日中交流の過去・現在・未来
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【21-03】着物を中国に里帰りさせ、文化を次世代に伝承する―公益社団法人服飾文化研究会名誉会長渡邉チヱ氏に聞く

2021年04月27日 孫秀蓮(アジア太平洋観光社 取材・構成)

着物は中国文化からの影響が大きいことから、中国への恩返しとして渡邉チヱ氏を名誉会長とする公益社団法人服飾文化研究会は5着の貴重な着物を中国に寄贈した。90歳の渡邉会長にご自身の生い立ち、仕事や着物に対する考え方、中国と交流などたっぷり語っていただいた。

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服飾文化研究会が所蔵する着物

中国文化に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。

A パール・S・バックの長編小説『大地』を読んだことがきっかけです。私が生まれた翌年から日本はずっと戦争をしており、外国のことは全く分からなかったのですが、1人の平凡な農夫が一代で莫大な財産を作るという話にとても影響を受けました。それは何かというと、いいことをすればお金は後からついてくるということ。ごく自然に、あるがままに行動していると巨万の富が自然とその人に入り、そこから結婚して...今思えばそこに人間のロマンを感じていたのだと思います。

 その後、仕事で着物に深く関わるようになり、その都度興味の趣くままに面白がって調べるという悠長な研究を続けているうちに、日本は中国文化の深い恩恵を受けていることが分かり、色々なつながりが見えてくるようになりました。

日本と中国の交流についてどのように考えていますか?

A 私個人としては、交流なんて改めて考えるほどのことではないと思っています。古い時代から中国の人たちが船に乗って日本へ来て日本で姓を与えられ、日本で暮して食べていけるようになって子孫がいっぱい生まれて...もしかしたら私も中国人の血が入ってるかもしれませんね。だから、私は別に黒人であろうどこの国の人であろうと、言葉がちょっと不自由なぐらいで、あとは全く同じだと思います。私が一番好きなのは人間なのです。たとえば昨日一緒に仕事をして今日もまた会ってたとしても、久しぶりに会う訳ではないのになんとなくうれしくなってしまいますね。

これまで中国に5着の貴重な着物を贈呈されましたが、贈呈の思いと詳細についてお話いただけますか。

A 着物は中国発祥だからこそ、里帰りをさせてあげたいと考えています。着物を中国に寄贈して、なるべく多くの方々に見ていただき、糸づくり、織、染め、刺繍等が中国から日本に伝わって今でも着物や帯に表現されていることを知っていただきたいです。

 また、着物がお里帰りをすることで、日本という国で2000年も着物が大事に使っていることを中国に伝え、中国から着物が伝わったという文化的事実を日本・中国の人々に認識していただきたい思います。これはお互いに理解し合うための一つの入り口だなと思ったんです。そして、中国で大学生に着物の着付けをしてあげて、皆さんとても喜んでました。その風景はとても微笑ましかったですね。

 具体的には、2016年11月に中国北京の中国婦女児童博物館に2着、2018年9月に福建省の漢服団体「漢服天下」に1着、また2019年3月、福建省の黄檗文化促進会に2着、合計5着を中国に贈呈しました。又、2020年の5月に浙江省杭州にある中国シルク博物館に2着を贈呈する予定だったのですが、新型コロナウイルスの影響で一旦止まってしまいました。2021年には是非ともいきたいと考えています。また、ただ贈呈するだけではなく、着物を着せてあげるような体験や、着物の歴史や日本に来てからの変化を伝えるような形式もいいかなと考えています。

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左/2016年11月、中国婦女児童博物館に2着の着物を贈呈 右/中国婦女児童博物館に贈呈された花嫁衣装

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左/2019年黄檗文化促進会に2着の着物を贈呈 右/2018年9月、福建「漢服天下」に着物を贈呈

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左/2016年11月、北京語言大学で大学生に着付けする 右/2016年11月、北京外国語大学で大学生に着付けする

初めて中国に行かれた時の印象はいかがでしたか。

A 初めての訪中は北京でした。ずっと以前から思っていた中国に自分がやってきたという感激、胸の高鳴りからしばらく動けなかったのを覚えています。しかし実際に街中を歩いていたら直ぐに慣れてしまいました。心の中に、すでに中国に対する親近感を持っていたからだと思います。故宮、万里の長城の壮大なスケールは今でも鮮明に覚えています。最近の中国は大きく変わったとよく言われますが、お年寄りに対する気遣いなどは日本の何倍もあると思います。直ぐに席を譲ってもらえますし、少し咳をしただけで背中をさすってくれたり、温かいものを勧められたり。また中国は定年まで働くとしっかり恩給をもらえるので、お医者さんにも行けるし、ご飯もしっかり食べられる。この部分は日本のマスコミで報じられている部分と大きな違いがあると感じました。

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左/2016年11月、初めての訪中で中国婦女児童博物館を見学 右/万里の長城にて、研究会のメンバーと一緒に

1975年に「着つけ研究会グループよそおい」を発足された経緯を教えていただけますか。

A 私は両親をわりと早く亡くしているのですが、友人のお母さんに「これからは女の子も仕事や技術を持ちなさい」と言われ、たまたま雑誌で見た美容師の国家試験を受験したらなんと1回で合格し、20歳の頃に美容師として上京しました。その後、10年ほど資生堂で働いた後、神奈川婦人会館で婚礼の着付けをしたり教えるようになって、最終的に「いつまでも美しくあるために」という1年間の教養講座を担当しました。そのカリキュラムの最後に着物の着付けを組み込んで、6年間教えていました。当時50歳近かった私は、55歳になったら定年すると宣言しましたが、生徒さんの数が一気に増え、収拾がつかなくなりました。皆様からの強い要望もあり、とてもやめられそうもなくて、こうなったら私が理想と思う形を周りの方々と実現しようと思って、この会を発足しました。

2010年より公益社団法人にされた理由はなんでしょうか。

A 着物に携わり始めた時から私には変わらぬポリシーがあります。それは着物は日本の文化であり、誰が考えたものでもなく、私たちの先祖が中国や様々な国からの情報を取り入れながら生活の中に組み入れて生み出したものです。着物でお金を稼ぐのはおかしいと思いますから、私は着物事業を未来永劫、営利事業はしないと決めました。一緒に活動してもお金は稼げないし、足代もかかるし、必要経費もかかりますよと伝えた、それでも一緒にやりたいという人が多かったので、より社会的に認知度をあげるため社団法人化することを決めました。現在会員数は毎年1,500人ぐらいいますが、今は新型コロナの影響で少し少なくなっていますね。30代~50代までの方が多く、お仕事終わりに夜間の教室に通われている方も多いです。

仕事において心がけていることを教えていただけますか。

A 私は仕事になると非常に不器用な人間ですが、人は努力するとそこそこのところまでいけると思います。仕事に関して大事にしていることは2点あります。1点目は、間に合わせで人に教えることはしたくないことです。とことん勉強して、確信を持って物事を教えたいと考えています。2点目は「守破離」です。守は守る、破は破れる、離は離れると言う意味です。「守る」は人から教わったことを守るということです。人から教わって、感じて思ったことを取り入れて守ります。そうすると今度はそれが破れていきます。「破れる」は真似ではなく、自分の本来持っている個性が出てくるということです。これは仕事の世界で例えると、最初にお弟子さんは先生の言うことを守る。

 それから、「破」の段階になって破れ、自分の個性が確立され、行動ができる。要するに職人になれるということです。職人さんは難しいこと言わないで、黙々とやりたいことをやっているのです。だから、何が足りなくても、何がなくても、時間がなくても、言われたことはやり遂げることですね。そこから今度は「離」、「離れる」です。これは「守」からも「破」からも、全て離れて、自分の境地を開いていくことです。俗にいう芸術家の領域ですね。

生きるということについて、どのように思われますか。

A 最近は朝早い時だと2時、3時には起きます。それから先ず読書、本の執筆、整理などをします。私は52歳の時に癌の手術をしましたが、今では自分が癌だったということをよく忘れてしまいます。

 生きることに関して、私は人間というのは寿命をもって生まれてくると思っています。ですから何歳まで生きたいとか何のために生まれてきたかなど深く考えることはありませんが、私なりに生きる姿勢というものがあり、人に影響されることはありません。ただ唯一許せないことは、人としていけないことをする人ですね。

今後やりたいことを教えていただけますか?

A 私は欲が深いので、自分で勉強したいと強く思いますし、人が知ってることを自分が知らないのは悲しいと思います。いつもまでも世の中に対する好奇心を持っているからですね。好奇心の塊です。

 今90歳になって、前から考えていたことなんですけど、本当に心から着物とは何ぞやということを多くの方に知ってもらいたいと思って着物文化に関する本を執筆しています。着物文化とは、人間文化そのものだと思います。着物は紐を結びますが、この結ぶという行為は人間が火を起こすことを覚えた時と同じかあるいはそれより前にできました。着物文化はこの結ぶという動作から始まり、さらに中国の漢服文化の影響を受けました。着物に関わってやってきた70年の歴史の中から焦点になるもの及び中国文化との関連などを書き残そうと思います。次世代へ着物の文化を伝承できるよう、3年計画できちんと系統立てて説明する本。1冊読めば全部分かるような本を書こうと思って、今はもう2年目に入ってます。

 また、東西世界の服飾文化発祥の地を知りたいんですね。そして、中国の皆さんと一緒に、舞台で手をつないで歌ったり、足を上げたりして踊ったり、お芝居したりできたらいいなと思いますね。そういうものを見たら皆さんは着物や衣服に対して考え方が変わると思います。中国の皆さんと一緒にミュージカルを作ることを楽しみにしておりますね。

渡邉チヱ

渡邉チヱ(わたなべ ちえ)

略歴

1930年生まれ。公益社団法人服飾文化研究会名誉会長。1975年に「着つけ研究会グループよそおい」を発足、それを元に2010年から「公益社団法人服飾文化研究会」となった。伝統服飾文化や技術の保存および資料収集、研究事業を行うとともに、国内外の文化・芸術交流にも力を入れている。


※本稿は『和華』第28号(2021年1月)より転載したものである。