第36号:資源循環利用技術
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資源循環型社会の展望

2009年9月10日

細田衛士

細田衛士(ほそだ えいじ):慶應義塾大学経済学部教授

1953年5月生まれ。博士(経済学)。専門は環境経済学、理論経済学。主として循環型社会のあり方の検討。1982年、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。英国マンチェスター大学にブリティッシュ・カウンシル・スカラー、同学部助教授を経て1994年より同学部教授。2001年より2005年9月まで慶應義塾大学経済学部長。経済産業省 産業構造審議会環境部会廃棄物・リサイクル小委員会委員、環境省 中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会委員などを歴任。「環境経済・政策学会」の英文誌Environmental Economics and Policy Studiesの初代編集長。

1. はじめに

 ここ10年以上にわたって、日本は廃棄物処理の適正化を図り、リサイクルを推進してきた。それは、「リデュース・リユース・リサイクル(3R)」という言葉がいかに一般に浸透しているかをみても理解できる。ペットボトルの容器の軽量化は進み、洗剤などの詰め替え容器も普通に見られるようになった。いわゆるリデュースが促進されたのである。また、製品の再使用(リユース)についても、パソコンや家電などの一部の限られた製品ではあるが、業界が形成されることによって適正なリユースの体制ができつつある。さらに当然のこととはいえ、色々な使用済み製品のリサイクルは個別リサイクル法によって行われるようになり、リサイクル率は日に日に向上している。

 このように、3Rは確実に進んでいるのである。しかし、それで十分かと言うとそうではない。もちろん、3Rそれ自体が経済と環境の調和の最終目的なのではないのであって、究極の目的は持続可能な経済社会を作り上げることにある。そのためには、循環的利用によって資源の節約を行う一方で、希少資源を中心とした資源の確保を行う、いわゆる資源循環型社会の構築を図ることが求められる。その意味では現行のシステム(これをここではレジームという)は十分とは言えない。

 本稿では、まず資源循環の現状を概観し、現行レジームの問題点を指摘する。その上で、健全で円滑な資源循環を進めて行くための制度・政策についてあるべき姿を描きたいと思う。

2. 資源循環の現状

 既によく知られているように、日本は最終処分場枯渇問題など廃棄物の処理問題に悩んできた。その解決の手立てとして考えたのが、3Rという言葉で代表される廃棄物処理・適正処理政策であり、その進化的形態として発展したのが資源循環政策である。国は廃棄物処理法の度重なる改正、資源有効利用促進法や個別リサイクル法の成立などを通じて、3Rのためのレジームを作り上げてきた。

 しかしながら、それが真の意味での資源循環型社会のレジームたりえているかというと、今そうと言い切れる状態にはなっていない。なぜなのか考えてみよう。このとき、使用済み製品・部品・素材(これを静脈資源と呼ぶ)には、新たに作られた製品などにはない性質が備わっていることに注意する必要がある。それは、潜在資源性と潜在汚染性という2つの性質である。

 前者は、使用済みになっても何らかの処理をされた場合、再び有益な投入物として経済で使われる潜在的性質を表している。たとえば、鉄・非鉄・希少金属・樹脂などが静脈資源に多く含まれていると、この性質が経済で顕在化する可能性がおおきくなる。後者の性質すなわち潜在汚染性とは、製品・部品・素材が使用済みの段階で不適正な扱いや処理を受けた場合、自然環境を汚染する潜在的性質のことをいう。ヒ素や鉛・カドミウムあるいはフロンガスや臭素系難燃剤などがこの性質を顕在化させる恐れのある物質の例である。

 さて、この2つの性質を持つ静脈資源の取り引きがなされるのが静脈市場(あるいは静脈経済)呼ばれるものなのであるが、この市場が経済的機能において通常の財・サービスを取り引きする場である動脈市場(動脈経済)と異なるがゆえに大きな問題が生じる可能性がある。動脈市場の取り引きにおいて生産者や消費者などの経済主体間で必要になる情報は、当該財の機能や安全性などに関するもので、製造物責任など最小限の責任制度があれば、比較的少ない情報獲得努力で健全で円滑な取り引きが可能である。

 他方、静脈市場の取り引きで必要になる情報は、静脈資源にどれくらいの経済価値があるか、あるいはどれくらいの環境負荷的性質があるかということに関するものであって、情報の内容は極めて複雑なものになりがちである。まず、多種にわたる物質について、どの物質が潜在的に市場で評価される価値を持ち、どの物質が潜在的に環境負荷的性質を持つのかを判断するためには多くの情報・知識を獲得しなければならない。にもかかわらず生産者は、製品・部品・素材情報を出したがらない。しかも、これらの性質は置かれた状況によっても異なってくるのであって、潜在資源性や潜在汚染性が市場で現実の資源性あるいは汚染性として顕在化するかどうかは、市場条件・法制度条件・技術条件などによって変わってしまう。このため、静脈資源に関する情報を積極的に取り引き主体に受発信させるような制度的条件を整えないと、健全で円滑な取り引きがなされないのである。

 「健全で円滑な取り引き」と今書いたが、この意味を的確に理解するためには動脈経済とのアナロジーで考えてみるのがよい。動脈市場においては、取り引きの各段階で情報が比較的オープンに受発信されており、一部海賊版や偽製品・部品・素材などあるものの、取り引きが透明である。JANコードなどによって財の物流情報を把握することも可能である。昨今、冷凍食品の毒物混入事件があったが、その際にも速やかに情報が明らかになり、問題がないとまでは言えないものの素材情報の追跡が行われた。すなわち、財の取り引きのフローが「見える」形になっているのである。

 これに対し、静脈市場では、取り引きのフローが透明でないものが多い。口語的な表現をすれば、「安かろう、悪かろう」の考えがまだまだ大勢を支配していて、静脈資源を誰が誰に手渡したか、手渡した静脈資源がどのような形で処理されたかということについて、動脈市場の取り引きと較べると著しく不透明なのである。この結果、不適当な処理やリサイクルを行って利益を得ようとする不適正主体に当該資源がわたり、多くの場合、不適正処理・不法投棄・不正輸出という形で環境問題が生じる。すなわち、見えないフローで取り引きがなされることによって潜在汚染性が現実の汚染として顕在化してしまうのである。

 このような見えないフローを絶つことこそが、健全で円滑な資源循環型社会のための必要条件なのである。そして、まさに見えないフローをなくして静脈資源の取り引きフローを可視化することが、資源有効利用促進法や個別リサイクル法などの主要目的と言えよう。個別リサイクル法の目的の1つは、確かに容器包装や自動車、家電製品などの特定製品の適正リサイクルを促進することにある。これは間違いない。しかしその点だけに目をとらわれてしまうと本質を見誤る恐れが大きい。静脈市場の特徴を見据えた上で、取り引きを促進するためのフローを可視化することがより重要な点なのである。

 ところが、ここ数年、これまでなかった問題が見えてきた。それは、資源循環が日本国内で留まるのでなく、海外とりわけアジア圏域の中で行われるということである。もちろん、先ほど述べたようにこの広域取り引きが見えるフローで行われていれば問題はないのだが、実際そうではないところに大きな問題がある。ここで2つの異なった問題があることに注意したい。1つは、日本の静脈資源がアジアの発展途上国に流出し、そこで当地の環境を汚染しながら処理・リサイクルされているという問題である。もう1つは、本来日本で確保しておきたい金・白金・パラジウム・銀などの希少資源を含む静脈資源がアジアの発展途上国に流出し、当地で歩留まりの悪い形で資源抽出が行われているという問題である。

 市場経済を原則とする限り、アジア圏域での資源循環は避けられない。効率的資源利用のためにはそのような資源利用は必要なことである。しかし、一方で汚染を他国に拡散させないような措置も必要だ。もちろん、廃棄物の輸出はバーゼル条約で厳しく制限されているが、この条約のみによって上の2つの問題を解決することは不可能である。そもそも、バーゼル条約は健全で円滑な資源循環を担保するために結ばれた条約ではないからである。それではどうしたら良いのか。以下では、これまでの環境経済学の知見で得られたことを基礎に、新しい資源循環型社会の展望を試みる。

3. 新しい資源循環型の構築

 まず、次のことを確認したい。それは、潜在汚染性の小さいものについては、戦略的物資でない限り、アジア圏域の広域取り引を行った場合でも従来通りの市場取り引きで原則問題ないということである。たとえば、静脈資源に一定の処理を施した後に得られた再生資源は通常潜在汚染性が小さく、市場価値を持つ。異物の取り除かれた鉄・非鉄スクラップが典型例である。こうしたものについては、通常の新しい財と同様、市場取り引きに任せても問題がない。それどころか、よく選別された鉄・非鉄スクラップなどの資源については需要の大きい発展途上国で有効に利用してもらうことが重要である。

 市場メカニズムに任せても、もともと潜在汚染性は小さいのであるから問題は小さい。加えて、こうした資源のフローは質の高い市場で取り引きされる可能性が大きく、いきおいフローは見えるようになる。取り引き段階で情報を隠す必要がなく、情報も広く発信されるようになる。通常の動脈市場と同じようになるのである。一部の資源については業界団体も形成されるようになったため、一層情報開示が進むようになった。フローの可視化が進んだのである。

 さて、潜在的に環境負荷の大きいあるいは汚染性のある静脈資源については同じように取り扱うことはできない。無制約な市場取り引きに任せておくと、どんなに質の低い経済主体でも市場にアクセスできるため、市場の質は悪化する。「安かろう、悪かろう」の原理に従って行動する主体が市場に参加してしまうのである。しかも、潜在資源性や潜在汚染性の情報は自動的に開示されるわけではなので、情報の非対称性によって意図的・非意図的にかかわらず取り引きに歪みが生じる。その結果、市場取り引きによって良いものや良い主体が選ばれるのではなく、悪いものや悪い主体が市場に残ることになる。経済学で言う典型的な「逆選択」の現象が現れるのである。

 さらに留意しなければならないことがある。それは、「資源制約」と「環境制約」は多かれ少なかれ強まらざるを得ないということである。前者は、天然資源のピークアウト(採掘量が過去の最大量よりも徐々に小さくなること)によって、さまざまな天然資源に対する需給バランスが逼迫するということによる制約である。インジウムの市場への供給量が小さくなると液晶の生産はマイナスの影響を受ける。金や白金の採掘量が少なくなると、電子機器の生産も制約を受ける。そのような制約要因となる元素・物質はまだまだあると言われている。天然資源を節約的に利用し、同時に経済を活性化するためには資源制約を考えざるを得ない。

 後者の制約、すなわち環境制約は、生産活動・消費活動・資源循環活動すべての経済活動において環境負荷を低減し、潜在的汚染の可能性を小さくするという社会的要求からくる。これは、先進国のみで要求されることではなく、発展途上国でも当然のことながら要求される。確かに、これまで発展途上国ではそのような要求が無視されがちであった。国家からして公然とこの制約をないがしろにすることもままあった。しかし、だからと言って、広域資源循環が普及拡大していくとき、潜在汚染性の大きな静脈資源が発展途上国でリサイクルされことによって日本由来の汚染が広がることを許すわけにはいかない。加えて、中国などが本気で環境制約を法制度として顕在化させたとき、日本が汚染輸出国として非難される恐れもある。

 もう1つ、資源制約が強まるなか、地政学的影響を考慮しつつ、希少資源をはじめとする資源を確保する戦略的対応を考えておかなければならない。もちろん、地政学的影響など全く考える必要がなく、かつ市場が経済学でいうところの完全競争的なものであるならば、そのような考慮は無用の長物と言うべきである。しかし、1997年のパラジウムショックからもわかるとおり、天然資源市場はそのような純真無垢なものではあり得ない。環境と経済を調和させるような、資源戦略が必要となる理由がここにある。

 3Rの発想は、静脈資源を廃棄物という視点から捉える発想であった。それはそれで正しい。しかし、2つの制約を考慮した上で資源循環型社会を築くためにはそれとは異なった角度、すなわち静脈資源を天然資源に代替し得る資源という角度から見ることが必要となる。とすると、積極的に静脈資源を確保するということが決定的に重要になる。日本でこそ、環境負荷が小さく、それでいて高度の資源抽出ができるのであり、この能力を実現するためにはまずは需要ネットワークを作り上げて、静脈資源が国内で吸収されるような仕組みを作らねばならない。

 この点、中国は示唆的な戦略を採っている。中国も資源循環型社会の構築に躍起となっているが、その態度は日本と対照的で「廃棄物」という視点がほぼ欠けている。資源確保の観点が彼等の言う資源循環型社会の基底にあるのである。ざっくり言ってしまうと、環境制約も片目でにらんではいるのだが、今のところ本音は資源制約により大きな重点を置いて戦略を組んでいるのである。このため、よく選別された使用済みPETボトルから希少資源を含んだ制御基板などが日本国内で確保されず、中国など需要力の強い国々が吸収してしまう。玉をとれなければ、いくら日本国内で立派なリサイクルプラントを作っても無益というものだ。

 生産物連鎖での制御を行い、環境負荷の小さいあるいは汚染の拡散の小さい資源循環を行うとともに、積極的に静脈資源を確保するようなレジームを作る必要がある。これまでのように広域資源循環をインフォーマルなレジームに任せておいたのでは、静脈資源の質は低いままであり、相も変わらず他国を汚染しながらのリサイクル、しかも国内に希少資源が残らないということになってしまう。

 以上のような状況を回避するためには、静脈資源のフローを可視化し、追跡可能性・透明性・説明責任性のある静脈取り引きを実現しなければならない。しかし、それは国の法律や条約、いわゆるハード・ローというものだけでは難しいように思われる。もとより、ハード・ローはそれとして必要だが、静脈市場に係る経済主体が自らコミットする枠組み、すなわちソフト・ロー的な枠組みが必要になる。これは何も夢想的なものではない。流行りとはいえ、既にCSRは質の高い企業には当たり前のことになっている。加えて、エコタウンやリサイクルポートを基軸として、地方自治体や地域企業が協力しつつ、見えるフローでの静脈資源取り引きを行いつつある。こうしたレジームが拡大し、中国などをはじめとするアジアの国々・地域の諸都市がレジームに加われば、静脈資源の取り引きはきれいになると同時に効率化されることになるだろう。実際、このような取り組みは北九州などで行われている。

4. おわりに

 本稿では、これまでの廃棄物処理行政に基づいたいわゆる3R政策から進化した資源循環政策の現状と課題を整理し、将来展望を行った。静脈資源を廃棄物の角度から捉えることは重要であるが、加えて天然資源と代替し得る資源という観点から捉えないと、真の意味での資源循環型社会の形成は困難であるということを述べた。資源制約と環境制約の2つの制約のある社会では、どちらか一方に偏った見方をすると、他国を汚染しつつ一方で希少資源が流出するという深刻な問題に突き当たってしまう。広域資源循環が既に市場に組み込まれている現在、これまでの廃棄物処理・リサイクル政策と資源戦略を結合する必要に日本は迫られている。

参考文献:

  1. 小島道一(2005)『アジアにおける資源循環』アジア経済研究所.
  2. 細田衛士(2008)『資源循環型社会 -制度設計と政策展望』慶應義塾大学出版会.
  3. 矢野誠(2005)『「質の時代」のシステム改革』岩波書店.