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【19-006】中米貿易摩擦とトランプ大統領の誤算

2019年6月17日

和中 清

和中 清: ㈱インフォーム代表取締役

昭和21年生まれ、同志社大学経済学部卒業、大手監査法人、経営コンサルティング会社を経て昭和60年、(株)インフォーム設立 代表取締役就任
平成3年より上海に事務所を置き日本企業の中国事業の協力、相談に取り組む

主な著書・監修

  • 『中国市場の読み方』(明日香出版、2001年)
  • 『中国が日本を救う』(長崎出版、2009年)
  • 『中国の成長と衰退の裏側』(総合科学出版、2013年)
  • 『仕組まれた中国との対立 日本人の83%が中国を嫌いになる理由』(クロスメディア・パブリッシング、2015年8月)

報道の後ろに見えるもの

 先日、NHKテレビのニュースで南沙問題が取り上げられた。番組では米国の国際問題研究機関関係者から南沙の海は中国の湖になり外国船が自由に航行できなくなるとの説が報道された。ニュースでは中国による環礁埋め立ての写真がながれ、中国の軍備強化、空母や海軍艦船の増強が報道された。

 情報は見る側により異なるのは常である。この報道も中国の視点に立てば逆転する。

 米国は「航行の自由」と称し空母艦隊を南沙に派遣する。米艦船の航行の映像を見れば多くの日本人には勇気ある保安官が善良な市民を守るべくパトロールをしているかのようにも映る。

 だが、中国から見れば威嚇そのものである。米国はこの二十数年、何度も中国近海に空母や潜水艦を派遣し、偵察機を飛ばして近隣国と合同軍事演習を実施した。それは中国の岩礁埋め立て前から行われている。中国からすると、南沙はいつか米国の海になる脅威だった。

 南沙諸島(英語名スプラトリー諸島)は18の小島と砂州、岩礁や干潮時に姿を現す暗礁、浅瀬の総称である。主な島には大平島(面積0.46㎢)、パグアサ島(0.37㎢)などがある。

 その島々には中国を含む複数国の領有権をめぐる紛争もある。

 18の島を実行支配するのは中国以外の国で、戦闘機が発着できる空港も4つの島に建設されている。中国以外の国も岩礁を埋め立て、施設を建設している。

 2002年の中国・ASEAN外相会議では「南海各国行為宣言」が採択され友好と論議を通じた平和的方法で南海(南沙)問題を解決することが確認され、それは今も中国・ASEANの南沙問題の要になっている。中国以外の国が18の島を実行支配しているので、南沙が中国の湖になることは全くあり得ない話である。

 それに加え現在の中国は改革開放が国是である。中国共産党もその理念の下に存在する。

 改革開放で世界の国々と交流を持ち、国の経済もそれで成り立つ。中国とASEANの関係も一帯一路で深化している。南沙が中国の湖になることは、改革開放の40年間に中国が築き上げた成果の全てを捨てることに等しい。

 日本では東西冷戦に代わる中米の覇権争いがクローズアップされるが、冷戦時代の米ソ関係と今の中米関係は全く異なる。

 そのような国際情勢や現状を無視し、南沙が中国の湖になると語るのは一方的な情報操作である。軍とのつながりも深い国際研究機関の関係者が登場し、中国の湖を強調する報道背景には何があるのだろうか。

 筆者は、日本のメディアは米国発情報をもっと咀嚼して国民に伝えるべきと常々思う。

 中国からの情報は常に批判的にとらえ、米国からの情報はそのまま伝えるのではメディアのあり方が問われると思うが。

 日本海を北に日本を見る場合と太平洋を北に見る場合では、日本の様相も違うように、情報も誰の側から伝えるかで、読み方が違うことを頭におきニュースに接したいと思う。

貿易摩擦の背景にある三つのポイント

 米国が貿易交渉で中国に圧力をかけている。

 中米貿易摩擦も、南沙問題と同じで誰から見るかで読み方は違う。

 貿易摩擦の背景には三つのことがあるだろう。一つは交渉を通じ強い大統領を印象づけること。米国は米中貿易で大幅な貿易赤字が続く。貿易赤字は米国自身に問題があるが、中国を叩くことで問題を外に向かわせ、強い大統領を印象づけたい思いが中国への圧力になっている。選挙のためである。

 もう一つは科学技術、ITで急速に進歩が続く中国は、米国の脅威になっている。中国はその力を背景に一帯一路で世界との繋がりを深めている。貿易交渉で中国を叩き、その勢いを削ぎたい、の思惑がある。中国政府による技術移転の強制や政府の企業支援への米国の「イチャモン」がそうである。ファーウェイ問題も技術移転の強制も明確な根拠を示せないので「イチャモン」である。冒頭の南沙問題もファーウェイ問題も技術移転の強制も米国の欺瞞、一方的主張に思える。貿易交渉と並行して南沙を第七艦隊が航行するのは、貿易摩擦も防衛も中国叩きということで根は同じことを表している。

 そしてもう一つは、圧力で譲歩を引き出し米国の輸出を増やすことである。

 トランプ大統領は実業家の色合いが強く、理念や政策より目先の損得に敏感で、さらに駆け引きに強く、交渉への自信を持っているだろう。

 ビジネスでは競争相手の弱みを握り、そこを集中的に攻撃すれば相手を追い落とすことができる。戦国時代の城攻めと同じで、水を断ち、兵糧攻めにすれば、白旗があがり、思うように事を進めることができる。

 今、米国は中国が白旗を上げ大幅な譲歩をするように仕向けている。

貿易赤字は米国の社会構造に原因がある

 ところがどっこい中国はしたたかで、トランプ大統領には三つの誤解、誤算があり、大統領の自信は、過信、慢心になると思う。

 誤解の一つは米国の貿易赤字は中国や日本が原因でなく、米国の社会と経済構造に原因があり、大統領ひいては米国はそこから目を背けて問題を転嫁していることである。

 米国は脚下照顧、自らの足元を見る目が欠落している。だから米国第一主義になる。

 さらにもう一つは、大統領には中国経済への誤解がある。正しく中国を理解できていない。

 最後の一つは、圧力は結局、ブーメランのように米国に跳ね返り、米国の痛手が大きくなる誤算である。

 先ず、第一の誤解だが、米国の貿易赤字の根底には米国社会の問題がある。

 中国から米国への輸出には機械、器具、電子、電気製品も多いが、その中には米企業による輸出加工品や部品輸出がある。また付加価値の低い衣料、雑貨も多い。一方、米国はITなど付加価値の高い分野の製品を中国に輸出している(以下の2つのグラフ参照)。

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 米国の中国からの輸入の多くは、米国では生産出来ないもの。出来てもコストが合わず採算がとれないもの。国内では生産したくない物である。だから、赤字の原因は米国の社会構造の問題である。

 米国製自動車が端的な例である。日本でも中国でも米国製の自動車のシェアは低い。これは関税や不公正取引によるものでなく、市場に合わせた物づくりが出来ていない結果で、市場努力の問題である。米国社会が消費中心の社会になり、生産風土が社会に薄れているからでもある。だから、圧力をかけても自国で生産できないのであれば輸入は続く。

 そのため貿易赤字の対抗措置としては、圧力でなく、もっと「米国製品を買ってください」との謙虚なお願いでなければならないはずである。

 それを力で押し通そうとするから問題が拗れ反発が生まれる。中国は何よりも面子を大事にする国である。圧力は中国との交渉手段としては逆効果で、トランプ大統領はその機微がわかっていない。それとも取り巻きが悪いのだろうか。

 そんな一面からもトランプ大統領には金と力に頼る事業家の顔が見えこそすれ、真摯な事業家の顔が見えない。

トランプ大統領には中国経済への誤解がある

 次にトランプ大統領の中国経済への誤解である。圧力を強くすれば譲歩すると考える心の底には、中国はいまだに過酷な生産環境と低賃金労働で大量の安い製品を輸出しているとの認識があるのではないか。

 輸出が減れば中国経済は窮地に陥る。そのため中国は必ず譲歩する。圧力は強いほど効き目がある、という一昔前の中国観に基づく誤解がある。

 しかし今の中国はそうではない。前回の日中論壇 で述べたように中国の変化は早い。

 次の2つのグラフは2010年から2017年までの中国のGDPにおける消費と資本形成と純輸出の割合の変化である。中国経済は投資と輸出から消費牽引の経済に移ってきている。

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 2017年までの5年間のGDP増加の最終消費支出貢献率は56.2%だったが、今年の第一四半期での貢献率は65.1%になっている。

 その背景には賃金、家計所得の急激な上昇がある。

 国家統計局が発表した都市就業者の2018年の年間平均賃金は82,461元である。

 しかし職種別では次のグラフのようになっている。科学研究と技術サービス業の昨年の平均賃金は前年比13.1%の増加、情報やソフト関連業は8.9%の増加である。

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 今年の都市別平均賃金の最も高い都市は北京の10,910元、次が上海の10,309元である。

 今年の春の広州市での営業や技術や専門職の人材募集の賃金平均額は8,321元、5年~10年の職務経験がある人の平均賃金は15,570元だった。

 15,570元なら夫婦共稼ぎの場合、25歳~30歳の若い年齢層所帯でも、家計月収は31,000元で、日本円に換算すると年間の家計所得は600万円ほどになる。

 招商銀行、中国銀行、工商銀行、農業銀行など上場銀行19行の2018年の一人平均年間賃金の平均額は40万元、日本円でおよそ640万円である。

 消費貢献率が年々高まるのも当然なことである。

トランプ大統領には中国は大変な格差社会との誤解もある

 さらにトランプ大統領にも、中国は大きな格差社会との誤解があるに違いない。格差社会なので低賃金労働者を大量に使い、それが供給過剰を引き起こし、安価な製品が米国にあふれる。きっとそんなイメージで中国をとらえているのだろう。

 前にこの欄 で中国の失業率に関するウォール・ストリート・ジャーナルの誤りを指摘したが、今でも米国人の大半は悲惨な農民工のイメージで中国の生産現場をとらえているだろう。

 しかし中国の変化の速さは所得格差にも及んでいる。広東省に江門市という市がある。話題の香港、マカオ、広東省のベイエリアの西方、広州市から車で2時間半ほどの市である。

 江門市の今年の春の普通工(現場の簡単な作業をする農民工)の募集平均賃金は月3,114元だった。残業代を加えれば4千~5千元になる。市中心から離れ辺鄙な農村地帯になれば逆に募集賃金は上がり、残業代込みで6千元、約10万円で募集広告を出す企業も目立つ。

 さらに江門市の飲食業の募集賃金は月4千元~6千元だった。それでも市内で人材が集まらず、多くの企業は広西壮族自治区など内陸に出かけて人材募集をしている。

 筆者は時々、日本の格差と中国の格差、どちらが大きいのかと考えることがある。

 2017年の都市住民の平均可処分所得の最も低い黒竜江省は最も高い北京市の43.8%である。一方、2017年の総務省統計の地区別所帯主収入が最も低い沖縄は関東地方の57.7%である。非私営企業の年間平均賃金では最も低い河南省は北京の42.1%である。

 厚生労働省の都道府県別賃金統計によれば2016年の賃金が最も低い宮崎県は東京都の62.9%だった。まだ中国は日本に比べ地域格差は大きい。しかし日本の格差は拡大し、中国の格差は縮小に向かっている。中国の都市と農村の格差も、各々の家庭の一人平均可処分所得は2010年に農村は都市に対し31.0%だったが、2013年は35.6%、2017年は36.9%と少しずつ改善している。農村は都市より家族数は多く、家計の合算所得ではその差はさらに縮まる。内陸の都市化が進み、沿海と内陸都市の所得差も縮小しているので、それに応じて都市と農村の所得差はさらに縮小すると思われる。

 このまま進めば近いうちに日中は逆転する。米国が日本や中国以上の格差社会であることを考えれば、この三国の中で、中国が最も格差の少ない社会になる可能性も否定できない。

中国経済は米国の圧力を跳ね返す力をつけつつある

 トランプ大統領の誤算は、中国経済が外需と米国依存であるという誤解に基づいている。

 冒頭述べた城攻めに例えるなら、中国経済は城中に井戸を掘り、その水である程度は持ち堪えるようになり、兵糧攻めをされようがしぶとく生き残れる状況になりつつある。

 それを裏付ける根拠として、所得の増大による内需の拡大や格差の縮小、さらに貿易の変化、産業構造の変化がある。

 2017年までの5年間の中国の輸出に占める米国の比率は平均で17.8%である。それは貿易摩擦で今後、低下すると思われる。一方、一帯一路の各プロジェクトが進み、アセアン諸国や周辺国、欧州への輸出が米国への輸出低下をカバーするようになりつつある。

 今年4月までの4カ月間の輸出は5.06兆元、前年比5.7%の増加だったが、EUやアセアン諸国、韓国、ロシアへの輸出は各、14.2%、13.4%、7.7%、9.1%の増加だった。

 中国は今年の3月末までに、一帯一路の関係国125か国、29の国際組織と合作プロジェクトの調印をしている。新疆から欧州への国際貨物列車、中欧班列は2018年末までに欧州15カ国、49都市との間で13,000列車が運行された。

 しかも中国の産業構造が変化している。今年第一四半期のハイテク製造業の投資は、前年比11.4%増加の高い水準が続いている。活発な自動化投資で産業構造が変わる。

 米国への輸出には雑貨や衣料など生活用品も多いが、産業構造の転換でいずれベトナムなど近隣諸国に移転する製品でもある。だからトランプ大統領が思うほど、中国にとって米国は重要な市場でなくなりつつある。この意味でも圧力に動じない状況になりつつある。

 さらに17.8%の対米輸出の中には米国企業による加工貿易がある。

 以下の3つのグラフは、中国の輸出に占める外資企業の輸出の割合と輸出に占める一般貿易、加工貿易の比率である。

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 加工貿易は海外から中国に資材を持ち込み、それを加工して輸出する。年々加工貿易の割合は低下しているが、それでも輸出の3割以上を占める。

 また一般貿易にも中国から米国企業への部品輸出がある。それらの輸出は米国企業自身を利するものでもある。そのため中国への圧力は米国自らにも深刻な影響をもたらす。

 以上のことから中国は米国の兵糧攻めにも屈しない状況ができつつある。もちろん関税引き上げは中国経済にも影響を及ぼす。しかし公共事業やリーマンショック時の家電下郷(内陸農村部の家電普及のための補助金政策)など消費のテコ入れで経済の悪化を最小限に留めていくだろう。だからトランプ大統領は誤算に自ら苦しむことになる可能性も高い。

圧力を強めれば米国の失うものも大きくなる

 米国はグローバル経済で発展した国である。その国が自国だけを考え圧力に頼っている。

 経済のグローバル化は相互補完や相互利益を伴うが、米国第一主義はそれに逆行する。強欲とも言える米国の手法はグローバル経済を混乱させその罪は大きい。

 前に日中論壇 でトランプ大統領には譲歩と妥協の違いを理解する繊細さは持ち合わせないと述べた。中国は無理な妥協を強いられるなら徹底して戦うだろうし、そうすべきだ。

 そうなれば米国の失うものも大きい。米国はこれまで中国に大きな投資を行った。加工生産のための投資とともに、中国市場への対応のための投資も大きい。

 米国が強引な圧力に終始するなら中国国民の反発が大きくなる。そうなれば必ず米国製品の不買運動が拡大する。IBM、マイクロソフト、インテル、アップル、モトローラなどIT分野だけでなくケンタッキー、マクドナルド、コカ・コーラ、ウォルマート、GM、フォード、ボーイングさらには医療、保険、米国旅行などその影響は際限なく拡がる。

 所得の向上とともに中国市場も高度化する。中国政府はさらに外資参入許可分野を拡げる政策に転じている。外資企業にとってチャンスでもある。皮肉な見方をすれば中米貿易摩擦の激化で米国企業が市場を失えば、他の国にはチャンスが来る。だが、世界貿易の停滞による影響もある。手放しで喜べることでもない。

 だから米国はほどほどに対応して貿易交渉を「圧力」から「友好」と「お願い」に転じるべきである。

 トランプ大統領が賢明なビジネスマンであるなら中国人の感情の機微や面子も理解できるだろうと思うが、それはいささか難しいかも知れない。