【21-06】「共同富裕」政策は格差縮小につながるか
2021年10月05日
柯 隆:東京財団政策研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2018年 東京財団政策研究所主席研究員、富士通総研経済研究所客員研究員
論語には、「不患寡而患不均」(寡きを患えずして均しからざるを患う)という教えがある。この教えそのものは正しいことだが、人間は貧しい生活と不平等の生活のいずれかよりも、豊かな生活を追い求める動物的本能が強い。とりわけ、中国人は人一倍に豊かになりたい気持ちが強い。
40年前、鄧小平は中国人の働く意欲を喚起するために、一部の人が先に豊かになってもいいと宣言した。この「先富論」は毛沢東時代(1949―76年)であれば、タブーだったはずである。一部の人が先に豊かになるというのは大多数の人に対する搾取とみなされるからである。プロレタリアの社会主義革命はそれを絶対に許せない。
むろん、毛沢東の革命的実験は名実ともに失敗した。それでも毛が生きていたとき、彼に対する個人崇拝が強く維持できたのは厳しい情報統制とプロパガンダのマインドコントロールによるところが大きい。「改革・開放」以降、情報統制が緩和され、真理を追究する動きはプロパガンダによるマインドコントロールをかなり弱めた。換言すれば、鄧小平は「先富論」のような現実路線に方針を転換しなければ、共産党への求心力が予想以上に低下したのだろう。そうなれば、共産党の統治体制そのものも維持できるかどうかも分からなくなった。
結局のところ、「改革・開放」によって中国人は不平等の生活を実質的に受け入れながら、貧しい生活と決別した。内外のマスコミは中国社会の勝ち組に焦点を当ててそれを詳しく報道する。負け組の貧困層の存在は往々にして忘れられがちである。しかし、中国では、先に豊かになったのは一部の人だけである。それでも40年も続いた経済成長のおかげで貧困層の生活は40年前に比べ、ある程度改善されているのは事実である。問題は貧困層と富裕層との格差が想像を遥かに超えて拡大してしまったことにある。
むろん、格差が拡大したからといって、すぐに社会不安になるとは限らない。それについて参考になるのはイギリスのヴィクトリア時代(1837―1903年)である。ヴィクトリア時代のイギリスは植民地が拡大し富が急速に蓄積されていった。同時に、貧富の格差もかつてないほど拡大した。それでもイギリス社会は思ったより不安定化しなかった。歴史家によると、イギリス社会が不安定化を回避できたのは①厳格な階層社会、②キリスト教による支配と③犯罪に対する法的厳罰だったといわれている。
この三点について若干敷衍すれば、厳格な階層社会とは、それぞれの階層は生まれつきの生活を与えられ、下の階層がいくら頑張ってもそれをひっくり返すことができない。貧しい階層に不満がないわけではないが、キリスト教による支配、あるいはそれに対する信仰心は不満をかなり和らげることができた。さらに犯罪に対する法的厳罰は社会の秩序を維持するうえで決定的に重要だった。
この三点を現在の中国社会に当てはめてみれば、プロレタリアの社会主義革命そのものは階層社会を破壊してしまった。そして、共産党は共産党指導者への個人崇拝以外、宗教に対する信仰心を実質的に禁止している。さらに犯罪に対する法的厳罰は共産党の敵に対する法的措置を取られることが少なくないが、身内の犯罪に対しては厳罰に処することがほとんどない。すなわち、法の公正さが担保されていないということであり、結果的に中国社会は不安定になりがちである。
そのなかで貧富の格差が問題視されている。要するに、低所得層の人々は富裕層に対する不満を募らせているからである。「共同富裕」、すなわち、格差を縮小させれば、社会はおのずと安定すると思われている。実は、この問題を解決するのはそれほど簡単なことではないということである。
「共同富裕」と格差縮小には二つの政策課題がある。一つはいかに成長を続けるかである。もう一つは成長した成果、すなわち、富をいかに公平に分配するかということである。ここで、注意しなければならないのは公平と平等の違いである。富を平等に分配しようとすると、一生懸命働く人にとって不公平になり、働く意欲が減退する。労働に参加するそれぞれの人の寄与度に応じて富を公平に分配しなければならない。
あらためて成長戦略を考えてみれば、人々に働く意欲を喚起しなければならない。そのために、働いてよかったというインセンティブを与える必要がある。しかも、働いて得られた合法な富が法によって守られなければならない。すなわち、合法な富が蓄積され、その分、格差が拡大しても、それを問題にしてはならない。そして、ビジネスを展開するうえで、人々に自由を与えなければならない。自由なビジネス環境でなければ、経済は順調に成長していかない。
一方、富の分配を考察すれば、給与などの所得分配と所得や資産に対する課税は基本である。給与などの所得は労働の対価として適切に支払われなければならない。その段階、格差が生じることがある。とくに、社会保障制度を整備するために、税金を徴収する必要がある。課税の基本は社会保障制度を整備する目的で幅広く負担を求めることで幅広く徴税していくと同時に、格差を平準化するために、富裕層に対してより多く課税する必要がある。
中国では、個人所得税などの徴収はすでに行われているが、制度上の欠陥と徴税システムの不備があって、富裕層に対する課税が必ずしも十分とはいえない。たとえば、給与以外の副収入(雑所得)に対する課税について、税務による所得調査が十分に行われておらず、確定申告制度が導入されていないため、副収入に対する課税が十分に行われていない。
そして、資産課税も十分に行われていない。資産課税の前提は資産調査と資産査定である。なによりも、中国では、相続税が導入されていないことが問題である。結果的に富裕層に富がますます集約されてしまう。このままいけば、ある臨界点を超えると、貧困層と低所得層が「革命」を起こす可能性もある。
ここで、「共同富裕」政策の有効性を検証してみよう。中国で進められている「共同富裕」政策はビジネスに成功した資本家に寄付を求めている。これには一過性の効果があろうが、二年目以降は効果が次第に逓減していく。「共同富裕」政策は上で述べた制度改革が含まれていない。本来ならば、寄付はそれぞれの人の自由であり、個人に寄付を強要してはならない。税務による所得調査と資産調査を厳格にしなければ、格差の縮小はありえない。中国にとって参考になる成功例と失敗例はたくさんある。それを中国社会に適応するように制度を再設計する必要がある。これは難しい作業だが、達成できない目標ではない。