中国の「双循環」戦略と産業・技術政策―アジアへの影響と対応
トップ  > コラム&リポート 特集 中国の「双循環」戦略と産業・技術政策―アジアへの影響と対応 >  File No.22-10

【22-10】科学技術分野での米中対立の構造を読む(その3)

2022年03月24日 倉澤治雄(科学ジャーナリスト)

その2 よりつづき)

4.4 宇宙覇権の行方

 国家プロジェクトとしての「宇宙開発」は科学技術力を測る重要な指標となる。かつて米国とソ連は1957年の「スプートニク・ショック」を起点として、激しい宇宙覇権競争を繰り広げた。科学史上、「スペース・レース」と呼ばれる。現在、米国のライバルはソ連ではなく中国である。

4.4.1 火花を散らす月と火星

 中国共産党創立100周年の2021年、中国は火星への探査機「天問1号」の軟着陸に成功した。奇しくも米国の火星探査機「パーシビアランス」も火星での探査を開始した。火星探査に先鞭をつけたのはソ連である。1960年以降、20機以上の火星探査機を打ち上げたが、ことごとく失敗した。7000万キロを超える距離に加えて、火星周回軌道への投入、軟着陸と技術的ハードルは高い。米国でさえ1964年の「マリナー3号」の打ち上げから、1976年の「バイキング1号」での軟着陸まで12年を要した。地球と火星の間には「探査機の墓場がある」とまで言われている。今回中国はたった1回のミッションで実現した。

 米国の対抗心に火をつけたのは2019年1月の「嫦娥4号」による月の裏側への軟着陸である。これまで米ソとも実現したことがなく、なおかつ月の裏側のクレーターには水の存在が想定されたことから、米国は危機感を募らせた。水は月面恒久基地での生命維持に必要なだけでなく、エネルギー源としても不可欠である。水を原子力エネルギーで水素と酸素に分解すると、ロケット燃料を含めたエネルギー源として利用できる。2019年3月26日、ペンス副大統領は国家宇宙会議で次のように語った。「中国は昨年、月の裏側にいち早く到達し、月での戦略的ポジションを獲得し、世界の卓越した『宇宙強国になる』という野心を明らかにしました。次に月面に立つ女性と男性は米国の宇宙飛行士であり、米国の国土から、米国のロケットで打ち上げられなければならないのです」。

 中国は2020年12月、「嫦娥5号」で月のサンプル回収にも成功した。無人でのサンプル回収は極めて難易度が高い。「嫦娥5号」が持ち帰ったサンプルを分析した中国の研究者は2022年1月7日、「水の存在が確認された」と発表した(Science Advances 2022年1月7日)。21世紀初の有人月探査をめぐって、米中の新たな「スペース・レース」がすでに始まっている。

4.4.2 低軌道では中国の独壇場

 宇宙開発分野で中国が圧倒的にリードしているのが「量子通信衛星」である。2016年に打ち上げられた量子通信衛星「墨子」は世界で初めて7600キロの量子テレポーテーションに成功した。「量子通信」は絶対に秘密が破られない通信と言われるが、地上での到達距離は100キロに満たない。オーストリア・ウィーン大学のアントン・ツァイリンガー博士のもとに留学していた中国科技大学の潘建偉教授が世界で初めて開発に成功、2021年1月には北京、上海など32地点を結ぶネットワークを完成した。安全保障や金融分野の利用が始まっていると伝えられる。米国は「量子通信衛星」について全く言及しない。青木節子慶応義塾大学教授は著書『中国が宇宙を支配する日』で、「量子科学衛星の重要性を知る米国の宇宙・防衛関係者の不気味なほどの沈黙は、むしろいかに大きなショックであったかを雄弁に物語っているのではないかと思います」と書いている。

 中国の打ち上げロケット回数は米露を抑えてトップである。2021年は年間打ち上げ実績55回と過去最多を記録した。「長征シリーズ」の打ち上げ回数は400回を超えた。地球規模のインフラとなりつつあるのが測位航行衛星「北斗」だ。2020年6月、最新鋭の「北斗3型」35機を含む55機体制が完成、測位、航法、時刻サービスを開始した。対応チップはiPhoneを含むスマホや自動車にも搭載され、米国が主導するGPSに取って代わる可能性が出てきた。すでに30以上の「一帯一路」関係国が「北斗システム」を利用している。「北斗」の優位性は精度にある。GPSの数メートルに対して、「北斗」は標準で50センチ、将来、数センチまでバージョンアップされるという。中国は1990年の湾岸戦争で、米国がGPSの精度を落としたことに衝撃を受けた。GPSを利用していたイラク軍は大混乱に陥った。また1993年、中国の貨物船「銀河号」がイランへの化学物質を輸送しているとの疑いで米国の臨検を受けた際、GPSを切断されて洋上での漂流を余儀なくされたことから、自前の測位航法システム構築の重要性をひしひしと感じた。「銀河号の屈辱」を晴らすのが「北斗」なのである。

 宇宙旅行が現実のものとなりつつある今日、微小重力環境での宇宙実験でも米中の競争が激しさを増す。米国主導の国際宇宙ステーション(ISS)は2024年に退役する。米国議会で2030年まで延長する議論も行われているが、運用主体は民間に移行される。中国は2021年4月、宇宙ステーション「天宮」のコアとなる「天和」の打ち上げに成功した。6月17日には「神舟12号」で3人の宇宙飛行士を送り込んだほか、10月16日には「神州13号」で3人の宇宙飛行士が交代要員として「天宮」に乗り移った。3人は約6カ月という長期の滞在実験に臨んでいる。

4.4.3 国策としての宇宙開発と民間ベンチャーの戦い

 宇宙開発分野での中国の強みは中国共産党の意思決定を実行に移す膨大な行政組織と人材である。宇宙政策を一元的に担うのは国務院工業情報化部傘下の「国家航天局」であり、実働部隊である国有企業「中国航天科技」と「中国航天科工」の従業員数は30万人を超える。これに中国人民解放軍戦略支援部隊などを加えると、50万人近くに上ると見られている。米国航空宇宙局(NASA)の1万8000人と比べると、その膨大な組織と人材に圧倒される。日本の「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」は約1600人である。

 一方、米国の強みは何といっても民間宇宙ベンチャーの活力である。イーロン・マスク率いる「スペースX」やAmazon創始者のジェフ・ベゾスが率いる「ブルーオリジン」をはじめ、大小さまざまな宇宙ベンチャーが多様なアイデアの実現に向けてチャレンジを続けている。またカナダ、欧州、日本など、同盟国との協力関係も米国の強みである。月への有人飛行を目指す「アルテミス計画」には日本、カナダ、イギリス、イタリア、オーストラリアなど、12か国がすでに参加を表明した。

 宇宙はサイバー空間、電磁波領域とともにすでに「戦闘領域(War-Fighting Domain)」である。「宇宙を制するものがすべてを支配する」というのが、米中双方の認識である。

4.5  新たな頭脳循環と大学の未来

4.5.1 大学ランキングで見る米中比較

 次世代のイノベーションを担う人材は大学から生まれる。世界の大学はこぞって人材獲得競争を繰り広げている。優秀な人材が大学を選ぶときに重視するのが大学ランキングである。日本では軽視されているが、頭脳循環の指標でもあるランキングを上げるため、世界の大学はし烈な戦いを繰り広げている。

 もっとも権威ある「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)」のランキング2022年版でみると、ベストテンは依然、米英のオクスフォード、カルテク、ハーバード、スタンフォード、ケンブリッジなどの常連が占めているものの、清華大学と北京大学がともに16位にランクされ、関係者に衝撃を与えた。東京大学は35位、京都大学は61位である。

 現在のルールでTHEのランキングが始まった2011年、清華大学は58位だった。わずか10年後の2021年には20位にランク、2022年はベストテンを狙える位置にまで順位を上げたのである。THEの評価基準は「教育」「研究」「論文引用数」「国際性」「産業界からの資金」である。「研究」だけを取り出すと、清華大学はすでに第8位、北京大学は9位とベストテンに入る。中国政府は「211プロジェクト」、「985プロジェクト」、「双一流」など、「選択と集中」により、国策としてベストテン入りを後押ししている。

4.5.2 アジアの覇者となった中国

 THEからアジアの大学を抜き出してみると中国の躍進は明らかである。2015年までアジアトップだった東京大学は2016年、シンガポール国立大学に抜かれて陥落、2019年には清華大学がシンガポール国立大学を抜いてトップに立った。清華大学、北京大学だけではない。アジアの大学ランキングを見ると復旦大学、浙江大学、上海交通大学、中国科技大学、南京大学、武漢大学、南方科技大学、華中科技大学、それに香港大学など香港の大学が目白押しとなっている。日本の大阪大学、名古屋大学、東北大学、東京工業大学などはベスト30から姿を消した。10年後の大学ランキングと頭脳循環の構図は間違いなく大きく変化しているだろう。

表4-5 アジア大学ランキング推移
出典:タイムズ・ハイヤー・エデュケーション2022(筆者作成)
順位 2011年 2015年 2022年
1 東京大学(日本)
*世界26位
東京大学(日本)
*世界23位
清華大学(中国)
*世界16位
2 浦項科技大学(韓国) シンガポール国立(S) 北京大学(中国)
*世界16位
3 シンガポール国立(S) 香港大学(香港) シンガポール国立(S)
4 北京大学(中国) 北京大学(中国) 香港大学(香港)
5 香港科技大学(香港) 清華大学(中国) 東京大学(日本)
6 中国科技大学(中国) ソウル大学(韓国) 南洋大学(S)
7 京都大学(日本) 香港科技大学(香港) 香港中文大学(香港)
8 清華大学(中国) KAIST(韓国) ソウル大学(韓国)
9 KAIST(韓国) 京都大学(日本) 復旦大学(中国)
10 国立清華大学(台湾) 南洋理工大学(S) 京都大学(日本)
11 ソウル大学(韓国) 浦項科技大学(韓国) 香港科技大学(香港)
12 香港バプテスト大学(香港) 香港中文大学(香港) 浙江大学(中国)
13 東京工業大学(日本) 東京工業大学(日本) 上海交通大学(中国)
14 国立台湾大学(台湾) 成均館大学(韓国) 中国科技大学(中国)
15 南京大学(中国) 台湾国立大学(台湾) 香港理工大学(香港)
16 大阪大学(日本) 大阪大学(日本) KAIST(韓国)
17 東北大学(日本) 東北大学(日本) 南京大学(中国)
18 香港理工大学(香港) 香港城市大学(香港) 国立台湾大学(台湾)
19 国立中山大学(台湾) 復旦大学(中国) 成均館大学(韓国)
20 中山大学(中国) 香港理工大学(香港) 香港城市大学(香港)
21 南洋理工大学(S) 高麗大学(韓国) 延世大学(韓国)
22 国立交通大学(台湾) 中国科技大学(中国) 武漢大学(中国)
23 延世大学(韓国) 延世大学(韓国) 南方科技大学(中国)
24 浙江大学(中国) 名古屋大学(日本) 蔚山工科大学(韓国)
25 *2011年は200校のみ 首都大学東京(日本) 華中科技大学(中国)
26   南京大学(中国) 浦項科技大学(韓国)
27   国立清華大学(台湾) 高麗大学(韓国)
28   国立交通大学(台湾) マカオ大学(マカオ)
29   上海交通大学(中国) 台北医科大学(台湾)
30   東京医科歯科大学(日本) 世宗大学(韓国)

おわりに 米中科学技術覇権の行方と日本

 筆者は、手放しで中国の科学技術政策や教育政策を礼賛する意図は全くない。科学技術覇権をめぐる米中対立の中で、中国が多数の弱点を抱えているのも事実である。まず国際協力が得にくくなった点だ。米国は欧州、アジアの同盟国を中心に幅広い科学技術協力体制の構築が可能だが、中国の有力なパートナーはロシアなどに限られる可能性がある。中国の論文は国際共著論文が多く、とくに米国との共同研究は中国の科学技術力の高評価にもつながっていた。米国による中国人研究者や学生に対するビザ制限などで、人的ネットワークのデカップリングが進むと、長期的には米中双方にとって不利になるだろう。米国のノーベル賞候補でもあったハーバード大学のチャールズ・リーバー博士が「千人計画」への参加を理由に逮捕・起訴されて有罪判決を受けたことは、米国科学界に衝撃を与えた。

 また、研究機関や大学における権力の二重構造もいずれ問題となるだろう。大学や研究機関には学長の他に共産党書記が置かれている。数年前に発生した北京大学学長の頻繁な交代は、背景に学長と書記の権力闘争があったと言われている。また文化大革命などの政治的混乱の影響により、もともと基礎研究の伝統が希薄なこと、人類への貢献という理想に欠けること、研究者の発言の自由が必ずしも保証されていないこと、党の方針に合わない研究が軽視されること、中国の得意分野が工学に偏っていること、さらには膨張した大学の教育水準の劣化、研究開発の非効率などの問題を抱えている。

 科学技術の発展は一国のみではなしえない。論文数では後退したものの、日本にはきらりと輝く研究が多数存在する。米中対立が厳しさを増す中、日本は他のアジア諸国やヨーロッパ諸国との連携を深め、科学技術分野での対立を最小化する役割を担っているのである。

(おわり)