富坂聰が斬る!
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【19-04】香港デモと70周年

2019年10月2日

富坂聰

富坂聰(とみさか さとし):拓殖大学海外事情研究所 教授

略歴

1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。
2014年より現職。

著書

  • 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
  • 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
  • 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数

 中国の建国70周年(新中国成立70周年)に向けて、香港のデモが盛り上がっていますが、今後、香港はどうなっていくのでしょうか?

 9月の中旬を過ぎると、こんな質問を受ける機会がにわかに増えた。

 日本人の関心のある中国関連のニュースが香港に集中―とくに7月から過激化して以降―し、また一方でそのターゲットが中国の重要イベントであれば、中国が何かしらの過激な行動に出るのではないか、という予測が働いてのことだろう。

 中国に限らず、日本の海外ニュースの扱いは、たいてい直近で起きたいくつかの目立つ問題を上手にアレンジして、結論を導く手法を取り、読者もそれになれてしまった結果ともいえるのだろう。

 だが、こういう質問に短い言葉―どうしてもそんな長々としゃべる機会などないのが現実―で答えればいろんな誤解を生むのを避けられない。実に、ストレスのたまる作業となる。

 問題の大本は、メディアが知らず知らずに陥っている定型の表現や考え方だ。

 例えば、2018年秋には、安倍総理が中国に訪問し、日中関係が改善に向かった直後には、日本国内に「米中対立で、中国が日本にすり寄ってきた」といった論調が国内に蔓延った。

 直後の新聞の社説からも、その論調が読み取れる。

〈日中首脳会談 新たな関係の一歩に〉(『朝日新聞』 社説)のなかには、「そもそも日中接近をもたらした主因は、米中対立だ。」という一文があり、同じく『毎日新聞』の社説、〈節目の日中首脳会談 7年ぶり成果を弾みに〉にも、「中国が対日姿勢を大幅にやわらげた背景に、米中間の緊張の高まりがある。」との記述がみられる。

 分かりやすい解説だが、中国を詳細にウォッチしている者からすれば、違和感を拭えない。

 そもそも2015年には明らかに双方が歩み寄りのメッセージを発していて、2017年の日本での国慶節のイベントに安倍総理が参加したことで大きな流れは決まっていた。つまり、米中の対立が本格化する以前からのことである。

 第一、日中が接近したところで米中関係にはほとんど影響はないし、同じように米中関係が南シナ海問題をめぐって激化したときにも、中国は日本に近づいてきてはいないのである。

 さて、本題に戻そう。

 香港のデモと国慶節だが、この2つは日本人が考えているように、決して同列で並べて話ができるようなものではない。

 たとえ香港でデモが荒れ狂い、市内の交通がすべてストップし、街が死んだようになっていたとしても、北京はどこ吹く風で国慶節のイベントを大々的に祝い、中国の70年の発展の成果を世界に向けて誇ってみせたことだろう。

 日本でニュースを見ていると、香港の問題は依然としてメディアの大きな関心事だが、中国のメディアは国慶節が近づくにつれ、お祝いムード一色にそめられていったので、香港の問題は中国の人々にとって一時的に視界から消えてしまうのである。

 9月の上旬に私が北京を訪れていたときにも、すでにその兆候は顕著であった。

 決して国民からこの問題をシャットアウトしているわけでもない。膨大な量の報道があった。もちろんニュースの切り口は「香港の暴徒がいかに無秩序に暴れているのか」っていうものだが、それでも連日大々的に扱っていた。

 香港のデモは確かに中国政府にとっても重要な関心事だが、身構えるのはいくつかの敏感なテーマに触れたときに限られる。

 その敏感なテーマの一つが本格的に香港が中国から「離れてゆく」ような動き―そういう主張を香港市民の多くが支持するようになるのが前提―であり、そこに台湾や外国の勢力が絡んでくれば最悪である。その場合、中国は躊躇なく自国の軍隊を投入するはずだ。

 ただ、その場合もかつての天安門事件のように、市民に向けて銃弾を発射するような方法ではなく、あくまでも通常の範囲で問題を処理する自信があると主張している。

 そして、投入のタイミングは決して国慶節とは関係ない―もちろん静かに国慶節イベントができれば越したことはないのだが―し、ましてや習近平のメンツが潰されるからといった動機ではない。10月1日には警官が高校生に発砲したと報じられたが、これはあくまで香港の警察が治安という範囲でとった行動である。中国が本格的に介入する前の段階である。

 香港は、共産党との戦いに敗れた元国民党の残党や各時代の政治の逆風を受けて大陸から逃げてきた人々によって形成された土地である。それが中国に返還されたからといって、すべてをガラス張りにできたわけではない。特殊な土地だ。支配を強めたときの反発とコストを、支配の確立というメリットと比べたときに割に合わないから放置されてきたのだ。

 加えて、ヤミ送金など、双方にとって便利な機能も片目をつぶって残してきた。

 これらを少し整理しようとしたことでハレーションが起きたこともあった。

 しかし、背景にある大きな問題は、香港人が生活の大切な部分を大陸からの中国人に奪われたと感じていることだ。「逃亡犯条例」など、最初から重要ではなかったのだ。だからこそ時間のかかる問題だと中国は知っていて、過激派の分断と孤立、そして穏健派に対する経済的な支援による懐柔という方法でことをまとめようとしているのだ。

 本来、かなり複雑な方程式なのだが、日本の報道で伝わるってくるのは、相変わらず「民主化を求める学生」VS.「香港政府+中国共産党という抵抗勢力」という構図が主流である。これでは何も見えないも同じだ。