墓出土の「兵避太歳」戈、馬王堆『避兵図』、包山楚簡などがある。これらは皆、秦漢の方術と極めて深い関係がある。またちょうど、これらの出土文献は今日我々が『淮南子』方術関連記載を読み解くのにヒントを与えてくる現存する参考物であり、『淮南子』の方術関連記載の研究をさらに広く、深いものにしてくれる。

 早期の中国祝宗卜史系統の官学の一部学説は戦国時代に次第に陰陽数術学へと発展した。これらの学説は当時の民間の知識と信仰が合わさり、徐々に戦国・秦漢の諸子学の理論的源泉と精神的な拠り所となった。そして、これによって陰陽家や道家および道家から派生した名家、法家の二家が生まれ、これらの諸子理論学説は秦漢後に形成された道教文化と非常に大きな関係がある。道教文化は数術方技学を知識体系とし、陰陽家や道家は哲学的な表現である。民間信仰が社会的基礎となり、三者が合体し、民間に大きな勢力を持つようになった。したがって、この視点から言えば、中国文化にはもう一つの筋道がある。それは、数術方技を代表とする、原始的な思考を受け継ぎ、陰陽家や道家および道教文化へとつながる道筋である。

『淮南子』は楚文化の影響を強く受けている。楚文化は長江流域に由来する文化体系であり、黄河流域の文化とは異なる。そのため『淮南子』の方術関連記載は『周易』などの黄河流域文化系統の方術類文献と異なり、独特な価値を有している。よって、二大文化体系の対立と交流の視点からみると、『淮南子』中の方術関連記載を研究することは、私たちが当時の多元的文化の対立と交流を理解するうえで非常に有益である。

 漢の武帝は宗教を統一し、封禅祭祀を行い、祠畤を建てた。また学術を統一し、百家を排除して、儒学のみを重んじた。彼による宗教の大統一は国家と親和性がある宗教制度を作り出すことに力を入れた。このような宗教統一は方士や儒生に頼ったため、遂には儒生の方士化を生じさせた。この時代の方術という宗教化の様子を研究しようとするなら、『淮南子』は避けられない文献である。この本には、豊富な方術文献が保存されており、これらの素材は数量として豊富であるばかりでなく、多くが系統立って書かれており、私たちにとって参考価値のある伝承文献である。これらの方術関連記載は当時の哲学史研究、科学技術史研究、宗教史研究にとっても重要な参考資料である。

 まず、『淮南子』に保存される方術文献が当時の哲学史を研究するうえで重要な参考資料となる点について。秦漢時代の古代哲学集は陰陽家と道家の二家に集中しており、この両家と方術学とは最も密接な関係をもつ。陰陽家について、過去の哲学史著書では往往にして一言だけ書かれており、ただ鄒衍の「大小九州」説と「五徳終始」説が説明されているだけであった。今見ると、陰陽家の内実は想像よりはるかに複雑である。『淮南子』中に保存される陰陽五行関連の資料をみると、その陰陽思想には道家一派の観点が含まれるだけでなく、鄒衍一派の斉地の色を帯びた遺説も含まれている。『淮南子』は五行相生と五行相勝の運行規則を初めて示した。そのうちの五行思想には五行相生と五行相勝の両方面が含まれていて、異なるシステムの学説が保存されている。それは鄒衍一派の五行相勝の遺説が保存されているだけでなく、二種類の異なる五行相生説も含まれている。陰陽五行の演繹理論によれば、劉安は『淮南子』で体系的な天人相通理論を作り上げ、『淮南子』の編者たちはこの概念を運用して、天地人の三者をつくり、自然法則に適合させ、礼節による人々の調和を達成することに苦心した。陰陽五行思想は『淮南子』の宇宙観を体現しているだけでなく、『淮南子』の理論的枠組でもある。指摘すべきことは、方術学以外に、道家思想の合理性の核心も『淮南子』に吸収された上に改編されている。よって『淮南子』という本が受け継ぐ陰陽五行学説は陰陽五行思想に対し漢代での統合や定型化において橋渡し的役割を担った。これらの方術文献はその素材を太古に求めることができ、原始的な思考を背景としている。源流はとても古い。諸子学は西周と東周時代に勃興し、陰陽五行学説の背景あるいは生態、形態ではないだけでなく、陰陽五行思想学説の共通の源流から派生したものである。秦漢時代に諸子学説がさらに分裂、融合し、漢代以降の儒術独尊の上層文化を形成した後、陰陽五行学说もやはり中国の実用的文化や民間思想のなかに大きく支持を集めており、儒家文化と拮抗するに足るものになっている。これらは秦漢哲学史の研究に新たな認識を私達に提供してくれる。

 次に、『淮南子』に保存される方術文献は当時の科学技術史研究に重要な意義がある点について。方術は天文、暦数、算術、地学、物候学、養生学、動物学および化学関連知識に関係が及んでおり、これらは当時の人々の原始的な思考と重要な関係がある。たとえば『淮南子』に保存される古式盤附図は秦漢時代の人々の時空観念を知るのに役立つ。式は古代数術家が占いを行う際に使う道具で、戦国時代に流行した。これは古代の人々が思い描いていた宇宙モデル、さらには彼らの思考方法や行動様式を理解する上で非常に重要な解明的意義がある。これらについては厳敦傑や羅福頤らが深い考察を残している。20世紀以降、考古学的発掘による簡帛文献には多くの分野の典籍があるが、これらはすべて式が表す図式と直接関係している。たとえば、湖北随県の曽侯乙墓の漆箱蓋の図式や長沙子弾庫楚帛書の図式などである。『淮南子』天文の付図はこの種の図式に属する。出土した象牙式古式と漢銅式古式は互いに裏付けとなる。この2つは『淮南子』天文に掲載される序位と符合する。しかも二式は前漢武帝以前にあたる。二式と『淮南子』天文に掲載される式図は互いに裏付けとなり、漢式には天、地二盤があったことが分かる。しかし、時代と家法が異なるので、多少違いがある。『淮南子』に掲載された式図は主に空間的構造と時間的構造の2種類がある。空間的構造には主に四方、五位、八位と十二度が含まれる。時間的構造には主に古代の時間の単位と時間を測る手段に関係する。時間を測る単位には主に年、月、日の大小の区分がある。『淮南子』天文は年小時であり、そのうちの十六時の計日法は睡虎地秦簡『日書』乙種、放馬灘秦簡『日書』甲種と比較できる。古代の計時方法は圭表と漏刻によって時間や日を計算し、星を観ることで歳月を計算した。『淮南子』天文ではこの2種類の方法を提示しており、五星が計時の役割を果たし、そして歳星が最も重要であった。

『淮南子』掲載の式図は、古代の方位概念という問いを投げかけている。かつての地理学者は上を北とし、下を南とするのが正しいとしており、これは唐以降の伝統である。ジョセフ・ニーダムは、上南下北がアラブ諸国から伝わってきた可能性があり、やや遅れて中国人も知るようになったと推測した。このような見方は出土物の発見によって否定されている。たとえば、平山戦国中山王墓出土の『兆域図』、馬王堆漢墓帛書『陰陽五行』と『禹蔵図』などは皆、明らかに上南下北となっている。李零は商代の甲骨文字、『管子』、『山海経』および甘粛天水放馬灘戦国晚期秦墓出土の木板地図など文献をもとに考証し、先秦時代の方位概念は一種類ではなかったと考えた。『淮南子』中の関連記載も李零氏のこの観点を裏付けている。古代の方向の問題に関して、『淮南子』の叙述は最も系統立っている。これらの記載は主に「天文」と「地形」、「時則」の三篇にみられる。これら三篇の記載からみると、どうやら上北下南は主に天文、時令の際の言い方で,上南下北は主に地形での言い方である。2つは古いルーツをもっていたが、のちに統一されて一つになった。このように、方術学とは切っても切れない関係があり、秦漢時代の科学技術史の源流をより明確に認識させてくれる。

 最後に、『淮南子』に保存される方術関連記載が秦漢宗教史、とくに道教史の研究に重要な啓示的意義がある点について。中国の古い宗教は、方士と儒生が最も重要な影響を持つ二つの勢力であった。彼らの力は秦漢史上、それぞれ長所はあり、それぞれの遺産もある。方士の遺産は道教にあり、儒生の遺産は官僚選抜である。道教と陰陽家には一定の関係があり、それは数術、方技を自己の知識体系とし、『老子』や『荘子』を自己の哲学的表現とし、多くの民衆に支持されており、さらに巨大な勢力をもつ民間信仰へと成長した。道教の重要な構成部分に養生の学があるが、方術中の方技は主に「性命」の学を説いており、これは後に道教が方技の理論的影響を受ける源泉となっている。『淮南子』に保存される養生理論は道教の形成にとって重要な影響を与えたが、それは「精神」に集約して保存されている。その冒頭で次のような主旨が示されている。「『精神』者、原本人の所由の生ずる所以にして、其の形骸九竅を暁寤し、象を天に取り、其の血気と雷霆風雨を合同し、其の喜怒と昼宵寒暑とを比類し、死生の分を審らかにし、同異の跡を別け、動静の機を節し、以て其の性命の宗に返る」。その養生理論は象を天に取り、天と人の総体的統一を重視し、人の形、気、神の調和と統一を強調している。「天文」に「孔竅肢体、皆天に通ず」と云う。上述の理論に基づき、『淮南子』は、人は生を養い、徳を養い、欲望や環境による影響を抑え、事前に予防すべきだなどと主張している。また『荘子』の斉生死の理論に、心を五臓の主とすることや形神気の三位一体などがあるように。他にも、『淮南子』でいう「黄白術」が、後世の道教錬丹術、導引術、符籙などの始まりとなっている。これらの理論や観点は後世の道教の養生学と同じ一本の系統で伝えられてきており、道教がこの理論的基礎の上にさらに民間信仰と結合し、徐々に金丹、仙薬、黄白、玄素、吐納、導引、禁咒、符籙の術を作り出してきた。よって、『淮南子』に保存される方術関連記載は道教の初期の教義や教規などを研究する場合にも重要な理論的な参考価値を有している。

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