第52号:植物科学
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分子・染色体工学の技術を用いた強グルテン小麦新品種の育種

2011年 1月17日

李俊明

李俊明(Li Junming):
中国科学院遺伝・発生生物学研究所研究員、博士課程指導員

1964年7月出生まれ。1986年に河北農業大学において作物育種遺伝子学学士学位を取得。1999年3月-2001年2月に農林水産省北海道農業試験場特別研究員。2001年3月から現在に至るまで現職。

一、中国における強グルテン小麦の生産状況

 中国において小麦は主要食糧作物の一つである。中国は小麦消費大国でもあり、良質小麦の年間需要は国内生産量の約18%に相当する2100万トン前後である。このうちパン用小麦の需要が400万トン、餃子や即席麺用小麦の需要が1100万トン、ビスケットや菓子用小麦の需要が600万トンとなっている。市場需要は概ね国内生産でまかなうことができるが、2009年には約60万トンの輸入実績があり、2010年には輸入量がさらに増加している。輸入小麦のほとんどは、国内で不足している強グルテン小麦である。

 中国産冬小麦ドウ(こね粉)の安定時間は短く、引き伸ばし面積も小さい。北アメリカやオーストラリア産の小麦と比べ明らかに製パン性が劣る。強グルテン小麦は、品質安定性、生育特性、潜在的生産量、生産規模などの面で数多くの課題を抱えている。第一に強グルテン小麦は品種が少なく生産量も低い。一部の品種は耐寒性、耐病性、耐倒伏性が劣っている。第二に同一品種の年度ごとや生産地ごとの品質に大きなばらつきがあり、ドウのレオロジー特性に大きな差異が生じるため、食品加工業界の品質要求を満たすことができない。

 近年流通小麦の政府買い取り価格が上昇しているため、強グルテン小麦生産による収益に魅力がなくなっている。特に2009年初冬に発生した冷害により、黄淮の冬小麦産地における強グルテン小麦が壊滅的な打撃を受けたことが影響し、強グルテン小麦の生産が下火となり、2010年秋の作付面積は大幅に減少した。品質、耐病性、逆境耐性に優れた品種が不足しているため、強グルテン小麦の生産は今後しばらく低迷するだろう。短期的には強グルテン小麦の輸入量がいっそう拡大することになる見込みである。

二、中国における強グルテン小麦の育種が直面する主な課題

 近年中国における小麦育種は、単一的な母体選択が影響し、品種の選択・育成過程において母体材料の遺伝的基盤の単一化、遺伝的多様性の不足、遺伝的変異範囲の急激な縮小が生じている。このため小麦の遺伝子プールにおける多様性が乏しくなり、病気や害虫に対する抵抗力および逆境ストレスに対する適応力が低下の一途をたどっている。特に新しい病原菌レースに対する抵抗力が段階的に失われている。強グルテン小麦の場合、河北省における80%の強グルテン小麦品種は、藁城8901の派生品種である。黄淮冬小麦地帯北側および北部冬小麦地帯における70%近くの強グルテン小麦は、藁城8901と近縁関係にある。藁城8901小麦は良好な製パン性を有しているが、耐寒性、耐病性、耐倒伏性に劣っており、その派生品種における総合耐性は良いとは言えない。2009年冬季に発生した冷害により、藁城8901派生品種はほぼ壊滅した。現時点で藁城8901派生品種以外の品種の多くは、加工品質の面で現物市場や先物市場における強グルテン小麦に対する要求(安定時間12分間)を満たすことができない。このように黄淮北側および北部冬小麦地帯における強グルテン小麦の品種不足は困難な局面に面している。

 中国産強グルテン小麦品種の総合耐病性も理想的とは言えない。CY32、CY33号といった黄さび病の新レースが発見された後、従来の抵抗性品種のほとんどが罹病性品種となってしまった。このことは主要生産地である関中、河南、蘇北といった黄淮南側における強グルテン小麦の生産を直接的に脅かすことになった。ウドンコ病に対する抵抗性の面では、Pm20、Pm21といった少数の遺伝子のみが、中国の主要なウドンコ病菌レースに対する抵抗性を有している。しかし前述した遺伝子を持つ品種は極めて少ない。これら二つの遺伝子を持つ品種は、生態環境や耐寒性に関する制限を受け、生産地域が限られている。病原菌抵抗性品種の不足は、病害対策を農薬に依存する傾向を強めている。またカルベンダジムやトリアジメホンといった農薬の散布は、強グルテン小麦の加工品質に悪影響を及ぼす。

 強グルテン小麦の加工品質は、主に高分子量グルテニンサブユニット(HMW-Gs)の遺伝子によって左右される。コード番号が1Dx5 + 1Dy10、1Bx7 + 1By8、1Bx13+ 1By16、1Bx14+ 1By15、1Bx17 + 1By18といったサブユニットの遺伝子は、中国産強グルテン小麦において広く応用されている。強グルテン小麦遺伝子の供給源は単一であるため、品種間の遺伝的類似性は80%以上となっている。種内で利用可能な遺伝子プールは概ね利用し尽くされており、品種間の交雑育種では生産量や品質を画期的に改良する新品種を開発することは困難である。近年1Ax2*B、1Bx7OEや1Dx2.2遺伝子が注目を集めており、さまざまな育種技術を応用した遺伝子組み換え品種が登場しているが、生産量や耐性面の要求を満たすまでに至っておらず、いまだ実験段階にとどまっている。

三、強グルテン小麦の品質や生産量の安定性を向上させるための育種戦略

 品種改良は、関連種における特異的遺伝子の発見と利用および特徴が明確な育種材料の開発にかかっている。ライ麦(S. cereale)やシバムギ(E. elongata)は、国内外における小麦の遺伝的改良の面で重要な役割を担っている。国内外で栽培されている小麦の約40%には「洛類」(主に1BL/1RS転座系統)の遺伝子が含まれており、小偃系品種は黄淮小麦地帯において欠かせない存在となっている。しかし多くの「洛類」1BL/1RS転座系統品種は、グルテン強度やドウの弾力性の面で難点がある。加えて黄さび病やウドンコ病などの新しい病原菌レースに対する耐性が徐々に弱まっており、完全に喪失している場合さえある。このため目下生産に応用されている交雑後代選択体系は、耐性が低いため強グルテン小麦の育種母体とはしにくい。20世紀に中国で選択育成されていた一部の八倍体小偃小麦やその派生品種(系)は、耐病性に優れているものの、高分子量グルテニンサブユニット遺伝子が欠けており、加工品質が劣ることが多い。このため強グルテン小麦の遺伝的改良に直接用いられることは滅多にない。

 黄淮冬小麦地帯北側は、中国随一の強グルテン小麦生産地域である。同地区で栽培する小麦品種は、株高さが理想的であるほか、茎が丈夫で耐倒伏性が高く機械化収穫に適していなければならない。また耐病性(黄さび病やウドンコ病などの病害)や逆境耐性(耐寒、耐高温、耐熱風)に優れている必要もある。これらの要求を満たすためには、新たな優良遺伝子を発見する必要がある。遠縁交雑、染色体工学、マーカー利用選抜技術を合わせて応用し、近縁種における優良遺伝子や染色体領域を小麦ゲノムに取り込むことによって、小麦品種の遺伝的多様性を増やせば、中国の小麦主要産地における品種改良のための遺伝的基盤を効果的に拡大できる。

 ライ麦やシバムギといった近縁種の優良遺伝子(染色体領域)が徹底的に利用されたため、単一の関連属・種を利用するだけでは、生産量、品質、耐性、適応性といった数多くの特性を同時に改良することは難しくなっている。異なる属や種の優良遺伝子(ゲノムまたは染色体領域)を取り込む材料間交雑により、属間雑種を開発することができる。分子マーカー技術を応用し複数の目標遺伝子を選択し重合した組み換え体は、複数の近縁属種における優良遺伝子を一体化した理想的な材料の開発に適しており、小麦育種を画期的に発展させることができる。

四、強グルテン小麦の育種における幾らかの進展

 20世紀末に我々はライ麦品種German Whiteと一般的な小麦である小偃6号を用い交雑や戻し交雑を行い、黄さび病やウドンコ病の流行レースに対して抵抗性のある新型1BL-1RS転座系統を選択育成することに成功した。2002年に我々は自ら育種した新型1BL/1RS小麦/ライ麦転座系統とヨーロッパから取り寄せた八倍体小偃麦(Tritielytrigia)BE-1を交雑させた。放射線によりF2種子の突然変異を誘発し、F2優良単株を小偃81や科農1095といった低株早熟小麦と2度にわたり戻り交雑する手法により、小麦/ライ麦/シバムギの三属雑種材料を選択育成した。染色体Cバンド技術、蛍光 in situ ハイブリダイゼーション、分子マーカー、生化学的マーカーといった数多くの技術や手法を総合的に運用し、三属雑種材料の外源染色体領域に対して正確な鑑定を実施した。Z-3-2、fZ-7-4、fZ-7-5(三属雑種への放射能を用いた突然変異の誘発により選択育成した派生材料)から派生した戻り交雑後代選択体系には、早熟、理想的な株高さ(70-90cm)、整った株型、良好な生産性、豊満で白く外被のある穀粒、HMW-GS構成は1/7+8(14+15)/5+10、ウドンコ病や黄さび病に対する免疫や高い抵抗性といった特徴がある。またシバムギEb染色体断片やライ麦1R染色体断片のいずれか、または両方を持つ。

 2008年、三属雑種と科農1095を戻り交雑させたBC2F4後代O-9株から派生した43の優良株体系は、条中32や条中33といった黄さび病の優勢レースに対し苗期における免疫や成熟株期における高抵抗性を持つ。これらのHMW-GS構成は1/7+8/5+10、混合小麦粉の粗タンパク質含有量は16.7%、ウエットグルテン含有量は37.5%、沈殿値は33.5ml、安定時間は11分間、品質は一級強グルテン小麦の基準に合致する。2008-09年度に実施した小区画生産量の比較試験によると、O-9混合系の1ムー(約6.667アール)当たりの生産量は541.2kgであり、比較品種である石4185(中グルテン品種)より1.8%少ないだけだった。

 2009-2010年度にO-9姉妹系14種類について株型、品質、耐病性、逆境耐性(耐寒、耐乾燥、耐高温、耐熱風)に関する試験を行った。O-9選択体系の株高さは68-72cmであり、強い分げつ力、頑丈な茎、発達した根、高い耐倒伏性という特徴があった。また葉は小さいが幅広で上向きであるため通気性や光透過性に優れている。穗は角張っていて36-38個の穂粒があり、千粒重は39-41gであった。製パン性については12の体系が一級強グルテン小麦の基準に合致した。安定時間は15分間以上だった。

 O-9選択体系の総合耐病性は良好であり、黄さび病に対する高抵抗性とウドンコ病に対する中抵抗性を持つ。耐熱風性や耐黄化性にも優れている。O-9選択体系の耐寒性は極めて良好であり、2009年の秋から冬にかけての厳しい冷害においても越冬生存率が95%以上に達した。越冬後に苗は力強く成長し速やかに成熟した。2010年夏の収穫期に小区画生産量の比較試験に参加した14の姉妹体系のうち、9つの体系が比較品種の邯6172(中グルテン小麦)より生産量が10%以上高かった。2010年秋に新体系の科農2009(従来のコード番号O-9-1の混合体系)が、河北省冀中南の冬小麦良質グループ地域試験に参加した。

 小麦/ライ麦/シバムギの三属雑種から派生した新体系である科農2009は、中国における強グルテン小麦の育種に新たな遺伝子プールを提供した。これまでに中国における20を超える育種組織に所属する50名近い育種農家が使用している。これにより中国で主に栽培されている強グルテン小麦の遺伝的基盤が単一であるという問題が解決に向かうことだろう。


注釈:本研究は国家現代農業産業技術体系構築基金の資金援助を受けた。この場を借りて感謝を表明する。

主要参考文献:

  1. Wang ZG, et al. Fluorescent In Situ hybridization analysisof rye chromatin in the background of “Xiaoyan No. 6 ” , Acta Botanica Sinica, 2004, 46(4): 436~442
  2. 王静らによる小麦-ライ麦1B/1R新転座系統の開発および分子細胞遺伝学鑑定、作物学報、2006、32(1): 30~33
  3. 李偉光らによる八倍体小偃麦(Tritielytrigia)染色体が構成する分子に関する細胞学分析および品質特性研究、麦類作物学報、2006、26(2): 6~10
  4. Jun Ji, et al. Identification of new T1BL.1BS translocation lines derived from wheat (Triticum aestivum L. cultivar “Xiaoyan No. 6”) and rye hybridization, Acta Physiol Plant, 2008,30: 689~695
  5. J Ji, et al. A powdery mildew resistant line with introgression of Agropyron elongatum chromatin, Cereal Research Communications, 2009, 37(2): 217-225
  6. 王文広らによる耐病性に優れた小麦の育種材料に関する細胞学鑑定および黄さび病に対する抵抗性に関する遺伝子学分析、麦類作物学報、2010、30(4): 596~600