【15-01】日本の中国専門古書店
2015年 1月23日
朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院講師
中國山東省聊城市生まれ。
2003.09--2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09--2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09--2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11-2013.03 浙江大学哲学系 助理研究員
2011.11-2013.03 浙江大学博士後聯誼会副理事長
2013.03-現在 山東大学(威海)文化伝播学院講師
日本は漢字文化圏を構成する主要な国であり、中国語の古書を最も豊富に所蔵している。また、中国学の研究においても世界有数の国である。近年、中国高等院校古書整理委員会は巨額の資金を投じ、日本が所蔵する貴重な中国書籍の複写版を数多く持ち帰り、学術研究に役立てた。これは中国書籍を架け橋とした中日両国の文化交流のひとつと言えるが、実はそこにはもうひとつの素晴らしい景色が存在する。それは日本には様々な書籍を豊富に揃えた中国専門の古書店があるということだ。そして、こうした事象はかなり以前から確認できる。1917年、日本の内山完造が上海四川路の横丁に内山書店を開き、その後1935年には弟の内山嘉吉が、今度は東京に内山書店を開いている。その店は、日本に長期間滞在している中国人や、中国文化を愛する日本人にとって、精神的な拠り所でもあり文化活動の場を提供する空間でもあった。波乱万丈の文化大革命時代、中国では新たな書物の発行は許されず、その上輸出も禁じられていたため、内山書店はしばらく香港で古書の複写版の制作を続け、脆弱な書籍資源に頼りつつ持ちこたえていた。1978年になり中日平和友好条約が締結されると、内山書店の経営はようやく軌道に乗り始めた。1902年~1903年当時、魯迅(1881-1936)は東京の弘文学院で学んでいた頃、しばしば神保町を訪れ書店めぐりをした。また魯迅の弟、周作人(1885-1967)も1906年に東京を訪れた際に丸善書店へ立ち寄り、ジョージ・セインツベリーの『イギリス文学小史』等の書物を購入している。
日本の大都市にはいくつもの中国専門の古書店が立ち並び、そこから日本の古本市場の発展の様子が伺われる。東アジアで代表的な古書店と言えば、台北の誠品書店、シンガポールの紀伊国屋、東京・神田神保町の古書店街であろう。このうち、東京を例にとると、神田神保町(神田古書店街)、高田馬場(早稲田古書店街)及び本郷通り(本郷古書店街)が東京の三大古書店街と言われている。京都でバスに乗れば、車窓から古書店を発見することができる。また大阪の著名な電器店街(日本橋)に足を運べば数軒の古書店が点在している。しかし、これらの都市の古書店は東京神田神保町の古書店街と比べると、やや見劣りする感がある。
2010年、私が早稲田大学に留学していた頃、山東大学の杜沢遜氏が神保町の古書店街で本を購入するため付き合ったことがある。杜氏は山東大学の著名な古典文献学者であり、彼は神保町で溢れんばかりの中国語の古書を目の当たりにし感嘆しきりであった。彼は日本に貴重な中国専門の古書が豊富に存在することを知り、日本の学者は恵まれていると感じたようだ。
神田神保町の古書店街の歴史は古く、世界でも最大規模を誇る。その規模は中国北京の琉璃廠及び上海文廟古書店街をはるかに凌いでおり、そこには50円の中国語の古書から、数十万円の絶版書や江戸時代の古書籍に至るまで、貴重で珍しい書籍が数多く存在する。東京都古書籍商業協同組合の統計によると、神田神保町の古書店街には加盟する会員が116余りにも及ぶそうだ。神田古書店街は明治年間より存在するが、近隣に大学が多く林立する立地の影響もあり、次第に世界各地の愛書家の拠点として発展していった。
当地では毎年10月、10日間にわたり古本の青空市「神田古本まつり」が開催される。日本の古書収集家でもあり作家の池谷伊佐夫は、その著書『神保町の蟲―新東京古書店グラフィティ』の中で、神田古書店街を「古書のメッカ」と例えている。そして周作人、姜徳明、陳子善など多くの中国の著名な学者も神保町で書籍を買い求めている。
神田古書店街に10軒余りある大小の中国専門書店は、開店から長い時間を経て今日に至っている。清代末期、神田神保町周辺には中国からの留学生が大勢寄宿しており、神田古書店街一帯は、中国留学生が常に行き交うコミュニティとなっていた。そして、自然と書店の常客となったのである。中国企業の日本駐在代表 劉璥氏によると、1950年代初め、東京で中国語の書籍を扱う古書店は極東書店、大安書房、科学書店、内山書店の4軒しかなかった。その後、中国専門古書店は徐々に増えていき、中でも、神保町で中国語の古書を最も豊富に扱っているのは、内山書店、東方書店、琳琅閣、中華書店、小林書房、山本書店と言われる。このうち中華書店は1963年に廖承志氏が訪日した折、華僑総会に書店を開きたいと申し出た華僑書店で、北海道と神戸の2ヶ所に支店を開いている。『環球時報』の報道によると、中華書店は2001年8月まで東京にある日中友好会館内にて営業をしており、中華書店社長 劉継忠氏は、中国に関心を持つ多くの日本人が毎日のように訪れ、書物を買い求めていったと話している。同年8月に、中華書店は神保町に移転した。
前述の書店にはそれぞれに特色があり、小林書房などは仏教に関連する書籍がとても豊富である。また、書店によっては中国専門の古書を扱うだけではなく、書店名に中国との深い関わりを反映しているものもある。例えば、通志堂書店の「通志堂」とは中国清代の著名な詩人 納蘭性徳の書斎名なのである。
日本の中国専門古書店には2つの特徴がある。
ひとつは、扱っている書物の品数が豊富であり、中国ではすでに見られなくなった書物でさえ日本の古書店では流通していることがある。16世紀末から17世紀初頭にかけ、日本では誰でも好むような基本的な中国語の古書を大量に印刷し発行したため、書店街の店先で中国語の古書が容易に見つけられた。こうした店では、保存状態の良い珍しい中国の書物や絶版本の複写版なども手に取ることができた。この他、日本の学者の逝去後に処分された作品なども置いてある。相当数の中国語の古書が中国の文革時代に日本に持ち込まれたことで、中国の多くの学者たちが当時の貴重な書物に惹きつけられ、その価値を享受したいと願っているのである。
ふたつ目は、中日双方の価格を比較すると、一般的に日本では中国語の古書は品質が良いにもかかわらず中国国内の価格より安いのである。ここ数年、中国では古書の価格が高騰し、実際の販売価格をはるかに超えるものもある。しかしながら、日本での中国語古書の価格は安定しており、誰もが買い求めやすい価格となっている。このことは日本の中国専門古書の市場が成熟している、ひとつの証しであると言えるだろう。
日本の中国専門古書の市場は、なぜこれ程までに成熟し、安定しているのだろうか。私は、以下の2つの事が大きく関わっていると思う。
まず、日本人はリサイクル意識が高い。裕福な社会でありながら、国民にはリサイクルの習慣が根付いており、その市場も非常に大きい。古書業は日本では120年近くの歴史があり、早くから情報伝達や出版流通の重要なパイプラインであった。その上、完備された古書の購買制度、例えば「宅配便」を活用することで古本の販売が非常に楽になり、不要な本を売りやすくなったことなどが影響し、古本市場が開花したものと思われる。
次に、日本は漢字文化圏を構成する主要な国のひとつであり、中国学研究の要所となっている国でもある。日本では、中国語の古書は大きな市場を形成し、多くの研究者や興味を持つ人々が古書を購入している。統計によると、日本の出版市場の1年間の売上額は2兆円近くにのぼり、この内、古書の年間売上額は800億円に相当する。これは平均すると1人が毎年625円の古書を買っていることになる。全国古書籍商組合連合会が運営する古本の検索サイト「日本の古本屋」を例に挙げると、日本の700店余りの古書店 (この会の会員の1/3を占める)の蔵書が取り揃えられており、毎月の売上額は1億5千万円にも達する。
近年、中国の民間の書店はネットショップに押されて生存競争が激しく、次々と倒産している。統計によると、2007年以降、中国で閉店した民間の書店は1万店にも及ぶ。かつて中国愛書家の精神的な拠り所であった北京大学南門外の風入松書店も休業に追い込まれた。
古書店は世界各地の都市文化を映しだす1枚の絵のようなもので、日本における中国専門古書店は日本国民の読書に向かう姿勢を反映している。そして、その勢いはとどまることを知らず、ネット販売が台頭する今も衰える様子はない。これら2つのことは、中国の古書市場が日本から学ぶべきことかもしれない。日本の中国専門古書店の存在は、中日両国の文化交流の促進に一味違う学術的架け橋となるだけでなく、中日両国の学者にとっても大切な絆となっている。