第45号:悪性腫瘍および治療法に関する研究
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RNA 干渉による発がん分子標的の同定と治療への応用

2010年 6月18日

落谷孝広

落谷孝広(おちやたかひろ): 独立行政法人 国立がん研究センター研究所 がん転移研究室独立室長

1957年7月生まれ。昭和63年 3月 大阪大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。 大阪大学細胞工学センター助手、国立がんセンター研究所分子腫瘍学部主任研究員、国 立がんセンター研究所分子腫瘍学部室長を経て、平成10年 6月 国立がんセンター研究所がん転移研究室独立室長。

受賞歴:

昭和63年 井上財団研究奨励賞
平成 7年 国立がんセンター 田宮賞
平成12年 日経BP技術賞 バイオ医学部門賞(株式会社高研、当社との共同受賞)
平成15年 再生医療学会賞
平成16年 再生医療学会賞
平成18年 日本人工臓器学会 オリジナル賞
平成19年 IFAT国際学会優秀演題賞受

はじめに

 RNA干渉(RNAi)のがん研究への応用は、発がんメカニズムの解析から治療まで、ゲノム・エピゲノムの全般にわたり幅広く研究されている。その主役はsmall interfering RNA (siRNA)のみならず、最近話題となっているnon-coding RNAの一種であるmicroRNA (miRNA)も登場し、標的分子の発見から制御まで、創薬の要として重要視されている。

日本のsiRNAの疾患治療への応用の現状

 核酸医薬は、これまで「タンパク質を標的」とした低分子化合物や抗体による医薬品開発とは根本的に異なり、主に「遺伝子」つまりDNA、mRNA、miRNAなどを標的としており、そ の潜在能力の高さから抗体医薬に続くバイオ医薬として注目され、実際の医療への応用が期待されている。核酸医薬の種類とそれぞれの特徴を表1にまとめておいたので参照されたい。このような状況から、既 に核酸医薬開発で日本よりかなり先を進んでいる欧米では大手製薬メーカーと核酸医薬関連ベンチャー企業との提携や買収の動きも活発化しており、世 界的にはsiRNAのフェーズIIIの臨床試験が2007年から着手されている。ようやく日本でも、アルファジェン(08年米国で臨床へ、下肢動脈閉塞)、日本新薬(肝がん、膀胱がん)、ジーンケア(がん、ヘ リカーゼ)、大日本住友製薬(がん、チオレドキシン)・仏Lorus社、東京医科歯科大学(C型肝炎)などが独自の標的分子に対するsiRNA医薬を臨床へ応用する活発な動きが始まっている。

表1

microRNAの発見

 最近、siRNAを上回る勢いで急成長した分野がmicroRNAである。多くのRNA分子、例えばメッセンジャーRNA(mRNA)などはゲノムから転写され、翻 訳のプロセスによりタンパク質が産生される。つまりRNAは長きにわたってゲノムとタンパク質を仲介するメッセンジャーとして研究されてきた。しかし近年、全く新しいカテゴリーのRNAが見つかった。そ れがmicroRNAである。ヒトやハエ、線虫などの左右相称動物ではこのmicroRNAは進化の過程を通じて比較的良く保存されているが、こ うした左右相称動物の出現以前に分岐したイソギンチャクや海綿動物といった比較的単純な構造の動物でも同様な低分子RNAが存在する。microRNAもゲノムから転写されるが、m RNAのようにタンパク質に翻訳されることは無く、18〜25ヌクレオチドの小さなRNA配列であるmicroRNAは、主に翻訳阻害とmRNAの切断(分解)と いう2つのプロセスで標的となる複数の遺伝子を制御していることが明らかになってきた。ヒトでは800を超えるmicroRNAが同定され(おそらくは1000を超えると予測)、すべてのヒト遺伝子のうち1/3 もが,これらのmicroRNAによって制御を受けるとされている。したがって、もしこのmicroRNAに何らかの異変が起きれば、それは我々の疾患と深く関係することになる。

がんとmiRNA

 がん細胞におけるmiRNA発現の異常は、発現量が過剰になっている場合と、減少あるいは発現していない場合とがある。従って、miRNAの異常発現を正常に近い状態に調節することにより、が んの進展を抑制できる可能性が示唆される。過剰発現しているmiRNAに対しては、その相補鎖であるanti-miRNAオリゴヌクレオチド (AMO)の導入によりmiRNAと結合し、標 的mRNAとの結合を競合的に阻害することで機能を抑制する。このAMOの臨床応用化に向け、2’-O-メチル化、ホスホチオエート化、Locked Nucletic Acid (LNA)化、Peptide Nucleic Acid (PNA)化などにより化学修飾し、miRNAとの結合力や生体内での安定性を向上させた分子が用いられている。他方、がん細胞で発現が低下している場合に対しては、合 成miRNAを導入することにより必要量のmiRNAが補填され、標的mRNAをmiRNPに取り込むことが可能となる。合成miRNAにおいてもAMOと同様、in vivoでの使用については生体内での安定性が必要である。筆者らの研究チームは、実験動物に対するsiRNAのデリバリーにバイオマテリアルであるアテロコラーゲンを担体として用いてきた。ア テロコラーゲンはウシ真皮由来のI型コラーゲンを原料とし、抗原性の高いN、C両末端を除いたもので、正に荷電している。従って毒性および免疫原性は低く、か つ核酸分子とは静電気的に結合し複合体を形成することで生体内での核酸の分解を防ぐことができ、全身投与に用いる担体として優れた特性を有している。

日本におけるmiRNAの研究

 microRNAの異常が引き起こす疾患のなかで、我が国でも特に研究が進んでいるのはやはりがん研究である。自 治医科大学の間野博行博士らは貴重な臨床検体のナノグラムオーダーのRNAから数十万クローンのmicroRNA分子を簡便にクローニングする新たなmiRNA Amplification Profiling (mRAP) 法を用いたヒト癌に特徴的なmicroRNA発現様式の全体像の解明と臨床応用を積極的に進めている。また、m icroRNAの癌細胞での発現様式の特徴の一端はエピジェネティクスな転写制御であることが明らかにされつつあり、東京大学医科学研究所の伊庭英夫博士は、癌 化のプロセスにおけるmicroRNA遺伝子自身がどのように発現調節されているか解析を進めるために開発されたプロモータ予測のアルゴリズム研究等や、c oding遺伝子とmicroRNAのようなnoncoding遺伝子により形成されるネットワークの制御機構の全体像の解明をめざしている。名 古屋大学の高橋隆博士は我が国のmicroRNA研究の先駆者として、癌とmicroRNAの研究を世界的にリードされてこられた。特に肺癌の発症、進展におけるmicroRNAの果たす役割について、l et-7 とmiR-17-92 クラスターを中心に多くの臨床研究を進めている。次にmicroRNAとして最も注目を集めているひとつであるmiR34の関係する大腸がんに関して、国 立がん研究センター研究所の中釜斉博士らは、miR-34aがE2F転写因子やそのターゲット遺伝子の発現を抑制することで、細胞の増殖を止め、がん細胞を老化様に変化させるプロセスの詳細を研究している。さ らに、長期の抗がん剤治療や癌の悪性化に伴って現れる薬剤への耐性は癌治療の上で大きな問題であるが、この薬剤耐性に関与するmicroRNAの実態も次々に明らかになってきている。国 立がん研究センター研究所の竹下文隆博士らは、ヒト乳がんの薬剤耐性を制御するmiRNAを同定し、その標的分子の解明を進めている。また東京医科大学の黒田雅彦博士らは、m icroRNAの臨床診断への応用を試みている。癌の臨床検体のmicroRNAプロファイリングから浮かび上がってくるのは、癌の進展や悪性度と密接に関連するmicroRNAの特徴的な変動であり、こ れらのmicroRNAをバイオマーカーとして追うことで、病態の把握や予後予測に役立てようという動きがすでに始まっている。

がん幹細胞とmiRNA

 さて関心は「がん幹細胞」の性状の理解や治療標的としてmicroRNA研究がどれだけ有効であるかという点にある。がん幹細胞も正常幹細胞も、どちらも自己複製能を有しながら、多能性を保ち、C D44,CD133などの細胞表面のマーカーもある程度同じものを発現する等、極めてその性質は似通っている。従って、正 常のES細胞や組織の幹細胞の自己複製能と分化能の制御に働くmicroRNAのネットワークを理解することは、癌幹細胞の新たな制御メカニズムの解明に貢献するはずである。

 がん幹細胞とmicroRNAの関係に初めてメスを入れたのは2007年の米国のLieberman 博士らの論文であり、乳がんのがん幹細胞と思われる細胞集団は、より分化度の進んだ癌細胞に比べて、い くつかのmicroRNAの発現が減少していることを見いだした。そのひとつが名古屋大学の高橋博士らの研究するsuppressiveタイプのmicroRNAであるlet-7であり、通 常はoncogeneであるRas、HMG2Aを抑制しているはずが、がん幹細胞ではその働きがなくなることで、少なくともこの2つの遺伝子が抑制から外れたため、自 己複製の亢進や分化の抑制へとつながったと予想される。このlet-7のようなmicroRNAががん幹細胞を特異的に攻撃するための治療戦略となりうるかどうかについてはまだ多くの検証が必要である。また、個 々のがんでメルクマールとなるmicroRNAが、どんな遺伝子(群)を標的にしているかを知ることは、新たながん治療の創薬を生む可能性がある。

miRNAによるがん治療の展望

 microRNAをがんの診断・治療に応用しようとする動きは世界中で活発化している。まず治療で言えば、C型肝炎ウイルスの増殖に必須であると報じられたmicroRNA122に関して、デ ンマークと米国の2つの企業が、microRNA122を抑制する働きのある核酸医薬の開発を早速手がけ、臨床研究の段階にある。が んで主に発現の低下しているmicroRNAを対象とした臨床試験が報じられるのもそう遠くはないと予想されている。また、がん組織で変動するmicroRNAsをもとに、癌 の診断を進めようとする企業も多く存在する。その一例はMDアンダーソン研究所と共同で米国企業が進めるmicroRNA(複数のセット)による肺癌の再発予測や、他 の米国企業による膵臓がんのバイオマーカーの開発研究である。さらに特筆すべきは、最近話題になっている血液中を巡るmicroRNAの存在である。こうした血液や体液中のcirculating microRNAsの生物学的意義は完全には理解されておらず、その診断への応用は慎重な基礎研究が必要だが、血液わずか1滴中のmicroRNAを解析することで複数の疾患の診断や、癌 の早期診断が可能になる日が来るかもしれない。日本でも、国立がん研究センター研究所のグループは、がんで発現が低下したいわゆるがん抑制遺伝子タイプのmiRNAに的を絞り、こ のmiRNAを補充する治療法を手がけている。例えば、筆者らの研究チームはヒト前立腺がんの臨床検体と細胞株とで共通にその発現が低下しているmiR-16を見いだした。こ の前立腺がんの移植転移モデル動物にmiR-16を投与する事で、局所腫瘍の抑制や骨転移の抑制を実現しており、miRNAのがん治療への可能性を明らかにしている。