青樹明子の中国ヒューマンウォッチ
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【19-04】ジョークじゃなかった「996」

2019年9月13日

青樹 明子

青樹 明子(あおき あきこ)氏: ノンフィクション作家、
中国ラジオ番組プロデューサー、日中友好会館理事

略歴

早稲田大学第一文学部卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。
大学卒業後、テレビ構成作家、舞台等の脚本家を経て、ノンフィクション・ライターとして世界数十カ国を取材。
1998年より中国国際放送局にて北京向け日本語放送パーソナリティを務める。2005年より広東ラジオ「東京流行音楽」・2006年より北京人民ラジオ・外 国語チャンネルにて<東京音楽広場><日本語・Go!Go!塾>の番組制作・アンカー・パーソナリティー。
日経新聞・中文サイト エッセイ連載中
サンケイ・ビジネスアイ エッセイ連載中
近著に『中国人の頭の中』(新潮新書)

主な著作

「<小皇帝>世代の中国」(新潮新書)、「北京で学生生活をもう一度」(新潮社)、「日本の名前をください 北京放送の1000日」(新潮社)、「日中ビジネス摩擦」(新潮新書)、「中国人の財布の中身」(詩想社新書)、「中国人の頭の中」(新潮新書)、翻訳「上海、か たつむりの家」 

 5年前に帰国してからも、ほぼ3カ月に一度の割合で北京に行っている。中国が好きということもあるが、やはり現地に行かないとわからないことがたくさんあるからだ。北京ではできる限り、友人たちに会うことにしている。

 ところが前回北京に行ったとき、会いたいと思う中国の友人に会うのは、とても大変だということが判明した。何故ならみんな忙しすぎて、なかなか時間が取れないのである。これまでにはなかった現象だ。

「ごめん、出張なんだ」
「毎日残業があるので、食事の時間は無理かも」
「週末?出勤です」

 ......。

 中国にいったい何が起こっているのだろう。みんな忙しい忙しいと繰り返し、かつてあれだけ私たちをイライラさせた、ゆっくり、そしてゆったりとした仕事ぶりは、もはや過去のものとなってしまったのだろうか。

「996」はほとんどジョークだと思っていたが、実際に目の当たりにすると、まさに命を削っているように思えてならない。

 中国で2019年度の流行語をあげる際、必ずランクインするだろう言葉に「996」がある。

「996」とはどういう意味か。これはアリババのジャック・マー(馬雲)前会長が提唱したもので「月曜から土曜までの週6日勤務、就業時間は、朝9時から夜9時まで」という意味である。批判が集中したため、前会長自ら取り消したが、今の中国では、特に珍しいことではないようだ。

 特にIT企業に多く見られる。

 米中貿易摩擦の代理戦争のようになっているのが、中国通信機器大手・華為技術(ファーウェイ)だが、日本で最初に知られるようになったのが、初任給が40万円以上という、異例の額が話題になった時である。日本法人が求人情報誌で発表した「新卒初任給40万円」は、当時日本で新卒の初任給が20万円前後だったから、その2倍の額だった。

 多くの日本人は驚いた。いったい中国のIT企業はどうなっているのだろう。

 しかし、中国で中国人に聞いてみると、高額な給料は「仕事内容からして、決して高い額ではない」という意見が多かった。

「華為で働くのは、体力のある若者たちだけだ」

 華為だけではない。今や世界をリードする中国のIT企業だが、社員たちは「996」以上に働いている。その実態を垣間見ると、空恐ろしいものがある。

 中国IT企業は、ほとんどが「マットレス文化」だと言う。

 どういうことか。

 中国の友人に聞いた。

「オフィスにはソファはもちろん、マットレスが置いてあって、真夜中まで仕事したら、オフィスのマットレスで横になって仮眠を取る。朝になると、そのまま仕事を再開する。そういうところを"マットレス文化企業"と呼んでいます」

 朝から夜中まで仕事をし、疲れ切ってオフィスに備え付けのマットレスに倒れ込む。数時間仮眠した後、再び仕事に戻るというものだ。

 しかし、体力にも限界がある。最近では、「996.ICU」という言葉も流行り始めているのだそうだ。「996」を続けて、挙句の果ては「ICU(集中治療室)」に送られてしまう、という意味である。

 こんな苛酷な状況は、ITだけではない。中国の都市部では、私営企業を中心に浸透し始めている。私の友人は、IT企業ではないが、最近では土日も休めず、毎日サービス残業なのだそうだ。

 中国の友人たちと食事をしていると、携帯が頻繁に鳴り響く。なかには、突然チャットを始める人もいて、食事中に友達とチャットか...、と驚いたが、遊びのチャットではなく、緊急に仕事の会議が始まってしまったとのことだ。

 日頃は夜中まで働くとしても、休暇は思いっきり長期休暇を取るのが、中国の習慣である。特に最大のイベントとなる旧正月・春節になると、1週間から2週間ほど休むのも、珍しいことではない。

 その習慣も変化を見せる。たとえ休暇中に家族で海外旅行していたとしても、中国版LINEのwechat(微信)に連絡が入り、すぐさま処理しなければいけない仕事が出来てしまったりする。休暇にならないのである。

 この状況は簡単にはなくならない。中国経済を牽引しているスター経営者たちの発言を聞くと、まだまだこれは続くのだろうなあと思ってしまう。

「996」を提唱したアリババのジャック・マー前会長は、社内交流会でこんな発言をしたという。

「(個人的な意見だが)996が実現できるということは、幸せなことである。996で働きたい、でもできない、という人と会社は、たくさん存在しているからだ」

 その場でジャック・マー前会長は「僕の場合、996ではなく、9127で働いてる」と述べたのだそうだ。「9127」とは朝9時から夜12時まで週7日勤務という意味である。

 同様の発言は、他の経営者からも出ている。

 巨大企業となったEC大手・京東集団のCEO劉強東氏は、起業した当時「8116+8」で働いたという。つまり、朝8時から夜11時まで週6日働き、プラス日曜日にも8時間働いた、という意味のようだ。

 続いて彼はこう述べる。

「経営者としては、995や996を強制することはないが、すべての京東の社員は、懸命に努力して頑張る精神(拼搏精神)が必須だということは間違いない」

 日本ではバブルの時代、「24時間戦えますか?」という栄養ドリンクのCMが流行った。つまり、栄養剤を飲みつつ24時間体制で働く、という今思えば、異常な時代だった。

 当時オフィス街のビルでは、夜の11時12時過ぎても、灯りが煌々とともり、夜中2時を過ぎなくてはタクシーはつかまらない。まさに24時間、みんな闘っていたかのようだ。それがとうとう中国にもやってきたのだろうか。

 しかし、あの時代の日本を見てきた私は、今の中国人の働き方を見て、どうしても思ってしまう。いつか来た道、戻りたくない道。