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【23-79】人民元国際化の転機

2023年11月29日

露口洋介

露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授

略歴

1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。

 中国人民銀行は、2023年10月27日、『2023年人民元国際化報告』を公表した。今回の報告書では、以前  と比べて内容に若干の変化がみられる。これが人民元国際化の転機を示すものなのか、考えてみたい。

人民元国際化報告の記載の変化

 人民元国際化報告は2015年から公表されているが、昨年(2022年)公表分までは、本文の最初の部分でまず中国の人民元による対外受払金額が示され、それが外貨も含めた中国の対外受払金額全体に占める比率が記載されることが通例であった。例えば、昨年の報告では、2021年中の人民元による対外受払金額は36.61兆元であり、外貨を含めた全体の対外受払金額に占める比率は47.4%、同じく2022年1~6月では49.1%と記載されていた。今回の報告では、経常収支の取引について2022年の人民元建て取引の全体に占める比率が20.7%、そのうち財の貿易についての人民元建て対外決済の比率が2022年は18.2%などと示されているが、資本取引も含めた全体の受払額についての比率が姿を消した。

 一方、昨年の報告から本文の最初のコラムにおいて「通貨国際化総合指数」の記載が始まっていた。この指数は、中国人民銀行がIMFやBIS、SWIFTなどのデータを利用して、人民元だけでなく主要な通貨について国際的な決済通貨、投融資通貨、外貨準備通貨などの機能の面から国際化のレベルを評価し、指数化したものである。指数の値は昨年の報告では2021年末において、米ドル58.13、ユーロ21.81、英ポンド8.77、日本円4.93、人民元2.86とされ、今回の報告では2022年末について米ドル58.3、ユーロ22.18、英ポンド7.73、日本円5.24、人民元3.16とされている。

2つの人民元国際化

 2021年9月の本コラム で述べたように、人民元国際化の意味を2つに分けて考えることが適切である。第1は一般的に通貨の国際化と呼ばれる概念であり、通貨の3つの機能と呼ばれる決済機能、価値尺度の機能、価値の保蔵手段などの面において国際的に幅広く利用されることを意味する。2022年人民元国際化報告から導入された「通貨国際化総合指数」はこちらの意味の人民元国際化のレベルを示すものである。

第2は、中国自身の対外受払通貨に占める人民元の比率の上昇である。人民元国際化を考えるうえで最も重要な出来事は2009年7月2日のクロスボーダー貿易人民元決済の開始である。この際、人民銀行は、その理由として「国際金融危機の影響を受けて、米ドル、ユーロなど主要国際決済通貨の為替レートが大幅に変動し、中国と周辺国家・地域の企業が第三国通貨を使用して貿易決済を行うと大きな為替レート変動リスクに直面した」ことを挙げている。この「第三国通貨」は明らかに米ドルを指している。つまり中国の対外取引に占める米ドルによる受払の比率を引き下げ、人民元建ての比率を上昇させることがクロスボーダー人民元決済開始の大きな理由であった。また、当時は2006年から対イラン金融制裁も行われており、対外取引をドルに過度に依存していると、ドルの使用停止という金融制裁を受ける恐れがあった。為替レート変動リスクだけでなく、金融制裁の影響を小さくするためにも自国通貨である人民元建ての取引比率を上げることが安全保障上必要と認識されたと考えられる。従って、中国の対外取引に占める人民元建て受払の比率の上昇が重要ということになる。

2つの国際化では政策対応が異なる

 第2の意味での人民元の国際化について、中国の対外受払全体の金額に占める人民元建て受払の比率は昨年の人民元国際化報告で2022年1~6月中49.1%とされたが、2023年第2四半期金融政策執行報告では2023年1~6月中に57%に達したことが明らかにされている。こちらの意味での人民元国際化は着実に進展している。

 一方、第1の意味での人民元の国際化についてみると、例えば国際決済銀行(BIS)が3年毎に公表している世界の通貨別外国為替取引金額では、2022年4月の1日平均取引高人民元は米ドル、ユーロ、日本円、英ポンドに次いで人民元は第5位である。また、IMFが公表している世界各国の外貨準備における通貨別シェアでも2023年6月末で同じく5位にとどまっている。前述のとおり、中国自身が作成している通貨国際化総合指数でも5位である。名目GDP世界第2位、貿易額世界第1位の中国としては低位であり、第1の意味での人民元の国際化はまだ十分とは言えない。これは、中国では未だに資本取引規制がかなり厳格であり、人民元の海外における取引が不便なことが原因である。第1の意味での人民元の国際化を促進するためには資本取引規制を大幅に緩和することが必要である。

 他方 、第2の中国の対外受払に占める人民元比率の上昇という意味での人民元国際化について資本取引規制は有益とみられる。中国では対外受払について人民元建てと外貨建てで別の法規で規制している。例えば、経常取引を行う場合、取引当事者は規制対象取引でないことの証明を銀行に提出する義務があるが、人民元建ての方が手続きが簡略化されており、資本取引規制の存在を前提として、外貨建てより人民元建ての受払が有利に取り扱われている。これによって対外取引の受払通貨を人民元に誘導することが可能となる。

最近の状況の変化

 2022年2月に開始された、ロシアのウクライナ侵攻に対して、ロシアに対する経済制裁が行われた。この結果、ロシアは米ドル建ての対外受払を行うことが困難となった。中国も米ドルに依存することの危険性を改めて認識したものと思われる。

 一方、2023年2月の本コラム でも指摘したように、中国の人民元対外決済システム(CIPS)の利用は、2023年4~6月中、前年同期比で件数が60.4%、金額が29.04%と大幅に増加している。これは決済の元となる海外と中国との間の人民元建ての取引が増加したことを意味する。2023年1~9月中の中国とロシアの貿易は中国からの輸出が67.3%、輸入が20.1%、輸出入合計で38.1%の大幅増となっており、この多くが人民元建てで決済されているとみられる。

 さらに、昨年6月にはインドの企業がロシアの企業から購入した石炭の代金を人民元で支払った例が報じられた。中国自身の対外取引の受払ではなく、第三国間の取引決済に人民元が使われたこととなる。米ドルによる制裁によってロシアだけでなく、米ドル依存からの脱却を目指す国々の米ドル離れ、人民元シフトを招いている可能性がある。中国にとってこれは第1の意味での世界で一般的に幅広く利用される人民元国際化を推進する大きなチャンスと考えられる。

人民元国際化は転機を迎えたか?

 これまで中国人民銀行は、リスク回避と安全保障という観点から第2の意味の人民元国際化を進めてきた。人民元国際化報告が最初に記載していたのが中国の対外取引全体に占める人民元建て受払の比率であったことからもこの点は明らかであろう。

 人民元国際化報告からこの比率の記載が消え、通貨国際化総合指数の記載が開始されたことは、中国にとって人民元国際化の意味が変化した可能性を示している。リスク回避という守りの姿勢から、このチャンスを利用して、より積極的に第1の意味の人民元の国際化を進めて国際的影響力の拡大を目指す方針に転換した可能性がある。

 もっとも、それは諸刃の剣でもある。第1の意味での人民元国際化のためには、資本取引規制を大幅に緩和する必要がある。それは投機筋による人民元アタックを招き、人民元為替レートの急変動や大規模な資本流出入をもたらす恐れがある。この点は慎重な判断が求められる。人民元の国際化が転機を迎えたのか否か、今後の推移を見守る必要があろう。

(了)


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