【16-002】滴滴(ディディ)と数字鴻溝(シュウツホンゴウ:デジタルディバイド) 中国タクシーアプリとその周辺―ことばから見る中国社会
2016年 8月12日
河崎みゆき:上海交通大学日本語学科常勤講師
國學院大學文学部大学院修士
華中科技大学中文系応用言語学博士学位取得
略歴
1989年、千葉県社会福祉協議会中国帰国者センターで日本語を教える。2005年2月より華中科技大学日本語学科で8年半日本語を教え、現在、上海交通大学日本語学科常勤講師。専門は日本語教育および中国社会言語学。日本語ジェンダー学会評議員
夏休みを過ごす東京で、8月はじめ、中国最大のタクシー呼び出しアプリ「滴滴出行(ディディ・チューシン)」が、競合相手アメリカのウーバー(Uber)の中国における事業を買収したとする記事を読んだ[1]。それで、先学期上海で体験したいくつかの日本では起こり得ないタクシー体験を思い出した。
滴滴(ディディ)
日本では、タクシーに乗るとき、駅前のタクシー乗り場に並ぶ、流しのタクシーを捕まえる、あるいは電話で呼ぶ、が主流だから、「タクシー配車アプリ」と言ってもあまりぴんとこないだろう。中国で人気のタクシー配車(呼び出し)アプリ「滴滴出行(ディディ・チューシン)」は、カバーエリアが中国全土400都市、3億人のユーザー、1日1000万台の配車、昨年1年間で14億3000万元の売り上げ実績[2]だ。
このタクシー呼び出しアプリは、2012年に「滴滴打車」としてサービスを開始(打車はタクシーに乗る、呼ぶの意)、2015年2月ライバル会社「快的打車」と合併、「滴滴出行」に改名している。省略して「滴滴(ディディ)」と呼ぶ人も多い。
「滴滴(ディディ)」は、もともと口偏の「嘀嘀」を用いており、車のブーブーいう音を表し、タクシーの音訳「的士(ディシ)」の「的(ディ)」とも通じている。2014年にさんずいの「滴滴」に改名しているが、これはことわざ「滴水之恩,涌泉相報(一滴の水のような恩にも、湧き出る泉のような大きさでこれに報いるべし。)」という意味がこめられていると言う[3] 。
私の学生や若い中国人の友人たちはみな、タクシーが必要なとき、このアプリを使って呼ぶ。使い方は簡単だ。アプリの画面に自分のいる位置と目的地を入力するとその情報が周囲のタクシードライバーに送られる。画面には近辺の地図が現れ、近くにいるタクシーの台数が表示され、その中で、対応してくれるドライバーの名前などの情報が現れ、電話がかかってくる。互いに行き先などを確認、来るのを待つという流れ。その便利さや使用法は日本でも紹介されているが、私は別の角度の体験を書きたい。
確かに、呼べばやってきてくれるという印象は昨年あたりまではあった。GPSを使って約束の車が近づいてくる様子も示され、おおよその時間もわかる。私は人任せで使用してこなかったが、自宅前のようなライバル客がほぼいないところならまだしも、繁華街や大学の校門などで、このアプリで呼ぶ人が次々と車を呼んで乗っていく姿に、敗北感を感じることも多くなった。
ある晩、お芝居を見ての帰り、タクシーに乗って帰宅することにした。劇場から吐き出される人たちに競り勝たなくてはならない。一足急いで大通りに出た。空車のタクシーが走ってくるので、手を上げて乗車の意思表示をしたが、一台、二台と通り過ぎていく。当初はアプリで呼んだ人の方へ行くのかと思ったが、よく見ると私のように手を挙げ止めようとしている人が何人も、何人もいるのだ。その横を空車が何度もぐるぐると回っていく...。
図1.タクシーを待つ人 上海・南京西路で
車道に降りてタクシーを待っている大勢の人の横を空車が素通りするのはなぜかと不思議に思い、あっと気がついた。このアプリは、早く確実に着いてもらうために、正規の運賃に加えてドライバーに追加料金を払う機能があり、10元、20元と上積みできる。運転手たちは、お客がしびれを切らして10元いや、20元、30元と割増料金を払うのを待っているのだ。まるで獲物を遠巻きにするハイエナのように。
私は競争に加わる気がないので、地下鉄に回って帰ることにした。しかし、乗り換えの江蘇路についたときには、タッチの差で交通大学方向の最終電車が出発したあとだった。夜11時の江蘇路駅から女性一人、40-50分歩いて帰るわけにもいかない。気を取り直して、地下鉄の駅から地上にあがって、タクシーを待った。だが南京路あたりにくらべ賑やかな通りでもないため、いつになったらタクシーがあらわれるかわからない。観念して、中国LINEである微信(WeChat)に標準装備されていている「滴滴」アプリを始めて立ち上げてみた。行き先を入力すると、現れた地図は200台のタクシーが近くにいると教えてくれた。だが標準価格で応じてくれるドライバーがいない。仕方なく、20元割り増しをつけたら、200台のうちの2台が手を上げたてきた。まさに地獄の沙汰も金次第。ほかのタクシーは30元...となっていくのを待っている、あるいは行き先が気に入らないのだろう。そう思うと私はなんだかそら恐ろしくなった。
ちょうどドライバーから電話がかかってきたとき、突然、目の前にタクシーが現れた。コンタクト中の人ではなく、別の流しのタクシーがお客と見て止まったのだ。あわててアプリのドライバーに断りを入れて、目の前のタクシーに飛び乗った。(約束をした後では別の車に乗るのはマナー違反になるが、ぎりぎりセーフといったところ。「いらないの?」、といわれ、「はい、すみません」ですんだ。)とび乗ったタクシーは夜間割り増しにはなっていたが、アプリのような20元の上乗せはなかった。おそらく、「滴滴」に登録していないドライバーに運よくあたったのだろう。
場所と時間帯によるが、上海では繁華街からラッシュ時にタクシーを利用しようとする場合、上記のようなことは起こりうる。よいサービスを受けるために割り増しを払うのは当たり前だとも言えるが、もし銀座でタクシーに乗る前に、スマホで500円、1000円、2000円と割り増しを払うと約束するまで、空車が素通りするだけで乗せてくれなかったらどうだろうか。上海では、タクシーがつかまりそうにない場合、地下鉄がある時間は地下鉄のご利用をお勧めします。
もう一つ、「滴滴」アプリには専車(チュアンチョー)というハイヤーもあり、中国人の知り合いが呼んでくれ、乗車したことがある。代金は、10-30元とやはり割高で、車種によっても違うという。黒い高級車で、個人の登録だから、最初見たときには「白タク」なのかと思ったが、タクシー不足を解消するため、政府公認で急速に増えているようだ。20万元(350-400万円)以上の中高級車、ドライバーは統一した制服(黒服)で、ドアの開閉サービスをしてくれ、車内にはガムやミネラルウォーターがある。出張ならビジネスのカウンターパートに呼んでもらうこともできるだろう。
図2.高級乗用車の「専車」
数字鴻溝(デジタルディバイド)
「数字」はデジタルという意味、「鴻溝」は古代の運河で楚漢戦争のときに両軍が対峙した場所で、ディバイド「分水嶺、分け目」というところを「鴻溝」と表現するのはさすが悠久の歴史の国、典拠を尊ぶ中国だと感じる。「信息鴻溝(情報差の分け目)」という訳語もあるようだ。
中国でも、数字鴻溝(デジタルディバイド)ということが言われ始めたのは最近ではないが、年上の友人たちの中には「滴滴」が使えない、使えないから、もうタクシーには乗れないなどとぼやいているのを聞いてこのことばを思い出した。新華ネットの記事では、都市と農村のデジタルディバイトが拡大しているとの指摘[4]があるが、身の回りでいえば、農村出身でも若者は都会にでてくれば、相当の使い手に成長するが、むしろ都市のインテリでも、老人は視力や操作の問題で、スマホアプリが使えない人は多いように思う。中国ではいま、「支付宝(アリペイ)」というネット決済アプリが人気で、光熱費の支払いや、映画やレストランの予約と支払い、出前注文、配車アプリと...多くの人が使用しているが、微信にも同じような機能がつき、どんどん便利さを謳歌するのは若い世代で、老人は取り残されていく。微信とアリペイも連携しているので、生活と決済がそれらに集約され、お金と人の動きもそれである程度把握されているだろう。
2005年に前任校に赴任したとき、寮生活の学生たちが、真水の飲めない中国で、お湯を魔法瓶に汲むのも時間制限があって1950年代と変らぬ生活をしている一方で、食堂では食券などなく、プリペイドの食堂カードを使い、インターネットで情報を収集、音楽を聞き、動画を見て楽しむ生活に、同一の場所で、生活様式に50-60年の差があることに戸惑いを覚えたが、中国ではいまや学術論文はほとんど電子化されているし、ネット決済や、生活アプリの使用実態を考えると、日本を越えている部分がどんどん増えていると感じる。
1. 「配車事業 ウーバーが売却 現地最大手の滴滴出行に」 毎日新聞2016年8月2日http://mainichi.jp/articles/20160802/k00/00m/020/125000c
2. 「关于滴滴出行(滴滴出行に関して)」滴滴オフィシャルサイトhttp://www.xiaojukeji.com/website/about.html
3.「滴滴出行発展史」http://tech.hexun.com/2015-09-17/179214843.html
4. 「中国城乡"数字鸿沟"扩大 应用不足成软肋(中国の都市と田舎で広がる「デジタルディバイド 応用不足が弱点」)新華ネットhttp://news.xinhuanet.com/info/2015-02/26/c_134019612.htm
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