中国における高等教育の発展(1978~2008)
2009年12月24日
谷賢林(Gu Xianlin):
北京師範大学国際及び比較教育研究院 副院長
1965年9月生まれ、教育学博士。1996~2006年北京科技大学高等教育研究所で教育及び研究活動に従事。中国全国教育科学計画課題、教育部人文社会科学計画課題など多くのテーマを主宰、《中国高等教育研究》、《比較教育研究》、《清華大学教育研究》などの刊行物に60編以上の論文を発表、単独著、共著、訳著9部を出版、主な研究分野:中国の高等教育管理及び政策分析、アメリカの高等教育、非政府組織と教育などの研究。
要旨
過去30年、中国の高等教育は急速に発展してきた。大学数が世界第一位になり、エリート教育ではなく教育の大衆化の段階に達しており、211プロジェクト及び985プロジェクトの実施により、学術水準においては先進諸国との格差は徐々に縮小し、中国の市場経済体制に適した高等教育管理制度がすでに構築された。調整の結果、高等教育の構造は整備され、中国の高等教育を政治主導する時代は終わり、市場要素と学術権力がその運営に大きな影響力を持つようになった。
1978~2008年は中国が改革開放政策を推進した30年であり、文化大革命の20年間及び建国初期の10年間に比べ、中国の高等教育の成長が顕著である。中国の高等教育の進歩と発展は中国政府が推進した関連政策の結果であり、国際競争の中で、継続的に改革開放を進め、自主的に世界の知識体系を導入した結果である。
1.中国の高等教育はすでにエリート教育から大衆化の段階に達した
中国の高等教育の大衆化は復活再建からはじめた。1977年末に長年中断されてきた大学入試制度を復活させた。当時全国の一般大学に在籍する学生数は計62.53万人であり、グロス入学率は1%に過ぎなかった。2007年、大学の在籍者がすでに2700万人を超え、グロス入学率は23%に達した。30年間、特にここ10年間の努力により、中国の高等教育はすでにエリート段階から大衆化に達している。高等教育大衆化の実現は中国にとって重要な意味を持っている。主に次の点に示されている。 (1)大学数は世界第一位であり、教育の強国とは言えないが、名実共に高等教育大国となっている。(2)中国が人口大国から人材資源大国に変化し、経済の持続的な発展を促進するため、知識力及び人材を提供している。(3)大衆化は高等教育の分布の変化をもたらした。アメリカの学者マーチン・トロウの観点に基づくと、高等教育の大衆化とは数量の増加、規模の拡大のみではなく、教育を受ける観念の変化でもある。高等教育を受けることはすでに少人数の特権ではなく、一定の資格を有する人々の権利である。この状況において、より多くの人が高等教育を受けるには、大学の配置を調整する必要があった。エリート段階において、中国の大学は主に東部の省に分布し、比較的大きな都市に集中しており、大学は明らかな"単一中心集中型"の特徴であった。高等教育大衆化の推進により、多くの中、小都市に大学が設立された。従来の大学が集中していた大都市、例えば北京、上海、西安、武漢などでも地域整合を行い、地理上で大学の配置を調整し、"多中心集中型"構造に向けて変化してきた。(4)大衆化は高等教育投資体制の変化ももたらしている。長期にわたって、経費不足が高等教育の成長を制約する鍵となっていた。改革開放以降、人々の高等教育を受けたいとの要求が日増しに増大している。高等教育の大衆化を実現するため、政府は多くの法規を相次いで策定され、企業・事業組織、社会団体及び公民などが法に基づき大学を設立することを奨励し、多角的に高等教育の経費を調達することを推奨してきた。その結果高等教育の発展を加速させた。2006年現在、中国の高等教育の総経費のうち、学費、校営産業、社会の募金など非財政的経費がすでに57.4%に達しており、政府の財政支援は42.6%を占めているだけである。高等教育大衆化の推進がなければ、中国はおそらく短期間内に多元化された高等教育の投資体制を形成することができない。逆に、多様化された資金調達体制を採用しなければ、高等教育の大衆化を実現することもできない。その他、高等教育の大衆化は中国の高等教育の管理制度、組織形式、教育内容、教育方式、学術基準、運営主体、評価制度など多くの変化ももたらしている。
2."重点中の重点"の戦略の実施により先進諸国との格差が縮まっている
健全な高等教育システムは次の2つの条件を満たさなければならない。1つは、多くの人に高等教育をうける機会を提供すること。2つは、その頂点に国の科学研究の実力及び学術水準が反映され、総合的な実力及び競争力を向上させることができる大学があること。その特徴はエリート化と普及を共に重視し、共存することである。30年間、大学数の増加により、人々の高等教育を受ける要求を満たした。一方、中国が急速に現代化の国となった。"重点中の重点"の発展戦略を施策することにより、重点大学の建設を大いに推進された。また、日本の"COE計画"や韓国の"BK21プロジェクト"を手本にした"211プロジェクト"及び"985プロジェクト"を実施してきた。
"211プロジェクト"は20世紀90年代の初頭から開始され、その基軸は中央政府、国務院が公布した「中国の教育改革及び発展綱要」及び「<中国の教育改革及び発展綱要>に関する実施意見」である。全体目標は、中国の100校前後重点大学と重点学科をつくることである。それらの大学は人材養成、研究成果を上げるとともに、地域及び社会発展に適応でなければならず、運営水準においても国内の先進水準に位置するとともに、基幹及びモデルとしての役割も果たさなければならない。211プロジェクトの内容には、主に、重点学科の構築、大学の公共サービス体系の構築及び大学全体経営企画の構築の3つの部分が含まれる。そのうち、重点学科の構築は211プロジェクトの骨子である。"第9期5か年計画"期間(1996~2000年)に投入された資金は計186.3億元であり、99か所の大学に602の重点学科及び2か所の全国高等教育公共サービス体系プロジェクトが抜擢された。"第10期5か年計画"期間(2000~2005年)に投入された資金は187.5億元であり、107の大学で構築が図られた。主に821の重点学科及び3か所の全国高等教育公共サービス体系構築プロジェクトが完成され、併せて教員グループ構成の強化が図られた。"985プロジェクト"は1998年に策定された。それは世界一流の大学及び一連の国際的に著名なハイレベルな研究型大学を構築するために実施するプロジェクトであり、現在、45の大学が選出されている。選出された大学の設立時期から見ると、建国前に設立された大学が26校で、総数の58%を占め、中国共産党により建国前に設立された大学が2校で、総数の4%を占め、建国初期に開設された大学が13校で、総数の29%を占め、改革開放以降の統合大学が4校で、総数の9%を占めている(付表1参照)。985プロジェクトの主な役割には、構造の革新、人員育成、プラットホーム及び研究基地の構築、研究サポート及び国際交流と提携の5つの部分が含まれている。第1、第2期の構築作業に、政府の専用資金が計333億元投入されている。"211プロジェクト"に比べ、985プロジェクトの大学に対する選出基準はより厳しくなっている。"211"プロジェクトの大学のうち、"985プロジェクト"に該当しない大学は計64校である。64校のうち、建国前に開設された大学が23校で、総数の36%を占め、建国前に中国共産党により設立された大学が8校で、総数の12%を占め、建国初期に開設された大学が25校で、総数の38%を占め、改革開放以降の統合大学が9校で、総数の14%を占めている(付表2参照)。
"211プロジェクト"及び"985プロジェクト"の実施により、中国における高等教育の発展と質の向上が大いに図られ、中国と先進諸国との高等教育水準の差は大幅に縮小された。SCI論文発表数統計によれば、中国ではすでに40以上の学科が国際的な先進水準に近付いている。また、学科水準の向上に伴い、多くの先進諸国の大学及び研究機関が中国のハイレベルな大学と提携している。現在、すでにイギリス、フランス、ドイツなど27の国及び地区が中国と学歴及び学位を相互に承認する政府間合意を締結している。これは中国の一流大学の建設及びハイレベルな研究型大学の構築に非常に重要である。
3.中国の特色を有する高等教育管理体制が構築されている
1978~2008年は中国の高等教育の管理体制が継続的に改革されてきた。その過程は3つの段階を経てきた。第1段階は1978~1985年であり、その特徴は高等教育管理制度の回復である。第2段階は1985~1993年であり、その特徴は等級管理制度の確立および大学の自主運営の拡大であった。第3段階は1993年~現在であり、その特徴は市場経済に適する高等教育管理制度の確立の模索である。
1966~1976年の間、大学の政治的な役割を過度に強調したため、中国の高等教育は政治運動の一環となり、教育研究活動は停滞されていた。1976年以降は、この誤った政策を廃止し、同時に一連の高等教育管理制度、例えば教員の職階制度、学生の学位制度などが回復され、大学の活気が戻ってきた。しかし、長期にわたって極左の影響及び体制の束縛を受けてきたため、高等教育が政治に従属されていた。高等教育の構造は社会の発展及び制度の改革に適していなかった。たとえば、"教育事業の管理権限において、政府が学校に対して、特に大学に対しての過剰な規制により、学校の自主性が失われた。一方、政府が果たすべき役割は果たさなかった"。そのため、1985年、中央政府は「教育体制の改革に関する決定」を公布した。その後、政府は学校の管理体制の改革、政治の簡略化・権限委譲、学校の運営自主権の拡大、学長責任制を実行した。大学は、専攻の調整、教育計画及び教育大綱の制定、教材の編集及び選定に権限を有し、副学長を指名・任免、その他の各級幹部を任免する権限を有することになった。同時に、各級政府の学校運営の積極性を引き出すため、中央、省(自治区、直轄市)、中心都市の3級運営体制を実行した。この文書により中国の高等教育管理体制の"統一指導、級別管理"が確立された。
1992年、中国共産党第14回全国代表大会において、中国の経済体制改革の目標は、社会主義市場経済体制の確立であると確定された。その後、経済体制、政治体制及び科学技術体制の改革の深化に伴い、中国特有の計画経済体制に適応した高等教育管理体制は改めて一連の弊害を露呈した。それは主に次の点に表れている。(1)多数の政府部門が大学を開設並びに管理しているため、大学の隷属関係が複雑となり、管理上の"ブロック分割"現象が現われた。(2)中央及び地方の教育行政部門の間、各級教育主管部門と大学との間で職権・職責が不明確となていった。(3)1985年に大学に与えた自主運営権が十分に実施されなかった。1993年、中央、国務院は"中国における教育改革及び発展綱要"を公布した。"高等教育では中央、省(自治区、直轄市)の2段階管理運営を主とし、社会各界が運営に関与する新しい局面を打開し"、"ブロック分割"から"ブロックの機能的な結合"に転向する、と指示した。この指示に基づき、まず、異なる政府機関に隷属する大学を併合して、大学の"ブロック分割"問題を解決した。次に、高等教育管理の職能及び権限を改めて区分並びに調整し、省レベル政府の高等教育における管理及び統一計画における権限を拡大し、更に、立法及び評価作業により、中央政府のマクロ管理手段を強化並びに改善し、大学の自主運営権をある程度拡大した。
30年来の中国の高等教育管理体制の改革からは次の結論に結びつく。(1)経済成長及び社会発展に適応することが常に中国の高等教育管理体制改革の目標である。(2)大学の運営自主権を拡大することが常に改革の骨子である。(3)長年にわたる努力及び探求の結果、中国は市場経済に適応した高等教育管理体制が構築されてきた。
4.大学内部の組織構造は更に完備される傾向にある
1949年以降、中国の高等教育は全面的に"ロシアを師とする"発展の道を歩み、建国前にアメリカの高等教育モデルに倣って構築された校-院-系の3段組織構造を校-系の2段階構造に変化した。この構造は計画経済及び小規模の学校システムには適応しているが、市場経済及び高等教育の大規模な発展には適応できない。20世紀の80年代後期から、一部の大学はいくつの近い学部を合併して、学院を設立した。90年代後半は、規模の大きいな大学の多くは学院制を構築し、改めて校-院-系の3級組織構造が形成された。
大学の組織構造の調整は高等教育の発展に対して積極的な役割を果たしている。それは次の点に示されている。(1)学科の発展が促進されている。(2)大学の運営利益が向上している。(3)過去の狭い専門教育を背景とし、大学が養成する人材の多くは"教育を受けていない専門家"であるとの局面が是正され、大学の人材養成においての適応性が増強された。しかし、実際の運営をみると、現在もまだ解決すべき問題が存在している。例えば、(1)学科の整合性が不十分である。現在、学院制は一般的な組織形態となっているが、これら学院の多くは以前の学部が直接昇格したものであり、僅かな部分だけが学科の整合によりまたは市場の要求に応じて構築されたものである。依然として従来の利点及び欠点が残されている。現在の学院制の役割と予期されるものとの間には大きな差が存在している。(2)明確な基準が欠けている。90年代、大学内部構造調整の原動力は主に大学内部に由来していた。現在、大学はどのような状況で学院を設立するのか、学院の構成、学院の職能、管理などの基本的な問題について、政府は適切な規定はない。この状況は異なる学院制の構築および多様化をもたらすが、一部の大学は功名心にとらわれ、的外れな現象が起こりうる。
5.大学の統合により部門の分割、規模と効果が低い問題を解決した
1985年以降、国家経済体制改革及び科学技術体制改革政策の発表に伴い、改革開放及び経済成長が加速化された。同時に、高等教育の改革には多くの弊害が露呈された。それは主に次の点に表れている。(1)計画経済体制では、大学生に対して統一入試、統一配分を行い、大学に対して集中管理を実施した。大学は政府の各省庁に所属されたり、地方の省、市に所属されたりという"ブロック"分割管理であった。これは市場経済が追求する資源最適配置の運営規則とは根本的な食い違いがあった。 (2)この状況は、卒業生が自由に職業を選択する上で不利である。さらに、教育内容が単一であるため、社会への人材提供に人為的な障害となっている。(3)政府管理機構の調整及び職能の転換に伴い、部・委員会及び省レベルの庁・局が管理する一部の大学は財源がなくなり、直轄部門もない現象が発生した。大学死活と成長に影響を及ぼした。この問題を解決するため、最も効果的かつ直接的な方法は、一部の大学に対して併合及び調整を実施することである。
また、50年代の高等教育の調整における産業論理を教育論理に取って代えることとは異なり、90年代の中国の大学併合は、社会的、政治的、経済的要素以外に、教育界の理論成果及び実践探求もその中において非常に重要な役割を果たしている。1986年、世界銀行の専門家が中国の大学の規模と効果について実証分析を実施し、その後、中国の複数の学者も同様の方法で分析した。学校の規模は学生1人当りのコストと資源利用率を影響する重要な要素であることがわかった。学校の規模が拡大すると、学生1人当りのコストは低減され、資源利用率は向上する。また、学校の規模が小さすぎると、専攻学科が細分化され、十分な学部・学科の設置ができないため、学生が選択可能な学科が狭くなる。結果は高等教育の経済効果を低下させる事態を招く。当時中国の大学の規模が非常に小さく、教員と学生の割合のバランスが取れてない。規模効果理論は教育界にとって耳目を一新させるものであり、90年代における大学の併合に指導的な役割を果たした。
1992年からの大学併合ブームは、2002年には徐々に終息に向かい、中国の計31の省、市、自治区、60以上の国務院管轄の部門が高等教育管理体制の改革に参画し、関連する大学は900校以上であった。大学の併合においては、計493校の一般大学、215校の成人大学が併合・調整により305校の新たな大学となり、一般大学は278校で、大学403校の減となった。
大学の併合は中国の高等教育に対して積極的な役割を果たしたが、同時に一連の問題も存在している。
(1)大学併合の成果
(1)大学の併合は計画経済体制下における中国の高等教育に存在したブロック分割、運営分散、重複設置、効果不十分などの弊害を克服した。(2)大学の併合前は、単科大学が中国の高等教育の主体であった。それらの大学は異なる管理部門に隷属しており、分散的で、閉鎖的な状況にある。そのため、学科が孤立され、総合的な大学のイメージを形成しにくい。大学の併合は単科大学が多すぎて院校の割合が不合理な状況を改変した。
(2)大学併合の問題点
第一に、併合大学は管理が難しいとの問題。(1)大学の併合前、中国の多くの大学は単科大学であり、管理制度及び評価方式はそれぞれであった。大学の併合後、一般的に力を持つ方の管理制度が優先的に適用される。それは他の大学の教員及び学科整備に不都合が生じる。(2)キャンパスの分散化により管理の難度が増加している。一部の大学では併合後に、従来の独立した学校が新しい大学キャンパスのひとつとなった。分散したキャンパスは資源の共有、さらなる連携の推進に困難であり、学校運営の難しさと複雑性が増した。(3)中国の大学管理では縦割りの管理方式であり、統一性と一致性が強調され、権威が絶対である。キャンパスや学科の事情があまり考慮されない。この管理方式は規模の大きい大学の多元化および相違性と食い違いが存在する。
第二に、個別の併合大学に経費問題が発生している。長期にわたって、中国の大学の運営経費は主に従属された部門が負担してきた。一部の大学では併合後に、隷属関係の変化に伴い、大学経費の負担先にも変化が発生した。吉林大学を例に挙げると、併合前、吉林大学の経費は教育部負担であり、白求恩医科大学の経費は衛生部の負担であった。併合後、政府部門は、すでに管理責任がないため、必然的に経費を負担する義務もないと認識している。吉林大学は規模の増大に伴って、支出も益々増加している。しかし、運営経費の負担ルートは益々先細りとなっている。その結果、2007年、吉林大学併合後の第7年に、吉林大学の負債額はすでに30億元以上に達している。
6.中国における高等教育発展の新たな情景:学園都市の建設
中国の学園都市の建設は10数年前から始まっている。1996年の深圳大学園区の設立が最初で、2007年までに設立された学園都市はすでに60か所を超えている。江蘇省が最も多い、計11か所である。次が浙江省の6か所で、広東、山東はそれぞれ5か所、上海は4か所、湖北、新疆、安徽がそれぞれ3か所で、その他の省はそれぞれ1か所または2か所である。学園都市は先ず経済的な実力があるないし大学が集中している省及び地区、例えば北京、南京、杭州、広州、珠海、深圳などの都市に設立された。その後、徐々に中西部に拡大していった。設置位置について、学園都市によりそれぞれ異なっている。上海、北京などの大都市では、都市中心部の地価が高い、移転費用が莫大であるため、一般には郊外に建設されている。中規模都市の場合は、土地は比較的に余裕があるため、学園都市は一般的に市の中心部周辺に設置された。近年は、観光資源の開発も学園都市建設の一大考慮要素となっており、一部の学園都市は名勝地の近くに建設されている。例えば上海の松江大学城は佘山国家森林公園の近くに作っており、温州高等教育園区は省レベルの森林公園である大羅山の近くに建設された。また、学園都市の用地選択及び計画立案に、交通及び環境要素が十分に考慮されている。一般的に、地理的な位置に優れ、交通は便利で、全体環境も非常によいところに建設されている。廊坊の東方大学城、広州大学城や南京の仙林大学城などはすべてこのような条件を備えている。学園都市の形成において、先進諸国の学園都市のように数世紀を経て、自然に生成されたものと異なり、中国の学園都市は主に短期内に人為的に構築されたものである。中国の学園都市の類型は投資型、研究開発型、新都市型及び地域機能上昇型である。
1. 投資型
投資型学園都市の建設主体は企業であり、運営及び管理には企業方式が採用されている。大学に場所、付帯施設、サービスを提供することにより収益を得る。大学は学園都市を有効に利用して不足しているものを補う。代表的の投資型学園都市は、河北の東方大学城、北京の吉利大学城、瀋陽の北部大学城、西安大学城、上海の松江大学城、杭州の下沙大学城、小和山高等教育園区や浜江高等教育園区、昆明大学城、成都の龍泉陽光大学城、広西の北海大学城などある。
2. 研究開発型
研究開発型学園都市の設立の目的は、ハイレベルの人材の育成およびハイテクプロジェクトの開発である。地域経済の成長及び産業構造の調整に応じ、人材および技術を提供する。その代表は深圳大学城及び蘇州研究生城である。
3. 新都市型
新都市型学園都市の建設は都市発展計画の一部であり、その目的は市街区発展の不均衡を改善するかまたは都市周辺の衛星都市の発展を促すことである。代表的なものは、南京の仙林大学城、上海の松江大学城、蘭州大学城、広州大学城、北京の良郷及び沙河大学城、無錫大学城などである。
4. 地域機能上昇型学園都市
一部の地方政府が高等教育及び研究の優位性を利用して、科学教育による都市の振興を目標とし、建設用地の調整や各種の支援政策により、既存の大学周辺に学園都市を建設する。目的は既存の都市を教育、ハイテク及び生活エリアが共存する学園都市に生まれ変わることである。上海の楊浦大学城、珠海大学城などがその代表である。
中国の学園都市の成長に差があるが、共通点もある。(1)政府主導であるか、企業投資であるか、自己経費であるかに係わらず、学園都市の建設には投資の多元化、運営の市場化、経営の産業化との特徴が共通である。現在、多くの学園都市は学術研究より経営活動の場となっている。 (2)学園都市の建設は資源の共有、規模の拡大、運営効果の向上、地方経済の発展促進を目標としている。しかし、現状は経済利益の追求がなにより重視している。(3)多くの学園都市の建設は不動産開発と一体化している。そのため、学園都市建設の進展や投資側の意欲は、不動産開発の利益に左右される。しかしながら、客観的に見ると、学園都市の建設は確実に中国の高等教育の大衆化を加速した。1998年、中国の大学生の平均在籍数は4418人であったが、2004年は13561人に上って、従来の3倍となった。
7.まとめ
過去30年、中国の高等教育の発展は先進諸国と似た点があったが、独特性も示している。似た点は主に次の通りである。(1)中国は"重点中の重点"との政策は中国に限ったものではなく、アジア・ヨーロッパの一部の国でも同様に採用されている。(2)以前、政治的の要素が中国の高等教育発展の決定的な要素であったが、しかし、この30年、他の諸国と同様、市場要素が中国の高等教育の発展に影響を及ぼす主な要素になりつつある。(3)中国の高等教育の成長は他諸国と同様に、世界からの衝撃や影響を受けるようになった。自国から見た場合には、(1)中国の大学の数が増えたが、教育の質は根本的な変化がない。まだ世界の研究者に認められる成果を挙げてないし、学術的な最高レベルの人材もあまり出していない。また、現代の大学制度の核心である"学問の自由、大学の自治"については、1978年と比べて大きく改善されたが、政治と市場という二重の圧力の下、教育制度の構築では依然として歩みは遅い。(2)中国の高等教育の急速の発展は、過去停滞していた30年に対して言及したものであり、いずれも理性的で、持続可能な発展方式ではない。現在、中国の高等教育には多くの問題が存在している。教育の質を高め、理性的かつ持続可能な成長を維持することが、今後われわれの課題である。
大学名 | 設立年 | 歴史 | 大学名 | 設立年 | 歴史 | 大学名 | 設立年 | 歴史 |
1類 |
|
|
重慶大学 | 1929 | 80 | 国防科技大学 | 1953 | 56 |
清華大学 | 1911 | 99 | 中山大学 | 1924 | 85 | 華東師範大学 | 1951 | 58 |
北京大学 | 1898 | 111 | 蘭州大学 | 1909 | 100 | 中国地質大学 | 1952 | 57 |
南京大学 | 1902 | 107 | 東北大学 | 1923 | 86 | 中国石油大学 | 1953 | 56 |
复旦大学 | 1905 | 104 | 西北工業大学 | 1938 | 67 | 中央財経大学 | 1949 | 60 |
上海交通大学 | 1896 | 113 | 同済大学 | 1907 | 102 | 北京科技大学 | 1952 | 57 |
西安交通大学 | 1896 | 113 | 北京師範大学 | 1902 | 107 | 中央民族大学 | 1951 | 58 |
浙江大学 | 1897 | 112 | 中国農業大学 | 1906 | 103 | 3類 | ||
ハルピン工業大学 | 1920 | 89 | 中国鉱業大学 | 1909 | 100 | 中南大学 | 不明 | 不明 |
南開大学 | 1919 | 90 | 西南交通大学 | 1896 | 113 | 吉林大学 | 1946 | 63 |
天津大学 | 1895 | 114 | 2類 | 四川大学 | 1905 | 104 | ||
東南大学 | 1902 | 107 | 中国科学技術大学 | 1958 | 51 | 西北農林科技大学 | 1934 | 75 |
武漢大学 | 1893 | 116 | 華中科技大学 | 1953 | 56 | |||
厦門大学 | 1921 | 88 | 大連理工大学 | 1949 | 60 | 4類 | ||
山東大学 | 1901 | 108 | 北京航空航天大学 | 1952 | 57 | 北京理工大学 | 1940 | 69 |
湖南大学 | 1903 | 106 | 電子科技大学 | 1956 | 53 | 中国人民大学 | 1937 | 72 |
中国海洋大学 | 1924 | 85 | 華南理工大学 | 1952 | 57 |
大学名 | 設立年 | 歴史 | 大学名 | 設立年 | 歴史 | 大学名 | 設立年 | 歴史 |
1類 |
|
|
華中師範大学 | 1903 | 106 | 天津医科大学 | 1951 | 58 |
清華大学 | 1911 | 98 | 華中農業大学 | 1898 | 111 | 内蒙古大学 | 1957 | 52 |
北京大学 | 1898 | 111 | 湖南師範大学 | 1938 | 71 | ハルピン工程大学 | 1953 | 56 |
南京大学 | 1902 | 107 | 華南農業大学 | 1909 | 100 | 延辺大学 | 1949 | 60 |
复旦大学 | 1905 | 104 | 曁南大学 | 1906 | 103 | 東北林業大学 | 1952 | 57 |
上海交通大学 | 1896 | 113 | 華南師範大学 | 1933 | 76 | 南京理工大学 | 1953 | 56 |
西安交通大学 | 1896 | 113 | 広西大学 | 1928 | 81 | 南京農業大学 | 1952 | 57 |
浙江大学 | 1897 | 112 | 四川農業大学 | 1906 | 103 | 南京航空航天大学 | 1952 | 57 |
ハルピン工業大学 | 1920 | 89 | 雲南大学 | 1922 | 87 | 福州大学 | 1958 | 51 |
南開大学 | 1919 | 90 | 西北大学 | 1902 | 107 | 広州中医薬大学 | 1956 | 53 |
天津大学 | 1895 | 114 | 陝西師範大学 | 1944 | 65 | 西南財政大学 | 1952 | 57 |
東南大学 | 1902 | 107 | 新疆大学 | 1924 | 85 | 中央民族大学 | 1951 | 58 |
武漢大学 | 1893 | 116 |
2類 |
|
|
3類 | ||
厦門大学 | 1921 | 88 | 中国科学技術大学 | 1958 | 51 | 吉林大学 | 1946 | 63 |
山東大学 | 1901 | 108 | 華中科技大学 | 1953 | 56 | 四川大学 | 1905 | 104 |
湖南大学 | 1903 | 106 | 大連理工大学 | 1949 | 60 | 西北農林科技大学 | 1934 | 75 |
中国海洋大学 | 1924 | 85 | 北京航空航天大学 | 1952 | 57 | 上海大学 | 1922 | 87 |
重慶大学 | 1929 | 80 | 電子科技大学 | 1956 | 53 | 西南大学 | 1906 | 103 |
中山大学 | 1924 | 85 | 華南理工大学 | 1952 | 57 | 蘇州大学 | 1900 | 109 |
蘭州大学 | 1909 | 100 | 国防科技大学 | 1953 | 56 | 江南大学 | 1902 | 107 |
東北大学 | 1923 | 86 | 華東師範大学 | 1951 | 58 |
1921 |
88 |
|
西北工業大学 | 1938 | 71 | 中国地質大学 | 1952 | 57 | 鄭州大学 |
不明 |
不明 |
同済大学 | 1907 | 102 | 中国石油大学 | 1953 | 56 | 武漢理工大学 |
不明 |
不明 |
北京師範大学 | 1902 | 107 | 中央財経大学 | 1949 | 60 | 貴州大学 | 1902 | 107 |
中国農業大学 | 1906 | 103 | 北京科技大学 | 1952 | 57 | 長安大学 | 1951 | 56 |
中国鉱業大学 | 1909 | 100 | 北京工業大学 | 1960 | 49 |
不明 |
不明 |
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西南交通大学 | 1896 | 113 | 北京化工大学 | 1958 | 51 | 4類 | ||
北京交通大学 | 1896 | 113 | 北京郵電大学 | 1955 | 53 | 北京理工大学 | 1940 | 69 |
中国協和医科大学 | 1917 | 92 | 北京林業大学 | 1952 | 57 | 中国人民大学 | 1937 | 72 |
上海財経大学 | 1917 | 92 | 中国伝媒大学 | 1954 | 55 | 北京外国語大学 | 1941 | 68 |
河北工業大学 | 1903 | 106 | 中央音楽学院 | 1950 | 57 | 遼寧大学 | 1948 | 61 |
太原理工大学 | 1902 | 107 | 対外経済貿易大学 | 1951 | 56 | 東北師範大学 | 1946 | 63 |
大連海事大学 | 1909 | 100 | 北京中医薬大学 | 1956 | 51 | 東北農業大学 | 1948 | 61 |
南京師範大学 | 1902 | 107 | 中国政法大学 | 1952 | 55 | 中南財経政法大学 | 1948 | 61 |
中国薬科大学 | 1936 | 73 | 華北電力大学 | 1958 | 49 | 西安電子科技大学 | 1931 | 78 |
河海大学 | 1915 | 94 | 上海外国語大学 | 1949 | 58 | 第二軍医大学 | 1941 | 68 |
安徽大学 | 1928 | 81 | 東華大学 | 1951 | 56 | 第四軍医大学 | 1949 | 60 |
合肥工業大学 | 1945 | 64 | 華東理工大学 | 1952 | 55 |