第25号:中国伝統医学 ~「中医学」と「漢方医学」について~
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漢方医学における「証」の解明をめざして 〜エビデンスによる効果の客観化〜

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( 2008年10月20日発行)

漢方医学における「証」の解明をめざして
〜エビデンスによる効果の客観化〜

済木 育夫
(富山大学 和漢医薬学総合研究所)

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 漢方医学において、その治療効果をあげるための最も重要な指標は、東洋医学的な病態認識としての「証」である。証 (Pathogenic alteration) はヒトが生来有する体質(遺伝的要因)j > i i と環境等によって変化する症候(環境的要因)の組み合わせにより規定される。すなわち、ある特定の因子のみで規定さ れるものではなく、複数の要因が様々に絡み合ってその時点の「証(病態)_ 」を 形成していることになる。漢方医学では四診(望診、聞診、問診、切診)とよば れる診断法に基づいて一人一人に「証」を定め、患者ごとに応じた治療(個の医療、すなわち西洋医学的にはテーラーメード医療)を 行っている。すなわち、本 来の漢方治療を行うにあたっては、証に基づく診断は必須なものであり、その診断結果により治療の方針や漢方方剤が決定される(これを方証相対という)。

 しかしながら、証診断には血液生化学検査のように、客観的な数値化された検査指標がなく、東洋医学の体系を熟知し、長年にわたる経験も必要とされ ることから、漢 方を専門としない医師には証の概念はつかみにくい。この証が西洋医学的に理解されるようになれば、医師にとっても患者にとっても漢方医学が より身近なものとなり、治療に役立てることができるものと信じている。一 方、治療に用いられる漢方方剤は少なくとも2種類以上の構成生薬を煎じて作製され るが、合方(別の漢方方剤同士の組み合わせ)も多く存在する。それゆえ、漢方方剤の効果は、単 一薬効成分よりなる西洋薬とは異なり、複数の薬効成分が複数 の作用機序に基づき効果を発揮すると考えられ、個々の構成生薬や成分の単なる足し算・総和としての併用(combination)効果というより、各 生薬 間の複合的な相互作用に基づく調和(harmonization)効果と考えられている。

  近年、医療用医薬品として使用されている漢方方剤は、“レスポンダー”の患者には劇的な治療効果が認められること(漢方医学的には「証」に基づいた個の医 療として、適合した患者が効果を示すこと)が 報告されており、漢方方剤に対するレスポンダーグループとノンレスポンダーグループが明確に存在している。し かしながら、その臨床試験における有用性を追認することは難しい。その一つの理由として、コ ホート内に極めて多くの“ノンレスポンダー”が存在するためと 考えられる。それゆえ、期待される治療結果を得るために、治療開始時にレスポンダーとノンレスポンダーを区別し、“レスポンダー”患 者へ漢方方剤を選択的 に使用することが、漢方方剤の効果や安全性を高めることになると思われる。

  最近の現代医学においては、高効果で低毒性の分子標的治療薬が注目されている。たとえば、trastuzumab(ハーセプチン)はHER2タンパク質が 過剰発現している転移性乳がん患者に対して選択的な制がん効果が示されている。また、薬物代謝酵素であるUGT1A1の遺伝子多型診断薬が、大腸がんや肺 がん患者のイリノテカン治療においてその安全性とさらなる効果発現のために用いられている。しかしながら、漢方方剤は植物、動物あるいは鉱物由来の多様な 生薬からなっており、その結果多数の化合物を含み、さ らに、それらの治療効果を説明する活性成分が十分に解明されていないため、漢方方剤を用いた治療を含 む同様のアプローチは、極めて非現実的なものと考えられる。

  西洋医学的には、関節リウマチ、アレルギー、更年期障害といった病名診断に基づく治療が行われているが、東洋医学的には、患者の体質や症候を含む、いわゆ る「証」と よばれる漢方医学的診断のものさしを用いて、気虚、於血、水滞といった病態の診断を行ない治療の方向性と漢方方剤を決定している。たとえば、於 血とは、血流の停滞に相当するが、西 洋医学的には微小循環障害およびそれに伴って発生する様々な病理学的変化と捉えられる病態であり、更年期障害、関節リ ウマチ、ベーチェット病、高尿酸血症など様々な疾患で見受けられる。

  我々は、近年急速に発展している新技術の一つであるSELDI技術を用いて、於血改善薬の一つである桂枝茯苓丸で治療した関節リウマチ患者血漿サンプルの プロテオーム解析を行った。桂枝茯苓丸は、桂 皮、芍薬、牡丹皮、茯苓、桃仁の5つの生薬で構成され、月経過多症、月経困難症に加えて、血液レオロジーの異 常が関連する更年期症状(特にホルモン補充療法が禁忌である場合)に 効果的な代替医療として広く受け入れられている。解析した結果、東洋医学的な於血スコ アおよび西洋医学的なACRコアセットに基づく診断により、於 血と関節リウマチに対する治療効果が共に有効であった患者群に特徴的なパターンを示す複数の タンパク質マーカー候補が確認された。この複数のマーカー候補は、そ れぞれ単独では治療の有効性を示す指標とはなりえなかったが、いわゆる“マルチマー カー”による診断としては有効な手段となりうることが実証された。

  さらに、関節リウマチ患者の治療前の血漿から、桂枝茯苓丸に対する治療効果を予測するためのバイオマーカー候補の探索も試みた。32例の患者血漿を<学習 セット>として、有効/無 効をマスクした新規9例の<テストセット>検体の血漿プロテオームパターンにより有効/無効を予測した。Decision Tree解析と新たに開発したピーク抽出法およびピーク選抜法を組合せて活用することにより、患者血漿において、桂枝茯苓丸治療に対するレスポンダーとノ ンレスポンダーを識別するDecision Treeを構築した。その結果、桂枝茯苓丸治療に有効である可能性が高いことの指標になるかもしれない2つのバイオマーカー(m/z 9,200とm/z 15,970)を見出した。患 者全体の有効率が41.5%であるのに対し、m/z 9,200とm/z 15,970 をともに発現する患者群の有効率は73.3%と高く、m/z 9,200かm/z 15,970のどちらかのみを発現している患者群の有効率は23.1%と低値を示した。

  これらのバイオマーカーは、二次元電気泳動法とLC-MS/MS法により同定した結果、ハプトグロビンHpα1とHpα2であることを解明した。Hpは、 感染、組織障害、悪 性腫瘍により発現誘導される急性期タンパク質の一種であり、ヘモグロビン結合能を有するタンパク質である。2つの異なるペプチド(α鎖 とβ鎖)から構成される。β鎖(40kDa)はα鎖より大きく、す べてのHpタイプに共通である。そのため、Hpの多型はα鎖の違い(Hpα1と Hpα2)に起因し、大きく分けて3つの表現型、すなわち、Hp 1-1(対立遺伝子がともにHpα1)、Hp 2-1( 対立遺伝子がHpα1とHpα2からなる)、Hp 2-2(対立遺伝子がともにHpα2)となる。したがって、m/z 9,200とm/z 15,970の有無の組み合わせは、H p表現型の遺伝的違いを直接示している。すなわち、Hp 1-1とHp 2-2の表現型は“ノンレスポンダー”を、Hp 2-1の表現型(ヘテロ)は“レスポンダー”を示し、桂枝茯苓丸の有効/無 効を識別することができることを示唆するものである。また、桂枝茯苓丸の抗酸化 作用が、高脂食ウサギにおける動脈硬化進行を抑制するなどの報告と、H pが抗酸化作用やプロスタグランジン合成の抑制作用を有することから、レスポンダー の効果発現にHpが関わっている可能性が考えられる。

  最後に、本研究は様々な漢方方剤や伝統医学に基づく治療方法に対するレスポンダー予測マーカーを見出すための有望なアプローチ法を提示するものである。さ らに、示された結果は、漢 方医療および補完代替医療のテーラーメード治療法の発展に導くものと思われ、より一貫した信頼性の高い治療結果を提示し、伝統医 療/補完代替医療と現代医療の融合への道を切り開くものとなるかもしれない。

 

(参考文献)

  1. Kiga C., Nakagawa T., Koizumi K., Sakurai H., Shibagaki Y., Ogawa K., Goto H. and Saiki I.:Expression pattern of plasma proteins in spontaneously diabetic rats after oral administration of a Kampo medicine,Hachimi-jio-gan, using SELDI ProteinChip platform. Biol. Pharm. Bull. 28: 1031-1037, 2005., 2005.
  2. Goto H., Kiga C., Nakagawa T., Koizumi K., Sakurai H., Shibagaki Y. Ogawa K., Shibahara N., Shimada Y., and Saiki I.: Effects of two formulations for overcoming oketsu on vascular function and expression patterns of plasma proteins in spontaneously diabetic rats. J. Trad. Med., 22: 237-243, 2005.
  3. Ogawa K., Kojima T., Matsumoto C., Kamegai S., Oyama T., Shibagaki Y., Muramoto H., Kawasaki T., Fujinaga H., Takahashi K., Hikiami H., Goto H., Kiga C., Koizumi K., Sakurai H., Shimada Y., Yamamoto M., Terasawa K., takeda S., and Saiki I.: Identification of a predictive biomarker for the beneficial effect of a Kampo (Japanese traditional) medicine keishibukuryogan in rheumatoid arthritis patients. Clin. Biochemistry, 40:1113-1121, 2007.
  4. Matsumoto C., Kojima T., ogawa K., Kamegai S., Oyama T., Shibagaki Y., Kawasaki T., Fujinaga H., Takahashi K., Hikiami H., Goto H., kiga C., Koizumi K., Sakurai H., Muramoto H., Shimada Y., Yamamoto M., Terasawa K., Takeda S., and Saiki I.: A proteomic approach for the diagnosis of “ Oketsu”(blood stasis), a pathophysiological concept of Jpanese traditional (Kampo) medicine, Evid. Based Complement. Alternat. Med., in press, 2008.