【19-19】中華伝統文化の中国語国際教育における応用(二)
2019年10月29日
朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授
中國山東省聊城市生まれ。
2003.9-2006.6 山東大学文史哲研究院 修士
2007.9-2010.9 浙江大学古籍研究所 博士
(2009.9-2010.9) 早稲田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11-2013.3 浙江大学哲学系 補佐研究員
2011.11-2013.3 浙江大学博士後聯誼会 副理事長
2013.3-2014.08 山東大学(威海)文化伝播学院 講師
2014.09-現在 山東大学(威海)文化伝播学院 准教授
2016.09-2017.08 早稲田大学文学研究科 訪問学者
2018.10-2019.01 北海商科大学 公費派遣
筆者は拙稿「中華伝統文化の中国語国際教育における応用(一)」において、第一に中国語国際教育における国内外文化交流では、国外の学習交流者により良く中国の伝統文化を理解してもらうために、稷下学派によって形成された陰陽五行学説の内容と位置づけを十分に説明すること、また第二に中国語国際教育と国内外文化の交流において、中国特有の伝統的な「天人統一」というエコロジカルで調和のとれた発展理念を大いに広めることについて指摘した。これに加え、中華伝統文化の中国語国際教育における応用に際しては、以下の三点についても注意を払う必要がある。
三、中国語国際教育と中外文化交流においては、儒教と道教の相互補完ならびに儒教・仏教・道教の共存共生という調和のとれた精神により、世界文明の多様性・多元性の共存を大いに提唱する。中華伝統文化の真髄はすべてこの三つの思想で表現されており、中国文化の概観が基本的に反映され、中国文化の基本構造となっている。なかでも、儒教と道教の相互補完が主体であり、儒教と道教の二つの思想からもれた精神的な空間を仏教が補填している。
例えば、儒教と道教では来世については全く語られないが、仏教では来世と輪廻を語る。1974年、ユネスコは国際教育に関する指導原則を採択し、「多層的な世界的視野によってすべての民族と文化を尊重し、人類の間で深まり続ける相互依存性とコミュニケーション能力を意識し、人類の権利と責任、国際的な団結と協力を意識し、個人が社会、国家および世界が直面する問題に対して自らの貢献をなしうること」[1]を説いた。儒教と道教の相互補完、儒教・仏教・道教の共存共生に基づく調和のとれた精神は、上記の指導原則とぴったりと重なり合うものである。道教における逆転の発想では、自然への順応と対立の解消を説き、積極・有為を基礎に調和の状態と効果に達する。道教における柔弱、知足、不争などの観念は、複雑な社会に適応するための勝つ手段となっている。個人の成長を重視し、自由な発展を維持する道教の思想では、個人の生きる環境により深い関心が注がれており、このことは個人を重視する西洋の原則と大きく重なるものである。
山東省の稷下学派の代表的人物である管仲は、さまざまな思想を融合する代表である。管仲は『管子』七臣七主において「法者,所以興功惧暴也;律者,所以定分止争也;令者,所以令人知事也(法は,功を興し暴を惧す所以なり;律は,分を定め争ひを止むる所以なり;令は,人をして事を知らしむる所以なり)」と説いたが、儒教思想も融合させている。例えば、『管子』治国では、「凡治国之道,必先富民。民富則易治也,民貧則難治也(凡そ国を治むるの道は,必ず先づ民を富ます。民富めば則ち治め易きなり,民貧しければ則ち治め難きなり)」と考えている。また、『管子』霸言においては、「夫霸王之所始也,以人為本。本理則国固,本乱則国危(覇王の始むるところは、人をもって本となす。本理まれば国固し。本乱るれば国危うし)」とも説く。『管子』の経済的主張には、現在なお高い応用価値がある。例えば「軽重魚塩之利,以贍貧窮(軽重魚塩の利、以て貧窮を贍く)[2]」、「通貨積財,富国強兵(貨を通じ財を積み、国を富まし兵を強くす)[3]」、「相地而衰征(地を相て衰征す)[4]」、「山沢各致其時(山沢おのおの其の時を致す)[5]」などの経済的主張には、山東省に古くからある経世済民に基づく金融・経済思想が示されている。
中国化された仏教は東アジアに多くの精神的な補充をもたらした。例えば、日本の仏教は、その多くが教義的には中国の宗派を起源として発展したものだが、大衆の基盤とするために修行や実践においては実践しやすく、通俗化の傾向がある。20世紀に入ると、日本の仏教各派はそれぞれに法会・祈祷、学校教育、慈善活動、学術研究を進め、仏教関連の事業が大きく発展した。特に、仏教研究がその代表といえる。また、別の面から見ると、日本の仏教には在家の傾向があり、各宗派では今なお戒律(一日にして成る)を伝えてはいるが、ごく少数の寺院と道場が戒律を厳しく守っているのを除き、他の多くでは「三堂大戒」はとっくに廃れ、寺院の僧侶の多くは妻子を持ち、伝統的な仏教の戒律とは大きく異なる。現在なお、我々は日本の仏教寺院において、釈迦牟尼を開祖とするインド仏教の影響を色濃く見ることができる。
四、中国語国際教育および中外文化交流において、海岱文化と東夷文化により形成された斉魯文化が東アジアの文化の発展に果たした重要な貢献について詳しく論じ、斉魯文化の生命力の強い影響力を十分に示す。山東省の先史文明は紅山文化、仰韶文化、河姆渡文化、良渚文化などと共に中華文明の発祥地を構成するもので、中華文化が多元的に成立することを物語っている。海岱文化(海岱:現在の山東省渤海から泰山の間の地域)を代表するものには、1992年に淄博市臨淄区の後李文化遺跡において発見された後李文化、ならびに1928年に章丘市竜山で発見された城子崖遺跡などがある。清華簡(清華大学が2008年に取得した2000枚あまりの戦国時代の竹簡)「系年」と済南市の大辛庄遺跡から出土した甲骨文に、東夷文化(東夷:古代中国東方の異民族の総称)の影響力が示されている。中国を統一した秦の始皇帝は一代の天驕なるとして西戎文化(西戎:周)を頂点に押し上げた。
一方、秦の文化そのものは、東夷文化の影響を受けた。これまでに発見された清華簡によって、秦の人々の祖先は商奄の地に住んでいた殷の人々であり、商奄とは現在の曲阜一帯であることが十分に証明されている。なかでも、大辛庄遺跡から出土した甲骨文は、殷墟(古代中国殷王朝後期の首都の遺構)以外で初めて発見された殷代の卜辞(甲骨文)である。「中国夏商周断代工程」(夏商周年表プロジェクト)の首席科学者である李学勤教授は、「大辛庄遺跡で発見された甲骨文は、殷墟以降で初めて発見された殷代の卜辞(甲骨文)であり、甲骨文の発展におけるランドマークといえる」と評価する。
山東地区を主に活動した東夷族は中華文明の最も早期の渊源のひとつであり、東夷の先人は他の地区・文明の先人と共に華夏文明全体のひな型を開拓し、これも後の斉魯文化の基盤となった。現在までに発掘されている考古学的資料によれば、山東省の奥地では今なお周辺地区の古代文化遺跡が発見されていないが、東夷文化の遺跡は周辺の古代文化の範囲で少なからず発見されている。このことは、周辺の古代文化との交流において、東夷文化はその強い生命力によって積極的かつ主動的な位置にあり、周辺地区の古代文化への影響は大きかった一方、周辺地区の古代文化から受けた影響は小さかったことを十分に証明するものである。現在、学術界で関心を集める「漢字文化圏」とは、上記の二種類の文化が合流して成り立ち、海外で具体的に体現されたものである。「漢字文化圏」の視野における東アジア各国の共通性を見つけることで、中国学学習者間の共通認識と意欲をかき立てると良いだろう。
五、中国語国際教育および中外文化交流において、「斉国兵書甲天下」(斉の兵法書は天下一)の視野における中国の伝統的な平和理念を積極的に発揚する。1972年、山東省臨沂市の銀雀山で『孫子兵法』、『孫臏兵法』の竹簡が発見され、世界が湧いた。中国の先秦時代の兵法書は斉のものが最も多く、晋・秦がこれに続き、楚・呉・越のものが最も少ない。これには自然による淘汰や人為的な選択が反映されており、斉の兵法書の内容が最も秀逸で、最も広範に及び、先秦時代の兵法書の傑作であり、山東地区の優れた兵法の伝統を顕著に示している。これらの代表的な兵法書には、戦略と戦術に関する論述のほか、平和を愛する理念も豊かに含まれている。ここでは戦争の勃発は利益の争奪に起因することが強調されており、『孫子兵法』は根本的に戦争に反対している。世界は今なお平和ではないため、斉の兵法における戦略と平和の真髄を詳しく説くことによって、海外の人々に対し、平和を愛し、平和を守る中国人の優れた伝統を伝えるのである。2015年5月23日、習近平主席は中日友好交流大会でスピーチを行い、「青年の振興こそ国家の振興である」と語った。中国政府は両国の民間交流を支持し、各界の人々、特に若い世代が中日友好事業に身を投じ、交流・協力の中で理解を深め、相互信頼を確立し、友好を発展させるよう支援する。世界的視野における中国語国際教育においては、中国と日本のみならず、中国と他の国々との交流における平和的基盤は民間にある。その民間で大きなエネルギーを発揮するのは中国語国際教育であり、民間こそが中国語国際教育の最良の宣伝の窓口である。
呉勇毅によれば、中国語の国際的な普及と文化の伝播によって、中国に莫大な直接的・間接的経済利益がもたらされるだけでなく、教育や文化産業、出版、観光、貿易などの分野でもっと重要になるのは、中国のソフトパワーを高めることである。後者は国の総合力を構成する重要な一部であり、ある国とその国民、そしてそれによりもたらされる国際関係に対する他の国々やその国民の見方に深い影響を与える。これも、本稿の研究テーマの最後の足がかりである。伝統的な仏教・道教の二つの思想の理念を中国語国際教育の教育理念に転化することは、中国文化と海外文化の対話の推進において参考となるだろう。
[1] 王涛,二戦後的国際教育----教育国際化的発展與未来,《外国教育研究》,2009年第1期。
[2] 『史記』世家 齊太公世家。
[3] 『史記』列伝 管晏列伝。
[4] 『国語』 斉語。
[5] 同上。
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