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【19-06】中国人に関する日本人の誤解

2019年9月2日

柯 隆

柯 隆:東京財団政策研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2018年 東京財団政策研究所主席研究員、富士通総研経済研究所客員研究員

プロフィール詳細

 日中関係は遣唐使の時代から数えれば、1000年以上の歳月になるが、徐福の時代まで遡れば、2000年以上の歴史になる。古代の日本人は中国と中国人をよほど詳しく考察し研究していたように思われる。空海や阿倍仲麻呂たちは中国人以上に中国のことを理解していたといっても過言ではない。

 第二次世界大戦は日中にとって不幸な歴史だった。それ以降、日中両国民の往来が途絶えてしまった。その間、日本人の中国に関する記憶は空白になっていた。

 40年前、国交回復してから、中国文化が好きな日本人は再び大挙して中国を訪れた。しかし、古代の日本人に比べ、今の日本人はそれほど中国のことを知らない。日本人は中国と中国人に関するさまざまな誤解をもって中国を訪れてきた。国交回復した直後、中国を訪れた日本人は中国人がみんな痩せていることに驚いた。すでに高度成長期を終えた日本人は先進国入りし、裕福な生活をしているため、小太りの人が多かった。健康志向の強い日本人は中国を訪れてみると、平均身長が日本人より少し高い中国人は痩せてスタイルがいいと思った。なぜだろうか。

 そこで安易に結論を付けられたのは、中国人は毎日大量にウーロン茶を飲んでいるから、痩せているという説であった。ウーロン茶が油を流してくれるという「常識」は日本で定着したのである。医学者ではない筆者はこの「常識」についてとやかくコメントする資格はないが、40年前の中国人が痩せていたのは、ウーロン茶のお蔭ではなく、食糧不足によるところが大きいと断言できる。当時、食糧は完全な配給制であり、学生やデスクワークの人よりも、労働者などのブルーカラーのほうが配給される食糧の量は少し多かったと記憶している。

 中国は大きな国であり、一般的にはウーロン茶は台湾や福建省など一部の地域の人が飲んでいた。長江下流域の人々は龍井茶という日本茶に近い緑茶を飲んでいる。北京の周辺では、お茶が採れないため、庶民は値段の安いジャスミン茶を飲む。老舎の小説「茶館」に出てくるお茶はやはり緑茶である。

 むろん、ウーロン茶はお茶であり、大量に飲んでも体に悪くはない。しかし、それを飲んだからといって痩せるとは限らない。痩せるためには、お茶だけではなく、適度な運動に加え、暴飲暴食を止めることが前提である。今の中国人をみると、日本人よりも遥かに太っている。暴飲暴食しているからである。しかし中国人のお茶の消費は40年前に比べれば、飛躍的に増えているのだ。

 ここ20年来、中国では、お茶バブルが大きく膨らんでいる。お茶はワイン以上にランク付けされ、高級なお茶とそうでないものとは、味的には月とすっぽんの差がある。ウーロン茶の最上等品はほとんど市場に出回ることがない。雲南省のプーアル茶は発酵した紅茶に近いものだが、より古い上等なものであれば、10年前500gのプーアル茶がオークションで日本円で4000万円前後の値が付いて日本のマンションと同じ価格だった。

 以前、龍井茶の産地、杭州を訪れたことがある。緑茶の場合、毎年の4月5日清明節前に取れたお茶がもっとも上等とされる。なぜならば、4月5日前に取れた龍井茶は柔らくて清らかなお茶の香りがするからである。そのうえ、農薬が使われないのも人気の理由である。清明節の直後に、友人と車で杭州の龍井村に行った。龍井村はその名前の通り最上質の龍井茶が取れるといわれている。

 残念ながら、茶農家の奥さんにいわれたのは、「生産者である我々でさえ上質な龍井茶を口にすることができない。最高級の龍井茶はすべて北京の高官によって買い占められている」。がっかりした筆者だが、以来、中国でお茶を買うことを断念して、家ではイギリスの紅茶を飲むことにした。中国では、上質なウーロン茶とプーアル茶の値段は信じられないほど跳ね上がって、手が届かなくなり、緑茶は二級品か三級品しか手に入らない。

 このように考えれば、日本に輸入されるウーロン茶はもっとも等級の低いものと推察される。むろん、コンビニやスーパーで売られているウーロン茶やプーアル茶の飲料は、もともとの茶葉が上質なものではないが、使われている水はいい水であり、それを飲んで、体に悪いことはおそらくなかろう。

 元の議論に戻るが、この40余年の日中関係を振り返れば、日本人の中国観はウーロン茶のことと同じようにかなり多くの誤解のうえで成り立っているように思われる。

 もともと中国は多民族国家であり、多様性の富んだ多面体である。社会主義体制以前の中国では、中国人の行動原理は多少なりとも中国の伝統文化に基づくものだった。社会主義体制になってから、中国人は政治の動物になった。40年前、市場が開放され、経済の自由化が進んだ。中国は依然として政治の国であるが、中国人の行動原理は政治や伝統文化と無関係になり、拝金主義が横行するようになった。

 中国は40年間の経済発展により、世界でもっとも裕福な国の一つとなった。しかし、中国社会は極端に不安定化している。それは社会主義理念と世界一の拝金主義との矛盾が原因である。中国人の国民性は資本主義にもっとも適しているように思われる。だからこそお茶まで投資対象にされている。

 中国を訪れる日本人は、たいていの場合、中国の大きさに驚嘆してしまう。筆者は一度も行ったことがないが、人民大会堂に招かれる日本人はその大きさに必ず絶句するといわれている。それは権力の象徴であるからだ。中国人の行動原理において、もっとも強い変数は政治権力と資本の支配力である。日本人はルールを重んずる国民であるが、一方中国では、政治権力と財力のある人はルールを恣意的に変えることができる。

 日本は中国文化のDNAを受け継いだ国だが、なぜ中国とこんなにも違う国になっているのだろうか。日本を訪れる中国人は一概に日本の清潔さに驚いてしまう。ヨーロッパの国々に比べれば、日本は決して小さな国ではないが、山が多いため、都市部の人口密度が高い。きちんとしたルールが確立していなければ、整然とした社会秩序が保たれない。中国でもっとも欠如しているのは社会秩序である。最近では、監視カメラが導入され、人々の行動原理が厳格に管理されるようになっている。

 10年、20年後の世界を見通すことはできないが、日本と中国はそれぞれの道を歩み、ますます離れていく可能性が高い。