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【19-18】人間文化のありか 一つの迷宮? 伝統の創造と文化の変化をめぐって

2019年10月18日

朱新林

松岡 格(まつおか ただす):
獨協大学国際教養学部准教授

1977年生まれ。学術博士(東京大学)。エスニック・マイノリティ研究会代表幹事。専門は地域研究(中国語圏)、文化人類学、マイノリティ研究。著書に『中国56民族手帖』『台湾原住民社会の地方化―マイノリティの20世紀』など、論文多数。

伝統文化の例【廟会】

 今回は民族の伝統、ということについて少し考えてみたい。

 社会の中で何を「伝統」とみなすか自体が問題と言える。しかし一方では、比較的異論が出にくい、社会の中で公認された伝統というものがあることも事実である。身近な例としては、日本各地で伝えられているお祭りや縁日などがある。その伝統の継承を担うのは地域の住民である。その場合、伝統の継承は地域社会全体の課題となる。

 中国について言うと、これまでこのコラムで紹介してきた春節などの中国の伝統的年中行事、そして少数民族のお祭りや儀礼などが挙げられる。

 春節(旧正月)になれば、中国各地で「廟会」が開催される。例えば北京市内だけでも複数の「廟会」が開かれる。道教の廟の周辺にちょうど日本の縁日のように、出店が立ち並ぶ光景を見ることができる。そこに並ぶ店は、これも縁日と同様に食べ物を売る店が多いようだが、その地域の伝統的食品と言えるようなものを売っている店も見かける。また例えば飴細工のような、それ自体が伝統技術と言えるようなお店が出ている場合もある。布などで作った伝統工芸品を置いている店も見かける。また、こうした「廟会」で大道芸的な見世物が上演されることもある。「廟会」全体が伝統的行事、伝統文化と言えるが、その中を覗いてみても、「伝統」ということばで表現できる事物に出会うのである。

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北京市の廟会。職人が飴細工を伸ばしているところ。子供だけでなく、大人も職人の手業に見入っていた。

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北京市の廟会で演じられていた大道芸。

 このような縁日のような活動は、少数民族のお祭りなどでも見られる。例えば雲南省、ミャンマーとの国境地域に住むジンポー族のマナオという祭りのメイン・イベントはジンポー族の特徴的な舞踊にある。しかしその踊りの会場の周辺には、縁日のように多種の店が立ち並んでいる様子を見ることができる。

 同じ雲南省でも国境からは距離がある、彝族居住地域、楚雄の山中で開催された、たいまつ祭りの会場周辺にも縁日のような出店が並んでいた。

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ジンポー族のお祭り会場。人が行き交う道の両側にお店が並んでいる。左手には射的のようなお店が並んでいる。

伝統文化の例【伝統芸能】

 もう一つ例を挙げるとすれば、日本では能や狂言、また歌舞伎などの伝統芸能が挙げられるだろう。代々こうした伝統芸能の継承を担ってきた家にとっては、その継承自体が「家の伝統」となっていることもある。中国でも、京劇をはじめとする伝統芸能が存在し、現在では観光資源として活用されたりしている。

 数年前に四川省・成都に行った際に、四川の伝統芸能を鑑賞する機会があった。その日の舞台上では京劇のような歌劇に始まって、人形劇、影絵劇、道化師の登場するコントのような作品、そして最後には「変臉」といった多彩な演目が続けて上演されていた。これら一つ一つが貴重な伝統芸能であり、かつ観光資源として活用されているということは素晴らしいことである。最後に登場した「変臉」はもともと地域の伝統芸能に過ぎなかったものだが、ご存じの通り近年中国内外で好評を得て、他地域でも広く知られるようになっている。

 これらの例について、それが伝統であることを否定する人は、あまりいないだろう。しかし、これらの諸例について、それぞれ伝統の起源と歴史について調べてみると、その歴史の長さはまちまちである。考えてみれば当たり前であるが、同じように「伝統」とみなされているものであっても、歴史の長さが同じ、とは限らないのである。

 その長さも見方によって、印象がかなり異なる。数百年続く伝統、と言えば「伝統」として十分な長さを持っていると見えるだろうし、実際そうであろうと思う。しかし例えば中国の数千年といわれる歴史を考えてみた時に、そのうちの数百年、ということをどう考えるのか、と考えるとまた違った印象になるだろう。

「創られた伝統」

 このように「伝統」と言われるものについて調べてみると意外な驚きや、場合によっては衝撃を受けることがある。こうしたことに言及した例の一つとして、人類学で「創造された伝統」をめぐる議論がある。

 有名なのは、スコットランド・キルトの例である。スコットランドの人々にとってキルトは民族衣装に欠かせないものである。かの地の男性にとっては、この一見スカートのように見える格子模様の入った装いはバグパイプ(楽器)とともに、民族の誇り、民族の伝統を示すものである。また、そのキルトに示される模様のパターン(「タータン」)は、日本の家紋になぞらえて説明されることがある。由緒ある家柄では、その専用のタータンが決まっているというような言い方がされるのである。

 しかし、ある学者が書いた論文*によれば、スコットランド人が現在のようなキルトを装うようになったのは、18世紀以降のことに過ぎない。さらに家専用の模様のパターンという「伝統」は18世紀後半から19世紀にかけて形成されたものである。さらに言えば、スカートのような、上半身に装う衣服とセパレートされた現在のキルトを開発させたのはスコットランド人ではなかった。

 このように長く続いているように見える伝統であっても、多くの場合、それは特定の時期に創られたものであり、場合によっては近代に入ってから初めて創られたものもある。

 この伝統の創造をめぐる議論は、世界に衝撃を与えた。というのも、世界各地の伝統衣装や伝統芸能の歴史を調べてみると、従来考えられていたよりも新しかった、ということが続出したからである。伝統を考える際の難題として、今後も議論されていくことであろう。

文化は変化する

 この創られた伝統をめぐる議論がもう一つ示唆するのは、文化というのは変化するものである、ということである。伝統の継承ということを考えると、このことは悲観的にとらえられてしまうかもしれない。

 しかし、そうとは限らない、という点を認識することも重要である。まず、変化したからこそ、新たな伝統が生まれる(創造される)という側面もあるからである。

 もう一つの考え方として、特定の伝統が存続されているからには、その伝統の継承をめぐって不断の新たな文化実践が重ねられているという考え方がありうるのである。例えば上記の伝統芸能に視覚効果や音声をめぐる最新の技術が導入されたとする。もし伝統というものを、古くからの形で忠実にそのまま再現し続けるべきである、と考えるのであれば、こうした試みは否定されるべきものである。しかしそうした技術が、例えば若者など、新たな客層の獲得につながるのであれば、それは伝統の継承に寄与する新たな試みとして評価すべきもの、ということになる。そこまで含めて議論してこそ、やっと初めて伝統の継承の問題について考えることができる、という考え方もできるのである。

文化の復興についていかに考えるか

 文化の変化をめぐっては、次のようなことも考えるべきである。現在世界の多くの国では、文化の多様性が広く受け入れられる傾向にある。中国でも、少数民族の文化的多様性については寛容な人が多い。民族文化、伝統文化の復興というのにも好意的な人が多いように見受けられる。

 それ自体は好ましいことだと思われる。しかし文化の復興、そして異文化同士の共生ということを突き詰めて考える場合、何に価値を認めて復興させるべきなのか、ということはよく考えるべき問題である。

 多様な文化の価値を認めるからといって、過去の文化的習慣全てを復活させる、ということにはならないからである。例えば漢民族の文化でいえば、かつて「纏足」という習慣があった。これは社会の上層階級の家庭の女性の足を、幼い頃から変形させることによって、「小足」に見せるというものである。これは前近代の中国社会においては、一種の伝統文化と言えるものであったと考えられる。しかし、いくらいま中国で伝統文化の見直しがなされているからといって、このような習慣が復活されることはないであろう。

 また、現代の状況下で実施しようとすれば多種の問題にぶつかるという場合もある。例えば少数民族の中で、かつて狩猟採集を生業にしていた民族がいる。しかし民族文化の復興を認めるからといって、かつてのような狩猟採集が現在同じように認められるかというと、なかなかそうはいかないようである。例えば環境保護や希少動物の保護、動物愛護の考え方と競合することがあり得るからである。

 結局、伝統について考える、ということは一つの迷宮に入り込むようなものと言えるかもしれない。しかし、現在文化について考えるに当たって、このような迷宮に入ってみることはある程度必要なことではないだろうか。


*1983年にエリック・ホブズボウムなどが著した論文集The Invention of Tradition(邦題:『創られた伝統』)が出版された。このスコットランド・キルトをめぐる議論は、同論集に寄稿したトレバーローパー(Trevor-Roper)によるものである。


※本稿は『中國紀行CKRM』Vol.16(2019年8月)より転載したものである。