【22-08】科学技術分野での米中対立の構造を読む(その1)
2022年03月24日 倉澤治雄(科学ジャーナリスト)
はじめに
一国の科学技術力を研究開発費、研究者数、論文数といった指標だけで測ることに無理があることは百も承知である。とくに中国のように14億人もの人口を抱える国では、平準化されたデータが必ずしも実態を反映しない。一方でデータを10年単位の長いスパンで比較すると、上昇に向かっているのか、はたまた下降線をたどっているのか、一目瞭然となる。科学技術の基礎的指標は明確に中国の急激な台頭と日本の凋落を示している。
4.1 指標で見る中国の科学技術力
4.1.1 米国に迫る中国の研究開発費
科学技術指標の中で「研究開発費」は極めて重要である。投入した資金と研究成果には正の相関関係があるからである。(豊田長康著『科学立国の危機』東洋経済新報社)
研究開発費の比較方法は「IMF為替レート換算」のほか、「OECD購買力平価換算」の「名目額」、それに基準年をベースにした「実質額」などの手法がある。図4-1は「名目額」であるが、問題は絶対値ではなく、伸び方のパターンである。官民合わせた中国の研究開発費は2000年以降、指数関数的に増大していることが分かる。
中国国家統計局などが2021年9月22日に発表した「2020年全国科学技術経費投入統計公報」によると、2020年の研究開発費総額は前年比10.2%増の2兆4393億1000万元(約41兆4430億円 1元17円換算)である。米国にしてみれば2001年9月11日の「米国同時多発テロ」以降、米国がテロとの戦いを繰り広げている間に、中国が米国を出し抜いて科学技術力を増大させたと映っているのである。
図4-1 米中日の研究開発費総額推移(OECD購買力平価換算名目額)単位:兆円
出典:「科学技術指標2021」
政府の科学技術予算ベースで見ると、すでに中国は2010年に米国を追い越した(図4-2)。
図4-2 米中日の科学技術予算推移 単位:兆円
出典:「科学技術指標2021」
米国の科学技術予算が4年ごとの政権交代などで一貫性を欠く中、中国は2000年以降着実に科学技術予算を増大させている。2008年に改正された中国科学技術進歩法第59条は、「国家財政の科学技術に用いる経費は国家財政の経常収入の増加幅を超えなければならない」と定めている。またGDP比でも「段階的に増加されなければならない」と明記されている。建国以来の最重要戦略は周恩来が唱えた「農業、工業、国防、科学技術の現代化」であるが、とりわけ「科学技術」は「農」「工」「国防」の現代化を支える重要分野として手厚い保護が加えられてきた。2021年は第14次5カ年計画スタートの年である。3月の全人代で李克強首相が行った「政府活動報告」では研究開発費を年平均7%以上とすることが謳われた。GDPの伸び率が公表されなかったことと対照的に、研究開発費は明確に数値目標が示されたのである。
4.1.2 研究者数は米国を凌駕
研究開発を担うのは研究者である。図4-3に示すように研究者数も2000年以降、右肩上がりに延びていることが分かる。
図4-3 米中日の研究者数推移 単位:万人
出典:「科学技術指標2021」
2019年には200万人を超え、米国に50万人以上の差をつけた。日本の約3倍である。2009年にいったん急激に減少しているが、これはリーマンショックの影響ではない。中国政府がOECDの「フラスカティ・マニュアル」を採用して、「研究者」の定義を厳格化したためである。逆にいうと従来の定義のままで研究者数の伸びを外挿すると、とてつもない数の「研究者予備軍」が存在することになる。2021年の大学卒業者数は約909万人である。中国は間違いなく世界最大の高度人材の供給源である。
4.1.3 米国との差を広げる論文数
科学技術の成果は論文という形で公開される。その論文数でも中国は首位に躍り出た(表4-1)。オランダの出版社エルゼビアが提供する世界最大級の文献データベースScopusによると、2018年に中国の論文数は44万件を超え、米国の約42万件を抜いてトップに立った(図4-4)。2003年まで米国に次いで2位だった日本は5位である。図4-1と比較すると、中国の伸び方が研究開発費の増大と歩調を合わせていることが分かる。また全米科学財団(NSF)がまとめたレポート「Science and Engineering Indicators(SEI)」も同様のトレンドを示している。SEIのデータによると、2016年に米国を抜いた中国は2020年には約67万件と、米国の45万5000件に対して約22万件以上の差をつけた。全世界の論文数に占める中国のシェアは22.77%、米国は15.5%、日本は6位の3.43%である(表4-1)。科学技術研究のリードタイムが長いことを考えると、驚異的な伸び率と言える。
出典: NSF Science and Engineering Indicators | ||||
順位 | 国名 | 2010年 | 2020年 | シェア(%) |
1 | 中国 | 308,769 | 669,744 | 22.77 |
2 | 米国 | 409,512 | 455,856 | 15.50 |
3 | インド | 60,555 | 149,213 | 5.07 |
4 | ドイツ | 97,255 | 109,379 | 3.72 |
5 | 英国 | 94,081 | 105,564 | 3.59 |
6 | 日本 | 108,534 | 101,014 | 3.43 |
7 | ロシア | 33,855 | 89,967 | 3.06 |
8 | イタリア | 58,252 | 85,419 | 2.90 |
9 | 韓国 | 50,224 | 72,490 | 2.46 |
10 | ブラジル | 41,501 | 70,292 | 2.39 |
図4-4 米中日の論文数推移 単位:万件
出典:Scopus
4.1.4 論文の「質」では米国優位
数は増えたが中国の論文は「粗製濫造」で「ジャンクペーパーばかり」という誤った評価が依然はびこっている。科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が発表する「科学研究のベンチマーキング2021」によると、「注目度の高い論文」の「Top10%補正論文数」でみると、中国が初めて米国を抜いてトップに立った。1位の中国約4万200件に対して米国は約3万7000件である。日本はインドにも抜かれて10位である。またクラリベイト・アナリティクスが毎年発表する被引用度上位1%論文の著者を国別でみるとトップは依然米国で2622人、2位が中国で935人となっている(表4-2)。中国は2018年の482人からほぼ倍増している。日本はベストテンにすら入っていない。上位1%論文の著者からは、今後ノーベル賞受賞者を輩出する確率が極めて高い。
出典:クラリベイト・アナリティクス Highly Cited Researchers by country or region | ||||||
順位 | 国名 | 著者数(人) | 2018(%) | 2019(%) | 2020(%) | 2021(%) |
1 | 米国 | 2622 | 43.3 | 44 | 41.5 | 39.7 |
2 | 中国 | 935 | 7.9 | 10.2 | 12.2 | 14.2 |
3 | 英国 | 492 | 9 | 8.3 | 8 | 7.5 |
4 | オーストラリア | 332 | 4 | 4.4 | 4.8 | 5 |
5 | ドイツ | 331 | 5.9 | 5.3 | 5.4 | 5 |
6 | オランダ | 207 | 3.1 | 2.6 | 2.8 | 3.1 |
7 | カナダ | 196 | 2.7 | 2.9 | 3.1 | 3 |
8 | フランス | 146 | 2.6 | 2.5 | 2.5 | 2.2 |
9 | スペイン | 109 | 1.9 | 1.9 | 1.6 | 1.7 |
10 | スイス | 102 | 2.2 | 2.5 | 2.4 | 1.5 |
冒頭で注意喚起したように、指標だけで国の科学技術力を評価できるわけではないが、少なくとも科学技術ファンダメンタルズを冷静に見る限り、中国の急激な台頭と日本の凋落は明白である。いずれノーベル賞を含め、世界のイノベーションをけん引する研究者や研究成果が中国から出るであろうことは容易に想像される。
( その2 へつづく)