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【14-04】中国社会のルール

2014年 4月14日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 出張や旅行のため中国で飛行機に乗るとき、周りの中国人乗客は飛行機離陸までの最後の一分一秒を惜しんで友人や同僚などに電話をかけまくる。キャビンアテンダント(CA)がどんなに携帯電話の電源を切るようにとアナウンスしても、聞かない者がいる。まるで飛行機が離陸すれば、二度と友人や同僚に会えないような感じだ。一般的に中国人の仕事ぶりが粗雑だという評判があるが、飛行機の乗客のまめな連絡は世界一かもしれない。

 かつて、携帯電話が普及しはじめたばかりのとき、筆者は某銀行の総研に勤めていた。ある日、中国の国営通信会社から携帯電話事業への融資の申し込みがあった。融資審査担当者は融資すべきかどうかを悩んでいたとき、筆者が呼ばれ「あなたたち中国人はおしゃべりが好きでしょうか」と聞かれた。この担当者の考えでは、無口な民族では携帯電話事業は発展する見込みがないということのようだ。そのとき、筆者の答えは「普通です」だった。結局、この融資は成立しなかった。

 今から考えれば、銀行の融資審査担当者に対する筆者のアドバイスは適切とはいえなかった。中国人は世界一でなくても、世界でかなりおしゃべりのほうであるに違いない。今、中国人のネットユーザーは6億人に上るといわれているが、その多くはスマホを使ってネットにアクセスするものである。

1.金持ちのためのルールと庶民のためのルール

 以前、出張で上海に訪れたとき、ある高級ホテルの前を歩いて通りかかったところ、突然、ホテルの門番の若者が走ってきて、「譲開」(退け)と怒鳴られた。こちらはまだ何が起きたのか呑み込めていないうち、一台のロールスロイスが出てきた。中国が車優先の社会であることは中国人の自分として重々わかっている。しかし、門番の若者の大げさな挙動は、通行人に対する基本的な配慮を明らかに欠けている。そのとき、筆者の脳裏を過ったのは金持ちとその嫌悪な番犬を描いた一枚の絵である。

 中国で生活するほとんどの外国人は、この国がほんとうにルールのない社会だと痛感するだろう。実は、中国にはルールがないのではなく、ルールが統一されていないだけである。すなわち、中国に二種類のルールが存在する。一つは金持ちと権力の利益を守るためのルールである。もう一つは地位の低い庶民を律するルールである。

 25年前に、筆者は名古屋に留学に行ったとき、もっとも驚いたことの一つは偉い人だろうが、普通の庶民だろうが、たとえば、ラーメン屋でみそラーメンを注文すると、同じラーメンが出され、値段もまったく同じである。それに対して、中国社会ではこんなことはまずありえない。金持ちや権力者が店に現れると、店の者はみんな笑顔をみせる番犬に変わる。逆に、庶民が店に行くと、店の従業員は主人になるかのような感じである。

 中国語には「店大欺客、客大欺店」という言い方がある。すなわち、規模の大きい豪華な店は客を苛め、逆に、偉い客なら店はおとなしくなりちゃんとサービスするという意味である。したがって、レストランなどにご飯を食べに行くとき、少々偉そうに威張ったほうが損をしない。中国では、商業の習わしとして「和気生財」という言い伝えがある。すなわち、店を経営する者にとって低姿勢でサービスすることは金儲けの基本だということである。しかし、店の者の低姿勢はあくまでも金と権力を有する者に対するものである。

 中国には、庶民を律するルールがたくさんある。たとえば、中国の交通道路規則は庶民を律するための典型的なルールである。権力者が通行するときに、交通規制が実施される。権力者にとって交通規則というルールはまるで存在しない。最近、政府は権力者のために便宜を図るために、コンピューターで管理されている交通信号を手動に切り替え、権力者が通行するときに、信号をすべて青にする。これはラッシュアワー時の交通渋滞を引き起こすため、市民は不満と怒りを募っている。

 無論、中国の庶民は黙っているわけではない。権力者は権力で交通ルールを捻じ曲げることができるが、庶民は体を張って交通ルールを無視することができる。中国では大胆な歩行者が赤信号を無視して道を渡るのは一人二人ではない。ときどき権力者は「中国人はいつになったらルールを守るようになるのだろうか」と愚痴る。中国をルールなき社会にしたのは庶民ではなく、金持ちと権力者である。

2.中国社会の「潜規則」

 中国には交通規則のような明確なルール以外に、「潜規則」(invisible principle)という目に見えないルールが存在する。たとえば、外科手術のため病院で医者のお世話になるとき、「紅袋」(ホンパオ)という赤い封筒に金を入れて医者や看護師に実質的な賄賂を贈ることが一般的である。そのとき、医者は決まって、「われわれは金を受け取れない」と謝絶する。しかし、それでは患者は医者のいうことを聞き入れて「紅袋」をポケットにしまうことができない。医者は金を受け取れないと確かに言っているが、何も受け取らないと言っていない。医者は患者からお金をもらうと、賄賂にあたる。そこで患者またはその家族は現金に代わって商品券またはデパートのプリペードカードを医者のところに持っていくと、医者はニコニコポケットにしまっていく。とどのつまり賄賂であることに変わりがない。

 無論、中国の医者のすべてが貪欲というわけではない。なかには治療に専念し医術を日々精進して磨く医者もいる。こういう名医に限って病人から賄賂など受け取らない。しかし、医者に賄賂を贈るのはとっくに中国社会の「潜規則」になっている。想像してみれば、自分が患者になったとして医者に手術を頼むが、その医者が自分の贈る金品を受け取ってくれない。そのとき、担当医が「紅袋」に入っている金が少なすぎるから受け取ってもらえないと患者は想像するかもしれない。「紅袋」をもらってくれた医者に手術を担当してもらうと、皮肉にも患者は安心する。逆に、「紅袋」をもらってくれない医者に手術されたら、その手術はどうなるだろうと、不安がいっぱいのはずである。

 過去35年間の「改革・開放」政策では、中国経済はすさまじい高成長を成し遂げたが、中国社会の人間関係はルールの崩壊に代表されるようにすべてはマイナスな方向へ逆回転している。この相反する二つのベクトルこそが中国社会の幸福度を大きく引き下げてしまっている。現状では、庶民は当然不幸せだが、金持ちと権力者も不満がいっぱいである。