【20-09】貸出市場報告金利(LPR)の改革
2020年9月25日
露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授
略歴
1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。
前回の本コラム では中国人民銀行の2020年第2四半期金融政策執行報告において取り上げられた貸出市場報告金利(LPR)の改革に触れた。その後、人民銀行は9月15日に金融政策執行報告の増刊として『貸出市場報告金利の改革の秩序ある推進』と題した報告書を公表した。今回はこの報告書に沿ってLPRの改革について考えてみたい。
貸出市場報告金利(LPR)改革の経緯
金融政策執行報告の増刊が発行されることは非常に珍しい。人民銀行のホームページを見ると2005年の「金利自由化を着実に推進することについての報告」以来ということになる。人民銀行がLPRの改革を非常に重視していることの表れと考えられる。今回の報告書では、まず、これまでの金利自由化の経緯について述べている。人民銀行は銀行の貸出・預金金利の基準金利を公表しているが、2015年10月の預金金利の上限撤廃によって貸出金利と預金金利の上限・下限がすべて撤廃され、公式の規制はなくなった。並行して、人民銀行は2007年に上海銀行間取引金利(SHIBOR)を創設し、2013年10月には現行のLPRの前身である貸出基礎金利を導入した。さらに2013年には常設貸出ファシリティ(SLF:1~3か月)、2014年には中期貸出ファシリティ(MLF:1年)を開始した。また、2013年9月には金融機関が自主的に市場金利を運営するための「市場金利設定自立機構」が成立した。このような金利自由化の進展にもかかわらず、依然として様々な課題も存在した。第1に預金・貸出基準金利と市場金利の「二重金利」の存在である。2015年10月以降も一部の銀行は非公式に貸出金利の下限を基準金利の0.9倍とすることを申し合わせてきた。このため、銀行間市場金利が低下したにもかかわらず銀行貸出金利は充分低下しなかった。第2に銀行内部の部門間の金利波及経路が不十分であった。第3に預金金利については上昇傾向が存在し、社会全体の金利低下に逆行する形となっていた。第4に人民銀行の政策金利体系が明確でなかった。
LPRの改革
これらの課題を解決するため、人民銀行は2019年8月17日にLPRの中国語名称を貸出基礎金利から貸出市場報告金利に変更し、LPRの改革を公表した。2013年に導入された貸出基礎金利は貸出基準金利にほぼ連動して変動しており、2015年10月以来1年物貸出基準金利4.35%に対し、LPRの改革実施まで4.31%でほぼ固定されていた。改革後のLPRは、毎月15日ごろに人民銀行が実施する1年物MLFの金利に対して、各報告銀行が適切な上乗せを行って報告し、これを銀行間コール取引センターが一定の算式に基づいて計算して、毎月20日に定期的に公表することとなった。人民銀行がMLF金利を変更するとLPRも連動して動くこととなり、「二重金利の統一」が進展した。また、従前のLPRは1年物のみであったが、改革後のLPRは1年物に加えて5年物も公表することとなった。また、報告銀行も貸出量の多い商業銀行上位10行から、改革後は地方の都市商業銀行、農村商業銀行、外資系銀行、民営銀行を加えて18行とし、小型零細企業などへの貸出金利の動きも反映できるようにした。
人民銀行は2019年第3四半期から新規貸出に占めるLPR準拠貸出の比率をマクロプルーデンス評価システム(MPA)の評価基準に加えることとした。MPAについては 2016年6月の本コラム で紹介したが、自己資本比率など様々な指標が一定の基準を満たさない銀行に対して、準備預金比率を差別的に引き上げたり、貸出増加額規制を強化したりする制度である。また、人民銀行は各銀行に対して、銀行内部で使用する部門間の資金移転価格(FTP)制度を確立し、LPRに準拠したものにするように求め、これもMPAの評価基準に加えることとした。さらに、銀行に対して非公式な貸出金利の下限設定を取りやめるよう要求し、これもMPAの評価基準に加えた。2019年12月には、新規貸出だけでなく既存の変動金利貸出の金利変動方式をLPRに準拠したものに変更するよう要求した。
LPR改革の成果
1年物LPRは改革前の4.31%から2019年8月の改革時に4.25%となり、その後数回低下し2020年4月20日に3.85%となった後9月20日の公表日まで維持されている。5年物については導入時の4.85%であったものが同様に2020年4月20日に4.65%となって、その水準が維持されている。2020年8月の一般貸出加重平均金利は5.43%で改革前の2019年7月の6.10%と比べて0.67%ポイント低下しており、同期間の1年物LPRの低下幅0.46%を上回っている。銀行間の申し合わせで非公式に定められた貸出基準金利の0.9倍という下限も消滅しており、2020年7月の新規貸出のうち金利が従来の貸出基準金利の0.9倍を下回るものの比率は40.2%に達し、改革前の2019年7月に比べて4倍となっている。また、預金金利についても2020年8月の3年物と5年物定期預金それぞれの加重平均金利は3.69%と3.78%であり、それぞれ前年末比0.03%ポイント、0.28%ポイント低下している。
LPR改革の評価
以上が今回の報告書の概要である。LPRの改革は、2018年の春から金融緩和に転じたにもかかわらず、貸出金利が充分低下しなかったため、人民銀行が貸出金利を低下させるために実施したというのが実体であるが、金利の自由化を一歩進めたことは間違いがない。特に貸出基準金利の0.9倍という下限がなくなったことは重要である。この貸出金利の下限については2016年7月の本コラムで取り上げたが、各地区の銀行が参加して組成された市場金利設定自立機構が人民銀行の指導の下、申し合わせたものである。すなわち事実上人民銀行による金利規制であった。これを人民銀行自身が撤廃したわけであり、金利自由化の進展といえる。もっとも貸出金利を下げるだけならそもそも基準金利を引き下げればよいのではないかという疑問がある。これに対して今回の報告書では「直接貸出基準金利を引き下げると、政策変更のメッセージとして大きすぎるものとなり、不動産バブルなどを生成したり、非公式な貸出金利の下限を新たに形成したりして市場金利の有効な波及経路を阻害する恐れがある」と述べられている。
一方、人民銀行の政策金利の体系として、毎日人民銀行が実施する7日物リバースレポ金利を短期の政策金利と位置付け、MLFの金利を中期の政策金利と位置付けることが明確にされた。MLF金利を基準としてLPRの1年物と5年物金利が導かれる。また、SHIBORにおける1年までの各種ターム物金利の変動も人民銀行の政策意図を反映したものと考えられる。すなわち、未だに人民銀行が短期から長期にわたる各期間の金利を細かくコントロールしている状態であり、金利の自由化が完成したとは言えない。筆者の実感としては日本でいえば小口定期預金金利の規制が存在し、銀行間金利についてもオーバーナイト金利だけでなくターム物金利も日本銀行が事実上決定していた1980年代半ばころの状態に近い。今回の報告書でも、今後の方針について「LPR改革を継続し、二重金利の統一の実現を推し進め、金融政策の調節と波及メカニズムの改善を図る」としており、金利自由化が道半ばであるとの認識を示している。一般貸出加重平均金利は前述の通り低下が続いているが、人民銀行は預金金利の低下についても促しており、銀行の利ザヤが大きく減少して銀行経営に大きな影響を与えないように、万全の注意を払っている。当面金融緩和政策を継続するため貸出金利の緩やかな低下をもたらしつつ、金利の自由化については依然として慎重なテンポで進めていくものと考えられる。
(了)