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【13-01】「南方週末」事件とメディア規制の強化

柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員)     2013年 1月25日

 中国では、出版社や新聞社の設立は自由にできない。原則として中央政府か地方政府の許認可をもらって設立され、その役割は共産党と政府の意向に沿った報道である。メディアに対して指導と検閲を行うのは共産党中央宣伝部とその下部組織である。たとえば、重大な事件が起こった場合、各メディアは基本的に、新華社がメディア向けに流す「通稿」(ニュースリリース)と呼ばれるモデル原稿を転載しなければならない。一つの事件について党や政府と異なる見方を報道することは、原則として許されない。

 社会主義イデオロギーを掲げる中国において、マスコミに対する検閲は、ある意味で仕方がないことである。問題はその検閲の基準が明らかでないことだ。しかし、メディア管理の指針を定める「新聞法」(メディア法)が制定されていない。「新聞法」が制定されなければ、共産党と政府による検閲は恣意的になりがちである。今、中国で起きている「南方週末」(広東省の週刊紙)事件は、まさに共産党広東省委員会宣伝部の恣意的な検閲に対するジャーナリストの不満と怒りの現れである。

1.言論統制の限界

 毛沢東時代は共産党による言論統制が厳格に行われていた。30余年前から始まった改革開放政策により、経済の自由化が進むにつれ、言論統制も徐々にではあるが、統制が緩んできた。完全な言論統制ができなくなったのは、新華社の偏ったモデル原稿では、人々を満足させられなくなったことが背景にある。

 そもそも改革開放によって人々の価値観が多様化してきたのに対し、官制メディアの報道は相対的に多様化が進んでいないため、信頼が失われてきたのである。現在、共産党員は8200万人いるといわれるが、人民日報の発行部数は、わずか300万部しかない。

 数年前に、北京大学清華大学など名門大学のリベラルな教授らは、洗脳されないため中央テレビ(CCTV)を見ないように呼びかける公開書簡を出した。官制メディアのへ信頼が大きく後退している。改革開放以降、海外から多種多様な出版物が中国に入っている。空港などで入国する乗客の荷物検査が行われるが、それもほとんど意味がなくなった。

 新華社も、事件などを客観的に報道しなければ信頼を取り戻すことができない。共産党にとって都合のいいような偏った報道を続けてきたから、新華社は信頼を失ったのである。

 共産党中央宣伝部など検閲を担当する組織には、一つの誤解が根強く存在している。すなわち、マスコミは共産党と政府を批判してはならない、ということである。マスコミが共産党と政府を批判すれば、政府を転覆させる恐れがある、と宣伝部は過剰に反応している。しかし、歴史的にみても、国民やマスコミの批判を受け入れる政府と政党は存続するのに対し、批判を受け入れない政府と政党は大抵の場合、国民によって見捨てられ、短命に終わってしまう。

 価値観が多様化している今の中国では、マスコミへの検閲による統制は、すでに効果を失っている。この現実を中国政府と共産党は直視すべきである。

2.「南方週末」事件の意味

 広東省には、南方報業伝媒集団というリベラルなメディアグループがある。「南方週末」は、南方報業が出している有力紙である。毎週末に発行される週刊紙だから、「南方週末」という名前が付けられている。

 元々、広東省は北京から遠く、香港に接しているという地理的な特殊性から、改革のパイオニアといわれてきた。30余年前の改革開放も広東省の深圳から始まった。その関係で広東省の人々は改革をけん引するという使命感が強い。

 今回の「南方週末」事件は、新年号の紙面に「中国の夢、憲政の夢」と題し、民主主義と人権保護を唱える記事が掲載される予定だったが、直前になって、共産党広東省委員会宣伝部の指示により、共産党の統治を讃える記事に差し替えられた。それに同紙の記者が反発し、インターネットを中心に「南方週末」への支持が広がり、共産党のメディアに対する干渉への反発が強まった。一部の地域において「新聞自由」(報道の自由)と「言論の自由」を求める小規模デモが行われた。

 この事件が起きたのは、第18回党大会で習近平総書記が選出されて2カ月という微妙なタイミングだけに、中国国内外で注目されている。具体的には二つの注目点が挙げられる。一つは、改革に対する習近平総書記の本気度である。習近平総書記が改革派なのか、それとも保守派なのか、それについて判断する材料は不十分である。従来の共産党のスタンスからすれば、「南方週末」は許されるものではない。今回、どのような処分が下されるのか、注目されている。

 もう一つはこの事件が起きたタイミングと背景である。すなわち、政権交代によって生じた政治の空白を狙って、政治改革を促すため、民主主義や言論の自由を求める記事を掲載しようとした。しかし、「南方週末」に対し、共産党首脳も共産党広東省委員会の首脳も強硬な姿勢を示さなかった。すなわち、中国首脳は、対話を通じて事件のソフトランディングを図ろうとした。また、抗議デモに参加した支持者を力で鎮圧するのではなく、説得工作に出た。結果的に、「南方週末」事件は収束に向かったのである。

h2p>3.急がれる「新聞法」の制定

 しかし、中国の実情を踏まえれば、共産党が直ちにメディア規制を撤廃するとは考えにくい。すなわち、報道を完全に自由化すれば、共産党統治の正統性を疑問視する記事が掲載されかねず、共産党の威信と求心力がさらに低下する恐れがある。仮に、ここで共産党が統治能力を失うと、今の段階では、それに替わる新たな政治勢力が存在しないため、中国社会は大混乱に陥る恐れがある。

 結論的にいえば、メディア規制は続けられるだろうが、そのルールを明確化する必要がある。ルールなきメディア規制が行われると、共産党宣伝部幹部による関与は、恣意的になりがちである。その結果、今回の「南方週末」事件のように、現場に混乱をもたらすことになる。

 かねてから中国のマスコミ関係者は政府に対し、「新聞法」の制定を求めてきたが、立法府の役割を果たす全国人民代表大会の議事日程に上がったことはない。その結果、メディア規制は、宣伝部の責任者によって、ぶれたり、恣意的になったりしがちである。

 法治国家を標榜するなら、一日も早く「新聞法」を制定し、施行すべきである。その中でどのような報道が許されるか、あるいは許されないのかを明文化すれば、現場での混乱を基本的に回避することができる。

 具体的にメディア規制のあり方と度合いは、資本主義諸国と同じレベルである必要はなく、全国人民代表大会で議論し、合意できた形で規制を行えばよい。この改革は、習近平政権が最初の5年のうちに取り組むことが期待される。

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