高橋五郎の先端アグリ解剖学
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【20-01】第5回 ゲノム編集食品の開発

2020年04月20日

高橋五郎

高橋五郎: 愛知大学名誉教授(農学博士)

略歴

愛知大学国際中国学研究センターフェロー
中国経済経営学会会長
研究領域 中国農業問題全般

1,市場の要望が強い遺伝子組み換えに代わる食品

 中国のスーパー・マーケットを巡る趣味を持つ筆者がほぼ必ず足を運ぶところは、食品売り場。特に、生鮮三品のフロアーへ着くと、なんとなく心が弾むのだ。

 袋に入ったものもあれば、大きな升に入れておき、量り売りするコメや小麦、大豆、緑豆などの穀物コーナー、新鮮な香りがただよう野菜・果物コーナー、やや生臭さが鼻を突く鮮魚コーナー、生臭いわけではないが動物臭のする肉類コーナー。さらにヨーグルト、バター、チーズ、牛乳が並ぶ酪農品コーナー、3リットルもの大きなペットボトルに入ったやや黄色がかった食油をはじめとする調味料コーナー、最後は、レトルト惣菜、缶詰・瓶詰類がびっしりと棚一線にならぶ色彩豊かなコーナー。

 それぞれのコーナーは、中国の、そして当地の食材の種類や季節生を感じさせる。その豊富さは量だけでなく、種類にもいえる。なんでもありだ。

 好きなだけで食品売り場へ行くわけではない。さまざまな加工食品の原材料、成分、原産地などを観るためでもある。穀物には産地表示がない場合が多いが、大豆のほぼ100%は輸入品、ビニール袋詰めのコメの大部分は国産米(最近は黒竜江産、吉林産が目立つ)、たまにインディカ米があるが、これはタイやミャンマー産。種類によっては、小麦粉には輸入品もあるが、小麦自体は国産。レトルト惣菜、缶詰・瓶詰類は南方産が目立つ。中には、香港、台湾製も多い。野菜は地元産か他の国内産地もの、果物は種類が多く一概にいえないが、2000年以後、急速に増えたのは東南アジア産(マンゴ、マンゴスチン、パパイヤ、パラミツ、ドラゴンフルーツ、ドリアン、ミルクフルーツなど)。ASEANとのFTA締結以後、増え方は急速だ。夏場には、様々な形と大きさのスイカ、マクワウリ、葡萄、桃など国産ものが所狭しと並ぶ。魚介類に産地表示があることがあるのはエビ、鮭。肉類には豚や牛のように輸入ものも少なくないが、産地表示のないことが多い。目立つのは冷凍ものの小エビ、鮭、殻なし貝、シロザカナ、イカなどだ。

 なぜこんなことを書いたかというと、これらの豊富な食品の中には、遺伝子組み換え食品といわれるものがあるからだ。中国市民は遺伝子組み換え食品にきわめて敏感である。その旨の表示義務のある食品には、きちんと表示されている場合がほとんどとみて良い。というのは2000年辺りに食品の残留農薬や細菌汚染などが社会問題化したあと、食品Gメン制度が生まれ、違反事例は中間行政単位で公表され、場合によっては営業停止や営業免許取り消しなど厳しい措置が取られるようになったからという理由もある。

 容器に入った食品を手に取り、小さな文字で書かれた原材料や成分表(日本では、内閣令により15センチ平方メートルの枠内に書けるものを書けば良いが、中国にはこのような細かい規則はない)を観ると、遺伝子組み換え原材料を使っている場合は、日本と同じように表示がある。そうして観たものの中で、最もその旨の表示が目立つ食品は大豆食用油、その他の大豆加工食品である。しかし、そう表示してあるものをわざわざ買う消費者は非常に少ない。

 中国は国内で必要とする大豆の85%は、ほぼアメリカとブラジルからの輸入品で、この両国で生産される大豆のほとんどは遺伝子組み換え大豆なので代替品がない。ちなみにクイズ、なぜ中国の大豆輸入先はアメリカとブラジルなのでしょうか?それはたまたまでも、価格が安いからでもなく、中国が一年中必要な大豆を輸入に依存していることから、産地を北半球と南半球に分けなければならないことに理由がある。北半球の大豆生産大国はアメリカ、一方、南半球の大豆生産大国がブラジルなのである。大豆にも夏と冬があるのだ。

 このように、中国は人気のない遺伝子組み換え食品に代わり、生命科学を使った大量にできる大豆は喉から手が出るほど欲しい。それに応えるためもあって、2005年以降、アメリカではゲノム編集食品の開発と実用化が進んだ。そして中国自身もいまや、アメリカに次ぐゲノム編集食品の研究・開発大国となった

 すべての分野に於けるZFN、TALEN、CRISPR-Cas9という3種類のゲノム編集技術の国別の特許権申請件数は、各国の技術の進歩状況を示す指標の一つである。2013年以降2017年までの中国の申請件数を下に示す。

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 下図はCRISPRゲノム編集技術全体の国別論文数であり、これもアメリカと中国の圧倒的地位を物語る材料の一つである。

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2, ゲノム編集食品

 ゲノム編集食品と遺伝子組み換え食品の違いはどこにあるか、筆者にとっては専門外のことなのでよく分からないが、資料などで調べると次のことのようだ。もし間違っていたら、指摘して正しい違いを教えて欲しい。

 専門家の説明を総合して簡略していうと、遺伝子組み換えとは本来その動物・植物にはない遺伝子を他から持ってきて元の遺伝子に付け加えまったく新しい動物・植物を作り出すこと、ゲノム編集とはゲノム(遺伝子の全体)の一部を切断し、配列を変えまったく別の生物・植物を作り出すことらしい。この辺りは、専門家による解説をネットで多数観ることができるが、専門外向けにやさしく解説した文章や図は少ない。そこで、作ったのが二つの図である。

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 簡略化して要諦を図示すると、図1が遺伝子組み換え、図2がゲノム編集(筆者作成)。

 遺伝子組み換えは既成の植物の遺伝子に、たとえば除草剤耐性を持つ別の種の遺伝子を加えて除草剤をかけても、そばにある草は枯れてもこの遺伝子を持った植物は枯れない植物に変えることだ。アメリカ産やブラジル産大豆のように、遺伝子操作をすることで、ある害虫や土壌菌を殺す農薬とともに大量の除草剤を撒くことで収量を上げるなどの対策はよくある手だ。また、ある動物を通常のスピードよりも早く成長させたい、または太らせたい場合、そのような特性を持つ、たとえば象の遺伝子を通常の豚や牛の遺伝子に加える。すると、手品のように期待通りの肉質を持った豚や牛を飼養することができることが期待される。期待通りいくかどうかは結果次第だ。もっと詳しく知りたい人は次のサイトを参照されたい。https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2019/04/25/108693/

 図2のゲノム編集は、遺伝子組み換えのような他の種の遺伝子は不要で、自己の遺伝子の中で操作がされるので、これとは質的に異なる方法といわれる。遺伝子の切り方と接合の仕方によって、ZFN、TALEN、CRISPR-Cas9、CRISPR-Cpf1などいくつかのパターンに分かれるようだ。この4つは順に新しく、さらにその先の方法も理論面や応用面での研究に鎬が削られているという。

 ここでは、これらの詳しい内容には触れられない。もし、専門的なことを知りたければ次の二つのサイトを参照されたい。

https://www.jst.go.jp/pr/announce/20190813/index.html

https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2014/RR/CRDS-FY2014-RR-06.pdf#search=%27%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0%E7%B7%A8%E9%9B%86%E6%8A%80%E8%A1%93%27

 ただ、中国の専門論文や日本の専門資料をみると、それぞれについて次のように評価しているので、簡単な作表をしたので参照されたい。

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 これらゲノム編集技術の応用先は広く、人類を含む、遺伝子を持つあらゆる動物・植物に応用可能であり、特に、医学・創薬・農業・漁業では世界中の多くの専門家が競争し合っているようだ。農業(穀物・野菜・果物・飼料・家畜家禽・酪農品など)・漁業(魚・貝・海藻)・林業(キノコ)の分野では不安のある遺伝子組み換え食品に代わるものとして期待が高く、すでに、アメリカでは商品化され、日本では一部輸入食品について市販されているという(しかし、どれがこれに該当するのか、消費者が知ることはできない制度設計になっている。噂では大豆油などが挙がっている)。

3,なぜゲノム編集食品が増えるのか

 ゲノム編集食品の開発と実用商品が増えようとしている背景として遺伝子組み換え食品に代わるものへの需要が大きいことは別にして、大きな点は、世界的な食料不足が起こる懸念が消えないこと、むしろそれが高まっていることである。

 国連の推計によると、現在78億人の世界人口は2050年99億5,800万人、2100年108億7,500万人に達する。人口が増えるだけではなく、これまで抑制されてきた肉食や贅沢食品の需要が大幅に増えると見込まれる。現在世界の穀物生産量は26億7,000万トン、単純に人口増加分を足すと、現在より約10億トン多い37億トンが必要になる。もし、肉食需要が増えると、飼料需要が増えるのでさらに上積みが必要になる。

 ところが、土地が不足することは目に見えており、土地生産性を上げるにもほぼ限界に近づき、従来の方法による多収穫品種の開発にも限界がある。世界には土壌破壊ともいえる土壌危機が広がっており、そこから土地生産性向上の限界や予想もしなかった新しい土壌バクテリアやウイルスの登場が起きている。

 さらに気候危機の時代を迎え、世界が地域的に平均化して収穫を得ること自体が難しくなっている。温暖化による気候危機は、それ自体が農業生産や林業にとって破滅的な悪影響をもたらすだけでなく、害虫菌の大量発生、抗生物質の多用などによる多剤耐性菌・非抗生農薬の多用による薬剤耐性害虫菌の発生が起きている。WHOは2015年から抗生物質の農業分野等への使用を減らす世界的な取組みであるアクションプログラムを定め、各国にその具体的な実行案の策定を促しているほどである。

 国連の人口予測では中国の将来人口、たとえば2100年には今より4億人ほど減少するという。そうなれば、現在6億5,000万トンの穀物をはじめ、食料全体の需要も減りそうなものであるが、中国の場合、上記の理由に加え、①所得向上や生活様式の変化などから、より高価で美味なものへの需要が高まる、②世界食料の展望が不安視される中で、中国にも相応の生産の負担が課せられるなどの理由が加わり、結局、ゲノム編集食品への需要が高まることが予想される。

4,中国におけるゲノム編集食品の研究・開発

 筆者のそれなりの調べでは、ゲノム編集技術の分野で世界の先頭を走っているのはアメリカである。前述のゲノム編集技術の進歩と研究、応用に関する国際特許権取得数でMITは世界最高峰を行く。これに続くのが中国、世界のゲノム編集技術研究は、いまやこの二つの超大国が君臨し、ドイツ、イギリス、フランス、日本、韓国、カナダ、オランダ、オーストラリアが大きく遅れをとって並ぶ。大相撲の番付に例えれば、アメリカが東の横綱、中国が西の横綱、大関は不在、あとの8カ国は1~2カ国が関脇、後は小結か前頭筆頭程度のような感じである。

 以下では、中国のゲノム編集食品の研究開発に焦点を当てよう。この分野は、中国が世界の先端を歩む先駆者である。主に上掲表のCRISPR-Cas9を使った開発が中心で、現在、イネ、小麦、たばこ、シロイヌナズナ(実験植物)、コウリャン、トマト、とうもろこし、馬鈴薯、ポプラ、大豆、大麦、コケ類、キャベツ、オレンジ、リンゴ、スハマソウ(草花の一種・・・実験用植物と思われる)、葡萄、レタス、棉花、セイヨウミヤコグサ(マメ科植物・・中国では薬草としても使われる)、タンポポ、アカゴマ(観葉植物、薬草としても使われる)、ペチュニア(花)、柑橘類、スイカ、キノコ類、豚、やぎ、羊、鶏などの改良に威力を発揮している。

 これらの研究の担い手は中国農業大学、中国科学院、上海交通大学、北京大学、西北農林科技大学、華南農業大学、中国農業科学院、安徽省農業科学院などといわれている。

 次回は、中国に於けるゲノム編集食品開発の具体的な内容について紹介していこう。