第170号
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世界で加速する 新型コロナワクチン開発競争(その1)

2020年11月09日 彭丹妮/『中国新聞週刊』記者 江瑞/翻訳

通常であれば、ワクチンの誕生には7年から12年もの時間がかかる。だがこの8カ月で、いくつもの新型コロナワクチンの臨床試験がフェーズⅢまで進んでいる。今回の経験が、将来予期せぬ感染症のエピデミックが発生した際のワクチン開発の雛形となるだろうか。

 2009年の設立以来、なかなかこれといった成果を上げられずにいたカンシノ・バイオロジクス〔康希諾生物、CanSino〕は、8月13日、中国人民解放軍軍事科学院〔以下、軍事科学院〕の陳薇(チェン・ウェイ)のチームと共同開発した新型コロナワクチンを掲げてイノベーションボード〔科創板〕に上場を果たした。時価総額は一時1000億元を突破し、一躍、中国の「新型コロナワクチン筆頭株」に躍り出た。

 世界の四大ワクチンメーカーは、英グラクソ・スミスクライン〔GSK〕、米ファイザー製薬、同じく米MSD製薬〔以下、メルク〕、仏サノフィパスツールだ。これら4社で世界のワクチン市場の90%を占めている。新型コロナの発生初期、4社は積極的にワクチン開発に参入しようとはしなかった。なぜならワクチン開発は、巨額の資金が必要であるにもかかわらず、不確実性に満ちた産業であるからだ。

 だがいまや、全世界で研究開発が進められている新型コロナワクチンの候補は175種を超えており、うち30種あまりが既に臨床試験段階に入っている。有効なワクチンを求めて繰り広げられるこの大争奪戦は、全世界の数十億人の健康に関わる問題であるのみならず、成功をつかんだ研究開発者とメーカーに数十億ドルの報酬をもたらす現代版ゴールドラッシュでもあるのだ。

長年のライバルの新たな戦場

 2014年2月、カンシノの創業者の1人で董事長の宇学峰(ユー・シュエフォン)はカナダ国立研究機構からアデノウイルス増幅の認可を取得した。これがカンシノのアデノウイルスベクター技術を支える重要な土台となった。

 同年、中国軍事科学院軍事医学研究院生物工程研究所研究員で工程院院士の陳薇は、エボラ出血熱ワクチンの開発のため、カンシノと業務提携し、同時にカナダ国立微生物学研究所とも共同研究を進め、ワクチン評価をおこなっていた。彼らが当時開発していたのは、今日の新型コロナワクチンと同系統の5型アデノウイルスベクターワクチンだった。

 このワクチンの臨床試験フェーズⅡで、ワクチン注射から4週間後に抗体が産生された。これだけではエボラ出血熱を予防できるかどうかを証明できなかったにもかかわらず、中国は2017年にこのワクチンの実用化を許可した。但し、緊急時対応及び国家備蓄用としてのみ、という条件つきでだったが。カンシノが認可を受けたワクチンは、現時点ではこれ1種類のみだ。

 カンシノとは対照的に、世界最大の大学付属ワクチン研究所であるオックスフォード大学ジェンナー研究所は、当時のエボラ流行時、幸運に恵まれなかった。同所は2014年、エボラ出血熱ワクチンの世界初の臨床試験の陣頭指揮を取ったにもかかわらず、翌2015年には米メルクに逆転されてしまった。メルクはエボラ出血熱の流行が続くアフリカ・ギニアで自社ワクチンの臨床試験を実施し、2019年末に米国とEUの管理機構から販売許可を受けている。

 このときの失敗経験から、オックスフォード大のチームはスピードの重要性を痛感した。「すべてのプロセスにおいて、1週間の差がワクチンの運命を決めると悟った」と同研究所所長のエイドリアン・ヒルは語る。

 スピードは公衆衛生のみならず、資金の工面や、条件に適合した被験者を集められるかといったことにも影響を及ぼし、最終的に成否を左右する。「政府の予算は開発が進んでいるメーカーに優先的に配分される」と、かつて米FDAのワクチン主任審査官を務めていた余力(ユー・リー)博士は言う。例を挙げると、米生物医学先端研究開発局(BARDA)は、オックスフォードのワクチンパートナーであるアストラゼネカ社、米国の「シード選手」の1つモデルナ(Moderna)を含む企業に累計123億ドルを超える予算を投入している。EUはドイツのバイオテクノロジー企業キュアバック(Cure Vac)に7500万ユーロを超える融資をおこない、ドイツの別のワクチンメーカー・ビオンテック(BioNtech)にも1億ユーロを投じている。両社とも、既に臨床試験段階に入っている。

 そして今回、かつてエボラ出血熱の流行時にワクチン開発で戦った中国の陳薇のチームとイギリスのオックスフォード大チームは、再び新型コロナワクチン開発で相まみえることとなった。しかも、世界最速で開発を進め、最も注目を集めるチームとして。彼らが今回用いている技術も、当時と同じアデノウイルスベクターだ。

 3月17日、米モデルナが世界最速で新型コロナワクチンの臨床試験を開始したわずか1日後、陳薇とカンシノの合同チームも、中国で初めて新型コロナワクチンの臨床研究を開始した。それから1カ月弱の4月12日、同ワクチンの臨床試験フェーズⅡが武漢で開始され、508人の被験者が参加した。ただその後、全開発チームの中で最も激しい追い上げを見せたのは、オックスフォード大のチームだった。

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4月15日、世界で初めてフェーズⅡに突入した新型コロナワクチンの臨床試験に参加する武漢市の220人を超えるボランティア。写真は、組換えウイルスワクチン(アデノウイルスベクター)の接種試験に参加するボランティアに職員が注意事項を説明しているところ。写真/中国新聞社

 ジェンナー研究所所長のエイドリアン・ヒルとオックスフォード大の新型コロナワクチン研究開発責任者サラ・ギルバートは、長年チンパンジーアデノウイルスベクターを基にしたワクチン技術の研究に従事してきた。エボラ出血熱の流行が一旦収束した2018年、彼らの技術はMERSワクチンの研究開発に生かされた。そのため、同じコロナウイルスである COVID-19のエピデミックが発生したとき、チームは既に準備ができていたのである。「1月中旬に中国から新型コロナウイルスのDNA配列を入手した時、すぐさまDNA配列を基にワクチンの設計に取りかかることができた」とヒルは言う。

 オックスフォード大のチームは2月17日にマウスへのワクチン投与を開始し、4月にアストラゼネカとの提携合意に達すると、資金や臨床試験に用いるワクチンの生産問題も解決した。6月4日には、英国の1万人とアストラゼネカが米国で募集した3万人の被験者とで臨床試験フェーズⅢを開始した。6月2日には、ブラジルでも同ワクチンの臨床試験が許可され、ボランティア2,000人が集められた。

 同ワクチンは世界で最も早くフェーズⅡ/フェーズⅢを開始したワクチンとなった。シノバック・バイオテック〔科興控股バイオテクノロジー、Sinovac〕の不活化ワクチンと米国のmRNAワクチン2種がフェーズⅢ試験開始を発表したのは7月下旬に入ってからだった。8月9日には、サウジアラビアがカンシノと提携してアデノウイルスワクチンのフェーズⅢ臨床試験をおこなうことを宣言し、被験者5000人を募集した。8月17日には、パキスタンもカンシノワクチンのフェーズⅢ臨床試験の実施を発表した。カンシノはこの他ロシアでもフェーズⅢを開始した。

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新旧の技術が同じ土俵で戦う

 アメリカ国立衛生研究所傘下の国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)所長アンソニー・ファウチは、米政府の感染症予防政策アドバイザーであり、新型コロナワクチン開発のリーダーの1人でもある。ファウチらによれば、新興感染症の発生時にスピーディーなワクチン開発が可能になったのは、知識の蓄積もあるが、技術革新による部分も大きいという。

 ファウチらは2018年、アメリカの医学界で最も権威のある学会誌『ジャーナル・オブ・アメリカン・メディカル・アソシエーション』〔JAMA〕に寄稿した文章で次のように述べた。「全粒子不活化ウイルス又はウイルスタンパク質を用いる従来のワクチン開発法では、新種のウイルスが出てくるたびに新しいワクチンを設計し直さなければならなかったが、過去10年で急速に発展してきたDNA又はmRNAを用いる新しいワクチン技術では、ワクチンの一部のみを入れ替えるだけでよく、同時に複数種のウイルスに対応することが可能だ。ワクチンがよりスピーディーに新興感染症に対応できる新時代がすぐそこまで来ている。2003年以降、こうした新技術を基に、新種のウイルスのゲノム塩基配列の入手からフェーズIの臨床試験を開始するまでの時間が、20カ月から3カ月強に短縮された」

 NIAIDはかつてMERSワクチンの開発においてモデルナと業務提携したことがある。1月11日に新型コロナウイルスのDNA配列が公表された翌日、両者は再びタッグを組むことを決め、1月13日にはmRNA-1273と命名された新型コロナワクチンのDNA配列を確定した。このワクチンは3月16日に被験者への注射が開始され、世界で最初に臨床試験を開始した新型コロナワクチン、そして米国の望みが託されたワクチンとなった。

 mRNA(メッセンジャー・リボ核酸)の本質は、0と1で成り立つコンピュータのコードのようなものだ。新型コロナウイルスに遭遇したとき、mRNAワクチンはヒトの細胞に新型コロナウイルスのスパイクタンパク質〔sタンパク質〕を生成させ、免疫系が新型コロナウイルスを記憶するサポートをする。

 RNAワクチンの長所は製造スピードの速さと成分のシンプルさだ。それゆえ、高い期待がよせられている。WHOが8月末に更新した開発中の新型コロナワクチンリストのうち、10種類のRNAワクチンが既に臨床試験を開始している。これは臨床試験を開始しているワクチン全体の3分の1に当たる数だ。モデルナは現時点で8種類のmRNAワクチンを開発中だが、うち6種類は臨床試験フェーズIの段階にある。しかし、DNAワクチンであれmRNAワクチンであれ、目下、市場での販売を許可された人体用ワクチンは1つもなく、あくまでも検証待ちの希望に過ぎない。

 一方、太平洋のこちら側で、中国の「ナショナルチーム」である国薬集団中国バイオテクノロジー有限公司(以下、「国薬中生」)が採用したのは「不活化ワクチン」だ。『サイエンス』誌の言い方を借りれば、これは「歴史と経験に裏付けられた技術」だ。ワクチン史上、世界で最初期に誕生したワクチンは多くが不活化ワクチンである。

 報道によると、1月5日、中国科学院武漢ウイルス研究所は新型コロナウイルスの株の分離に成功し、新型コロナウイルスの不活化ワクチンの開発が始まった。1月19日には、国薬中生が3種類のワクチン開発計画を発表。それによると、中生武漢生物学的製剤研究所〔以下、武漢研究所〕が武漢ウイルス研究所と共同で、中生北京生物学的製剤研究所が中国疾病予防抑制センターウイルス病予防抑制所と共同で、それぞれ別の不活化ワクチンを開発し、中国バイオテクノロジー研究院が組換えサブユニットワクチンの開発を指揮するという計画になっていた。

 国薬中生が公式に発表した文章によると、他のタイプのワクチンと比較して、不活化ワクチンの開発技術は進んでおり、製造技術が確立していて、品質がコントロールしやすく、効果も高い。国薬中生は既に確立された不活化ワクチン開発のプラットフォームと、SARSウイルス不活化ワクチンの開発経験を有しており、各類のワクチンを年間7億回分生産するなど大規模生産も可能だという。ワクチンのラインナップから見るに、中生は弱毒生ワクチンと不活化ワクチンをメインにしているようだ。

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 中国におけるワクチンの権威・秦遠(チン・ユエン)の指摘によると、海外では中国に比べて不活化ワクチンを使用するケースが少なく、いまから不活化ワクチンを製造しようにも設備がない。また、海外の開発技術は中国より先進的で、第3世代ワクチンの技術も既にほぼ確立している。

 ファウチらの懸念に反し、従来型の技術でも予想外のスピードでワクチン開発が進んでいる。事実、現在世界で臨床試験フェーズⅢが開始されている8種類のワクチンのうち、中国の不活化ワクチンが3つを占めている状態だ。

「どの技術を採用するかは、各国の科学力・開発力、産業化の条件による。もし中国がmRNAワクチンを選択していたら、開発スピードはいまより落ちていただろう」と上海市公衆衛生 臨床センターワクチン・免疫研究センター主任の金侠(ジン・シア)は説明する。

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4月10日、生産開始を待つ国薬中生新型コロナワクチン生産基地で設備の調整や清掃をおこなう作業員。写真/新華社

その2 へつづく)


※本稿は『月刊中国ニュース』2020年12月号(Vol.106)より転載したものである。