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【22-29】中国のオープンハードウェアM5Stackが日本の研究者の間で広く使われている理由

2022年08月09日

高須正和

高須正和: 株式会社スイッチサイエンス Global Business Development/ニコ技深圳コミュニティ発起人

略歴

略歴:コミュニティ運営、事業開発、リサーチャーの3分野で活動している。中国最大のオープンソースアライアンス「開源社」唯一の国際メンバー。『ニコ技深センコミュニティ』『分解のススメ』などの発起人。MakerFaire 深セン(中国)、MakerFaire シンガポールなどの運営に携わる。現在、Maker向けツールの開発/販売をしている株式会社スイッチサイエンスや、深圳市大公坊创客基地iMakerbase,MakerNet深圳等で事業開発を行っている。著書に『プロトタイプシティ』(角川書店)『メイカーズのエコシステム』(インプレスR&D)、訳書に『ハードウェアハッカー』(技術評論社)など
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M5Stackシリーズ。画面やマイコン、無線機能を備えたコアユニットに、様々なセンサー類などを追加して、アイデア実証のプロトタイプを行う。

コンピュータがあらゆる場所に進出

 ここ10年ほど、コンピュータの低価格化・小型化・高性能化が一定のレベルに達し、様々な形のコンピュータが登場し、社会の中で活躍の場を広げている。たとえば携帯電話やドローンはそれぞれ、電話付きコンピュータや飛ぶコンピュータと言える。また、イルカやクジラにコンピュータを付けて海に放つ、人間の体にコンピュータを入れてデータを取るなど、あらゆる研究や技術開発とコンピュータが関連するようになった。

 それにより、どの分野においても、新しいアイデアやイノベーションが行われる際に、コンピュータを使って新しい分野でアイデアを実際に体験できるように検証する仕事が、あらゆる業態に広がっている。

 試作を含む研究開発と大量生産が遠く離れていたのは前世紀のスタイルとなり、GoogleやFacebookなどは社員の大半を研究開発に割いている。日本でも多くの企業が研究開発への投資を増やし、新しい会社ほど「一度プロトタイプを作ることで、アイデアの検証をする」という人員を増やしている。

 そうしたアイデアのプロトタイプ、概念実証の分野で、中国・深圳の新興企業M5Stack社の製品が広く使われている。

「コンピュータを学ぶための教育用製品」というカテゴリの製品は以前からあったが、プロトタイプ用の製品が様々な業種で使われるようになったのはこの10年程度のことだ。

プロトタイプ分野で最も使われている深圳M5stack

 M5Stack社の製品は、2018年の国内販売開始から、わずか4年余りで広く使われるようになった。Amazonでは30冊の日本語の入門書籍が、論文検索サイトGoogle Scholarでは2022年だけで48件の論文が確認できる。

 また、近畿大学で新設された「情報学部」では、学生全員にM5Stackを貸与し、プログラミングによるアイデアの実証を行っている。

 筆者は深圳で事業開発を行い、勤務先のスイッチサイエンスはM5Stackシリーズの日本総代理店をしている。2018年の国内販売開始から急速にシェアが拡大する様子に驚いている。

 現在世界全体のM5Stackの販売数のうち、日本からの売上は40%近くを占め、世界で最もM5Stackのシェアが高い国でもある。

 他の製品と比較して、日本のエンジニア・研究者が圧倒的に支持する製品は、どう生まれてシェアを獲得したのだろう?

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CEOのJimmy Lai。中国南方電網時代にM5Stackのアイデアに気づき、起業した。

日本のシェア獲得につながった5つの理由

 筆者は以下の5つが成功要因だと考えている。

1.製品そのものの良さ
2.価格や供給体制の良さ
3.オープンハードウェアである信頼性
4.頻繁なアップデート
5.1-4の理由が組み合わさって生まれたユーザコミュニティ

 3~5は他の製品、特に日本の製品では難しい特色だ。以下に詳しくまとめる。

製品そのものの良さ

 M5Stack社CEOのJimmy Laiはもともと、中国南方電網という国営電力会社のエンジニアで、ひんぱんに様々なスマートメーターの開発をしていた。「多くのスマートメーターで共通する機能をまとめて、様々なセンサーは拡張できるようにすれば、多くのエンジニアが助かるのでは?」というのが製品のアイデアである。

 ほとんどの開発ボードは画面やボタンなど、プロトタイプであっても最終的に必要になるものを毎回用意しなければならない。あるいは、特定のプロトタイプに特化されすぎていて使いづらい。この相反する要求を両立させたのは、優れた製品企画と言える。

 CEOであり、今も製品設計の指揮をとるJimmyは顧客であるエンジニアとTwitter等で直接対話して、「エンジニアが必要なものを作る」という姿勢を示している。

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キャプション; M5Stackシリーズはプロトタイプ実証までの時間を最小化する。(図は筆者作成)

価格や供給体制の良さ

 ハードウェア製造の中心地である深圳は、センサー類や半導体、マイコンなどが最も集まる場所である。そのぶん買い占め等による品不足の影響も大きいが、M5Stackは自社で設計・製造を行い、製造委託/ファブレスでは難しい代替部品への切り替えを行い、品不足を防ぐことで、欧米の製品が欠品する中、売上を伸ばしている。

オープンハードウェアである信頼性

 これが最もユニークな特色と言える。M5Stackは発売当初から、同社以外の様々なセンサーと組み合わせることを推奨し、ハードウェアの内部構造や互換性など、開発に必要な情報を積極的公開してきた。

 後追いコピー品を歓迎しているわけではなく、ファームウェアのバイナリやクラウド上にある専用の開発環境UIFlowなどはソース非公開で、「オープンソース」という概念には当てはまらない。

 一方で、他社がM5Stackを使ってソリューション開発や書籍の出版などをする際に同社の許可は必要ない。開発基本契約のようなものもなく、同社の製品を購入すればどのような開発も可能だ。開発の上で必要な情報はGitHub等インターネット上に公開されている。CEOが自ら、Twitterなど公開のSNS上で不具合や活用法についてオープンに利用者とやりとりすることも多い。

 権利関係の理解が不十分な中国企業が多い中、戦略的にオープン戦略を実施しているM5Stackのスタンスは、ハードウェア業界では珍しい。

頻繁なアップデート

 開発ボードという性質上、なるべく幅広いセンサーをつなげたいし、最新の機器をつなげて試したい。M5Stackは公開されたインターフェースに他社のセンサーをつなげることも可能だが、同社が動作保証してサンプルプログラムも追加したオプション品として販売されているもののほうが手軽だ。

 M5Stackでは毎週ハードウェアの新製品を発売し、同社で検証済みのセンサーなどをラインナップに追加して、ユーザがアイデアの検証をより速く行えるようにサポートしている。

1-4の理由が組み合わさって生まれたユーザコミュニティ

 これまでの利点と、同社が続けてきたユーザと対話する姿勢が相まって、日本では前述した多くの書籍や授業での採用など、さまざまな広がりを見せている。特定の組織に限らず、様々なコミュニティができている状態と言える。

日本企業や研究者がM5Stackから学ぶべきこと

 日本はハードウェアの開発者が多い国で、大きな市場であるにも関わらず、開発用のハードウェアは、この深圳M5Stackや、イタリア発のオープンハードウェアArduino、英国の国家プロジェクトとして始まったRaspberryPiなど、海外のプロジェクトがほとんどだ。IchigoJamなど、日本のスタートアップが初めたハードウェアも同じ理由で成功しつつあるが、日本の大企業や製造業から始まったプロジェクトは存在感がない。

 ここで名前を上げたものはいずれもオープンに相互運用が出来るハードウェアであり、ユーザコミュニティを中心に発展しているという所は、M5Stackと共通している。

 開発者として優秀な日本のエンジニアは多く、それぞれのコミュニティで日本のエンジニアは大いに活動している。だが、オープンなハードウェアを開発・販売し、コミュニティを立ち上げていくところでは、日本の製造業・ハードウェア大企業・国プロジェクトいずれも存在感を出せていない。米Googleなども開発ボードを発表し、ソフトウェアだけでなくハードウェアでもオープンな開発コミュニティを構築して集合知を活かしていくのが求められる中、M5Stackのようなオープンハードウェアとコミュニティの成功例から日本が学ぶことは多い。

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