【20-03】第7回 中国農業科学院作物科学研究所のゲノム編集研究組織と成果
2020年07月20日
高橋五郎: 愛知大学名誉教授(農学博士)
略歴
愛知大学国際中国学研究センターフェロー
中国経済経営学会会長
研究領域 中国農業問題全般
中国に於ける食料関係のゲノム編集研究は全国的な広がりを見せている。そこで、最も先端を行く研究機関を事例にその活動概要について紹介しよう。
表1のように、中国の主な食料関係ゲノム編集研究機関には、中国科学院系統のうち実績のある遺伝発育生物学研究所、遺伝子研究センター、青島生物エネルギー過程研究所、上海生命科学研究院などがあり、農業農村部傘下の中国農業科学院系統の深圳農業ゲノム編集研究所、作物科学研究所が、大学関係では中国農業大学(作物功能ゲノム編集・分子育種研究センター)・復旦大学・上海交通大学などをはじめ多数の研究組織ができている。中には、当該研究専門組織でないものも含まれるが、中国ではこの分野は将来に於いて最も大きな発展が期待できることから、農業分野に限らず多くの自然科学系の組織が参入しつつある。
中国政府は食料関係にかぎらず、ゲノム編集技術開発に力を入れ、国立系の研究機関には年間数十億円から数百億円もの予算をつぎ込んで、植物の新品種開発・生物の改良と実用化、その前提になる基礎研究を支援している。
これらの研究機関のうち、実績と研究体制面から特に注目されるのは遺伝発育生物学研究所、深圳農業ゲノム編集研究所、作物科学研究所であるが、ここでは最後の中国農業科学院作物科学研究所(表2の※印)に着目してみよう。
1.作物科学研究所の沿革と組織概要
当研究所が対象とするのは文字通りの作物、特に4大穀物の小麦、トウモロコシ、大豆、水稲および雑穀のゲノム編集技術研究と新品種開発とその実用化である。
作物育種栽培研究所(1957年)、作物品種資源研究所(1957/78年)、原子力利用研究所(1978年)の一部であった作物育種部門の3つの研究組織を母体とし、2003年に国家級の作物科学専門研究機関として発足した。
現在の研究所には、作物種質資源センター(2018年)・作物遺伝子分子設計センター(2017年)・作物遺伝育種センター(2017年)・作物栽培・耕作センター(2017年)の4つの研究組織がある。さらに中国で最大規模の原種保存庫(施設として世界第2位の50余万種)である国家作物種質庫ならびに国家重大科学施設の農作物遺伝子資源・遺伝子改良重大科学プロジェクト施設などが併設されている。また全国14か所に試験基地等を設置している。
現在、作物功能ゲノム研究、小麦遺伝子資源発掘利用研究、作物遺伝子組み換え・ゲノム編集技術応用研究、作物ゲノム選択育種研究、水稲分子設計技術及び応用研究、作物生物情報学及びその応用研究など20組、及び51組のイノベーション開発の研究グループ(日本流にいえば研究室に相当)があり、それぞれのグループが一人のリーダーの下、プロパーの研究員、大学院生及びポスドクなどを擁する研究・教育組織で、大きなところでは20名以上の陣容を擁した研究体制を整えている。
2.研究体制
2019年現在の研究体制は正規雇用職員1,363人、うち研究職が約1千人である。中国の研究機関に共通するが、ここにも専門領域研究者育成事業があり、ポスドク55人、大学院研究生612人がいる。
研究グループの一つ謝伝曉研究員(博士指導師・52歳)が率いる「トウモロコシゲノム編集育種イノベーション研究グループ」は、高等食物ゲノム編集技術・トウモロコシ分子設計育種・トウモロコシ育種新技術・ハイブリッド作物品種及びその親種子のDNA指紋鑑定技術基準研究を主なテーマとする。リーダーの謝氏は、ZmAGO1aタンパク質とそのコーディング遺伝子および応用・トウモロコシRNAポリメラーゼⅢ(3)によって認識されるプロモーターとその応用など、これらの分野に関する多くの知的所有権(発明特許権)を保有している。また、「中単89」というトウモロコシ新品種の実用化認可を安徽省から得ている。Zhao, Y.等との共著論文、An alternative strategy for targeted gene replacement in plants using a dual-sgRNA/Cas9 design(二重sgRNA / Cas9設計を利用した植物における標的遺伝子置換の代替戦略). Scientific Reports 6, 23890. doi: 10.1038/srep23890 (2016)など多数の研究業績がある。
謝氏は安徽農業大学修士課程及び中国科学院博士課程を修了、国際研究機関の一つである国際トウモロコシ小麦改良センター(CIMMYT、メキシコ)の訪問学者を務め、アイオワ大学はじめ、アメリカ・カナダの大学に留学した経歴を持っている。
謝氏に限らず、当研究所の研究員のすべてといっていいほど、海外留学や海外研究機関等への勤務経験を持ち、研究水準の国際化やグローバルな人的ネットワーク形成に貢献している。
この研究グループは副研究員1名、助手研究員1名、ポスドク1名、大学院生8名という体制で、主任務の研究と並行した若手研究者の育成を行っている。助手研究員やポスドクは研究グループが行う公募による採用であり、国内の優秀な若手研究者の中から選抜される。
謝氏の研究グループ以外で、植物ゲノム編集技術を直接的な研究テーマとするグループはほかに少なくとも5グループがある。徐建竜「水稲分子育種イノベーション研究グループ」・夏蘭琴氏「ゲノム編集と新材料創成イノベーション研究グループ」・毛龍氏「小麦複雑ゲノム編集解析イノベーション研究グループ」・万建民氏「水稲功能ゲノム編集学イノベーション研究グループ」・邱麗娟氏「大豆遺伝子資源イノベーション研究グループ」である。他にも、メインの研究テーマでなくとも、ゲノム編集技術の直接的・間接的な基礎・応用研究に取り組んでいるグループが複数ある。
3.最近の主要研究成果
作物科学研究所を単位としたゲノム編集技術に関連する研究分野では、農作物遺伝子資源と遺伝子改良国家重大科学プロジェクトによる、合計11万件に上るシーケンスサービスの完了、6万件のDNA蛍光フラグメントの分析、10万件のDNA塩基の合成が大きな成果であった(2019年)。
併設する植物遺伝子組換え技術研究センターは水稲・小麦・トウモロコシ・大豆などの遺伝子転化技術体系を用いゲノム編集技術を応用し、いくつかのゲノム編集新材料の創出に成功、国家発明特許権取得8項目、900以上に及ぶ遺伝子転化技術を開発した。中でも、CRISPRゲノム編集技術により大豆開花調整遺伝子GmFT2aとGmFT5aのノックアウトを利用、低緯度地帯に於いて栽培可能な大豆の品種改良に重要な進展を図った意義には大きいものがある。同様に、CRISPRゲノム編集技術を応用、小麦交雑種の後代性質の変異体の誘導開発、優良遺伝子への結合技術の開発などにも大きな進展が図られた。
2019年には政府直轄の国家重点研究開発計画課題として「雑穀作物の中核種構築とゲノム編集変異背景の評価」、国家自然科学基金プロジェクト「異種多元体小麦の順化のゲノム編集学の基礎研究」などに18件に上る国家級プロジェクトが始まった。
2019年には、11年かけて取り組まれてきた大きな研究課題も達成された。国家の主要なニーズと現代の農業建設の主戦場に、科学技術が農村の活性化を支援し、貧困から脱却し、国家の食料安全保障を確保する能力を高める「技術のための穀物の貯蔵」科学技術計画を策定、主導したものであった。
具体的には、種子資源の収集と保存、識別と評価、イノベーションと利用などの公共福祉基盤を作り、基礎研究、種子産業の発展のための資源支援を提供し、社会やメディアの注目を集め主導された「グリーンスーパーライス・プロジェクト」(緑色超級稲プロジェクト:GSR)である(このGSRプロジェクトについては、2019年04月03日付JST:Science portal China に於いても取り上げられた)。
このプロジェクト(GSR)研究はコメの高収量、高品質、多くの耐性を持つ新品種140を育成し、160万世帯の増収を実現した。また稲に限らず、一帯一路対象の18の諸国のための農業基盤開発と発展を含意するもので、高品質で高収量の各種の耐性を持つ作物27の新品種、これら新品種作物の33万5千ヘクタールに及ぶ栽培面積の拡大、パン製造のための原料小麦の品質向上のための改良小麦新品種であり、硬質で安定した高収量を期待できる「中麦578」の実用化などを実現した。グリーン作物開発モデルは広く普及し、「トウモロコシ種子ペレット収穫プロセス機械化グリーン生産技術」は、最大で10アール当たり2,276キログラムの収量を達成した。
4.参考資料:作物科学研究所の特許権新品種
参考までに、2018年及び2019年に作物科学研究所が取得した新品種(穀物)特許権を表2として掲げた。新品種開発以外の育種研究やゲノム編集技術研究のためのソフト開発などに関する特許権も毎年、多数取得している(2018年52件、2019年84件)。
2018年 | 2019年 | ||
名称 | 認定証記号 | 名称 | 認定証記号 |
中麦93 | 国審麦20180070 | 中緑C52 | CNA20150140.0 |
敦玉323 | 国審玉20180021 | 中緑16号 | CNA20150539.9 |
中黄78 | 国審豆20180019 | 中緑17号 | CNA20150540.6 |
航麦2566 | 国審麦20180069 | 中緑18号 | CNA20150541.5 |
中単882 | 国審玉20186101 | 中緑19号 | CNA20150542.4 |
中単4374 | 国審玉20186100 | 中谷1 | CNA20151944.6 |
中糯330 | 国審玉20180347 | 中谷2 | CNA20151945.5 |
輪選13 | 国審麦20180026 | 中谷5 | CNA20151946.4 |
輪選16 | 国審麦20180016 | CNH3844 | CNA20181396.6 |
輪選66 | 国審麦20180019 | CN1070F | CNA20181397.5 |
京粳3号 | 国審稻20180065 | CNH392M | CNA20181398.4 |
中麦36 | 国審麦20180064 | CN933M | CNA20181399.3 |
輪選266 | 京津冀審麦20180001 | CN5Z58 | CNA20181400.0 |
中麦122 | 京津冀審麦20180002 | CN818F | CNA20181401.9 |
中麦29 | 冀審麦20180008 | CNH4528 | CNA20181403.7 |
中麦123 | 京審麦20180006 | CNH3754 | CNA20181404.6 |
中単603 | 渝審玉20180005 | 中麦816 | CNA20151282.6 |
中単668 | 川審玉20180005 | 中麦996 | CNA20151283.5 |
中単126 | 黑審玉2018003 | 航2566 | CNA20151689.5 |
中麦3284 | 京審麦20180004 | 輪選13 | CNA20160432.6 |
中黄73 | 津審豆20180002 | 輪選66 | CNA20170572.5 |
中黄203 | 京審豆20180003 | 普氷02 | CNA20172120.8 |
航麦501 | 京審麦20180003 | 普冰資016 | CNA20172122.6 |
航麦287 | 陕審麦2018014号 | 中麦36 | CNA20172667.7 |
輪選146 | 鄂審麦 2018005 | 春199S | CNA20173223.2 |
輪選310 | 京津冀審麦20180003 | 中単856 | CNA20160054.3 |
輪選117 | 京審麦20180007 | 中作豆1号 | CNA20181413.5 |
中黄39 | 川審豆20180001 | 春6S | CNA20162312.7 |
中黄76 | 黔審豆20180002 | 作物科学研究所H/Pから筆者作成。 | |
中黄301 | 蘇審豆20180007 | ics.caas.cn/kycg/xpz/233661.htm | |
中黄302 | 皖審豆2018006 | ||
中黄311 | 津審豆20180001 | ||
中黄313 | 京審豆20180005 | ||
中黄314 | 津審豆20180003 | ||
中黄211 | 京審豆20180006 | ||
中黄204 | 京審豆20180004 | ||
茎優6号 | 鄂審稻2018016 | ||
銭3優982 | 琼審稻2017005 |
注:本稿の作成に当たり、主に『農業科学院作物科学研究所年報』及び当研究所ホームページを参考にした。