中国の法律事情
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【21-009】人民法院は裁判所か?

2021年11月08日

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

略歴

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

「裁判」と「審判」

 私たちの生活する日本の裁判について、皆さんは、どんなイメージをお持ちでしょうか。お堅いところ、公平な裁判を通じて国民の権利と自由を守るところ、訴訟嫌いの日本人には縁遠いところ等といったイメージでしょうか。ちなみに、訴訟嫌いの日本人というイメージは、川島武宜著『日本人の法意識』(岩波新書1967年)に代表される日本の法意識論の1つですから、覚えておくと何処かで法学を知っているかのように振る舞うことができるでしょう。いずれにせよ、総じて見ると、裁判(所)は「正義の味方である」とのイメージが多いように思います。

 一方、裁判と類似する制度として種々の審判があります。こちらはいかがでしょう? お役所の味方をするところ、手続きに誤りがないかを確認するだけのところ、何らかの判定をするところ、審判員のような人が判断するところ等といったところでしょうか。ちなみに、資格試験の勉強をすると、審判は行政庁の行なった行政処分に対する不服申し立て手続きのことであり、審判を経て出た判定すなわち審決に対して不服である場合に最終的な判断を仰ぐために持ち込むのが裁判であるというふうに、手続き上の違いとして説明されることが一般的です。このように一連の流れの中に裁判と審判を置いて説明すると、何となく分かった気分になります。しかし、それで本当に良いのだろうかと私には心配があります。

 これら「裁判 cái pàn 」「审判 shěn pàn 」は、中国語にも存在しますが、中華人民共和国憲法(以下、現行憲法とします)128条は、現代中国の人民法院は国家の「審判機関」であり、裁判機関であるとは言明しません。確かに中国語の「裁判」とは、裁定する、判決を下す、スポーツ競技上の審判を担う人ということですから、日本語の意味と違います。そのため正確な区別・判別はできないと言う批判もご尤もです。しかし、そうだからといって、人民法院を裁判所と同一視するというのもおかしいのではないでしょうか。

 一方、人民法院と同じ節の中に併記される組織として人民検察院があります。そして現行憲法は人民検察院を、人民法院と並び国家権力(司法権)の一部=検察権を所掌する統治機構として位置づけ、「法律監督機関」(現行憲法134条)であると言明します。この呼称の意味するところは、法を順守・遵守しない場合を解決するための検察権を、人民検察院へ付与した点にあります。そうすると、現代中国において「正義の味方だ」とイメージできるのは、人民法院でなくて人民検察院なのでは? という疑問が生じるのではないでしょうか。

 ちなみに、人民検察院がその検察権の行使として、「検察建議」を通じて法律監督が可能であり、以前のコラム において、統治機構(部門)間の責任のなすり合いによって法を順守・遵守できない状態を回避するために検察建議を行なって問題を解決した事例を紹介し、人民検察院が法の守護者であるだけでなく、権力の守護者でもあるし、私たちの守護者でもあることを論じたことがあります。

 奇しくも今年(2021年)7月と8月に、最高人民検察院が「民事訴訟監督規則」(以下、民訴監督とする)、「行政訴訟監督規則」(以下、行訴監督とする)を改正し、それぞれ8月1日、9月1日より施行しました。そこで今回のコラムでは、民事訴訟における法律監督と行政訴訟における法律監督の比較を通じて裁判と審判について再考してみたいと思います。

民訴監督と行訴監督

 民訴監督は人民検察院による、民事事件に対する民事訴訟において法が順守・遵守されているかの監督であり、行訴監督は人民検察院による行政事件に対する行政訴訟において法が順守・遵守されているかの監督です。いずれも検察権の行使であるという点で共通しますが、「民事」と「行政」という違いがあります。この「民事」「行政」という2つの概念(「刑事」も加えると3つ!)についても曖昧な内容で何となく用いられてきた厄介な概念ですので、法律学入門や行政法の講座では、最初の頃に概念の整理を必ず行ないます。本コラムでは次のように確認して先に進めたいと思います。

 民事 Civil affairs とは、法に基づいて非公共的(=私的)仕事・事務の処理ないし管理を行なう行動形式、すなわち私益の直接的・具体的実現のことです。その中での対立・衝突を民事紛争として把握し、現代中国では、その中で人民法院が受理するものを民事事件としています。一方、行政 Public administration とは法に基づいて公共的(=公的)仕事・事務の処理ないし管理を行なう行動形式、すなわち公益の直接的・具体的実現のことです。その中での対立・衝突を行政紛争として把握し、その中で人民法院が受理するものを行政事件としています。したがって大雑把に言えば、私益の実現か公益の実現かの違いがあります。

 民訴監督は、最高人民検察院検察委員会が今年2月9日に採択し、7月26日に公布した行政法規であり、全10章135条からなります。一方、行訴監督は、同じく最高人民検察院検察委員会が今年4月8日に採択し、8月25日に公布した行政法規であり、全10章137条からなります。両者の章構成を見ると、一部に順序の逆転や表現の違いを確認できますが、その形式上の内容は同じです。強いて言えば、民訴監督では既に効力を生じた判決、裁定、調停書に対する監督において、手続き上の瑕疵など形式的な問題に対する「抗诉」(=再審理)とそれ以外の「抗诉」を別々の節に分類した(行訴監督では両者を1つの節に統合した)点[1]を、また、行訴監督ではその審理手続きにおいて、普通手続きのほか簡易手続きを可能とした(民訴監督には存在しない)点を指摘できる程度です。

 なお、行訴監督における簡易手続きは、元となる原審が簡易手続きを適用したものである場合および事案がハッキリしており法律関係がシンプルである場合のみ簡易事件であると確定できるとしています(行訴監督77条)。同時に、簡易事件と確定する場合は審査期限の延長規定を適用しない(行訴監督79条)と言明する徹底ぶりからすると、民訴監督における検察権行使の場合と比べて、行訴監督における場合は迅速な対応を意識していることが窺えると言えます。

検察権行使の指針の比較

 民訴監督も行訴監督も、人民検察院がその検察権を行使して法律監督を行なうための法的根拠です。行政機関は法的根拠に基づいて行政行為を行ないますから、その職員の間では少なくとも法的根拠に対する解釈を共有する必要があります。そのため各法令の総則が示す指針は全体を俯瞰するうえで重要な部分と言えます。

 民訴監督について言えば、人民検察院が法に基づき民事事件の監督案件の処理を通じて司法の公正とその権威を維持し、国家の利益および社会公共の利益を維持し、自然人、法人および非法人組織の合法的な権利利益を「維持」して、法令の統一的で正しい実施を保障することにあると確認します(民訴監督2条)。一方、行訴監督も同様の文言が並ぶのですが、それに加えて人民検察院が行政事件の監督案件の処理を通じて人民法院が法に基づき審判および執行を行ない、行政機関の法に基づく職権の行使を促進することを監督して、国民、法人およびその他組織の合法的な権利利益を「保護」し、行政紛争の実質的な解消を推進する点を言明しています(行訴監督2条)。

 民訴監督が自然人としている点は中国社会で生活する外国人、無国籍者を念頭に置いたものでしょうし、行訴監督が国民と限定したのは内国人のための行政にほかならないからでしょう。注目すべきは、民事事件の監督案件においては法主体の間の権利関係を「維持」するとした一方で、行政事件のそれにおいては法主体間の権利関係を「保護」するとした点です。維持するという場合はその秩序を維持しさえすればその言に誤りはないことになりますが、保護するという場合はその秩序を維持し、守るべき権利も維持しなければその言に誤りがあることになります。結果を伴わなければならないと言えば分かりやすいでしょうか。そして、民訴監督の場合はその秩序を維持しさえすれば良いのだからこそ、当事者の訴訟上の権利を尊重・保護すると追記し(民訴監督4条)、行訴監督との違いを示唆します[2]

 以上の指針の違いが、具体的な行動に関する規定においても反映してゆくことになります。例えば、法律監督を求める訴えについて、民訴監督の場合においては、その訴えの根源・拠り所という意味で「来源 láiyuán 」と規定しますが、行訴監督の場合は訴える経路・手段という意味で「途径 tú jìng 」と規定します。また、審理の段階において民訴監督も行訴監督も当事者の意見を聴取し、必要に応じて専門家の意見を諮問しますが、行訴監督の場合はさらに当事者が弁護士に委託してその弁護士が代理人を務める場合は、その代理人である弁護士の意見を聴取し、その弁護士の職責履行を尊重・支援するなどの協力を行なうことを言明します(行訴監督47条2項)。

 付言しておけば、民訴監督であれ行訴監督であれ当事者の意見聴取において行なうべきことに大差はないだろうと思われますが、行訴監督はその中身を具体的に明示し、遺漏なきようにと注意している様に見えます(行訴監督48条、特に同条2項を参照)。また、行訴監督の場合のみ審査期限の延長を検察長が承認できるとされています(行訴監督56条2項)。さらに、聞き取り調査の段階において関係者の途中退室の扱いについても行訴監督の場合は主催者が継続の可否を決定するとしますが、民訴監督の場合は影響しないと確認します(行訴監督71条、民訴監督57条)。これらも民事と行政の質の違いからくる差異でしょう。

第48条
 人民検察院は、対面、ビデオ(対話:筆者追補)、電話、ファックス、eメール、当事者が提出する書面意見等の方法を採用して、当事者の意見を聴き取ることができる。
 聴き取る意見の内容は次のものを含む。
 (1) 効力を生じている行政判決、裁定ないし調停書が最新の事情に合致すると申請人が認識する主な事実及びその理由
 (2) 人民法院の行政審判手続き中の審判人員が法に反していると申請人が認識する事実及びその理由
  (3) 人民法院の行政事件の執行活動が法に反していると申請人が認識する事実及びその理由
  (4) 申請人が申請する監督請求についてその他の当事者が提出する意見及びその理由
  (5) 行政機関が行なった行政行為の事実及びその理由
  (6) 申請人とその他の当事者の間の和解意思の有無
 (7) その他の聴き取る必要がある意見。

 もちろん審査を終了すれば、結果を報告します(民訴監督48条、行訴監督52条)。が、ここでも行訴監督は過去の事例との論理整合性に配慮することを忘れず、「人民検察院が行政訴訟監督事件を処理する場合は、関係する指導性裁判例及び典型裁判例並びに関連する裁判例を全面的に検索し、併せて審査終了報告の中で(当然に)説明しなければならない」(行訴監督51条)との念の入れようです。

 なお、日本の検察組織においても言われることですが、検察官同一体の原則らしきものは中国にも存在します。検察官同一体の原則とは、検察組織が上意下達の関係において中央集権的に構成され、指揮監督下にある以上は上位の指揮監督に服さなければならないという原則を言います。つまり、上の命令に下は服しなさい=上命下服ということです。そのため、例えば検察長の決定についてその指揮監督下にある検察官は執行しなければならないわけですが、検察長が何らかのエラーを起こすかもしれませんし、現場の検察官もエラーすることがないとも言えません。ここで大切なことは記録を残して振り返れるようにしておくことです。この原則を中国的に修正しつつ次のように言明します(行訴監督54条)。

第54条
 検察長が検察官の意見に同意しない場合は、検察官に(再度の:追補)照合を要求することができるし、直接に決定を行なうことも、あるいは検察委員会に要請し決定について討論することもできる。
 検察官が検察長の決定を執行するとき、その決定が誤りであると認識する時は、意見を書面で(当然に:追補)提出しなければならない。検察長が元の決定を改めない時、検察官は(当然に:追補)執行しなければならない。

 中国的な修正といえば中国共産党との関係を一部の皆さんは気にされるでしょうから、一つだけ紹介しておきます。民訴監督の中に言明はありませんが、行訴監督では国家権力の一部の行使ですから各方面への報告義務的な言明を確認できます(行訴監督121条。)とはいえ、行政が公益の実現に係る内容であることを考えれば、その直面する課題について関係機関が問題を共有し合ってその課題に取り組むことは当然の流れであると私は考えますので、このことを殊更に独裁国家だから(こその特徴)などと評価するつもりはありません。

第121条
 人民検察院が処理した行政訴訟監督事件について、行政訴訟監督の状況について年度又は専門テーマによる分析を行ない、人民法院及び行政機関へ通報し、党委員会及び人民代表大会へ報告する。通報及び報告には以下の内容を含む。
 (1) 審判機関・行政機関に存在する普遍的な問題及び突出する問題
 (2) 審判機関・行政機関に存在する兆候的・傾向的問題又は特定の問題の特徴及び動向
 (3) 法に基づく行政・司法の公正を促す意見及び提言
 (4) 通報・報告する必要があると認識するその他の事情

現代中国に裁判は存在しない!?

 以上、人民検察院が行なう民事訴訟及び行政訴訟に対する法律監督を比較してきました。その検察権の行使の指針に注目して整理してみると、民事と行政の質的な違いを反映した異同を随所に見て取れました。ただし、法を順守・遵守しているかどうかをチェックする法律監督という視点から分析したとはいえ、いずれの場合も手続き上の誤りの有無をチェックする傾向が、公益の実現・私益の実現という結果をチェックする傾向と比べて強い印象があります。

 もちろん、手続きが適正に行われていれば、その手続きに沿って導かれる結果も適正なものであるはず!と期待することは当然のことですが、「悪法もまた法なり」(ソクラテス)という法諺もありますから、必ずしも結果の適正すなわち公益の実現・私益の実現を保証するわけではありません。しかし、その当たり前の限界の中で、日本社会に存在する司法とは別種の<司法>によって公益の実現・私益の実現といった正義の実現を支える統治機構を運用していると伝えようとしているようにも思います。

 要するに、現代中国における人民法院は、現行憲法が言明するように「審判機関」であって裁判機関でなく、「法律監督機関」である人民検察院と協業し合って手続き上の適正を保障することに努め、結果として裁判機関が担う正義の実現へと近づける構造をもつのではないでしょうか。そうすると、法律監督機関と位置付けられている人民検察院が「正義の味方である」というイメージに相応しい統治機構であり、同時に、現代中国に裁判(所)は存在しないと理解する方がスッキリするように感じるのですが、いかがでしょうか?

(了)


1. この点についての理由は現時点で分かりかねているのですが、審査の手順の違いが影響しているのかもしれないと考えます。民訴監督の場合は、聞き取り調査の後に事案の調査を行なうという順序なのですが、行訴監督の場合は事案の調査を行なった後に聞き取り調査を行なう順序になっています。そうすると、民訴監督の場合は関係者の主張を基にして法律監督権を行使する一方、行訴監督の場合は確認する事実を基にして法律監督権を行使することになります。ですから、手続き上の瑕疵であろうが実体上の問題であろうが総合評価するのに対して、民訴監督はあくまで関係者の意図を汲んで評価すれば十分であるとも言えますから、敢えて形式上の瑕疵と実質上の瑕疵を区分したのではないでしょうか。

2. ついでの話で恐縮ですが、民訴規定11条2項は「検察の人員は、当事者及びその訴訟代理人、特定の関係者、仲介組織からの接待や贈り物による他の見込みを受けてはならない」と確認する一方、行訴規定11条3項は収賄をすれば責任を追及すると規定するのみですから、秩序の維持を最低限のラインであるとしても、譲れない部分はあるようです。