第25号:中国伝統医学 ~「中医学」と「漢方医学」について~
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世界に中医学を真に理解してもらうために

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( 2008年10月20日発行)

世界に中医学を真に理解してもらうために

孫 樹建
(上海中医薬大学附属日本校教授)

1.中医学の輝かしい成果を振り返って、中国医学に対する誤った認識を正そう

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  中医学(中医)の輝かしい歴史、それ自体が中華民族の輝かしい歴史の一部である。数千年来、中医学は中華民族の繁栄、ひいては世界の人々の健康 のために不滅の貢献をしてきた。紀元4世紀前後に中医学は朝鮮に伝えられ、今日韓国の法律で承認される韓医学となるまでに発展している。日本に伝えられた 後には、明治維新まで一貫して日本の医学の主流として日本民族の健康を守ってきた。その後、絶え間ない発展を経て今日では世界的影響力を持つ東洋医学と なっている。李時珍の『本草綱目』は世界の薬学史上における大著として17カ国の言語に翻訳され世界に広く伝えられている。20世紀中後期の中国における 針麻酔の成功は、またもや世界を驚かせ、全世界に中国の針灸術が受け入れられた。これまでに既に多くの国が針灸を医療保険に組み入れている。今日、漢方の 生薬はその卓越した治療効果に加え、毒になる副作用が少ないので、世界中で歓迎され、多くの国で代替医療として使用されている。

 中医学と漢方薬が喜ばしい成果を上げているのと同時に、多くの中医学に対する不正確な認識も存在している。これらの不正確な認識は中医学の普及と 発展を大いに阻害しているので、必ず訂正しなければならない。その中に、“医哲同源”という言葉から、中医学が中国哲学に由来しているために、西洋医学と は異なり、自然科学に属さないと認識する観点があるが、私はこれに対して反対の意見を持つ。これは中医学を真に理解していない偏見である。中国の古代哲学 の陰陽五行学説が中医学の基本学説全体を貫いてはいるが、中医学は医学であり、人体の生命現象・疾病の予防治療を研究する自然科学であり、決して哲学では ない。ただ二千年余り前には陰陽五行学説が中国の主流の学問であり、当時の中国の政治・軍事・天文・暦法など各分野を支配していたので、当然中国の当時の 医学界も例外ではなく、常に陰陽五行学説を用いて人体の生理・病理現象、治療方法および漢方薬・針灸の作用メカニズムを説明していただけのことである。し たがって、古代の中医学の文献と書籍にはいたるところに陰陽・五行の理論が見て取れる。そのために、今日でも中医学を知らない人は中医学が中国哲学に由来 しており、自然科学には属さないと誤解しており、さらには巫術であるとさえ誤解している。実のところ、これは中医学に対する極めて不正確な認識であり、中 医学に対する極端な無知の表れでもある。中医学の古典的著作を精読すれば、陰陽五行などの字句を通して、その医学的内容の実質を洞察することができるので ある。初期の『黄帝内経』、『傷寒論』、『神農本草経』、『針灸甲乙経』も全て、唐宋時代の『千金方』・『外台秘要』・『銅人○(月へんに兪)穴針灸図 経』であろうと、中医学が歴代医師の人体の生理現象に対する詳細な観察と疾病症状のメカニズムに対する真摯な研究、さらには治療方法に対する慎重な検証と 裁定によって導き出された、疾病予防および疾病治療に関する理論と臨床が結びついた包括的な医学体系であることを反映していないものはない。それらの書物 の随所で中医学が哲学に由来するのではなく、医療の実践に由来することを証明することができる。それは数千年におよぶ臨床実践の正確な経験の結晶および昇 華であり、中華民族ひいては世界の人々の貴重な財産であり、今日でも依然として我々の臨床治療を指導しているのである。

 21世紀の今日、我々は中医学を放棄してはならないばかりでなく、むしろ中医学を大いに提唱するべきなのである。先人が我々に遺した貴重な経験を 用いて、現代医学の不足を補い、臨床上の難題を解決するのである。同時に、古い陰陽五行学説に代わって21世紀の自然科学の輝かしい成果を用いることで、 中医学を新たに解釈し直し、中医学を武装させ、中医学の科学性を少しずつ研究・実証しなければならない。とりわけ、注意しなければならないのは中医学で常 用される“気”・“経絡”などの奥深い概念で、それ自身は現在の自然科学技術では未だに指摘することのできない深遠な生命現象を描写しており、現在の自然 科学の技術では未だに実証されていないものなので、我々は決してその存在を盲目的に否定してはならないのである。それは電子顕微鏡のない時代に、我々が細 胞核内の微細構造を認識することができなかったにも関わらず、細胞核内にそのような微細構造がないとは言えなかったのと同様である。私は自然科学技術の絶 え間ない進歩に伴って、“気”・“経絡”の客観的存在が証明されるのはもう遠くないはずであると堅く信じている。重要なのは、我々は全精力を中医学のメカ ニズムをいかに証明するかに注ぐことでも、さらには西洋医学の基準で中医学を判断することでもなく、中医学の臨床の客観的有効性を十分に発揮して、中医学 を主流の医学に融合させることであり、中医学と西洋医学の相互補完を進め、世界の人々の健康を守るためにともに協力すべきだということである。中国におけ る中医学と西洋医学の融合の成功が必ずや世界の医学界の新たなモデルに貴重な経験を提供するであろう。

2.中医学は一つの教えを代々継承しており、世界にはただ一つの中医学しかない

  中医学は中華民族数千年来の生命現象に対する観察・研究および疾病との戦いの経験が結晶したものであり、独特の理論体系を形成している。今日改めて中 医学の概念と内包を研究することは、中医学の科学性および臨床の有効性を改めて認識することに対して非常に重要な意義を持つであろう。“中医”の二字は 『漢書』の「芸文志」に最も早く記載されたが、中医の‘中’は中国を指すのではなく、“至中和、中庸之道(中和に至るは、中庸の道なり)”を指していた。 中医学では人類の疾病治療についての大法を概括している。すなわち、“寒は之を熱し、熱は之を寒す(寒病に対しては熱の方法を以って治療し、熱病に対して は寒の方法を以って治療する)。実は之を瀉し、虚は之を補す(実証に対しては瀉法を施してこれを抑える治療をし、虚証に対しては補法を施して体の弱みを補 う治療をする)。昇は之を降し、降は之を昇す(上昇している病気=嘔吐、喘息などに対しては降下の治療をし、下降している病気=下痢などに対しては上方に 昇らせる治療をする)。飽は之を餓し、餓は之を飽す(栄養過多に対しては食を絶って餓えによって治療をし、栄養不良に対しては給食によって栄養を補助す る)。労は之を逸し、逸は之を労す(過労に対しては休息によって治療をし、運動不足に対しては運動によって治療をする)”等々によって、医学の最高境地を 具体的に表現している。

 “中医”を中国の医学であると最も早く理解したのは1936年国民政府当時の中医管理条例の中で、外来の西洋医学と自国の医学を区別するためにこ れを“中医”と呼んだものである。この後、WHOもまた中国の伝統医学をTraditional Chinese Medicineと命名し、今日では中医の概念は既に医学の最高境地である“中和に至る”から“中国の伝統医学”に転義するまでになっている。中医の最初 の定義から現代の西洋医学の治療方法を見ても、“中和に至る”という医学大法の中に含まれないものはない。どうして中医学と西洋医学の区別を語る必要があ るだろうか。中医学にはその独特の思考方法と理論体系があり、中医学の理論体系の指導下にある医療実践のみを中医学と呼ぶことができる。そのような中医学 であってこそはじめて理想的な臨床での治療効果を得ることができるのである。

 中医学の独特な思考方法と理論体系は以下の二点に帰納することができる。一つ目は、整体観念である。すなわち、中医学では人体は一つの有機的な整 体であり、内部の臓腑および外部の器官組織は経絡を通して有機的に一つに結びついており、しかも特定の対応関係があって、これを診断と治療に用いている。 内部の疾病は外部に反映させることができ、外部のつぼに対して刺激を与えることで、内部の臓腑の疾病を治療することができるが、これは“内病外治”と呼ば れている。また、呼応する内臓の機能を調整することで、同様に外部の器官組織の疾病を治療することができ、これは“外病内治”と呼ばれている。この他に、 整体観念は人体と自然界の統一も強調している。すなわち、人はいついかなる時でも自然界の影響を受けるものであり、疾病治療について言えば、天候や季節、 地理的環境、生活習慣がすべて治療の効果に影響するので、地理的環境に起因するもの・本人に起因するもの、時間に起因するものによって治療法を変えなけれ ばならない。中医学ではこれを“三因治宜”と呼んでいる。
次に、二つ目は弁証論治である。これは中医学の真髄である。弁証論治の“証”は、中医学で疾病を治療する時の唯一のよりどころであり、特定の疾病という状 況下で病人の体質や疾病の程度などの違いによって現れてくる特定の“症候群”である。それはあいまいな“病名”ではないし、あるいはまた単一の“症状”と して理解してはならないのである。中医学で薬を用いるにせよ針を用いるにせよ、いずれにしても必ず弁証論治を行わなければならず、臨床に現れる特定の“症 候群”をよりどころとして、はじめて満足のいく治療効果を収めることができるのである。もし“弁証”ではなく“弁病”もしくは“弁症”であるなら、たとえ 針灸もしくは漢方薬を使用していたとしても、それは本当の中医学の医師ではないし、中医学の本来あるべき満足のいく治療効果を収めることができないであろ う。整体観念と弁証論治という思想の指導のもと、漢方薬・針灸・按摩などの方法を用いて疾病予防・疾病治療などの医療行為を行う者こそが、本当の中医学の 医師なのである。中医学においては、昔から今まで国内から海外まで一つの教えが代々継承されており、世界にはただ一つの中医学しかないのである。中医学は 自然科学であり、自然科学は自然科学の法則に従っている。自然科学の法則では正確なものはただ一つだけであるが、誤ったものには多種多様なものがあるであ ろう。したがって、中医学には流派は存在せず、もし流派が出現するとしたら、それは誤りであるとしか理解できないのである。決して誤ったものに流派という 美名を許してはならないのである。

3.日本の西洋医学を正統な中医学教育を強化して医師の漢方薬による治療効果を高める

 中医学と漢方薬は現在ますます多くの国で重視されるようになっており、中医学と漢方薬を受け入れられることが既に世界で大きな流れとなっている。 現在、漢方薬についての法律のある国はまだ多くはない。中国・台湾・韓国以外に、日本は漢方薬についての法律が制定してある国の一つである。このことは日 本の医療の進歩を十分に証明している。上述の漢方薬について法律を制定している国々の漢方薬の教育・臨床応用範囲および治療効果を比較すると、日本にはそ の他の国と明確に異なるところがあることがわかる。

 中国・台湾・韓国には国立の中医薬大学(韓国では韓医と呼ぶ)もしくは中医学部があり、現代医学の知識を教授する他に、中医学・漢方薬の専門知識 も系統立てて教授し、中医学や漢方薬・針灸分野の専門的な人材を育成している。卒業後には、中医学と西洋医学を結びつけた知識及び現代科学の診断技術を用 いて、患者に対して正確な診断を行う。同時に、中医学の四診(望=目で観察する、聞=耳と鼻で調べる、問=問診、問答による診断、切=脈診と触診)も用い て弁証を行い、漢方薬もしくは針灸を合理的に処方・使用し、患者の病状の変化に応じて処方薬の成分を取り替え、往々にして臨床で満足のいく治療効果を上 げ、ますます患者たちに受け入れられている。

 アメリカでは漢方薬についてまだ法律がなく、現在FDA(Food and Drug Administration、アメリカ食品医薬品局)によって薬物として管理されていない。しかしながら、アメリカの法律では臨床で漢方薬(アメリカで は漢方薬をChinese Medicineと呼んでいる)を使用することができるのは鍼灸師であると規定されている。アメリカの針灸学校の教育内容は中国・韓国の中医学大学のもの と非常によく似ており、系統立った針灸教育の他に、中医学・漢方薬の弁証論治は必修の内容で、国の鍼灸師資格試験の内容の70%が中医学・漢方薬の内容で あり、30%が針灸の内容である。そのために、名前こそ針灸学校であるが、その実態は中医学と針灸の総合学校なのである。アメリカの鍼灸師は実際には中医 学の医師に鍼灸師を加えたものなのである。アメリカでは漢方薬についての法律はまだないが、アメリカにおける漢方薬の使用はごく一般的である。アメリカの 鍼灸師は正確に“弁証論治”を行い、漢方薬と針灸を使用することができるので、臨床での効果は良好で、患者にも大変好評である。その収入と社会的地位はい ずれも日本の鍼灸師を遥かに超えているのである。

 日本は明治維新以来、法律では西洋医学の医師のみを医師として承認し、医学教育も西洋医学の医科大学しかない。しかも、医学教育の全過程に中医 学・漢方薬の内容がないので、日本の医師は中医学・漢方薬をまったく理解していないと言うことができるのである。しかし、日本には既に漢方薬についての法 律があり、漢方薬は薬物として管理され、医療上漢方薬を使用できるのは西洋医学の医師のみである。事実上、日本における中医学・漢方薬の現状は“中医学の 理論を棄てて、漢方薬を残している”というものである。しかしながら、日本人の中医学・漢方薬に対する信頼は増しこそすれ減ることはなく、日本社会におけ る漢方薬に対する需要量も毎年少しずつ増加している。このため、日本の医師は臨床で漢方薬を使用することを客観的に要求されているのである。残念なこと に、日本の医師は中医学の医学理論を学習したこともなければ、漢方薬の薬理も理解していないのである。ましてや臨床における“弁証論治”についてはまった く問題外なのである。実際には、現在日本における漢方薬の使用状況は、“対症用薬(症状に対して薬を処方・使用する)”もしくは“対病用薬(病名に対して 薬を処方・使用する)”(日本では自らこれを漢方と呼んでいる)というものである。

 この種の中医学の医学理論も理解せず、西洋医学の理論による診断に基づいて盲目的に漢方薬を使用する方法では、漢方薬のしかるべき疾病予防・疾病 治療効果を発揮できないばかりでなく、却って漢方薬の薬理に背いて、誤用から医療事故を招くかもしれないのである。1996年の「小柴胡湯事件」は正に血 の教訓であり、我々は忘れてはならないのである。なぜ「小柴胡湯事件」の悲劇が起きたのであろうか。少し分析すれば、完全に中医学の弁証に基づかず、漢方 薬の薬理を知らずに漢方薬を乱用した結果であったことがわかるのである。中医学・漢方薬の知識が少しでもある人なら、「小柴胡湯」が『傷寒論』の中での“ 少陽病”を治療する代表的な処方であることを知っている。“少陽病”とは中医学の特殊な症名で、正しい理解は、人体が外からの寒邪(寒さ)を感じた後に現 れる“胸部に圧迫感があり、悪寒と発熱が交互に繰り返され、吐き気を催すだけで吐くものがなく、食べることができない”という症候群である。肝臓の疾病に はまったく触れていないのだ。しかしながら、日本の医師は「小柴胡湯」をあらゆる肝臓病の治療に用いたばかりではなく、漢方薬には副作用がないと誤った認 識を持って患者に長期服用させたのである。まず“胸部に圧迫感があり、悪寒と発熱が交互に繰り返され、吐き気を催すだけで吐くものがなく、食べることがで きない”という症候群は確かに一部の肝臓に異常のある患者に現れることがあるかもしれないが、“胸部に圧迫感があり、悪寒と発熱が交互に繰り返され、吐き 気を催すだけで吐くものがなく、食べることができない”という症候群の現れている人は必ずしも皆が皆肝臓病というわけではないのである。「小柴胡湯」を肝 臓に異常のあるすべての患者に用いることは中医学の“弁証論治”を理解しない誤った処方であり、その上に、証の変化に応じて処方成分を変えることなく長期 的に同一の薬物を患者さんに服用させれば、薬物中毒を引き起こす可能性があるのである。
実際のところ、「小柴胡湯」に含まれる半夏については、漢方薬に関する書籍に有毒と記載されており、現代の薬理研究でも半夏が有毒であることが実証されて いる。有毒成分は長期的に服用してはならず、病気がよくなったらすぐに服用を中止しなければならないというのは、誰でも知っている常識である。「小柴胡 湯」事件発生後、本来ならば日本の医学界はそれで目を覚まさなければいけなかったのだが、馬鹿げたことに、この事件の責任を漢方薬に転嫁した者さえいたの である。“漢方薬には副作用があるのではないか?それで漢方薬を服用した人が亡くなったのではないのか?”などといった加減な意見が飛び交っていたのだ。 このような言い方をする者は完全に無知であることを表している。毒になる副作用のない薬物には治療作用もないことは西洋医薬の薬理でも同様である。中医学 とは合理的かつ正確に漢方薬の偏性を利用して患者の身体機能の偏りを調整し、毒を以って毒を制することで治療の目的を達成するのである。

 現在、日本の医学界は既に目覚め始め、中医学を理解せずに漢方薬を乱用することの危険性を認識するに至っている。医科大学・薬科大学では漢方の教 育を増やしている。しかしながら、私はもっと力を入れるべきであると認識している。一つの処方・一種の薬物の機械的使用方法の教育に限定するべきではな く、中医学の医学理論と薬理を系統立てて教授すべきであり、それによって日本の医師が臨床において正確に弁証論治を行い、証に応じて処方を行うことができ るようにし、日本の医師の漢方薬を用いた治療効果を高めるべきであると認識している。

4.日本の針灸専門学校での中医学の内容を充実させ、鍼灸師の臨床治療効果を真に発揮させる

 中医学発展の歴史を回顧すると、針灸学が中医学全体の各歴史段階において常に非常に重要な地位にあったことを知ることができる。現存最古の中医学 の古典『黄帝内経』の成書年代から針灸の起源が漢方薬よりも早いことを推察することができる。『黄帝内経』は『霊枢』と『素問』の二つの部分から構成され ているが、『霊枢』は針灸の専門著作で、その成書は『素問』よりも早い。したがって針灸が中医学の中では最も古く、また最も重要な治療方法であると言われ ている。また、その他の民族の伝統医学にはない独特の治療方法でもある。4世紀前後に朝鮮と日本に伝わり始め、当時の朝鮮および日本において一貫して疾病 と戦う主要手段であった。一千年余り後の20世紀中盤には、中国が針麻酔に成功したことで、針灸はまたもや世界を驚かせたのである。

 欧米諸国でも針灸治療を受け入れることを通して中医学を受け入れ始めた。WHOが1975年に早くも我々上海中医薬大学に「国際針灸訓練セン ター」および「世界伝統医学協力センター」の設立を委託したので、我々は33年にわたってWHOのために80余りの国および地域に非常に多くの針灸および 中医学に携わる専門的人材を育成した。彼らは自分の国に戻ってから学んだ中医学や針灸の知識を用いて患者のために奉仕し、中医学の知名度を大々的に高めた のである。現在世界で多くの国が漢方薬についての法律を持たないが、針灸については法律のある国が多く、針灸は法によって医療手段として承認されている。
例えば、イタリアでは医師のみが針灸を使用して治療を行うことができる。カナダの4州、アメリカの50州にはいずれも針灸についての法律があり、医療保険 も適用されている。韓国ではより厳格で、西洋医学の医師は針灸を使用することができず、韓医大学を卒業した韓医のみが針灸を使用することができる。これら は針灸が世界で既に広く重視されており、法に定められた医療行為に組み込まれていることを証明している。
日本ももちろん針灸について法律のある国であり、国の承認を受けた最古の針灸専門学校には百年近い歴史がある。1996年から、日本政府が針灸専門学校の 関連法規に対して改正を始めたことで、日本の針灸専門学校は28校から今日の86校まで急激に増加した。このこと自体は好ましいことであると言うべきで、 日本人の針灸に対する信頼と嗜好とを十分に証明している。しかしながら、日本の針灸学校の教育内容と日本の鍼灸師の医療水準および社会的・経済的地位を分 析すると日本の針灸教育には深刻な問題が存在していることが十分に証明されるので、この問題についてはよくよく重視しなければならない。

 私には今に至るまで忘れないことがある。元明治針灸大学の教授は、我々上海中医薬大学の客員准教授でもあるのだが、かつて私にこのような話をした ことがある。明治針灸大学の附属医院では、鍼灸師と医師が一緒に診察しているが、難病にぶつかると、西洋医学の医師が鍼灸師にこの状況について中医学では どのように解釈するかを尋ねたそうだ。しかし、鍼灸師が答える内容は完全に西洋医学の内容であった。西洋医学の医師は非常に憤慨して“西洋医学の知識につ いて言えば、私のほうがあなたよりもよく理解している。私が知りたいのは中医学の観点なのだ。”と言ったそうである。
日本の西洋医学の医師は中医学の教育を受けたことがないので、鍼灸師から中医学分野での助けを得たいのだ。中医学の医師と西洋医学の医師が一緒に診察する ことで互いに相手の長所を取って自己の不足を補うことができれば、医療上の難題を解決することにとって非常に有益である。中医学と西洋医学は医学の二つの 異なる分野であり、異なる面から異なる方法を用いて疾病の治療を行うが、その目的と対象は一致しており、ただそれぞれの得意とする分野が異なるだけであ る。まさに軍隊のように、ある国の軍隊の異なる兵種に所属していても、直面する敵は一致しており、目的も同じなのである。両者は互いに取って代わることが できず、協力し合うことしかできない。いずれか一つ欠ければその軍隊の戦闘力は大いに弱体化してしまうであろう。事実が中医学と西洋医学の結びつき(ある いは伝統医学と現代医学の結びつき)を欠いた国はどこであれ、その国民の医療と健康状態が深刻な脅威にさらされるであろうことを物語っている。そのため に、WHOは30年余り前に伝統医学の発展を大いに提唱していたのである。日本の針灸学校の教育内容を分析すると、そのうち東洋医学の内容はわずかに 40%である。西洋医学の内容を強化した教育について私は大いに賛同するし、21世紀には確かな西洋医学の基礎知識を持った針灸の人材が必要だと思う。し かしながら、鍼灸師の専門は針灸であり、臨床においては主に針灸を使用して疾病を治療するのである。針灸は西洋医学の治療方法ではなく、中医学の一分野で あり、中医学の弁証論治の原則に従って、その独特な臨床診断と治療方法があるのである。経絡の理論・穴位の効能と治療対象となる症状・針と灸の各種操作方 法について精通する必要があるばかりでなく、さらに中医学の診断に基づいてつぼを選択しなければならず、それ以上に穴位と穴位の組み合わせ(穴位配伍とい う)についても把握しなければならないのである。さらに、中医学の証の型に基づいて、針の刺激量、針を置く時間時間などを選択しなければならない。私は上 海中医薬大学針灸学科を卒業し、その後著名な針灸の専門家である李鼎教授に師事する大学院生となって針灸に関する古代の文献と経絡・穴位の臨床効能の研究 に従事し、丸8年の時間を費やして針灸について学習・研究したので、針灸学の内容が広くて深いものであることを十分に知っている。日本の針灸専門学校で3 年という時間(実際には半日制である)をすべて針灸に関する学習に用いたとしても、はじめの一、二を知ることができるとは限らない。日本の鍼灸師は学校で わずか17単位の針灸に関する内容を学ぶだけで、中医学の基礎理論と中医学の診断学を少しも学んでいないのである。実際、針灸学の入門すらしていないの で、東洋医学の専門的人材であるかなどはまったくの問題外である。WHOは20年前に早くも専門家を組織して全世界に向けて針灸が43種の疾病に対して有 効であることを論証して発表した。しかし、日本の鍼灸師は臨床において腰痛・肩こりなど数種の病気しか治療できず、しかも臨床における治療効果も理想から は程遠い。日本の鍼灸師が社会的な認可を得られないのも無理はないのである。不完全な統計によると、日本で鍼灸師の免許を持つ者のうちわずか40%前後し か針灸の仕事に従事しておらず、その他の者は針灸とはまったく関係のない仕事に従事している。日本では鍼灸師の免許を取得するのに3〜5年の時間が必要 で、少なくとも600万〜1,000万円の費用がかかるが、鍼灸師免許取得後にも、能力不足から針灸の仕事に従事できないとしたら、これは莫大な浪費であ り、関連部門がぜひとも重視しなければならないのである。

5.中医学と針灸の教材を統一し、教育の質を高めよう

 明治維新以来、日本の医師法の改正によって、医学教育は西洋医学のみに限定されている。中医学の一部としての針灸教育は日本式の針灸教育になっており、 つぼの名称・定位と治療対象となる症状および簡単な針の刺し方・灸の据え方に留まっている。非常に重要な中医学の基礎理論、診断方法、弁証論治の内容、経 絡穴位の効能、弁証によるつぼの選択、弁証によるつぼの組み合わせ、針法灸法学、針による補瀉など針灸治療において欠かすことのできない内容がすべて削除 されてしまった。しかも、全国的に統一された針灸学の教材がなく、すべては授業を受け持つ教師の好みと選択に任されている。このように学校の違い、教師の 違いによって教えられた学生の知識構造が違うだけでなく、さらには学校間、また同一学校の教師間で互いに否定し合い攻撃し合ったり、学生たちが一致した結 論に達することができないといった現象さえ現れているのである。
周知のごとく、針灸の起源は中国であり、針灸は一つの教えを代々継承してきたので、全世界にはただ一つの針灸しかなく、日本の針灸だのアメリカの針灸だの というものは存在しないのである。そのすべての知識は中国の針灸に関する古代の文献と著書の継承、それに加えて歴代の臨床経験と現代の研究による補足に由 来している。
以下の原因によって、我々が古代の文献と著作を正確に継承することには大きな困難がもたらされている。ひとつには、古代の印刷技術が未発達であったために 画像資料を原型どおりに複製し保存することができなかったことである。文字の記載と普及には刀筆の助けを借りるしかなかった。そのために古代の文献と著書 では画像と文字を用いて患者の症状と体調の異変および治療の全プロセスについて詳細に記載することができず、極めて簡潔な言葉で医療プロセスの結論を簡単 に記載することしかできなかったのである。これらの貴重な遺産を正確に継承しようとするならば、我々は真摯に研究し、繰り返し実践しなければならず、そう することによってはじめてその真髄を把握することができるのである。もう一つは、古代の文献と著作が使用するのは医古文(中国古代の医学専門用語)で、医 古文には特殊な文法と語義があり、現代の中国語とは完全に異なることである。医古文の専門知識がなければ、たとえ中国人であっても古代の文献と著作を読ん で理解することができない。そのために、中国の中医薬大学ではすべての学生に対して医古文課を必修とし、それによって古代の文献と著作を正確に読解できる ようにしている。この他にも、中国政府は全国の専門家を組織してすべての古代の文献と著作に対して校正・整理・研究・選別を行い、粗雑なものを捨てて精密 なものを取り上げ、偽物を捨てて本物を残し、現代中国語に訳して、権威のある全国統一教材を策定している。

  日本には全国統一教材がないので、教師が自由に教材を選び、自ら翻訳出版している。このような方法には大きな弊害が存在している。一つ目は、学習内容の不 統一のために、学生の知識構造が不完全となり、見解が非常に偏ったものになることである。ある一人の人間の見解は必ず限界があり、中医学全体を代表するこ とができず、往々にして価値あるスイカを取らず、つまらないゴマを拾ってしまうようなものである。二つ目は、医古文の専門知識がないために、多くの文献に 誤った翻訳が現れることである。その結果(不適任な教師が)他人の子弟を誤らせ、社会に災いを残すことになる。私がここで二つの例を挙げることで、深く考 えてもらうのに十分であろう。
“乳余疾”という症状は『針灸甲乙経』の多くのつぼの治療対象となる症状に現れてくる。そのうち、膏肓穴にも“婦人の乳余疾”が治療対象となると記載され ている。『説文解字』には“人及鳥生子曰乳(人及び鳥が子を生むのは乳という)”と記載されている。‘乳’はここでは動詞で、子を産むことを指している。 “乳余疾”の本当の意味は婦人の出産後に多発するいくつかの疾病を指しており、主に月経のおりものが止まらないことを指している。しかし、日本の多くの書 籍では“乳余疾”を“婦人の乳房の疾病で、主に乳腺炎を指す”と翻訳している。婦人の産後の月経とおりものが止まらないのを治療するつぼを用いて乳腺炎を 治療しても、当然満足のいく治療効果を得ることはできないであろう。
また、多くのつぼが古代の文献の中で“目黄”を治療すると記載されている。“黄”は“黄昏”と同じ意味で、“目黄”は中国語の古代の意味では目のくらみ・ 視力低下・目のかすみを指す。しかし、日本の多くの書籍では“目黄”を“目と皮膚が黄色くなること、即ち黄疸である”と翻訳している。目のくらみ・視力低 下・目のかすみを治療するつぼを用いて黄疸を治療しても、当然満足のいく治療効果を得ることはできないであろう。日本の鍼灸師は臨床において疾病をうまく 治療できなくても、自分の師匠がきちんと教育してくれなかったせいであり、自身もきちんと学習できていないせいだとは思わずに、逆に針灸が無効であるせい にするのである。この種の責任を負わず、人の子弟を誤らせ、日本社会に害を残し、針灸を冒涜する行為は必ず制止しなければならない。針灸の潔白を証明する ことで針灸の名誉を回復し、それによって日本社会が改めて針灸を認識し、針灸を重視するようにしなければならない。

 

6.中医学の教師集団を整理し、「羊頭狗肉」を取り締まろう

 日本が中医学教育を廃止してから既に百年余りになり、東洋医学としての針灸教育も既にほぼ完全に西洋医学化した教育に変化している。針灸専門学校 の針灸教師もみな日本の針灸学校を卒業して教師の資格を得たもので、系統立った中医学の針灸教育を受けたことがなく、本当の東洋医学についての知識は極め て少ないのである。中医学・漢方薬の教育に至っては、日本には法で定められた教師育成と教師の資格制度がまったくなく、各種形式で教壇に登り教職に就く教 師の間では、教育を受けた背景・知識構造・職業資格などがそれぞれ異なり、教授する内容はさらに多種多様である。その中にはもちろん系統立った西洋医学お よび中医学の教育を受け、理論と臨床の経験のいずれも兼ね備え、名実相伴う専門的人材もいることはいるが、数からいうと実際には大変少ない。大多数は西洋 医学の医師あるいは薬剤師が、中医学を少し自習したか、あるいは中医学の講座を聞いたことがあるというレベルで、実質的には中医学の初歩すら学んでいない 者が、中医学の専門家と自称して教壇に立ち講義をしているのである。さらにおかしなことには、ある一部の者は西洋医学の学校にも入学したことがなく、中医 学の学校にも入学したことがなく、職業さえも医薬とはまったく関係がないのに、民間の言い伝えや科学的根拠のまったくない治療技術、さらには他国の伝統医 学の内容までも寄せ集めて、東洋医学の名を掲げ、東洋医学の専門家と自称しているのである。これは羊頭狗肉・厚顔無恥というべきであろう。考えてみて欲し い。ベートーベンやショパンなどは確かに我々のために世界公認の千載不朽の楽章を残してくれた。しかし、もし楽理の知識もなく楽器演奏の訓練も受けたこと のない農夫たちにそれらを演奏させたなら、たとえ世界的な名曲であってもまちがいなく嫌悪される騒音に変わってしまうのだ。 中医学の広さ深さ、理論体系 の完全さ、臨床療法の豊富さ、治療効果の顕著さ、それと数千年を経ている国内外での実践検証、その科学性・実用性は既に言うまでもないことである。一、二 冊の本を読んで、一つや二つの講義を聴いて把握できるものでは決してない。これらの羊頭狗肉、民衆を欺き名誉を盗む小人が中医学を歪曲し、中医学を冒涜す ることを許すわけにはいかず、必ず取り締まらなければならないのである。21世紀の今日では、全世界が中医学に注目している。このことは中医学が世界医学 の中の不可欠な一部分であることをよりよく説明しており、全世界に普及させることで、人類に利益をもたらすべきであることを何よりも雄弁に物語っている。 どの国(日本も例外ではない)でも品格・学力ともに優れた本当の専門家を謹んで招聘し、神聖で清らかな医学の殿堂で正々堂々と広くて深い中医学を講義する べきなのである。中華民族数千年の智慧に現代医学の不足を補わせ、全人類がともに中医学と西洋医学のむすびつきによってもたらされる健康と長寿とを享受で きるようにするべきである。

7.潜在的な資源を掘り起こして、教師の水準を高めよう

 日本の中医学と針灸の水準を高め ることで、中医学・針灸が日本人に真の幸福をもたらすと同時に日本政府の医療費の負担を軽減させよう。最も重要なのは教材と教師の資質である。全国の中医 学と針灸の教材を統一し、同時に大量の品格・学力ともに優れた教師集団を組織することが、この壮挙を完成するための保証である。実際のところ、日本の社会 には莫大な知的資源と人的資源の潜在力が存在しているのである。教材について言えば、日本の医師・鍼灸師が漢方薬と針灸を正確に使用できるように、我々上 海中医薬大学は1992年に早くも中国全土で使用されている中医学と針灸に関する統一教材をすべて日本語に翻訳し、併せてセットとなる日本語版視聴覚教材 を特別に制作している。1996年から日本で上海中医薬大学附属日本関西校を正式に開校して、日本の医師・鍼灸師に対して中医学の専門再教育を行ってい る。これは中国全土で使用されている中医学と針灸に関する統一教材の全世界でも唯一の日本語版であり、内容は全面的で系統立っており、大衆的でわかりやす く、16年にわたって日本の学生たちに大変好評である。この教材は手直しが少なく、部門別・種類別に分類しているので、日本の医科大学・薬科大学および針 灸専門学校の教育を充実させることができ、それによって前述したような多くの弊害を防止することができる。
人材について言えば、不完全な統計に基づくと、過去十数年間に自費および公費で中国の各中医薬大学に長期留学をし、学業を修めて帰国した大量の留学生がい た。彼らは中国の本科大学生と同様に系統立った西洋医学と中医学の教育を受け、堅実な中医学・薬学および針灸学の知識を身につけた。残念なことに、学業を 修めて帰国した後に、国間の医師法の違いによって、大多数が日本の医師もしくは鍼灸師免許がないために医療活動に従事することができないのである。さらに は、19年間にわたる我々上海中医薬大学附属日本関西校の卒業生がいるが、これらは日本社会における莫大な人材の潜在力である。日本政府は彼らを使用する ことで、彼らの知識と才能を十分に発揮させるべきである。彼らは日本の医師・鍼灸師免許を持っていないので、医療活動に従事することはできないが、彼らに 授業を受け持たせ、あるいは教員養成の仕事をさせることはできる。もしそうなれば、日本はごく短時間のうちに、多くの優れた才能と学識のある東洋医学の専 門教師を養成することで日本の医科大学・薬科大学および針灸専門学校を充実させることができ、根本から日本の東洋医学の水準を変え、日本社会に真の幸福を もたらすことになるであろう。

 以上は私が長年にわたって中医学の国際交流に従事し、中医学の国際教育を普及させてきた体験、および中医学の理論と臨床研究における体験に基づい た感想であり、純然たる個人の見解である。不適切なところはご教示いただくとともに、世界各国の同分野の専門家各位と討議し切磋琢磨できることを希望して いる。