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【20-11】嵆康の「琴賦」と大伴旅人の「梧桐日本琴」

2020年9月25日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.09-2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09-2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09-2010.09 早稲田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11-2013.03 浙江大学哲学系 補佐研究員
2011.11-2013.03 浙江大学博士後聯誼会 副理事長
2013.03-2014.08 山東大学(威海)文化伝播学院 講師
2014.09-現在   山東大学(威海)文化伝播学院 准教授
2016.09-2017.08 早稲田大学文学研究科 訪問学者
2018.10-2019.01 北海商科大学 公費派遣

『荘子·斉物論』の一節に、「夫随其成心而師之,誰独且无師乎?」[1]とあり、西晋の郭象はこれに「夫心之足以制一身之用者,謂之成心。人自師其成心,則人各自有師矣。人各有師,故付之而自当」[2]と注釈をつけている。魏の文人、嵆康(224--262年あるいは263年)は、文章を書くときも生きざまにおいても「随其成心」を旨としており、自らの内心に背くことはなかった。

 後世の人々は一般的に、嵆康と阮籍(210--263年)を「竹林の七賢」の代表的人物であり、魏晋時代に儒教に反対した「過激派」のような人物として見なしている[3]。しかし、阮籍はその晩年に態度を大きく変え、「言葉では人の善し悪しをあげつらうことはなかった」と言われるほどとなったが、嵆康は終生変わらず、後に魯迅が「嵆康の気性は生涯にわたってひどいものだった」と語ったほどだった。「ひどい気性」とは、世俗におもねることをせずにことさら才能をひけらかし、妥協することがなかったことを指し、この姿勢はその作品の中に充分に表れている。

 嵆康は詩文の創作とその行動において玄学(老荘思想に基づいて儒教経典を解釈する学問)を表現し、独自のロマンチックな文学の風格を作り上げたことから、南朝の梁の文人、劉勰は「嵆康師心以遣論」[4]とこれを高く評価した。この評価は、嵆康の作品についての的を射た表現であるだけにとどまらず、その自由奔放な人柄を真に描写したものである。

 嵆康は自分の考えに固執したために最期は司馬氏によって殺害されるに至った。しかし、彼の精神は時空を超えて光芒を放ち、中国古代の士大夫の間では心のよりどころとなり、その名声は魏晋時代の王弼(226--249年)や何晏(?--249年)をも超え、名士たちの鑑となったことから、われわれも彼について学び、語り継ぐに値する。

 彼の作品は現代に伝わり[5]、朗唱され続け、今なお人々に影響を与えている。なかでも「琴賦」は、後世に伝わる嵆康の作品の中で唯一の「賦」(中国古代の韻文の一種)であり、音楽理論に精通していた彼の思想の一部を表すものである。彼はただひたすらに美辞麗句を追求することに反対し、音楽や詩歌のもつ「理」を真に理解する必要があると主張した。

 また、彼は琴について、材料や起源、製作、弾奏の技法、曲名、場面等のさまざまな面から検証を加え、穏やかで落ち着いた琴の品性と、豊かで調和した琴の音色によって、琴は楽器の王と成りえていると主張した。そして、雅やかな琴の最高の美を知り尽くした者のみが優れた演奏を成しうると考えた[6]

 この文章が後世に与えた影響は非常に大きく、遅くとも唐代初期のころには遠く日本にも伝わっていたという。なかでも、『万葉集』第五巻に収録されている大伴旅人の歌が記された書状「梧桐日本琴」の語句は、嵆康の「琴賦」および『文選』中の他の詩賦や『游仙窟』、『荘子』、『史記』等の典籍に由来しており、「琴賦」と「梧桐日本琴」の関係性が高いことから、研究者たちから特に関心を集めている。

 天平元年(729年)10月、時の大宰帥であった大伴旅人(665--731年)は、梧桐の日本琴を一面、遠く奈良の藤原房前(681--737年)に贈り、書状と歌を添えて送った(「梧桐日本琴」)。その文章は房前からの返信とともに『万葉集』第五巻に収録されている。そして、その中の多くの言葉は、次に示す嵆康の「琴賦」からそのまま引用したものである[7]

梧桐:嵆康「琴賦」:「惟椅梧之所生兮,匏峻岳之崇崗」。
孫枝:嵆康「琴賦」:「乃斫孫枝,準量所任。至人攄思,制為雅琴」。
晞幹九陽之休光:嵆康「琴賦」「含天地之醇和兮,吸日月之休光。鬱紛紜以独茂兮。飛英蕤于昊蒼。夕納景于吁虞渊兮,夕納景于虞渊兮,晞幹于九陽」。
散為小琴:嵆康「琴賦」:「制為雅琴」。
進御:嵆康「琴賦」:「進御君子,新声憀亮」。

 引用された語句や文章の構想、結びの部分から見れば、大伴旅人は音楽の道に精通していた上に、嵆康の世俗から離れた音楽的思想を深く理解していたこと、そして「梧桐日本琴」においては老荘思想の道に基づき、嵆康の「琴賦」にひそむ隠棲思想に従い、それを体得していたことがわかる。特筆すべきは、このような大伴旅人の引用の方式は単なる引用にとどまるものではないことである。北京外国語大学日語系の何衛紅が示すように、『万葉集』に登場する「梧桐日本琴」は、その名は「日本琴」ではあるが、魏晋六朝文学における「琴」の文学的な情趣を引用することによって、日本文学においてかつての「日本琴」とは異なるものが創造された[8]、といえよう。


1. 郭慶藩『庄子集釈』、中華書局2004年版、第56頁。

2. 郭慶藩『庄子集釈』、中華書局2004年版、第61頁。

3. 湯用彤『魏晋玄学論稿』(上海古籍出版社2007年版、第117頁)参照。

4. 範文瀾『文心雕竜注』、人民文学出版社2006年版、第700頁

5. 魯迅『嵆康集』、文学古籍刊行社、1956年。

6. 崔富章『新訳嵆中散集』(第103頁、三民書局、1998年)参照。

7. 古沢未知男『淡等謹状(万葉)と琴賦(文選)』、(『漢詩文引用よりみた万葉集の研究』、櫻楓社、1966年。

8. 何衛紅「論『梧桐日本琴』対嵆康『琴賦』的化用」、日語学習與研究、2012年第6期。

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