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【20-12】人間文化のありか 民話:あらためて彝族と日本の関わりについて

2020年9月29日

松岡 格

松岡 格(まつおか ただす):
獨協大学国際教養学部准教授

1977年生まれ。学術博士(東京大学)。エスニック・マイノリティ研究会代表幹事。専門は地域研究(中国語圏)、文化人類学、マイノリティ研究。著書に『中国56民族手帖』『台湾原住民社会の地方化―マイノリティの20世紀』など、論文多数。

シンポジウムを準備する際に考えたこと

 2017年に獨協大学で「彝語の世界:言語・文字とその世界観」という国際シンポジウムを開催した。これは当時行っていた彝族についての国際共同研究の成果を公開する場として開いたものであった。

 その時に改めて中国少数民族「彝族」について日本の方々にどのように説明しようか、と頭を悩ませた。

 というのも、そのシンポジウム自体の目的は彝族の「言語」や「文化」に関わる研究成果を紹介することにあったわけだが、それ以前の問題、があると思ったからである。そもそも日本では「彝族」について知らない人が多い、という問題である。

 日本の学術界では、かなり早い段階から彝族について研究していた人がいる。彝族についての、中国をはじめとした海外の学術研究はさらに多い。

 しかし、「彝族」という存在は、やはり学術界でもよく知られているとまでは言えないし、ましてや、学術とは直接関わりがない日本の方にとって「彝族」という人達は「未知」に近いのではないか、と思われた。

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彝族の青年達

未知なる彝族の文化

 私自身、自分が中国少数民族についての調査を行い、彝族の居住地域である雲南や四川を実際訪れてみるまでは、彝族についてよく知っていたわけではない。

 であるから、日本の一般社会に出回るもので、彝族の文化が関係している何かがあるとは思っていなかった。

 もちろん、彝族について調べる過程で、彝族に関連する知識を得ることになった。例えば以前本紙で彝族を特集した時に紹介されていたように、三星堆遺跡の残した文明の痕跡が彝族の文化と関連しているという可能性があるとされている。日本の有名な博物館などでは同遺跡の遺物が展示されていたはずである。だが、そこに彝族の文化などが説明されていたとは思わない。したがって、例えば三星堆遺跡の展示を見たことがある人が、彝族の文化について見た、という意識を持ったということはまずないのではないかと思う。

『王さまと九人の兄弟』

 ところが、である。そのシンポジウムの際に一つ「発見」したものがある。それは一冊の絵本である。

 何の話か、と思われるかもしれないが、桃太郎の話をご存じであろう。桃太郎に関する絵本は数多いが、その中でもロングセラーの松居直(文)、赤羽末吉(絵)の『ももたろう』(福音館書店、1965)という絵本がある。絵本紹介などでもよく取り上げられているし、印象的な色使いの絵本で、どこかで見かけたことがある人が多いのではないだろうか。

 その絵本を描いた赤羽末吉が絵を描き、君島久子が訳文を担当している『王さまと九人のきょうだい』という絵本がある。

 君島久子は日本の研究者であるが、中国に関係する多くの子供向け絵本製作に携わっており、その仕事のうちの一つが、この絵本『王さまと九人のきょうだい』(岩波書店)なのである。手元にある実物を見ると、第1刷が1969年、そして手元にあるのが2015年の76刷りである。『ももたろう』と同じく、日本の絵本の中でも超ロングセラー、と言ってよいだろう。読者の中には、彝族のことについては知らなかったけれども、この絵本は読み聞かせてもらったことがある、という人が、もしかしたらいるかもしれない。

 この本の最初のバージョンがどのようなものであったかわからないが、少なくとも現在のバージョンを見る限りでは、語りの中にはっきりと彝族(「イ族」)との説明がある。三星堆遺跡の展示を見た人と違って、この本を見た、あるいは読み聞かせてもらった人は、「彝族というのはどういう人達だろう?」という疑問くらいは浮かんだのではないだろうか。

絵本のあらすじ

 主要登場人物である「九人の兄弟」は彝族の兄弟であるが、挿絵にはきちんと、黒を基調とする彝族の民族衣装が描かれている。あらすじは以下の通りである。

 なかなか子を授からない老夫婦の「おばあさん」が流した涙が落ちた池の中から仙人とおぼしき「老人」が現れる。その老人から授かった丸薬を飲んだおばあさんが子を授かり、九人の兄弟を産んだ。成長した子ども達は、それぞれ異なる能力を備えていたが、見た目(「かお」と「からだつき」)は同じであった。王さまの宮殿で起こったトラブルを解決したものにはほうびをとらせる、との話を聞いた兄弟の一人が宮殿にでかけていってそれを解決する。その能力に驚いた王さまが、それ以後、度重なる無理難題を押しつけてくるわけであるが、兄弟が順番に出かけていって、難題を一つ一つクリアしていく。王さまは兄弟達の能力(というよりも、王さまとしては一人が多くの能力を持っていると思い込んでいると思われる)に対して次第に恐れを抱くようになり、その要求はエスカレートしていく。最後にやってきた兄弟がわるい王さまを退治して、それ以後、彝族の人達は幸せに暮らした。

 この絵本については別に『「王さまと九人の兄弟」の世界』(岩波書店、2009)という君島久子による解説本が出版されている。この本の冒頭で君島は、この九人の兄弟の話について「中国の西南部、雲南省の楚雄という、少数民族イ族がもっとも多く暮らしている地域一帯に語り伝えられているお話です」と書いている。

 中をさらに読み進めるともう少し細かいことが書いてあって、1950年代後半に中国国内で行われた民族学的調査隊の調査成果である『雲南民族民間故事選』(1960年、雲南人民出版社)、そして直接的には『雲南各族民間故事選』(1962年、人民出版社刊)がこの話のもとになったことが書かれている。日本語の初出は1964年だそうである。

彝族の民話について

 君島久子という人は国立民族学博物館の名誉教授で神話などを研究していた学者であるから、この本について、この時まで私が全く知らなかったのは恥ずかしいとしか言いようがないが、同時にこんなに早くに彝族の文化が日本に紹介されていたことに驚きと感動を覚えた。

 この話や解説を読むと、やや疑問を感じるところもある。例えば「王さま」や「みやこ」というのは一体何を指しているのか判然としない。もう少し解説や編集をしてもよかったのではないかとも思える。

 しかし、それは、原型となった中国語の原文でそのように記述されていたのだろうと予想できるし、何より、確かに彝族の集住地域である楚雄自治州ではこれに似たような民間説話が語り継がれているのである。

 例えば私自身が調査で聞いた説話には、「王さま」どころか、南京から逃げてきた「皇帝」が登場する。またその皇帝が会う彝族のリーダーは、着ていた衣類から無数の蜂を出して敵兵を追い払う、という超能力のような振る舞いを見せる。

 また、本誌で以前紹介したことだが、上記の楚雄で有名なお祭りとして「馬桜花」という高山ツツジ、紅いシャクナゲの花をテーマにしたものがある。楚雄では、馬桜花にまつわる各種伝説が残されている。その中で代表的な話の一つが、洪水を生き残った兄妹が結婚し、50の男児と女児(つまり彝族の祖先、もっと言えば人類の祖先)を産んだ際に同時に誕生したのが「馬桜花」というものである。

『王さまと九人のきょうだい』で、兄弟の最後の一人が王さまを倒すという手段が口の中に含んだ大川の水を吹きかけ、その水の中に王さまや宮殿が吸い込まれていく、というものである。私には洪水が連想されるが、いかがだろうか。また「馬桜花」の話の中でもキーとなる登場人物として「老人」が登場する。

『王さまと九人のきょうだい』で兄弟が九人も登場することと、馬桜花の伝説で50人の男児と女児、つまり計100人の子どもが登場すること、これらはいずれも、おそらく彝族の多産信仰と関連している。

 こうした相関性がどうであれ構わないのだが、いずれも雲南の民間説話の豊かさ、物語の力強さを証していると言えるだろう。

 以上、予想以上に硬い話になってしまった気がするが、彝族と日本の縁を示すエピソードとして、記録に残しておく価値があるのではないかと思う。


※本稿は『中國紀行CKRM』Vol.19(2020年5月)より転載したものである。