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【19-020】「死刑囚(犯罪者)の人権」は芽生えるか?

2019年8月19日

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

略歴

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

 今回は8月8日付けで最高人民法院が公布した「死刑の審査及び執行手続中の当事者の合法的な権利利益の保障に関する若干規定」(9月1日施行)を取り上げたいと思います[1]

 簡単に言えば、この司法解釈は死刑判決を受けた被告人の(死刑判決に対する)再審査請求と、その死刑執行に向けた手続き中の関係者の権利利益について、新たに合法性を与えた立法です。しかしながら、中国的権利論に基づけば、そもそも法に違反した人や組織は違法な存在なのですから、合法的な権利利益を論理上持ち合わせていないはずです。

 法的に保護される資格さえないはずの死刑囚を含む関係者の権利利益について、なぜ今さら司法解釈によって合法性を付与する必要があるのでしょうか?

1. 「盗人にも三分の理」ではない

 私たちの権利論に基づけば、法に違反した人や組織の側にも、それなりの理由や言い分はあるはずであると考え、それを「犯罪者の人権」「死刑囚の人権」といった形で考慮しています。合理的な権利論のように感じられるかもしれません。そもそも合理的という評価自体が、つけようと思えば何らかの理屈が付けられるという意味で非客観的な表現であり、私たちを納得させてしまう詐欺的な言葉ですが(それらしく聞こえるわけですから、そうかもしれないと思ってしまうと最後、それが正しいと思い込まされてしまいます)。

 例えば「盗人にも三分の理」という諺も、それが死刑囚・犯罪者の人権を肯定するための論理として披露される場合に出くわしたかと思えば、同じ諺が被害者の人権侵害につながることを容認して良いのかという死刑囚・犯罪者の人権否定する論理として、疑義を提起する場合に出くわすこともあります。いわば私たちの権利論は一見合理的なように見えて、実は感情的で主観的な要素を多く含んでいるものなのです(これが悪いことだと私は思っていません、念のため)。

 一方、中国的権利論に基づけば、法に違反した人や組織は、法を犯したわけですから、法的に保護を受けるに値しないと考えます。そして、侵害された合法的な権利利益の徹底的な救済の可能性を求めてゆきます。そのため、複数の被害者が存在する場合に実質的平等の観点から法的保護を模索しがちなことも、天災によって合法的な権利利益が消滅する場合に立法行為による救済を、それが法の不遡及の原則に背くものであろうが最優先にして模索することも、理論的な決着がつかない内に可及的速やかにやってしまいます。端から見ると、非合理的な権利論のように感じられることでしょう。

 私たちの権利論と中国的権利論とは、このように根っこが異なるわけです。ですから人間の手を介する死刑判決を導く裁判(法廷審理)についても日本法と現代中国法で、その誤審の懸念との向き合い方にも、その論理の帰着のさせ方にも違いが表れます。

 日本法の場合、再審請求という形で死刑の執行を事実上停止させて死刑という生命を強制的に奪う罰を与えて良いのかと、すなわち本当に誤審ではないのだよな?という懸念と向き合います。一方、現代中国法の場合、違法な存在である死刑囚に何らかの合法的な権利利益があると承認すること自体が論理的整合性を弱めることになりますから、誤審の懸念との向き合い方は、死刑という罰を与えたことが合法かどうかという形で向き合ってきました。そして、この論理の帰着のさせ方についても、現代中国の死刑判決は(A)即時執行と、(B)2年間の執行猶予付きという2種類を設け、死刑判決の合法性を確保する形が確立しています[2]。ちなみに、上告審(二審)で死刑判決が下されると、最高人民法院がその死刑判決を審査し、合法であると確認したうえで「死刑執行命令書」を交付します。交付を受理した人民法院は、(A)の場合は7日以内に死刑を執行します。

2. 再審査請求は死刑囚の人権か?

 さて、今回ご紹介する上記の司法解釈は、死刑判決を受けた死刑囚の①「再審査請求」の手続きと、②執行手続中の死刑囚らの権利利益について合法性の付与を言明したものです(細かいことですが、再審請求は別に制度がありますから、再審査請求とは全く違います)。今回の司法解釈のポイントは、次のとおりです。すなわち、①については中国的権利論が死刑判決における更なる合法性の確保に努めていることです。後述しますが、相変わらず「盗人にも三分の理」ではないのです。そして、②については「死刑囚の人権」と言い得るものなのかどうかです。以下、それぞれについて紹介して参りたいと思います。

 今回の司法解釈において、まず死刑判決を宣告した高級人民法院が判決文を被告人へ送達する場合に、最高人民法院の死刑審理過程で、弁護士に依頼して再審査を請求できることを被告人に告知することを言明しました(同1条)。この告知を受けて被告人が再審査請求を委託し、この委託を受託した弁護士は10日以内に最高人民法院で所定の手続きを行ない、1か月半以内に弁護意見を提出します(同2条)[3]。検察官が被告人を死刑に処すことが合法的であると法廷審理を通じて立証した結果が死刑判決という結論を導いたわけですが、この過程を再度審査して欲しいというのが再審査請求であると解釈するのであれば、確かに「死刑囚の人権」を追加したと評価できるかもしれません。

 しかし、今回の司法解釈はここで終わっていません。弁護士が提出した弁護意見を審理した後に、仮にそれが死刑審理の結果に影響するかもしれない場合は死刑執行命令書の交付を暫く停止するか、執行を停止すると言明します(同4条第2文)。が、但し、弁護士の弁護意見は二度と受理しない(二度目の受理はない)とわざわざ但し書きを追加しているのです(同4条但書)。この条文の法的論理をどう評価すべきでしょうか。

 もしも「死刑囚の人権」であると評価するのであれば、人権を保障するために、あるいは(低く見積もって)生命を強制的に奪ってしまう罰なのですから、弁護意見を1回しか受理しないという制度設計そのものが論理上整合しないのではないでしょうか。また、再審請求の制度は別途設けられているので十分だからであるというのであれば、そもそも再審査請求という形で「死刑囚の人権」かのように映る制度を余計に組み込む必要はないはずです。それにもかかわらず、敢えて「冒険」するというのであれば、その目的は別のところにあると考える方が論理整合的であると考えます。

 そうすると、この立法目的は、人民法院の組織内の手続きの適正性を強化するためであるというのが整合的ではないでしょうか。人民法院の審理手続きの適正性を強化することは、その結論の合法性を高めることになりますし、そのために組織外の手続きを組み込み、組織外からの法的論理が組織内の導いた法的論理の合法性を瓦解させるものであれば、真摯に修正するが、その限りで冒険するというメッセージであろうと私は考えます。なお、最高人民法院の死刑審理が結論(裁定)を下した後、5日以内に弁護士に結果を報告するとしています(同5条1項)。下した結論さえ報告すれば良いとも解釈できると思いませんか?

 以上から明らかなように、これは死刑囚の人権を肯定したものではなく、死刑判決の合法性を更に強化するための司法解釈であると言うべきでしょう。

3. 執行手続中の当事者とは誰か?

 後半部分の検討に移りたいと思います。何人かの当事者が登場します。第1に被害者の近親者です。被害者が死亡した場合という条件付きですが、被害者の近親者は裁定書等の取得を申請し、取得できる権利を得ました(同5条2項)。これは合法的な権利利益の侵害を受けた人や組織に対してその法的保護を与えることを確認したものと言えます。

 第2に、死刑囚とその近親者です。しかしながら、今回の司法解釈を策定した立法関係者の意図を斟酌すると、私にはどうしても死刑囚の人権と言い得る根拠を見つけられません。まずは条文を確認してみたいと思います。

 同6条は、死刑を執行する前に、死刑囚にその近親者との接見を申請できることを告知すると言明します。そして、死刑囚が申請した接見については、人民法院がその接見時の連絡方法も含めてその近親者に通知するとし、もしも近親者が接見を拒絶する時はその旨を死刑囚に告知するとしました。なお、死刑囚が録音や録画等の方法で遺言を残したいと申し出た場合には、人民法院が許可することができるとしています。

 一方、同7条は死刑囚の近親者が接見を申請する場合について言明します。死刑囚の近親者からの接見申請について、人民法院は許可し、死刑を執行する前に速やかに手配するとしています。もしも死刑囚が接見を拒絶した場合は記録し、その近親者へ速やかに通知し、必要のある場合は録音や録画を行なうとしました。

 上記の6条と7条を比較させると、そのトーンが同じでないことに気づかれるのではないでしょうか。下線部に注目して読んで頂ければ、さらに分かりやすいと思われるのですが、死刑囚による接見申請の「利益」は、人民法院が許可しないこともできると解釈できます。その一方で、死刑囚の近親者による接見申請の権利は、人民法院が許可しなければならないものとして確認し、そして仮に死刑囚がその接見を拒絶した場合については必要に応じて録音・録画を行なうとさえ確認しています。このトーンの違いは何故でしょうか。

 第3に、死刑囚の近親者を除く親しい人です。人民法院の審査を経て、正当な理由が確かにある場合は、その接見の安全を確保した状態で許可を与えると言明しました(同8条)。そして第4に、(関係する)未成年の子女です[4]。死刑囚が未成年の子女への接見を申請する場合、その子女の監護人の同意を経なければならないとしたほか、未成年者の心身に影響するかもしれない時はテレビ電話等の適切な方法での接見を人民法院が設定し、監護人が同席すると言明しました(同9条)。

 死刑囚の近親者を除く親しい人による接見について、さらにトーンを落としていることは明らかでしょう。正当な理由か否かについて、現時点では人民法院の判断に委ねられていますから、非客観的です。親しい人による接見申請の「利益」は死刑囚による接見申請と同等か、それ以下に位置づけているようにさえ感じられます。その一方で、未成年の子女には接見申請の権利利益を認めていません。あくまで死刑囚からの接見申請という形でしか立法していない点をどう評価すべきでしょうか。

 以上から明らかなように、執行手続中の当事者は、次のように整理できます。すなわち、接見申請の権利を享有する主体は「死刑囚の近親者」に限られ、その利益を享有する主体が「死刑囚」「近親者を除く親しい人」である一方で、接見申請の権利利益を享有する主体であると現時点では未だ見なされていない「未成年の子女」を監護人付きで確認したわけです。

4. 何故この時期に公布したのか?

 さて、今回の司法解釈のポイントをおさらいしておきたいと思います。最高人民法院が今回公布した司法解釈の意義は、第1に人民法院が導く死刑判決という結論(そして最高人民法院が審査後に交付する死刑執行命令書)の合法性を、外部のチェックを加えることにより強化するためのものであること、そして第2に、「死刑囚の人権」を法的に認める立法では決してなく、死亡した被害者と死刑囚の近親者に残された合法的な権利を実現するための立法であることにあります。

 しかし、何故この時期に最高人民法院は公布したのでしょうか。いま、不穏な空気に包まれていると言われる香港を生み出してしまったある出来事から噴出した様々な憶測や不透明な制度運用に対して、最高人民法院として、現代中国法の透明度の更なる向上を意図したのかもしれないと考えるのは、考えすぎでしょうか?

(了)


[1] 原文は[最高人民法院関於死刑復核及执行程序中保障当事人合法権权益的若干規定]法釈〔2019〕12号である。

[2] (B)の死刑判決の場合、2年経過後に、①死刑執行、②無期懲役への減刑、③15年以上の有期懲役に減刑という選択肢がある。なお、減刑・仮釈放については以前のコラムで紹介したことがある(「裁判官による裁量」参照)。https://spc.jst.go.jp/experiences/chinese_law/17007.html

[3] 再審理請求を受託した弁護士の所定の手続きは、高級人民法院を通じて最高人民法院へ提出することでも可能とされている(同3条)。

[4] 条文上では未成年の子女については条件が付けられていない。そのため解釈上は近親者に該当しない未成年の子女であっても死刑囚は接見を申請できることになる。

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