【20-03】「政府活動報告」の注目点(その1)
2020年6月29日
田中 修(たなか おさむ)氏 :奈良県立大学特任教授
ジェトロ・アジア経済研究所 上席主任調査研究員
略歴
1958年東京に生まれる。1982年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。1996年から2000年まで在中国日本国大使館経済部に1等書記官・参事官として勤務。帰国後、財務省主計局主計官、信 州大学経済学部教授、内閣府参事官、財務総合政策研究所副所長、税務大学校長を歴任。現在、財務総合政策研究所特別研究官(中国研究交流顧問)。2009年10月~東京大学EMP講師。2 018年4月~奈良県立大学特任教授。2018年12月~ジェトロ・アジア経済研究所上席主任調査研究員。学術博士(東京大学)
主な著書
- 「日本人と資本主義の精神」(ちくま新書)
- 「スミス、ケインズからピケティまで 世界を読み解く経済思想の授業」(日本実業出版社)
- 「2011~2015年の中国経済―第12次5ヵ年計画を読む―」(蒼蒼社)
- 「検証 現代中国の経済政策決定-近づく改革開放路線の臨界点-」
(日本経済新聞出版社、2008年アジア・太平洋賞特別賞受賞) - 「中国第10次5ヵ年計画-中国経済をどう読むか?-」(蒼蒼社)
- 『2020年に挑む中国-超大国のゆくえ―』(共著、文眞堂)
- 「中国経済はどう変わったか」(共著、国際書院)
- 「中国ビジネスを理解する」(共著、中央経済社)
- 「中国資本市場の現状と課題」(共著、財経詳報社)
- 「中国は、いま」(共著、岩波新書)
- 「国際金融危機後の中国経済」(共著、勁草書房)
- 「中国経済のマクロ分析」(共著、日本経済新聞出版社)
- 「中国の経済構造改革」(共著、日本経済新聞出版社)
はじめに
5月22~28日、全人代が開催され、李克強総理が政府活動報告(以下「報告」)を行った。会期期間に行われた記者会見等を手掛かりに、報告の注目点を解説する。なお、太字は重要なワード、下線部は筆者のコメントである。
1.2020年発展の総体要求
報告は、「小康社会の全面建設の目標・任務をしっかり押さえ、疫病防御と経済社会発展活動を統一的に推進しなければならない。
疫病防御が常態化した前提の下、①安定の中で前進を求めるという政策の総基調を堅持し、②新発展理念を堅持し、③サプライサイド構造改革を主線とすることを堅持し、④改革・開放を動力として質の高い発展を推進することを堅持しなければならない。
3大堅塁攻略戦を断固しっかり戦い、『6つの安定』(雇用・金融・対外貿易・外資・投資・予想を安定させる)政策を強化し、①庶民の雇用を保障し、②基本民生を保障し、③市場主体を保障し、④食糧・エネルギーの安全を保障し、⑤産業チェーン・サプライチェーンの安定を保障し、⑥末端の運営を保障しなければならない。
内需拡大戦略を断固実施し、経済の発展と社会の安定の大局を擁護し、脱貧困堅塁攻略の決戦・決勝のための目標・任務の達成を確保し、小康社会を全面的に実現しなければならない」とする。
19年報告「5つの堅持」のうち、「質の高い発展」と「改革・開放」が統合され、「4つの堅持」に再編された。さらに19年報告で盛り込まれた「6つの安定」に、新たに「6つの保障」が加わった。
2.2020年の経済社会発展の主要な予期目標
報告は、「情勢を総合的に検討・判断し、我々は疫病前に考慮した予期目標について、適切な調整を行った。今年は、雇用の安定を優先させて民生を保障し、脱貧困堅塁攻略戦に断固打ち勝ち、小康社会全面実現の目標・任務の実現に努力しなければならない」とする。
新型肺炎の流行により、目標の大幅な見直しが行われるとともに、重点が雇用安定・脱貧困に絞り込まれたのである。
(1)経済成長:設定せず(2019年は6%~6.5%、実績は6.1%)
報告は、「説明を要するのは、我々は年間の経済成長率の具体的を提起しなかったということである。主として、世界の疫病と経済・貿易の情勢の不確定性が大きく、わが国の発展は、予想が難しいいくらかの影響要因に直面しているからである」とし、成長目標を提起しないことは、「各方面が精力を集中して『6つの安定』『6つの保障』をしっかり実施するよう誘導することに資する」としている。
成長目標が成長率という定量的目標から、「雇用の安定を優先させ民生を保障、脱貧困、小康社会全面実現の目標・任務の実現」の定性的目標に変更された。
(2)雇用
①都市新規就業者増:900万人以上(2019年は1100万人以上、実績は1352万人)
②都市調査失業率:6%前後(2019年は5.5%前後、実績は12月末全国都市調査失業率5.2%)
③都市登録失業率:5.5%前後(2019年は4.5%以内、実績は12月末3.62%)
なお、国家発展・改革委員会の「国民経済・社会発展計画報告」(以下「経済報告」)は、雇用目標を変更したことにつき、「都市新規就業者増に関しては、疫病の衝撃と経済の下振れ圧力増大の影響を受けて、都市の新規就業者増へのプレッシャーは顕著に上昇しているが、新たに成長している労働力を都市で雇用する必要性を考慮すると、相当規模の就業者増を維持することが必要である。
失業率に関しては、疫病の雇用への影響はなお一時期持続するが、我々には、大規模な失業リスクを防止・解消し、雇用をしっかり安定させる自信と能力がある」と説明している。
「新たに成長している労働力」とは、主として今年の大学卒業生874万人を意識しているものと思われる。
(3)消費者物価上昇率:3.5%前後(2019年は3%前後、実績は2.9%)
なお、「経済報告」は、インフレ目標を変更したことにつき、「2019年のCPI上昇の後年度への影響がかなり大きく、疫病の影響を受けて、2020年はいくらか新たなインフレ要因があり、物価の総体としての上昇圧力は依然としてかなり大きい。同時に、3.5%前後の予期目標は、市場の予想安定の必要性を併せ考慮したものである」と説明している。
3.マクロ政策の方針
「6つの安定」と「6つの保障」の関係について報告は、「『6つの保障』は今年の『6つの安定』活動の注力点である。『6つの保障』の最低ラインをしっかり守れば、経済の基盤をしっかり安定させることができる。保障によって安定を促し、安定の中で前進を求めれば、小康社会の全面実現のために基礎を打ち固めることができる」と強調する。
「6つの安定」と「6つの保障」の関係については、「6つの安定」を維持するための重点策が「6つの保障」であることが、明らかにされた。また、国家発展・改革委員会の何立峰主任は5月22日の記者会見において、「『6つの保障』と『6つの安定』は相互補完的であるが、『6つの保障』内部も相互補完的であり、前の3つの保障(庶民の雇用・基本民生・市場主体の保障)は、人民中心の発展思想を直接貫徹実施するものであり、後の3つの保障(食糧・エネルギーの安定、産業チェーン・サプライチェーンの安定、末端の運営の保障)の重点は、前の3つの保障をよりしっかりできるよう、マクロ・社会レベルの面から保障するものである」と説明している。
そして、「雇用・民生をしっかり保障し、脱貧困目標を実現し、さらにリスクを防止・解消するためには、いずれも経済成長の支えが必要であり、経済運営の安定は全局に関わる。改革開放という方法を用いて、雇用を安定させ、民生を保障し、消費を促し、市場を牽引し、成長を安定させて、衝撃に有効に対応し、良性の循環を実現する新たな道を歩みださなければならない」としている。
李克強総理は5月28日の記者会見(以下「会見」)で、「経済成長が重要でないということではない。発展は中国の一切の問題を解決するカギ・基礎である。『6つの保障』の任務、とりわけ前の3つの保障、庶民の雇用を保障し、基本民生を保障し、市場主体を保障』を実現すれば、中国経済のプラス成長を実現できる」と述べている。
(1)積極的財政政策:更に積極的に成果を出さなければならない
19年報告の「力を強め効果を高めなければならない」、12月の中央経済工作会議の「質・効率の向上に力を入れなければならない」よりも、表現が強まった。
2020年度の財政赤字の対GDP比率は3.6%以上とされ、19年度の2.8%より0.8ポイント以上高められた。財政赤字規模は19年度より1兆元増え(2019年度予算は2.76兆元)、同時に、1兆元の疫病対策特別国債を発行する。
これまで、財政部はEUの財政健全基準にならい、財政赤字の対GDP比を3%以内に抑えてきたので、「3.6%以上」は、大幅な譲歩となる。「以上」がついているのは、GDP成長率が定かでないため、成長率が予想以上に鈍化した場合、赤字比率がさらに上昇することを見越してのことであろう。特別国債の用途は、新型肺炎対策に限定されることになった。
報告は、「これは、特殊な時期の特殊な措置である。この2兆元は、全部地方に移転交付され、特殊な移転支出メカニズムを確立し、資金は直接市・県の末端に直接交付し、直接企業に恩恵を及ぼし、国民を利する。資金は主として、雇用の保障、基本民生の保障、市場主体の保障に用い、これには減税・費用引下げ、賃料・利息引下げ、消費・投資拡大等への支援が含まれる」とし、資金の留保・流用を禁じた。
これまで中央から地方への財政移転支出は、省政府に交付され、より下のレベルの地方政府には省政府が配分していたため、末端政府には十分に資金が行き渡らなかった。それを今回は特例として、直接末端に交付することとしたのである。李克強総理は、会見で「新しく増やした財政赤字と疫病対策特別国債の資金は全部地方に回し、省にとっても『通りすがりの福の神でしかない』」としている。
なお、財政部は6月12日の記者会見で、「我々は、今年特殊移転支出を設けたが、これは主として、今年の疫病が経済・財政にもたらした影響に対応して、単独に設けたものである。これには、減税・費用引下げ、賃料減・利下げ、消費・投資の拡大等の方面が含まれ、重点は当面の末端が直面している疫病防御・基本民生保障等の困難を解決することに用いる」と説明している。
他方で、「財政支出構造の最適化に力を入れ、基本民生支出は増やすのみで減らしてはならず、重点分野への支出を確実に保障しなければならない。一般性支出を断固圧縮しなければならず、大きな庁舎・公会堂・招待施設等の新建設を厳禁し、大風呂敷の浪費を厳禁する。各レベルの政府は真に倹約せねばならず、中央政府は率先して中央レベルの支出をマイナスで計上し、うち不急・不要な裁量的支出を50%以上圧縮する。各種剰余金・遊休資金は、回収できるものは全て回収し、他に再計上する。質・効率を高めることに力を入れ、各支出をきめ細かく予算計上し、全ての資金を確実に必要で肝心な部分に充て、必ず市場主体と人民大衆に真の実感を与えなければならない」
中央財政の裁量的な一般歳出を50%削減し、いわゆる「箱物」の建設を厳禁した。地方政府に資金を与え、投資拡大を要請すると、地方政府はしばしば豪華な箱物の建設に資金をつぎ込んでしまうからである。
他方で、地方政府は「基本民生・給与・運転」資金が不足しており、6月8日の全国財政庁(局)座談会は、「中央から地方への移転支出は8兆3915億元に達し、前年度より9500億元、12.8%増え、増額・伸び率はいずれも近年最高となっており、かつ中西部と困窮地域に向けて重点傾斜する」としている。
(2)穏健な金融政策:更に柔軟・適度にしなければならない
19年報告の「緩和と引締めを適度にしなければならない」が変更された。そもそも12月の中央経済工作会議で、既に「柔軟・適度にしなければならない」となっていたが、それをより強めた形となっている。
具体的には、「預金準備率引下げ・利下げ、再貸出等の手段を総合的に運用して、M2と社会資金調達規模の伸びが、顕著に昨年より高くなるよう誘導する。人民元レートの合理的な均衡水準での基本的安定を維持する。実体経済に直接達するよう金融政策手段を刷新し、企業の円滑な貸出獲得を推進し、金利の持続的な低下を推進する」としている。
「経済報告」は、これに加え、①流動性の合理的充足を維持し、貸出金利の一層の低下を誘導し、企業の総合的な資金調達コストの顕著な低下を牽引、②中小・零細企業向け貸出の元本償還・利払い延期政策を延長し、小型・零細企業向けインクルーシブファイナンス(包摂融資)について延長できるものは全て延長するよう努力し、困難がかなり大きい一部大中型企業について返済延期を交渉、③金融機関が中小・零細企業に無担保貸出を強化し、小型・零細企業にインクルーシブな無担保貸出を行うよう奨励、④外貨準備の合理的・適度な規模を維持、⑤金融安定・リスク処理をしっかり行い、システミックリスクを発生させない最低ラインをしっかり守る、を列挙している。
19年報告は「M2と社会資金調達規模の伸びは、GDPの名目成長率と釣り合うようにし」としていたが、名目成長が今年は低水準と見込まれるため、「昨年より顕著に高める」と表現を改めたのであろう。
(3)雇用優先政策:全面的に強化しなければならない
19年報告の「全面的に力を発揮しなければならない」よりも表現が強まった。
「財政・金融・投資等の政策は、力を集中し、雇用安定を支援しなければならない。現有の雇用の安定に努力し、新たな雇用を積極的に増やし、失業者の再就職を促進する。各地方は、雇用への不合理な規制を整理・取り消し、雇用を促す措置で打ち出せるものは全て打ち出し、ポスト新設方法で用いることができるものは全て用いなければならない」とする。
今年は、雇用の保障がマクロ政策のメインであることが分かる。
「経済報告」は、これに加え、①企業の支援による雇用安定を強化し、地域・企業・人ごとに分類して支援し、大規模な失業リスクの防止・解消に注力、②庶民の雇用保障に対する大衆による起業・万人によるイノベーションの支えの役割を更に好く発揮し、関連支援政策を模索して、大学卒業生のイノベーション・起業を奨励、③大学卒業生・出稼ぎ農民等の重点層への支援を強化し、一部の職業資格について「先にポストに就けて、あとから検証する」段階的措置を実施、④就業困難者とりわけ貧困労働力の就職援助を強化し、就業者ゼロ家庭の動態的解消を確保、を列挙している。
(4)3大堅塁攻略戦
報告は、「脱貧困は、小康社会の全面実現のために、達成しなければならないハードな任務であり、現行の脱貧困基準を堅持し、貧困支援への投入を増やし、貧困支援措置の実施を強化し、残った貧困人口の全部脱貧困を確保し、貧困に戻った人口の健全なモニタリング・支援メカニズムを整備してしっかり執行し、脱貧困の成果を強固にしなければならない。
「貧困支援への投入増」は、全人代で追加された。
『青空・澄んだ水・きれいな土』防衛線をしっかり戦い、汚染対策堅塁攻略戦の段階的目標を実現しなければならない。
重大リスクの防止・コントロールを強化し、システミックリスクを発生させない最低ラインを断固しっかり守る」とする。
19年報告では、3大堅塁攻略戦の順番は、リスク防止、脱貧困、汚染対策であったが、今年は脱貧困が筆頭になった。これは、今年が脱貧困堅塁攻略の最終年であり、GDP倍増という「量」の目標達成が不確定となるなかで、脱貧困を成し遂げることで、小康社会の全面実現を「質」の面で達成したと強調したいのであろう。そのためにも、新型肺炎の影響で過去の貧困脱却者が再び貧困に陥ったり、新たに貧困に陥る者が増えては困るのである。
(5)マクロ政策の留意点
報告は、「今年は、既に5ヵ月近く過ぎ、今後は常態化した疫病防御をいささかも手を緩めることなく、経済社会発展のための各政策に早急にしっかり取り組まなければならない。打ち出した政策の程度を維持するのみならず、持続可能性を考慮し、情勢の変化に応じて見直してよい。我々には、年間の目標・任務を達成する決意と能力がある」とする。
これは、リーマンショック時の大型景気対策の反省でもあろう。大型景気対策は手仕舞いのタイミングが難しく、インフレ・過剰生産能力等の副作用を生みやすい。また、財政面で大幅な財政赤字の拡大を決めた以上、後年度負担をよく意識し、財政の維持可能性も配慮しなければならないのである。なお、これまで習近平総書記が強調してきた、「サプライサイド構造改革」の記述は、今年は削除された。その一部は「6つの保障」に盛り込まれており、景気後退の中でわざわざ特記する必要はないということであろう。
なお、李克強総理は、会見において、「過去に自分は『バラマキは行わない』と言ったが、現在も変わりはない。しかし、特殊な時期には特殊な政策が必要である」としながらも、資金が多すぎればバブルを形成し、投機を行ったり、どさくさに紛れて儲けようとする人間が出てくると警告している。
ここまでが、「政府活動報告」の総論部分であり、以下、政策各論となる。
なお、今回は報告全体が簡略であったため、全人代で多くの項目が追加された。主な追加については、注記することとする。
(その2へつづく)