【21-06】コロナ禍に直面する中国の一帯一路政策と対外農業直接投資の変容―援助外交と経済合理性のはざまで―(その1)
2021年02月10日 高橋五郎(愛知大学名誉教授)
はじめに
中国の対外農業直接投資には、(1)一帯一路政策と歩調を共にする農業協力など対外援助の一環としての対外農業直接投資、(2)中国経済の市場経済化の浸透と国際化という経済の構造的熟成に対応した対外農業直接投資とがある。この場合、さまざまな作目生産や加工、農業生産資材の現地販売(輸出)、農地や水利等の農業資源確保を通じた農業生産、産品の輸出入もしくは現地消費が基本型となる。
なお(1)の場合、現地で生産された農産物もしくは加工食品は基本的には現地消費向けとなり、中国にとっての経済原理的な展開性は劣る。これに対して(2)の場合、基本は、現地生産を行う農産物の作目別比較優位・劣位の原則にもとづいて行われる点に特徴がある。
本稿では、この二つの対外農業直接投資が相互に影響し合いながら、これまで展開されてきた時期をステージⅠとおく。そしてCOVID-19パンデミック発生以後(以下、新型コロナ禍以後)ステージⅠが停滞と変容を受ける時期、これをステージⅡとおくこととする。
本稿は二つのステージごとに、中国の対外農業直接投資の動向がどのように推移したか、とくにステージⅠからⅡへの急展開局面を重点におき、その変容の過程を分析する。
1.農業協力と経済合理性―対外農業直接投資2つの誘因―
上述のように、中国の対外農業直接投資は二つのステージに分けることによって、コロナ禍の影響と対応について分かりやすくなるが、この点は、内容や規模の違いこそあれ、先進国の対外農業直接投資が共通して持っており中国固有のものとは言い難い。しかし現段階の中国に関するかぎり、経済原理志向型の農業直接投資よりも、外交的な農業協力型の直接農業投資が上位におかれる点に特徴がある。
(1)農業協力
政府の農業協力に関して中国政府自身は対外援助の詳細なデータを公表していないが、1956年の対アフリカ援助の開始以来、1964年の平等互恵8原則による対外援助から国連の議席回復を経た70年代、開発途上国が返済した無利子融資の一部を利用して対外援助合弁事業基金を設立した1993年、中国・アフリカ協力フォーラムを設立した2000年といったエポックを契機に、徐々に対外援助を充実させて行った。
中国の主な対外援助には、無償資金協力、無利子融資、優遇ローンの3種類がある。無償資金協力と無利子融資は国家財政の下で運営され、優遇ローンは中国輸出入銀行等による長期低利資金である。
2009年末まで、中国の対外援助総額は2,563億元、うち[1],062億元が無償資金協力、765億元が無利子融資、優遇ローンが736億元であった。中国の農業協力は政府援助の重要な柱であり、農業及び農村開発と貧困削減の促進を中心に農場の建設、農業技術モデルセンター、農業技術ステーション、灌漑プロジェクト、農業機械、農産物加工設備等の提供、農業技術専門家の派遣、農業開発コンサルティング、農業人材育成等からなる1。特に2006年のアフリカ政策の全面的展開の口火となった「中国のアフリカ政策」の登場は大きな画期となった[2]。
なお、別の資料では2000年から2014年までの15年間、140カ国へ政府援助を行い、その額は累計3,620億ドル、同期間のアメリカの援助額は3,990億ドルだったので、その差は370億ドルに過ぎなかったとしている[3]。
農業協力型の対外農業直接投資は主にアフリカ諸国やアジア諸国(東南・中央)を舞台として展開されてきた。たとえばギニアビサウ共和国「水稲生産モデルセンター」、中地海外集団によるアフリカ農業協力事業、キルギス「アジアの星農業産業合作区」等がその事例の一つである。
①ギニアビサウ「水稲生産モデルセンター」協力事業
ギニアビサウは世銀によると2019年時点の人口は190万人、主要産業は農林水産業であり、一人当たりGNI637ドルと最貧国に属する。中国とは1974年半ば国交を樹立、以後、主に無償資金協力による農業協力を実施してきた。中でも農業技術協力は、ギニアビサウが土地を提供、中国は農業専門家を派遣し、農業機械、種子、肥料、農薬などの農業資材を提供、コメの優良品種栽培技術に関する訓練を実施するなどを行ってきた。
この技術協力はギニアビサウの3つの州の11の試験場を拠点とし中国が派遣した農業専門家が協力を行った結果、実証実験田では生産量を2.5倍に引き上げることに成功する成果を上げた。
しかし、ギニアビサウ政府と地元農民の意識の低さ、技術普及の遅さ、自己負担財源の制約等が重なり、計画通りには進まなかった。計画では中国からの農業協力が浸透した段階で、現地企業が主体となって水稲生産や農産物を原料とする加工業とその市場販売に取組み、収益性確保の目途がついた段階で政府協力を卒業させることになっていたが、実際は計画通りには進まなかったとの指摘もある[4]。
②ナイジェリアを中心とするアフリカ地域等農業協力事業(実施機関:中地海外集団有限公司)
中地海外集団有限公司は中央国有企業であり、海外農業協力事業をアフリカ諸国で取組んでいる。企業を通じた形式を採っているが、実質は中国政府の援助活動の枠内にある。同公司がアフリカで協力中の国は、ナイジェリア、ブルキナファソ、モーリシャス、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、赤道ギニア、マリ、ガボン、トーゴ、ザイール、アルジェリア、カメルーン、チャド、ウガンダ、ルワンダ、ケニア、タンザニア、南スーダン、ジブチ、アンゴラ、ザンビア、エチオピア、リベリア、シオラレオネ等27カ国に上り、これらのほとんどの国に支社を置き、アフリカ以外ではカザフスタンと香港に支社を置いている。
ここでは、次の農業協力事業の概要を記す。
・ ブルキナファソの「中ブ粟穀物種子共同研究センター」協力事業。この事業は労働力の80%近くが農業生産に従事、農業GDPの貢献率35%という人口約1,900万人のブルキナファソの主食である粟の種子改良とその増収をめざして、2020年に開設されたもので、中国からは主な設備や種子改良専門家を派遣、現地指導を行う等の協力を行っている。
・ 中国・ナイジェリア農業技術実証センタープロジェクト。この事業は2018年5月に両国が署名、センターの計画と設計を完了し、2020年ナイジェリアの乾季に完成した。この農業協力プロジェクトは一帯一路政策の下で誕生、事業総面積は31.38ヘクタール、当面の総予算は5,000万元で、中地海外のアブジャ農業ハイテク工業団地に建設、完成後、現地の農業企業集団に引き渡される予定である。主要農産物はコメ、キャッサバで、収量向上のための実証実験とその普及事業を行う予定。事業協力期間は未定である[5]。
③キルギス「アジアの星農業産業合作区」
2016年の商務部及び財務部が所管する「対外農業協力モデル建設区」の一環として誕生した。事業全体は20に及ぶが農林漁業のうちの一つがこの事業で、他は、経済貿易特区等である。実際の誕生は2011年であるが、一帯一路政策後、その促進的な役割を担うようになり、「海外経済貿易合作区」に編入された。実際の運営官庁は農業農村部の直轄事業である。
本事業は耕種、家禽・畜産、農畜産物加工、飼料製造、倉庫、食品保税区等幅広い事業を網羅している。事業面積567,000ヘクタール、建構築物建て面積19ヘクタールという巨大な事業である。この事業はキルギス側のキルギス投資的農業産業区と中国の河南貴友集団が共同で「アジアの星株式会社」を設立して運営されるようになったものである[6]。
(2)経済合理性
リカードの比較生産費説は不十分なところや批判もあるが国際貿易を説明するための基本理論であり、現代では貿易に限らず、海外直接投資の契機を説明する考え方として、概ね共通認識を得ている[7]。中国経済がこの理論的考え方を適用できるようになった時期は1992年の社会主義市場経済の提起を経て、その効果が実際に生まれ出す2000年頃を起点とすると考えてよいであろう。2001年のWTO加盟、2000年のASEANとのFTAの提唱(発効は2010年)はその象徴であったといえる。
この頃、国内経済が国際経済とつながる次元に於いて、概ね、市場経済原理で説明できるようになった時期と考えられる。本稿では省くが、それを証明するのは、産業部門全体による「走出去」気運が生まれ、その後急速に成長した対外農業直接投資のデータと理論的裏付けの登場である[8]。
経済原理からみた中国の対外農業直接投資は、一般に、中国が生産する工業製品生産費や農産物生産費と海外の生産費との間にクロスの較差が生まれ、生産資源や労賃、農産物の輸送条件等の面から、輸入よりも現地生産が有利な場合に行われる。また、中国への輸出以外に現地販売、第三国への輸出等による経済的利益が見込める場合にもその可能性が生まれるとしてよい。
生産資源には現地生産の条件に有利な人、土地、気象、水利、農業技術、生産資材等が含まれ、輸送条件には、生産物を中国に送るコストを考えても海外生産が有利であることが必要である。ロシアや東南アジア、中央アジアは中国に隣接し、土地コストや労賃が中国を下回り、輸送コストも国内遠方から運ぶよりも安い等の条件がある。
こうした条件は、農産物によっては、中国でも徐々に成立するようになってきた。
農産物の輸入が輸出を上回る農産物の輸入赤字化が基調として定着する時期とも重なる[9]。
いまや中国農産物の生産費で測る海外競争力は急速に低下し、国際的な優位性を持つものは露地野菜、鶏卵、一部穀物に留まる傾向にある。中国が対外農業直接投資を強化してきたもう一つの理由である。
2.対外農業直接投資の2つのステージ
まずステージⅠは、中国産業全体が怒涛のように対外直接投資を始めた2000年から2019年頃までの約20年間、この時期、中国産業は国内市場形成を終え、投資先を海外に目を向け始め、そしてその軌道が固まった時期に対応する。またステージⅠには一帯一路政策の推進と広がりを背景に産業全体の年間対外直接投資が1,000億ドルを超え、世界有数のFDI大国に上り詰めた2013年から2019年までの後段が含まれる。それはCOVID-19パンデミック(以下、新型コロナ禍)が時計の針を止めるまでの時期でもある。
そしてステージⅡは新しい時計が回り始めた2020年から始まった新型コロナ禍の時代であり、この先何年続くのか、現時点での見通しは立ってない。
(その2 へつづく)
1. 『中国的対外援助(2011)白書』。
2. 高橋五郎「中国農業のアフリカ進出の現状と要因―農業援助,貿易,直接投資―『ICCS現代中国学ジャーナル』第4巻第2号、2012年3月。
3. ウィリアム・アンド・メアリー大学「政府援助データ」による。
4. 朱穆君等 「几内亚比绍稻谷生产考察及中国援助工作的反思」 『世界农业』2012.10.
5. 中地海外集団のホームページによる。
6. 河南貴友集団ホームページによる。
7. 小島清『海外直接投資論』ダイヤモンド社、1977年。
8. 高橋編『海外進出する中国経済』日本評論社、2008年。
9. 高橋『中国土地私有化論の研究』日本評論社、2020年。