和中清の日中論壇
トップ  > コラム&リポート 和中清の日中論壇 >  【20-009】なぜ中国では新型コロナウイルスが終息しつつあるのか

【20-009】なぜ中国では新型コロナウイルスが終息しつつあるのか

2020年8月25日

和中 清

和中 清: ㈱インフォーム代表取締役

昭和21年生まれ、同志社大学経済学部卒業、大手監査法人、経営コンサルティング会社を経て昭和60年、(株)インフォーム設立 代表取締役就任
平成3年より上海に事務所を置き日本企業の中国事業の協力、相談に取り組む

主な著書・監修

  • 『中国市場の読み方』(明日香出版、2001年)
  • 『中国が日本を救う』(長崎出版、2009年)
  • 『中国の成長と衰退の裏側』(総合科学出版、2013年)
  • 『仕組まれた中国との対立 日本人の83%が中国を嫌いになる理由』(クロスメディア・パブリッシング、2015年8月)

経済活動がほぼ戻りつつある

「米中両国がつくる分断」「米中対立」、昨今の中米問題でメディアに掲載される見出しである。だが、中国から先に米国に行動を起こしてはいない。中国は受け身である。だから正しくは「米国が仕掛ける中国対立」であると思う。日本の多くのメディアも話題づくりか「新冷戦」という言葉で中国を当事者に仕立てているようにも思える。

 なぜ米国が中国に対立を仕掛けるかは明らかである。一つは経済における中国の台頭、一つは大統領選挙、一つは新型コロナウイルスである。

 経済や選挙については多言を要しない。

 米国の新型コロナウイルスは終息する気配がない。州や都市で違いはあるが、明らかに政治の失敗で、国民の不満から目を逸らすために中国との対立が仕掛けられている。

 まだ安心はできないが、中国は一部地域で陽性者が発生しているものの、人口当たりで見ても、米国や日本と比べても、ほぼウイルス禍を終息させて一部を除き経済はコロナ禍の前に戻りつつある。

 下記は最近の主な経済指標である。

2020年の主な経済指標
4~6月GDP前年増加率 3.2%
1~6月全国住民一人平均可処分所得名目増加率 2.4%
1~6月全国住民一人平均消費支出 -9.3%
6月社会消費品小売総額(前年比) -1.8%
6月一定規模以上工業生産額前年増加率 4.8%
6月一定規模以上工業企業利益前年増加率 11.5%
6月輸出前年増加率 4.3%
6月輸入前年増加率 6.2%
6月製造業PMI 50.9%
6月非製造業PMI 54.4%

 4~6月の第2四半期のGDP伸び率は3.2%、産業別では第三次産業が1.9%とまだ低い水準だが、第二次産業は4.7%と回復してきた。また第三次産業も宿泊や飲食はまだ前年比マイナスが続いているが建築7.8%、金融7.2%、情報・運輸・ソフト・技術サービス15.7%と高い増加率を示している。

 上半期全体の消費支出は前年比-9.3%だったが、6月の社会消費品小売総額は-1.8%と前年水準に戻りつつある。コロナ禍で4月まで大幅にマイナスになった乗用車の生産と販売も5月は前年比で生産が11.2%増、販売は7%増、6月は生産が12.2%増、販売は1.8%増と増加に転じた。

 6月の製造業PMI(購買担当者景気指数)は50.9%で新型コロナウイルス前に比べても高い。小企業のPМIはまだ低い水準だが、大企業は52.1%と高くなっている。非製造業PМIは54.4%、中でも交通運輸・情報サービス・金融は59%とかなり高い。人の移動、物流、情報、金融が動いている。コロナ禍でも所得は増加しているので、早晩、モノの消費に移行する。

 深圳では6月末の就業者数が1,170万人(失業保険データより)と前年比2.7%上昇して過去最高を記録している。今後消費が増えて飲食業、小売業等で求人が増加すると人材争奪が始まり採用難になるのではと危惧される。

 経済の回復は7月になりより顕著になっている。また特筆すべきはコロナ禍にも関わらず、上半期にはハイテク関連の製造業投資が前年比7.4%増加し、サービス業投資は9.1%増加している。特に医療製造業投資は14.1%増、電子通信設備製造業投資は7.3%増、電子関連サービス業投資は26.4%増、科学技術・ソフトサービス業投資は24.4%増加している。アリババの4~6月の売上は前年比34%の増加である。コロナ禍で在宅勤務やオンライン教育に伴う機器や関連サービスの増加だけでなく、音楽、美術など、より広範囲の文化にもオンラインサービスが拡大し、単なる巣ごもり需要でない新しい生活スタイルと消費が生まれている。欧米や日本経済がまだ大きな影響を受けている中で、中国経済は「禍を福に変える」如くに産業構造を転換して一人先を行くだろう姿がそこに見える。

 米国が未だに苦しんでいるのに何故、中国だけが回復するのか。米政府は複雑な心境である。このままでは米国の対応の拙さが鮮明になる。政府が悪いのでなくウイルスを持ち込んだ中国こそ問題であるとして、そこに国民の目線を向けたい。そのために中国との対立が仕掛けられていると思える。

 今回の日中論壇は、なぜ中国で新型コロナウイルスが終息しつつあるのか、中国の政治と社会風土に焦点をあてて考える。

感染終息の四つの原因

 先の日中論壇で武漢の転換点は収容施設をつくり感染者を収容したこと。日本のやり方は中途半端で日本は武漢に学んでいないと述べた。(20-004 中国の債務問題「異論」(その1)

 1月から2月にかけて日本では武漢の病院の大混乱が報道された。中国は対策にPCR検査と陽性者の専用施設隔離を進め、全国から武漢に医師と看護士を応援派遣した。それで状況が劇的に変化した。武漢の封鎖解除にあたり全住民のPCR検査も実施している。今、北京では120元(約1,600円)でPCR検査を受けられる。北京郊外の村の小さな診療所でさえ受けることができる。

 因みに日本では新型コロナウイルス陽性者は隔離が原則だが、7月22日現在、治療と療養中感染者4,686人のうち自宅療養が813人、入院、療養を確認中が432人いる。病院のベッド不足、宿泊療養施設の不足から8月に入り自宅療養はさらに増加して感染症対策の基本が崩れている。だから武漢に学んでいないと言える。このままでは日本経済は「曇り時々雨、一時晴れ」を繰り返す。

 武漢閉鎖時、「日本は中国とは違う」「中国のようにはできない」。日本ではこんな言葉が語られた。だが、「日本は違う」と一言で片づけてしまえば教訓は見えてこない。

 中国が感染を終息させた原因には深いものがある。

 筆者はその原因には下記があると考えている。そこには日本や米国も学ぶべきことが多いと思う。

 1.鐘南山博士及び国家衛生健康委員会の進言

 2.鐘南山博士と政府の情報共有と政府の武漢封鎖の決断

 3.国民の協力と情報化社会

 4.中国の体制と法制

1月18日から1月20日に何があったか

 1月18日に国家呼吸系統疾病臨床医学研究中心主任の鐘南山博士が武漢に行った。また新型コロナウイルス担当副総理も武漢に入った。そして1月19日夜に国家衛生健康委員会の緊急会議が行われて、1月20日に習近平主席が「人民の命と安全健康を第一に新型肺炎に対処」という指示を出して、1月23日午前10時に湖北省政府主導で武漢市疫情防止指揮センターが「封城」、すなわち武漢封鎖を実行した。

 1月23日の中国全土の新規感染者数は259人、死亡数は8人、累計感染数は830人、重症者数は177人、累計死亡数は25人だった。その日の湖北省の新規感染者は105人、武漢の新規感染者は70人である。8月の日本の新規感染者数よりかなり少ないがそれでも武漢は封鎖された。

 封鎖は鐘南山博士及び国家衛生健康委員会の「人から人への感染」の説得と「封鎖」の進言があり政治決断された。

 だが、世界には中国の初動対応を批判する意見も多い。武漢の混乱の中で亡くなった人の遺族もやるせない気持ちでいる。彼らは初動対応に不満も持つ。もちろん初動対応に全く問題が無いわけではない。だが病院の混乱は欧州や米国など世界中で起き、今も続いている。武漢の病院混乱が経験されてからもかなりの日数が経つが、世界ではまだそれが続いている。日本でも危惧されている。

 中国はSARSを経験し他国よりウイルス感染への準備ができていたと思うが、それでも初動では混乱した。今でこそ新型コロナウイルスの脅威がある程度解るが、武漢の感染初期段階の「未知のウイルス」、「人から人への感染」という情報しかない状況で、果たして世界の国々が対策を準備できたのか疑問に思う。感染拡大の真っただ中でさえ、米国ではマスクすら否定された。日本でもまだ感染者の自宅療養が多い状況が続いている。

 初動対応遅れの指摘は結果論で、たとえ情報がもっと早くもたらされたとしても対策の目立った動きは起きなかったと思う。

 武漢封鎖前後の中国全土の新規感染数は1月21日149人、1月22日131人、1月23日259人、1月24日444人である。現在の欧州、米国、日本の新規感染者数よりはるかに少ない。筆者はよく「封鎖」が決断されたと感心する。

「日本は中国のようにはできない」と言われる「中国」にこそ学ぶべき点がある

「日本は中国とは違う」と一言で片づけてしまえば教訓は得られない。

 確かに日本では都市封鎖どころか、筆者が中国のアパートで体験した、海外から中国に戻った自宅待機者にさえ14日間の自宅隔離と部屋の封印の強い対応はできないだろう。しかし「日本とは違う」と言われる「中国」にこそ学ぶべき点が多々ある。

 筆者は「武漢封鎖」は新型コロナウイルスの終息手段で、終息の根本原因は「価値判断」「進言の覚悟」「政治の覚悟と決断」だと考えている。

 武漢市の常住人口は1,100万人を超える。しかも先の日中論壇で述べたように武漢は中国の要の都市である。(20-003 新型ウイルスと武漢 そして今後の中国経済

 表のように2019年の上位10都市GDPでは武漢は8位で内陸経済の重要な役割を担う都市である。

2019年上位10都市GDP (億元)
上海 38,155 蘇州 19,236
北京 35,371 成都 17,013
深圳 26,927 武漢 16,233
広州 23,629 杭州 15,373
重慶 23,606 10 天津 14,104

(統計速報)

 そんな武漢の都市封鎖は「中国だから」というだけでたやすく出来ることでもない。

 中国の人口は14億人である。それは中国の政治家にとって大変な圧力である。

 武漢の常住人口1,100万人には200万人以上の"外来人口"、武漢戸籍外の人達がいる。主に武漢で働く農民工である。

 封鎖は春節休暇前で、故郷では多くの家族が子供や両親の帰郷を待っていた。逆に、武漢やその周辺都市から湖北省外で仕事に従事し、学校で学ぶ人も何十万人か何百万人かいる。日本と違い中国では夫と妻、親と子が離れて暮らす家族も多い。彼らにとって春節休暇は待ち望んだ年に一度の楽しみである。そんな春節前の「武漢封鎖」である。そのため封鎖は経済だけでなく国民感情に計り知れない影響、反発さえもたらす。

 200万人を超える農民工は全国から武漢に来ている。西蔵自治区も新疆ウィグル自治区も黒龍江省も例外ではない。だから封鎖は中国全土に影響する。

 一方、200万人は中国の人口の0.14%である。封鎖時点では、どこもまだ十分な検査や医療体制は整っていないので、1.43人が1,000人に影響を与え、200万人が14億人に影響を与える可能性も食い止めなければならない。

「中国では小さな問題でも14億で掛け算すれば大変な問題になる」。

 1月18日から20日にかけて鐘南山博士と国家衛生健康委員会、副総理、習近平主席、李克強総理はこの問題に直面したと思う。そんな圧力と対峙しての「進言」と「決断」、「覚悟」を武漢封鎖の裏に読み取るべきである。

 まして武漢での新規感染者が70人での「都市封鎖」である。多くの人が「どうしてそこまで」と思う中での「進言」「決断」である。それには相当の覚悟がいる。

「価値判断」のための二つの思考

 筆者は政治家が問われなければならない大切なことは危機に直面しての的確な価値判断と思う。言い換えると「何が最も大切か」を考え「決断」する能力と思う。

「何が大切か」の答えは、非常時には一つでなければならない。"あれもこれも"の選択はできない。非常時の"あれもこれも"は致命傷になる。判断に迷えば時機を失う。津波時の"とにかく山へ"と同じである。

 中国の政治家が新型コロナウイルス対応での価値判断で考慮したことは二つあったと思う。一つは、「人命」か「経済」かである。もう一つは「時間」である。コロナ禍を終息させ、社会活動の早期復活を図るにはどんな対応をすべきか、の「時間軸」の考慮である。封鎖の「価値判断」「決断」の前提にはこの二つの「思考」があったと思う。

 だが、答えを一つに絞るには進言する人も決断する政治家も勇気と覚悟がいる。切り捨てた側から嫌われ、批判され矢面に立つ覚悟である。

 武漢は中国第八位の経済都市であり、サプライチェーンや鉄道網、高速道路網を通じて閉鎖は国の経済にも計り知れない影響を与える。「都市封鎖」はいかに体制が違う中国でも「決断」から逃れたいことである。特に中国では「進言」の緊張感は大変なものだったと思う。

非常時に生きる政治家の社会経験と地方での苦労

 一般的にも、非常時の救世主は「嫌われること」を引き受ける人であることが多い。悪役を引き受け「馬謖を斬る」ことができる人である。

 どうすれば「涙を揮い馬謖を斬れる」人になれるのか。非常時に間違わない迅速な判断を下せる人になれるのか。なぜ「嫌われる」決断ができるのか。

 筆者はその答えの大切な一つが「社会経験」であると思う。

 日本では中国の政治家はよく思われない。「独裁」「権力」「腐敗」の象徴のように見る人も多い。メディアの報道も、その言葉で中国政治を語ることが多い。だが、中国の政治家、特に幹部は地方の現場経験と下積みの苦労を経て中央幹部になる人が殆どである。

 胡錦涛前主席は甘粛省水利部のダム工事技師として現場仕事に従事し、温家宝元総理も北京地質学院を卒業した技師だった。習近平主席は浙江省や福建省、上海市などで22年の地方経験を積んでいる。中国共産党第19期中央委員会第1回全体会議(2017年10月)で選出された常務委員の殆どが食品工場や倉庫管理人などの地方現場を経験している。さらに彼らは地方で組織リーダーの経験も積む。そこでは業績が問われる。

 業績を得るには指導力が必要である。「人を使い」「人に助けられ」「人を活かす」、そんな実務経験と苦労を経て一人前になる。それは机上の学習で得られるものではない。

 中国の地方は大きい。2018年末では広東省の人口は1.13億人、山東省は1億人、四川省は8千3百万人である。各省のGDPは世界の多くの国にも匹敵する。

 日本では中国の政治は独裁と捉えがちだが、全てが中央集権で14億人もの国を動かせるはずはない。彼らは地方での「実践」かつ「実戦」を通じて、判断力、決断力を学習しその能力を高める。さらに現場を知ることで、自信につながり政治決断にも影響を与える。

 人を使うには「言葉」も大切である。現場で接する人の「共感」を得るため自らの「言語能力」も身につけていく。その言語能力は新型コロナウイルスのような自らの心と言葉で国民に訴えかけねばならない非常時に生きる。

 さらに中国の政治は「あいまいさ」「中途半端」は最も避けなければならないことである。「明確にハッキリ」と事を進め、事を治めなければならない。

 なぜなら、言葉も習慣も民族も違う14億もの人を相手にしているからである。

 放つ言葉の「あいまいさ」で、受け取る人の解釈が違えば、14億とおりの解釈が生まれる国である。また中国は「国に政策、人民に対策」の国でもある。解釈が違い、対策も種々となれば、人の行動は際限なく広がり、非常時には収拾がつかなく大混乱になる。

 政治家に「社会経験」が乏しいことは、修羅場の体験が少ないことでもある。だから身体を張る覚悟ができない。責任を逃れるために逃げ場を考えたあいまいな指示にもなる。

 もちろん国情の違いはあるが、日本での新型コロナウイルスへの対応で発せられる言葉には「できるだけ・・お願い」が多いと思う。この言葉は通常、企業社会では使われない。禁句でもある。一方、中国の社会風土はそうではない。「できるだけ」のようなあいまいな言葉は否定される。「要不要、要るのか要らないのか、欲しいのか欲しくないのか」、物事をハッキリさせないと中国社会には馴染まない。まして非常時にはなおさらである。体制の違いも影響しているだろうが、非常時に明確な対応をせず、言葉が弱いのは為政者の一般社会での経験が影響しているとも思う。

 何より「社会経験」は思考を深くする。思考の深みは戦略的思考につながり、社会を動的なものへと導く。「社会経験」が乏しいと八方美人で目先の対応に陥りやすい。

 このようなことから中国の政治家は地方経験を通じて「判断」「決断」「明快な指示」に慣れている。「下済みの経験と苦労」「地方リーダーの経験で培った判断力、決断力」、これらを「武漢封鎖」の裏に読み取るべきと思う。

「耐えて忍ぶ」儒教の国

 最後に「なぜ終息できたのか」で見落としてならないのは「国民の協力」である。

「独裁」「強権」だけで14億もの人を率いるのは不可能である。

 中国の政治家は「民意」で選ばれないだけに、空気のように漂う「民意」に敏感になる。空気は「見えない」だけにやっかいである。空気が集まり怒涛のように襲う怖さと常に向き合っているのが中国の政治家と思う。

 だから常に国民が何を考えるのか、望むのか、それを考えながら自らの言葉で語りかけていかなければ14億もの人を引き寄せることはできない。その能力も地方経験、社会経験で培われる。「武漢封鎖」のような非常時には特にそれが大切になる。

 だから「独裁」「強権」だけで「武漢封鎖」は成し得なかったし、新型肺炎は終息しなかった。その成功の裏には「武漢封鎖を決断した政治と政治家」への国民の信任がある。

 中国では武漢だけでなく多くの都市で地区や団地の「封鎖」が行われた。街や団地でルールを決め、買い物にも不自由な中を住民同士が助け合い協力して対応している。

「武漢封鎖」の時には全国で「武漢加油」が叫ばれた。「四川地震」の時の国民の行動と重なる。

 いろいろなところでトラブルもあったが、大方の国民の受け止め方は「非常時なのでしかたがない」である。

 日本では過去の歴史からか「非常時」における国の権力行使を批判的に捉える論調も多い。しかし「感染症」はそう批判する人が考える「非常時」とは本質的に違うと思う。

 多くの海外メディアはどうしても問題やトラブルの部分をクローズアップしやすい。だから大方の国民の信任は日本をはじめ海外には伝わりにくい。

 もちろん中国では法律を破ると罰則が強い。新型コロナウイルスでは非常時の法制が適用され、法律に従わない人には迅速に強い処罰が行われている。通常の裁判でなく非常時の即決である。問題もあるが、長い月日をかけての裁判は非常時に意味をなさない。

 だが、「強権」だけに焦点を当てると「中国だから」「独裁だから」となってしまう。

 禁を破れば強い処罰がある。それが終息に影響していないとは言わないが、もっと奥深いところで政治に対する「信任」がある。

 さらに中国の国民性、「中国人の我慢強さ」「忍耐力」、非常時に「互いを思い、耐えて忍ぶ力」も「早期の終息」に影響したと思う。

 これは日本人にも共通する。新型コロナウイルスの拡大がアジアで比較的抑えられているのはアジア人の体質、習慣やアジアの国の文化風土があるのではと思う。特に中国は儒教の国である。日本もその影響を受けている。少し皮肉を言えば、そんな風土が日本にもあるのに日本で終息が遅れるのはどうしてなのだろうか。

 非常時に我慢をする。お互い助け合う。そんな国民性が重要な役割を果たしたと思う。儒教の影響だろうか、中国人には新型コロナウイルス陽性者に対し、本人に問題があると考える人は少ない。「ドアの封印」のように見た目の対応はきついが、心の中では皆が「朋友」である。

 そして高度に進んだ中国のネット社会も新型コロナウイルス対策で効果を発揮した。

 スマホには各自の健康データ、行動記録が入っている。スマホの健康データの提示で人が密集する場所のコントロールが進んだ。監視社会と批判されるが、新型コロナの非常時に情報化社会が大きな威力を発揮している。

 筆者は、常々日本の中国の捉え方は極端に走りすぎると思う。「日本は中国とは違う」と切り捨てた中にこそ大事な教訓が隠れている。