中国の「双循環」戦略と産業・技術政策―アジアへの影響と対応
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【22-09】科学技術分野での米中対立の構造を読む(その2)

2022年03月24日 倉澤治雄(科学ジャーナリスト)

その1 よりつづき)

4.2  変容する中国の科学技術政策

4.2.1 科学技術強国への道

 科学技術分野での中国の強みの一つは中国共産党による明確かつ迅速な意思決定である。「世界の工場」を脱して基礎科学をベースとした「科学技術強国」の実現へと大きく舵が切られたのは習近平政権が始まる直前の2012年のことである。同年9月、中国共産党と国務院は「科学技術態勢の深化、国家イノベーション体系の構築加速に関する意見」を発表、中国には「核心的技術」が不足しているとの認識のもと、経済や社会の発展に寄与するイノベーション・システムの構築を目標に掲げた。

 2013年2月には国務院が「国家十大科技基礎施設建設中長期計画(2012-2030)」を発表、海洋探査システム、高エネルギー放射光施設、宇宙環境利用システム、地球シミュレータなど研究インフラの建設をスタートさせた。2014年12月には乱立した開発計画やプロジェクトの整理統合を図るため、国務院が「科学技術プロジェクト管理改革深化に関する方策」を発表、基礎研究・先端研究のファイナンスは国家自然科学基金委員会(NSFC)が担い、産業や社会変革につながるプロジェクトは「国家科学技術重大特定プロジェクト」として整理された。

4.2.2 基礎研究重視への大転換

 2018年2月、国務院は「基礎科学研究の全面的な強化に関する若干の意見」を発表、2020年までに基礎科学分野での全体水準と国際的影響力を高め、2035年には重要分野で世界をけん引するポジションを獲得し、21世紀半ばまでに世界の主要センターとなり、「世界科学技術強国」となることが目標に定められた。基礎科学は産業に直結しない研究も多いことから、政府のサポートなくしては成果が期待できない。中国政府は現在「基礎研究10年計画」の策定を進めている。

 一方産業戦略関連では、2015年の「中国製造2025」や「インターネットプラスの積極的推進に関する指導意見」、「大衆創業・万衆創新の推進に関する意見」、2016年の「国家創新駆動発展戦略要綱」、2017年の「次世代AI発展計画」などが矢継ぎ早に打ち出された。2021年3月に公表された「第14次五カ年計画」でも全19編65章の第2編「イノベーション駆動発展を堅持し、全面的に発展の新優勢を作り上げる」の筆頭項目に「国家戦略科学技術力の強化」が挙げられている。

「科学技術」と4文字を連ねて表現されることが多いが、「科学」と「技術」には根本的な相違がある。「科学」、とりわけ「基礎科学」では独創性が重んじられ、「真理の探究」が理想として掲げられる。一方、「技術」は基本的に「模倣」を旨とする。また基礎研究は時として社会への還元を目的としておらず、成果が出るまでのリードタイムが長い。一方の「技術」は産業への応用が基本である。その意味で中国は今、「世界の工場」を支えてきた「技術」偏重から、真のイノベーション創出を目指す基礎科学重視へと舵を切り始めたと言える。

 その象徴が2020年2月20日に教育部・科技部などが公表した「単科大学および総合大学におけるSCI論文に関する指標の使用規制と正しい評価の方向性の樹立について」という通知である。SCI(Science Citation Index)はトムソンロイター社の文献引用システムで、中国ではこれまで「Nature」や「Science」など引用頻度の高い雑誌に論文を発表した研究者が学位審査、人事考課、研究費配分、報酬で優遇されてきたが、目先の成果を求める過当競争により、成果の出にくい基礎研究や大学院教育がおろそかになるとの反省が生まれた。同通知はSCI指標を研究者の報酬と連動させないこと、指標を学位授与の条件としないことなどを求めた。これにより研究者をじっくり落ち着いて革新性と科学的価値の高い研究に向かわせるようというのが狙いである。政権が目指す「量」から「質」への転換とも合致する。

4.3  科学技術をめぐる米中対立の構図

4.3.1 米国の神経を逆なでした中国の産業政策

 米国の科学技術系シンクタンク「情報技術イノベーション財団(ITIF)」は2019年のレポートで、「中国はコピー大国を脱し、イノベーション分野で世界のリーダーを目指している」と断じた。前年の2018年10月、当時のペンス副大統領は次のように中国に対する対抗心を露わにした。

「中国共産党は『中国製造2025計画』を通じて、ロボット工学、バイオテクノロジー、人工知能など世界の最先端産業の90%を支配することを目指しています。中国政府は21世紀の経済で圧倒的なシェアを得るために、官僚や企業に対して米国の経済的リーダーシップの基礎である知的財産を、必要なあらゆる手段を用いて獲得するよう指示してきました。最悪なことに中国の治安機関が最先端の軍事計画を含む米国技術の大規模な窃盗の黒幕なのです」

 科学技術分野での米中「新冷戦」の口火を切ったとされるペンス演説には米国の認識が集約されている。米国は中国が「最先端産業」の「90%」を支配しようとしていると認識している。ただし「90%」の根拠は示されていない。また米国が想定する「最先端産業」はロボット工学、バイオテクノロジー、人工知能など安全保障に直結する分野である。

4.3.2 知財戦争とデュアルユース問題

 さらに科学技術分野での米国の覇権を支えてきた「知的財産」を中国が狙っていることに強い危機感を持っている。国の知財力を表す指標のひとつである国際特許出願数で、中国はすでに米国を抜いてトップに立った。しかも米国は中国による「知的財産」獲得の手法が合法的なものではなく、治安機関が「窃取」していると認識している。中国人民解放軍サイバー部隊の草分けである「人民解放軍総参謀部第三部第二局(通称61398部隊)」がGoogleのアルゴリズムを含め、F35戦闘機の設計図、ガスパイプライン技術、健康管理システムのデータ、原子力関連情報などのデータを盗み出したとされる事件が背景にある。(デービッド・サンガー著 サイバー完全兵器 朝日新聞出版)

 基本的にすべての技術は「軍民両用(デュアルユース)」である。かつては軍事技術が民生用に転換される例が多かったが、今は民生技術が軍事技術に転用される時代である。「スピン・オフ」から「スピン・オン」への転換である。中国は「軍民融合」を政策として掲げており、日本でも「経済安全保障」という考え方がクローズアップされるようになった。

4.3.3 死命を制する最先端技術

表4-3 米国輸出管理の対象となる先端基盤技術
出典:米政府HPから筆者作成
1.バイオテクノロジー ・ナノバイオロジー
・合成生物学
・遺伝子工学
・神経工学
2.AI・機械学習 ・ニューラルネットワーク深層学習
・進化的・遺伝的コンピューティング
・強化学習
・コンピュータ・ビジョン
・エキスパート・システム
・音声・音響処理
・プラニング
・オーディオ・ビデオ操作技術
・AIクラウド技術
・AIチップセット
3.測位技術 ・測位、ナビゲーション
4.マイクロプロセッサ ・システム・オン・チップ
・スタックメモリー・オン・チップ
5.先進コンピューティング ・メモリ集約型論理
6.データ分析技術 ・視覚化
・自動分析アルゴリズム
・文脈把握型コンピューティング
7.量子情報・量子センシング ・量子コンピューティング
・量子暗号
・量子センシング
8.ロジスティック技術 ・モバイル電力
・モデリングとシミュレーション
・資産可視化技術
・配送ベース・ロジスティック
9.付加製造技術 ・3Dプリンターなど
10.ロボティクス ・マイクロ・ドローン
・群制御技術
・自己集合ロボット
・分子ロボット
・ロボット・コンパイラ
・スマート・ダスト
11.脳・コンピューター連携 ・神経制御の連携
・心とマシンの連携
・神経との直接連携
・脳と機械の連携
12.極超音速 ・飛行制御アルゴリズム
・推進技術
・熱防御システム
・特殊素材
13.先端材料 ・迷彩適応
・機能性繊維
・バイオ素材
14.先進セキュリティ技術 ・顔認証、声紋認証技術

4.3.4 中国のフロンティア領域

 一方、14次五カ年計画で重要な取組として挙げられたテーマは、人工知能、量子技術、半導体など、安全保障に直結するエンジニアリング技術の研究開発が上位3テーマを占める。とくに半導体「集積回路」は米国にチョークポイントを握られていることから、自立が急務となっていることがうかがえる(表4-4)。

表4-4 第14次五カ年計画から「科学技術フロンティア領域の攻略」
出典:第14次五カ年計画 (筆者作成)
1.次世代人工知能 ・基礎理論のブレークスルー
・AI専用チップの研究開発
・深層学習研究プラットフォームの構築
・学習・推理・意思決定
・画像認識、音声認識
・自然言語処理
2.量子情報 ・量子通信技術
・汎用量子計算機と量子シミュレータの開発
・量子精密測定技術
3.集積回路 ・集積回路設計ツール
・製造装置と新半導体材料の開発
・絶縁ゲート型バイポーラトランジスタ(IGBT)
・微小電子機械システム(MEMS)
・先端ストレージ技術
・炭化ケイ素・窒化ガリウム(SiC/GaN)などワイドバンドギャップ半導体の発展
4.脳科学とニューラルネットワーク研究 ・脳認知科学
・脳情報関連技術
・脳疾病メカニズム研究
・児童・青少年の知能発育科学
・ニューラルネットワーク及びブレイン・マシーンインターフェイス(BMI)研究
5.バイオテクノロジー ・ゲノム編集技術の応用
・遺伝細胞・育種
・合成生物学
・生物創薬等の技術革新
・ワクチン開発
・体外診断
・抗体研究
・バイオアグリ関連技術と新品種創出
・バイオセイフティ技術研究
6.臨床医学とライフケア ・癌・心臓・脳血管・呼吸器・代謝疾患の研究
・ヘルスケア関連技術
・再生医学
・マイクロバイオーム技術
・先端治療の研究開発
・重大慢性および非慢性疾患予防研究
7.深宇宙・深地球・深海と極地探査 ・宇宙起源、宇宙進化、地球深部基礎研究
・火星周回、小惑星探査
・次世代大型ロケット、再使用型ロケットの開発
・地球深部探査
・深海探査船
・三次元極地観測プラットフォームと砕氷船
・月探査プロジェクト
・「蛟龍」深海探査
・「雪龍」極地探査

 21世紀の産業や社会に最も大きな変化をもたらす技術はおそらくAIだろう。この分野でも中国は米国とほぼ互角の戦いを進めている。AI関連論文数では米中が合わせて8割を占めており、日本は二周遅れと言われている。日本のAI研究をリードする松尾豊東京大学大学院工学系研究科教授は「米中両国がトップで、その後にイギリス、カナダ、ドイツ、シンガポールなどが続き、日本はまだその下という感じだと思います」と語っている。

その3 へつづく)