【19-15】中国無錫から研究生活便り
2019年11月20日
藤田 盛久: 江南大学 生物工程学院 教授
略歴
岐阜県出身。2006年筑波大学大学院生命環境科学研究科修了後、産業技術総合研究所糖鎖工学研究センター、スイス・ジュネーブ大学生化学部門、大阪大学微生物病研究所を経て、2014年より現職。専門は糖鎖生物学。細胞における糖鎖の生理的機能の解明を行うとともに、糖鎖改変を行い、医薬糖タンパク質の生産に適した宿主細胞の構築を行なっている
私は現在、中国江蘇省の無錫市(ムシャク、Wuxi)にある江南大学に勤務しています。無錫市は上海から西へ約130 km、長江デルタ地帯に位置し、太湖という湖の北岸にある水郷都市です。1980年代に日本でヒットした「無錫旅情」という曲で名前を聞いたことがあるかもしれません。私も幼い頃、父親がこの歌をよく口ずさんでいたのを記憶しています。その時はまさか自分が「私の知らない異国の街(無錫旅情の歌詞より)」で勤務しているとは想像もしていませんでした。無錫には現在300社以上の日系企業が進出しており、日本人が比較的多く住む街としても知られています。太湖のほとりに位置する公園では、日中の民間協力により桜友誼林が作られ、毎春桜祭りで賑わっています。
私が江南大学に赴任したのは2014年です。当時は大阪大学微生物病研究所の木下タロウ先生の研究室で助教をしておりましたが、先生の定年が近いこともあり、次のポジションを探し始めるよう勧められていました。大学院生時代に産業技術総合研究所の故・地神芳文先生の研究室で仕事をしていたのですが、その時のスタッフのお一人であった高暁冬先生が中国に戻られ、新しい研究センター(教育部重点実験室)を立ち上げておられました。高先生には、セミナーやワークショップで呼んでいただき、地下鉄や高層ビル群、ショッピングモールが次々と建設されている活気ある中国の現状を目の当たりにしました。
生物工程学院、研究センターには、欧米の研究機関で学位取得やポスドク経験をした30代の若手研究者達が帰国して独立した研究室を持ち、自信をもって研究を進めていました。彼らと話をする中で、「研究センターを世界レベルの研究拠点にしたい。」「いずれ研究室を持つならば若いときに苦労をしておいた方が良い。」という言葉を聞いて、私もその中で面白いことができるのではないかと感じました。また研究センターには大学院時代の先輩である中西秀樹教授が既に着任しておられたことも、決め手の一つとなりました。
江南大学は発酵、醸造や食品科学で有名な大学です(図1)。その中で、天然物から糖を加工する研究や糖代謝を制御して有用化合物を合成する代謝工学が発展し、生物工程学院の中に製糖工程専攻が設置されています。このような流れの中で、2011年から私の所属する糖化学生物技術教育部重点実験室が設置されたのだと聞いています。
図1:中国江蘇省無錫市にある江南大学のキャンパス風景。真ん中に見える建物は図書館。無錫市までは関西空港から1日2便直行便があり、2時間半ほどで到着する。
私の専門は「糖鎖生物学」という分野で、細胞の中で作られる糖鎖(とうさ:砂糖がつながった分子)の役割について研究をしています。糖鎖の多くは、タンパク質や脂質に結合して、細胞の表面に存在しています(図2)。体の組織の違いや周りの環境、正常細胞と癌細胞で細胞表面の糖鎖の構造が変化します。このことから、細胞の「顔」または「アンテナ」とも呼ばれており、病気の診断マーカーや治療標的として研究が行われています。
図2:私の研究分野、糖鎖生物学。糖鎖はタンパク質や脂質に結合して、様々な役割を果たしている。糖鎖は生物医薬タンパク質の生産において重要な因子であり、また、疾患診断マーカーや標的治療のターゲットともなっている。
私達の研究室はどのようにして特定の糖鎖が作られ、調節されているのか、あるいはタンパク質に目的の糖鎖を効率よく付加させられないか、日々研究を行っております。現在、研究室には副教授1名、博士研究員1名、博士課程の学生5名、修士課程の学生7名が所属しております(図3)。既に、博士1名、修士10名を卒業生として送り出しました。よく日本人と中国人の学生の違いはどこですか、と聞かれますが、どちらの国にもいろいろな学生がいて、本質的なところでの違いはありません。皆、好青年で純粋ですし、初めの基礎トレーニングをしっかり教えれば、一生懸命実験に取り組んでくれます。彼らと研究の苦楽を共にしながら、大変ながらも充実した研究の日々を送っています。
図3:2019年度の研究室メンバー。
中国での研究活動を考えている方へのアドバイスという事でしたので、今までに他の先生方が書いてらっしゃらないことを考えてみました。私は海外で安心して研究を行う上で、生活基盤(衣食住)がしっかりしていることは重要な点だと思います。
本人は自分の好きな研究ができるのならどうにでもなると思っても、家族はそうはいきません。今後、中国で研究をしようと考えている方の中には、お子さんがいらっしゃる方もいると思います。教育方針などで、単身でいらっしゃっている方が多いですが、私は単身赴任する金銭的な余裕もありませんでしたし、子供達に国際的な感覚を身につけてほしいということもあり、家族帯同で中国に行くことにしました。家族帯同で来られる場合、お子さんは日本人学校、インターナショナル・スクール、現地校のいずれかに通うことになると思います。どの学校もそれぞれ良い点、悪い点がありますし、学校によってもそれぞれ状況が違いますので、迷われるのではないかと思います。
無錫市の場合、日本人学校が無いため、子供達はインターナショナル・スクールに通っております。しかしながら、インターナショナル・スクールの学費は高く、通常の給与から支払うことは非常に難しい状況です。私個人のアドバイスとしましては、採用にあたり、学部長や人事担当の方と率直に状況をお話しされたほうが良いと思います。
日本と違う点は、中国では教員採用において大学の裁量が大きいという点です。今、中国の大学は国際化を図っておりますし、高度人材項目には、採用大学の指針として、子女の教育問題の解決という点が明記されていることも多いです。幸い、私の場合、契約時にお話しして、子供達の学校費用を負担してもらえることになりました。基本給は日本と比べるとまだ高くはありませんので、住居、補助手当などの点も契約の際に、きちんと話しておくのが、腰を据えて中長期にわたって研究活動を行う上では大切かと思います。
21世紀はアジアの時代と言われています。研究分野に関しても、中国やシンガポールなどアジア諸国から高いクオリティの論文が多く出ています。研究には国境はないといいます。自分のやりたい研究ができる環境を探すのに、日本や欧米に加えて、アジアという選択肢が増えたと考えるのが良いかもしれません。中国は日本とも距離的に近く、行き来しやすいですし、食文化も近いのが、メリットかと思います。もちろん、海外で働くデメリットもありますし、思い通りに行かないことも多くあります。その辺りの条件を天秤にかけながら、将来設計を考えてみてはいかがでしょうか。
私は中国生活6年目になりますが、この間も様々に変わりゆく中国の変化を体感しています。無錫市には地下鉄が走り、ネットショッピング、キャッシュレス、シェアバイクや配車サービスなどの情報技術を活用したサービスは急速に市民の間に広がっており、無くてはならないものへと変化しています。良いものは取り入れ、ダイナミックな変化を受け入れて適応していく姿勢は少し見習わないといけないな、と思う今日この頃です。
図4:講義後の風景。留学生を対象にした「Cell Biology」および学部生を対象にした全英文課程の「糖生物学工学」を主に担当している。
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