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【19-004】なぜ中国では変化が続くのか(その1)

2019年5月20日

和中 清

和中 清: ㈱インフォーム代表取締役

昭和21年生まれ、同志社大学経済学部卒業、大手監査法人、経営コンサルティング会社を経て昭和60年、(株)インフォーム設立 代表取締役就任
平成3年より上海に事務所を置き日本企業の中国事業の協力、相談に取り組む

主な著書・監修

  • 『中国市場の読み方』(明日香出版、2001年)
  • 『中国が日本を救う』(長崎出版、2009年)
  • 『中国の成長と衰退の裏側』(総合科学出版、2013年)
  • 『仕組まれた中国との対立 日本人の83%が中国を嫌いになる理由』(クロスメディア・パブリッシング、2015年8月)

変化の10の原因

 先日、日本で失言大臣が辞職し、ネットに地元支持者の意見が載った。「大臣は十数年間、地元の渋滞道路の解消に一生懸命とりくんでくれたので残念」。大臣の評価が「地元道路」と「一生懸命」で、いかにも日本的政治への関与と納得した。

 しかも渋滞の解消に十数年である。前回 の日中論壇で、戦略に強い中国の政治と変わらない日本を取り上げた。戦略的に物事を組み立て変わり続ける中国。一方で十数年間、道路の渋滞解消に一生懸命取り組めば大臣ですら評価される日本。対象的な姿である。

 筆者は90年代から多くの日本人の中国視察に同行した。視察した殆どの人が中国の活力を感じ帰国した。殊に90年代と今世紀初頭はそうだった。都市の喧噪に圧倒されて感慨に耽り、静かな日本との違いを語った。その時、日本人が感じたのは中国の活力だった。

 活力の源の一つは変化である。日本と中国の違いの一つも「変化」である。中国は変化こそ常の30年を歩み、変わらない日本とは対象的である。

 なぜ中国の変化が続くのか。戦略の強さもあるが、他にも種々の原因が考えられる。

 筆者はその原因を以下の10の事項と考えている。

 政治体制と政治家の資質、巨大人口とその圧力、地勢的及び歴史的要因、未来視点、社会の厳しさと結果重視、戦略的発想による対応の巧みさ、異質へのバリア、面子、国土の大きさ、国際化である。今回の日中論壇はなぜ中国で激しい社会の変化が起きるのかを、日本との比較で考える。

政治体制と政治家の資質

 地元道路に一生懸命という言葉のように、日本の政治家の視線の先には地元がある。

 選挙を意識して地元を優先し、有権者に一生懸命をアピールしなければならない。

 結果がなくても一生懸命の「見える化」(多くの人が目で見えるように形をつくること)、見てくれが大切である。

 しかし中国ではその束縛が少ない。もちろん赴任地での実績は必要である。しかし選挙が無く、中国の政治家は同じ土地にいつまでも留まらない。

 選挙で選ばれたわけではないので、今を生きる人からの束縛と確執が薄まる。政治家の視点を今から明日に移すこともできる。日本では明日の大切さを理解しても、選挙のために今に引き寄せられる。年金制度や財政改革、消費税への対応がそうである。将来の破綻や財政の行き詰まりが予測できても、今に引き寄せられ改革が先に延びる。

 誤解のないように断っておくが、筆者は選挙を否定しているわけではない。選挙だけが原因でなく、政治家の政治に取り組む姿勢、理念が変化に影響を与えると考えている。姿勢、理念の違いは政治家が今を重視するか、明日にも重きを置くかの違いでもある。

 今を思う政治と明日を思う政治で政治スタンスが変わる。それが戦略にも影響する。

 明日を考えることが欠けても、十数年間、地元道路に取り組み、大きな失敗がなければ選挙に勝ち政治家としてやっていける。しかし安きにながされる政治になる。

 さらに、今の人の思いと未来の人の思いは同じでもない。社会の価値観は変わる。

 今が良くても、子孫の代にいいとは限らない。

 一方、政治家が明日の思いに欠けるのは政治家だけの責任でもない。有権者自身が明日より今を重視するからでもある。

 "いいじゃないの、今がよけりゃ"という歌があった。有権者がいいじゃないのと考えれば、それが政治に反映する。今の人々の思いに掉さし、その欲望や快感を犠牲にして明日を考えることは反発も生む。そこに民主主義の悩ましさがある。

 今がよけりゃ、は変化や改革の否定である。日本では右派ポピュリズムにその傾向が強い。だから、政治家が人々の欲望で選ばれるなら変化の少ない社会になる。

 明日の変化のためには人々の欲望を振り切る政治の力と強い意思が必要である。習近平主席の強権がとかく話題になるが、14億もの、また放置すれば乱れ、拡散の力が働く国民を率いるには欲望に引きずられてはたいへんなことになるし、やさしい政治では務まらないと思うのが、この30年、中国社会を見続けてきた筆者の心境でもある。

「明日を思う」政治の象徴は鄧小平の先富論である。先富論は後に豊かになる人にいかに今を我慢させるかでもある。

 一方、今の日本の政治家には2世、3世議員が多い。世襲制の感すらある。企業経営者も創業者は未知への困難に立ち向かい新しい事業を創造する。だが2世、3世になると創造精神も改革も薄れがちになりやすい。政治家も同じで身体を張ってリスクにチャレンジする気概のある政治家が少なくなれば国の変化も少なくなる。

「明日を思う」は明日を読むでもあり、政治家には将来を読む能力も大切である。

 中国が変化を続けるのは政治体制、風土、政治家の資質も大きい。

巨大人口とその圧力

 言うまでもなく中国は巨大な人口である。多くの問題に対し、現状を変えたいと思うものの、巨大人口ではすぐに改革するのも難しい。いきおい明日をどうつくるかに視点を移さざるを得ない。

 例えば戸籍改革である。

 中国は2020年の常住人口都市化率を60%、戸籍人口都市化率(その都市に戸籍を有する人口比率)を45%の目標を掲げている。両者にはまだ相当の差がある。

 1990年代、北京や上海駅前は大きな荷物を抱え行く当てもない人々で溢れた。多くの農民が都市戸籍を持たず都会に出て住み着いた。都市戸籍を持たないので医療や子供の就学に問題がでる。子供を公立学校で学ばせることができず私学に通わせた。都市常住人口と戸籍人口の差は年々拡大した。

 日本人から見れば戸籍制限は非民主的と映る。しかし制限がなければ、多くの都市でもっと激しいスラム化の問題も起きたかも知れないし、都市整備も遅れただろう。

 経済成長を果たし、都市のインフラや公共サービスを向上させ、やっと戸籍改革に対処できる時代になった。そして今年の4月9日、国家発展改革委員会は人口100~300万都市の戸籍制限を全面撤廃すると発表した。さらに人口500万までの都市も緩和を始めた。

 これまで都市戸籍の取得には不動産や納税、養老年金の積立年数や就業年月、居住年数などの各種の条件があったがそれが緩和される。そして将来、巨大都市にも適用されるだろう。

 戸籍改革の一方の狙いは都市の人材確保である。北京や上海などの大都市は住宅価格の高騰で親の援助や仕送りがなければ、若い人は満足な都市生活を送り難い状況になっている。大学や大学院で学んでも戸籍制限があれば優秀な人材も流出してしまう。

 北京は昨年、一昨年と常住人口が減少した。上海も一昨年、1.37%減少した。戸籍制限の緩和は優秀な人材の流出防止策でもある。

 ただし北京や上海が減少する一方で、広東省の常住人口は昨年、177万人増加し、1億1,346万人になった。中でも珠江デルタの中心区域の人口は2.45%増加している。これは中国の分散経済のダイナミズムである。

 一方で戸籍を巡っては次のような現象も起きている。

 政府は農民1億人の都市戸籍への転換を進めているが、思う成果が出ていない。転換を望む農民が多くないからである。日本では中国農民は現代の奴隷と語る評論家もいたが、税金負担や補助金等を考えると農村戸籍がいいと考える人も多い。農村戸籍の改革は農地の流動化など、農村集体土地の権利改革にも波及する。

 14億人の人口を考えると、今を捨て、明日の改革に取り組まねばならない事柄は多い。

 北京、上海、深圳など巨大都市の車の制限がそうである。北京では電気自動車のナンバープレートの取得すら8年待ちである。ガソリン車に至っては宝くじの感がある。

 巨大人口の宿命が今を我慢させ、明日の変化と向き合う社会をつくる。

 さらに巨大人口は政治家も強くする。14億もの人口では今の欲望を抑えなければ収拾がつかず、社会も混乱する。欲望をいかに制限するかも中国政治の大きなテーマになる。快感に迎合し過ぎて欲望を解き放つ政治は中国では成り立たない。個人の銃規制すらもできない米国とは対照的である。中国ではインターネットの検索制限、戸籍移動の制限、住宅や車の購入制限、車両の乗り入れ制限、営業許可制限など制限政策が多くある。それは社会主義というだけでなく、巨大人口ゆえの我慢を強いる政治だからでもある。

 また、中国の政治家の肩には14億もの巨大な人口が重く圧し掛かる。制限をしながら、その想い、欲望も充たさねばならない。そのためには成長を維持しなければならないし、社会を変え続けなければならない。

未来視点

 中国は国土が広い。黄河が西方の山を抜け、漢民族の故郷である中原、華北平原を通り渤海に注ぐまで1千㎞近く平原を流れる。そこには見渡す限りの地平線が拡がる。

 中華民族は地勢的にも遠くに視点を置いて暮らしてきた。また中国は多くの国と国境を接し、歴史的にも異民族の脅威にさらされ、その点からも遠くに思いを巡らして暮らした。

 脳科学者の説では、男性脳と女性脳の働きが異なるという。男性は遠くを俯瞰して物を見て、女性は目の前をなめるように見るという。だから男性は考えを整理し、論理的に考えることが得意なのかも知れない。遠くを見て暮らす中華民族は男性脳がより強化されたのかも知れない。一方、山に囲まれ、近くに視線を置いて暮らす日本人は男性脳が衰え、女性脳が発達するのだろうか。そのため戦略的なことより目の前の事、細かいことへの気配りが発達するのだろうか。

 また、遠い先への視線は過酷な歴史も影響しただろう。身の回りで起こる悲惨な出来事から眼をそむけ、未来に思いを馳せる。そうしなければ多くの中国人は精神的バランスが保てなかっただろう。そして未来や変化に目を向けるようになったとも思う。

 目の前、近いところばかりに視点を置けば、変化への思いも薄れ、今がよけりゃとなり戦略的な考えも持てない。中国人は遠くを見る目を養い、それが戦略思考や柔軟な思考に結びついたのではなかろうか。そして変化への抵抗感も少ない。中国人は皆、明日の変化に向かい競争しているように見える。だから社会に躍動感が生まれる。

 反面、遠くを見る中国人は、身近なところに目を向けることに弱くなる。周囲を気にかけ、気配りにも弱くなる。仕事の面では、自分の足元を見て、コツコツと積み上げることにも弱くなる。今を考えるより、遠い先を見て、一足飛びに、自分が成功すれば、自分がトップになればと考える人も多い。

 明日への対応は中国の財政支出にも見える。次のグラフは2010年から現在までの財政支出全体と教育、科学技術への支出の前年増加率である。中国が積極的に教育や科学技術など明日への対応を進めてきたのが財政にも見える。

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 また、このJSTの研究報告でも再三取り上げられている海外ハイレベル人材招致計画などに国をあげて科学技術立国に取り組み、その結果、中国の特許申請受理数も以下のグラフのように飛躍的に増加した。

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 一方、日本はあくせくする必要のない社会でもある。

 多くの人が、今がよけりゃ、と思う社会ではあくせくする必要もない。さらに日本は列をつくり順番を待てば自分の番も来る社会である。列を乱してあくせく、せかせかは嫌われる。さらに日本は同質性と協調性を重んじる。異質を嫌い、同じ考えの人が集まるので新しい発想や改革も生まれにくく、変化に乏しい社会になる。しかも日本の政治は保守、右派の力が強い。彼らは歴史と伝統の言葉を巧妙に投げかけ過去への回帰も唱える。改革や変化を否定的に見る人、変化への抵抗勢力が政治家に多ければ、社会の変化も停滞する。

 前を見て進む中国、後ろを見ながらあくせくしなくてもよい日本。横一線でスタートしても変化の違いが起きる。

社会の厳しさと結果重視

 中国は時代の変化が激しく、中国人の多くは過去を振り返る余裕もない。それは反面、厳しい社会でもある。立ち止まり過去を振り返っていれば取り残される社会である。

 中国と日本では職場の風土も違う。日本では働く人の意識改革の言葉が職場で通用するが、中国でそれが話題になることは少ない。日本では個人の仕事に取り組む姿勢が職場教育のテーマにもなるが、中国では少ない。それは個人の責任で、意識の低い人が高まるまで待つゆとりもない。待っている間に時代も環境も激変する。中国での日本企業のマネジメントもその違いが解らず失敗するケースが多い。

 個人の責任で合理的に対処すべきところに日本式の意識や心構えを持ち込む。中国人も全てが意識の伴う人ばかりではない。そこに日本式マネジメントを持ち込めば、逆に甘えを生むことになりかねない。中国人の同胞へのマネジメントははるかに厳しい。意識が低ければ一言「再見、明日から来ないでください」である。

 同じことは政治家にも言える。日本では政治家の失言が話題になり、反省の言葉が語られる。待つゆとりのある社会なので謝罪で終わることも多い。中国では政治家の素養そのものが問われる問題で即更迭となるだろう。尤も政治家の個人的発言の自由度も発言時のチェックや準備も違うので、中国では失言の機会も少ないだろうが。

 社会の厳しさの違いは結果を求める姿勢に現われる。結果は変化である。待つ余裕の無い社会と待つ余裕のある社会では、その変化にも差が生じる。

 中国の政治家は常に「何をしたか」という評価に晒されている。新聞では国全体と地方の統計がいつも掲載される。GDPから所得や教育や社会福祉までの統計数字が公表される。

 もう十五年ほど前になろうか、政府の三公経費が社会的問題になった。新聞で政府公用車や役人の接待費、海外渡航費の三公経費の無駄使いが指摘された。その後、ずっと紙面では中央も地方も役所ごとに支出の詳細が掲載される。例えば今年の4月4日の新聞では昨年、経費が増加した役所の順位や増加額、減少の役所の順位や減少額、公車運行費の額、公車購入台数や減少台数が掲載されている。

 購入予定台数も、税務関係部署2,612台、交通運輸部297台、中国民用航空局264台など詳細が載る。昨年、経費が減少した役所として次のようなグラフが載っている。

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 このように、中国の政治家は常に何をしたかが業績評価に直結する。

 結果を出すには変化が必要である。昔のまま、現状維持は結果を伴わないし、一生懸命は過程であって結果ではない。よくがんばりましたの個人の感情は通用しない。

 評価に晒される一方、面子社会なので政治家の面子も加わり、仲間同士の競争意識も働く。中国は何をしたかを誇示しないと生きてゆけない社会でもある。

 一方、日本では過程が大切にされる。だから一生懸命の見える化に取り組む。東日本大震災の被災地視察で水たまりをおんぶされた政治家が批判されたが、日本人の感情に逆行したので嫌われた。

 結果重視と過程尊重の違いは職場の働き方にも通じる。中国の情報関連企業では日本人も驚く長時間勤務の企業もあるが、通常、終業後も長時間職場に残り一生懸命の姿を見せる風土がない。結果重視だからである。驚異的な勤務時間のファーウェイは賃金も驚異的な金額でもある。

 過程を評価されるなら一面、気楽でもある。大人になってもよくがんばったね、が通用する。政治も夢を語り、標語やスローガンで一生懸命を演出すれば改革が起きた気分が生まれ評価される。だが実践に欠けるので変化は現れない。

 十数年、渋滞道路の解消に一生懸命の過程が評価される日本と、何をしたかの結果が問われる中国。対象的な姿で自ずと変化の違いが生まれる。

その2へつづく)