露口洋介の金融から見る中国経済
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【20-01】デジタル人民元とリブラ

2020年1月28日

露口洋介

露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授

略歴

1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。

 中国で、中央銀行デジタル通貨の発行が現実味を帯びてきた。本稿では、これとフェイスブックのリブラとの関係を考えてみたい。

中央銀行デジタル通貨

 中国人民銀行の易綱総裁は、昨年(2019年)9月に行われた記者会見の席上、中央銀行デジタル通貨の発行計画について言及し、中国における中央銀行デジタル通貨の発行の可能性が急速に高まってきた。中銀デジタル通貨はそれぞれの国の中央銀行が現在発行している現金に換えてデジタル化された通貨を発行するものである。易綱総裁の発言の要点は以下の4点である。

① 人民銀行は2014年からデジタル通貨について研究してきた。

② デジタル通貨は現金を代替するものであり、銀行預金を代替するものではない。

③ デジタル通貨の供給は中央銀行と商業銀行の二層運行システムによって行う。

④ 現在、発行のスケジュールは決まっていない。さらに研究や試行を重ねる必要がある。

 本年(2020年)1月2日~3日に開催された中国人民銀行工作会議でも、2020年の業務方針として、中央銀行デジタル通貨の研究開発を継続して推し進めることが挙げられている。以下中国の中央銀行デジタル通貨をデジタル人民元と呼ぶ。

 報道によると、中国の一部の都市でデジタル人民元の実証実験が近々、開始される模様であり、正式運用も近い将来に行われる可能性が高まってきている。

デジタル人民元はリブラに対抗するものか

 デジタル人民元の発行が現実味を帯びてきたことの背景として、「リブラ」の存在が挙げられる。「リブラ」はフェイスブックが2019年6月に2020年前半に発行すると発表したデジタル通貨である。リブラの運営団体であるリブラ協会が公表したホワイトペーパーによると、ブロックチェーン技術を利用して支払い決済に利用することができる。リブラは、法定通貨を発行の裏付け資産として保有し、その価値もこれらの裏付けとなる通貨のバスケットに連動する形で、安定した変動となるようにする。その通貨構成は米ドル50%、ユーロ18%、日本円14%、英ポンド11%、シンガポールドル7%と公表されている。この通貨構成で興味深いのはシンガポールドルが含まれていることである。シンガポールドルの為替レートは主要通貨のバスケットに連動して変動している。リブラはバスケットの中にバスケット通貨を含むという不思議な構成になっている。シンガポールドルのバスケットの構成通貨とウエイトは公表されていないが、米ドルが大きな部分を占めるのは間違いないため、リブラの米ドルのウエイトは実質的に50%を超えることになる。

フェイスブックは全世界に27億人の利用者がいて、リブラは一国内だけでなく国をまたいだ支払い決済用の手段として広く利用される可能性がある。

 中国人民銀行の王信研究局長は2019年7月のデジタル人民元についての講演で、リブラに対して以下のように述べている。

 「リブラは法定通貨を裏付け資産とするとしているが将来的にそれに替えて貸出債権を保有するようになれば信用創造機能を持つ可能性がある。その場合、各国の金融政策に大きな影響を与える。また、リブラは支払い決済の領域だけでなく、クロスボーダー送金の領域で利用が大きく拡大する可能性がある」。

「多くの人たちがリブラの背後で、米ドルが大きな役割を果たすのではないかと疑っている。価値が通貨バスケットに連動するということは実質的には米ドルに連動するということである。国際通貨システムは従来の法定通貨と米ドルをコアとするデジタル通貨が併存することになるが、これは要するに米ドル、すなわちアメリカが牛耳るということになる可能性が高い」。

 「リブラへの対応として各国が中央銀行デジタル通貨を発行することが挙げられる。」

 これらの発言からは、リブラが中国から海外への資金移動に使われたり、一帯一路沿線国家で人民元ではなくリブラが普及してしまうことを脅威ととらえ、それに対抗するためにデジタル人民元の実現を急いでいることがうかがえる。人民銀行が少なくとも主観的にはリブラへの対抗手段としてデジタル人民元を位置付けていることは間違いない。

リブラが金融政策に及ぼす影響

 王信局長の発言の中で、リブラが各国の金融政策に大きな影響を与える可能性が述べられている。リブラの購入者はドルや円などだけでなく任意の通貨を交換レートに応じて支払ってリブラを入手する。リブラ協会は受け取った通貨を為替市場で売買し、5種類の構成通貨の預金や国債を定められたウエイトに従ってリザーブとして保有することになる。リブラ購入者が保有するリブラには金利は付されない。この段階にとどまるのであれば世界に存在する構成通貨の量が変化するわけではなく、各国の金融政策に大きな影響はないであろう。しかしもし、リブラ協会がリブラ建ての貸出を開始し、借入人の口座にリブラを振り込むということが起きると、信用創造が発生し、リブラ建て金利が設定される。この段階に至ると、リブラは各国の金融政策に大きな影響を与える可能性がある。王信局長が「貸出債権による信用創造機能」と述べているのはこのような状況を想定しているものと考えられる。

 もう一つの経路として考えられるのは、リブラの交換レートの設定方式による経済への影響である。現状では、リブラの各国通貨との交換レートは5つのリザーブ構成通貨のバスケットにフラットに連動することが想定されているようである。しかし、同じくバスケットに連動して為替レートを決定しているシンガポールドルでは、通貨当局はバスケット通貨に対してシンガポールドルの為替レートを年率何%で引き上げるという形で変動させており、金融引締め時にはこの引き上げ幅を高め、金融緩和時には低くするという運営を行っている。シンガポールでは為替レートを管理する一方、資本取引が自由であるため、金利による金融政策は行われていない。それに替えて、このような為替レートの上げ下げによって金融政策を行っている。リブラについてもその交換レートの設定方式をシンガポールドルと同様の方式にするならば、例えば、リブラ建て取引が大部分を占めるようになった国ではリブラの交換レートの変動が経済活動に影響を与える可能性がある。

世界のデジタル通貨は相互に絡みながら発展する

 G7をはじめとする各国政府や金融当局は、マネーロンダリングやテロリスト資金に対する規制の対象にリブラを組み込む方針であり、さらにプライバシーの保護や金融政策への影響などの検討も必要としている。フェイスブック側も各国の規制をクリアしてからサービスを開始するとしており、各国政府と規制監督上の合意が整うまでリブラの開始は行われない可能性が高まっている。その結果2020年前半開始という当初の計画は遅れるものとみられている。デジタル人民元は、リブラの動向を見極めながら実施の時期を探るものと思われる。

 一方、日銀は1月21日に、カナダ銀行、イングランド銀行、日本銀行、欧州中央銀行、スウェーデン・リクスバンク、スイス国民銀行、国際決済銀行(BIS)が、中央銀行デジタル通貨について知見を共有するグループを設立したことを発表した。

 今後、これらの動きがどのように進展するかを予測するのは難しい。デジタル人民元、日本を含めたそれ以外の各国の中央銀行デジタル通貨構想、民間のリブラ構想など、それぞれの動きが複雑に絡み合いながら展開していくことが予想される。

(了)