ノーベル賞と日本人(7)江崎玲於奈 ITの幕開けを告げる技術発明でノーベル賞
2019年6月21日
馬場錬成:特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、科学ジャーナリスト
略歴
東京理科大学理学部卒。読売新聞社入社。1994年から論説委員。2000年11月退社。東京理科大学知財専門職大学院教授、内閣府総合科学技術会議、文部科学省、経済産業省、農水省などの各種専門委員、国立研究開発法人・科学技術振興機構(JST)・ 中国総合研究交流センター長、文部科学省・小学生用食育学習教材作成委員、JST
中国総合研究交流センター(CRCC)上席フェローなどを歴任。
現在、特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、全国学校給食甲子園事務局長として学校給食と食育の普及活動に取り組んでいる。
著書に、「大丈夫か 日本のもの作り」(プレジデント社)、「大丈夫か 日本の特許戦略」(同)、「大丈夫か 日本の産業競争力」(同)「知的財産権入門」(法学書院)、「中国ニセモノ商品」(
中公新書ラクレ)、「ノーベル賞の100年」(中公新書)、「物理学校」(同)、「変貌する中国知財現場」(日刊工業新聞社)、「大村智2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)、「『スイカ』の
原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」(日本評論社)、「知財立国が危ない」(日本経済新聞出版社)、「大村智物語」(中央公論新社)ほか多数。
エジソンのような発明家になりたい
1973年、科学分野では日本で3人目のノーベル賞受賞者になったのは江崎玲於奈だった。ノーベル賞受賞者の多くは、大学の研究者である。大学や研究機関を2つ3つと異動していきながら研究内容もレベルアップすることが普通だが、企業をいくつも異動してノーベル賞を受賞したのが物理学賞を受賞した江崎玲於奈である。
江崎は、子どものころに蓄音機から音楽が流れてきたことに感動し、これを発明したアメリカのトーマス・エジソンのような発明王になりたいと思った。中学の受験に失敗したが、その後発奮して勉強をし、大学は東大理学部物理学科を卒業した。在学中に米軍による東京大空襲で下宿を焼かれた。これを見ていた江崎は、大学を卒業したら日本を復興する仕事をやりたいと思い企業に就職した。
教科書が間違えている
1947年に東大卒業後、真空管を製造している神戸工業という小さな会社に入社した。しかし経営が不安定だったので、間もなく現在のソニーの前身の東京通信工業に転職した。ここで江崎は、半導体を研究する技術者になった。半導体を作っているとき、素材のゲルマニウムに不純物が多く含まれていると電流が逆方向に流れることに気がついた。中国人の助手が測定したほんのわずかな異常電流に疑問を持ち、徹底的に追求を始めた。
最初、中国人助手は実験を間違えたために、教科書に書いていない異常電流を測定したと思った。しかし江崎は、教科書に書いてあることがすべて正しいとは限らないと信じており、教科書が間違っているかもしれないと思って実験を続けた。
そしてついに、ある時点まで電圧を上げれば電流も増えるのに、電圧を上げても電流が減るという異常な負性抵抗現象があることを発見した。負性抵抗があれば、スイッチングや発振、増幅に利用できるので工業的価値は高い。江崎は量子力学から見たトンネル効果であることを理論的に証明し、エサキダイオードを作った。
1957年、大学を出てちょうど10年目の32歳のときである。この業績で江崎は念願の博士学位を取得し、48歳のときにアメリカのゲイバー、イギリスのジョセフソンとともにノーベル物理学賞に輝くのである。
IBMに異動してからも画期的発明をする
その後江崎は、東京通信工業からアメリカのIBMに異動した。ワトソン研究所で次のステップの研究実験にとりかかり、ここで画期的な発見をしている。それは半導体超格子理論の創設であった。
筆者が、その研究成果の重要性を初めて知ったのは、1991年に江崎に聞いてからである。1970年に発表した超格子理論の論文の引用回数が、90年代になってにわかに高くなり、半導体超格子の研究開発が急展開していると言うのである。
そのころヨーロッパの学会に出席した江崎は、何人かのノーベル物理学賞受賞者たちから「レオ(外国人からは、江崎のファーストネームはこう呼ばれている)は、もう一回ノーベル賞をもらえるぞ」と言われたいう。
半導体超格子とは、ガリウム・ヒ素とかアルミニウム・ヒ素など異なる複数の半導体の薄い結晶を重ねて層を作った構造を呼んでいる。超格子の作る物質の種類や膜の厚さを組み合わせると、さまざまな量子効果が出てくる。今ではこれを利用して共鳴トンネル効果トランジスタなどを作り、レーザー発振のダイオードなどに利用できるようになってきた。
江崎は1970年に、世界で初めて超格子の基本理論をまとめ、国際半導体物理学会などで超格子理論を発表していた。その一連の論文が、84年ころから世界中の研究者の論文に引用される回数が急増しはじめていた。
1998年、第14回日本国際賞を江崎が受賞した。受賞理由は「人工超格子結晶概念の創出と実現による新機能材料の発展への貢献」である。この賞を受賞するとノーベル賞の有力候補になることが多く、いまでも2度目のノーベル賞受賞者になるのではないかと注目されている。
IBMワトソン研究所時代の江崎玲於奈
ノーベル賞をとるための5か条
江崎は、高校生、大学生らを相手にしたセミナーやシンポジウムで話をする機会が多い。そんなときに「ノーベル賞を取るための5か条」を語って聞かせている。
第1は、今までの行きがかりにとらわれてはいけない。
第2は、大先生を尊敬するのはいいが、のめりこんではいけない。
第3は、無用なものは捨て、自分に役立つ情報だけを取捨する。
第4は、自分を大事にし、他人のいいなりになる人間にはならず、ときには闘うことを避けてはならない。
第5は、いつまでも初々しい感性と知的好奇心を失ってはならない。
これは、日本の研究現場に根強く横たわる日本的な上下関係とその弊害を打ち破り、独創性を発揮するための個人主義を推奨していることにある。しかし江崎は5か条について「成功への十分条件ではない、単なる必要条件である」と語っている。自分を向上させるという発想の枠組みを確立させ、生き方は発展させることにあると語っている。
江崎はまた「昔、教養ある人とは万巻の書をひもとき、そこから多くの知識や知恵を身に付けた市民を指していた。しかしいまの時代は、知識の量だけでは教養人とは言えない。常に新しい知識を吸収しながら、自分を改革していける人間こそ真の教養人と言える」と語っている。
馬場錬成氏記事バックナンバー
2017年05月24日 ノーベル賞と日本人(1) 21世紀になって受賞者が急増した秘密を探る
2017年06月09日 ノーベル賞と日本人(2) 21世紀になって受賞者が急増した秘密を探る
2017年06月23日 ノーベル賞と日本人(3) 21世紀になって受賞者が急増した秘密を探る
2017年09月19日 ノーベル賞と日本人(4) 21世紀になって受賞者が急増した秘密を探る
2019年04月11日 ノーベル賞と日本人(5)日本人初の受賞は天才少年の湯川秀樹
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