富坂聰が斬る!
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【20-04】嫌中感情と情報判断力

2020年11月30日

富坂聰

富坂聰(とみさか さとし):拓殖大学海外事情研究所 教授

略歴

1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。
2014年より現職。

著書

  • 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
  • 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
  • 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数

 欧米の様子を対岸の火事と眺めていた日本でも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大の第3波がいよいよ始まってしまったようだ。

 考えてみれば武漢での感染爆発で幕を開けた2020年は、皮肉にもアメリカが最大の被害国になって幕を閉じようとしている。米ジョンズ・ホプキンス大学の統計によれば、20日現在、全米の感染者数は1,171万5,316人で死亡者数は25万2,535人。単純計算では、1分に25人が感染し、2秒に1人が死んだことになる。

 COVID-19は欧米とアジアで別な病気だと説明されることもあるが、いつまでもこの理屈が通用するのか否かは誰にもわからない。「餅をのどに詰まらせて亡くなる人の方が多い」などとこの病気を軽視する人々の理屈がいつまで通用するのだろうか。

 COVID-19の恐ろしさは感染の強さゆえに拡大期には医療崩壊を招くことだ。医療現場スタッフがすべて防護服で対応しなければならないこと一つとっても、現場の負担の重さがわかるというものだ。ベッドだけでなくマンパワーの不足はあっという間にやってくる。そうなったとき、普段は普通に対応できていた別の病気への振り向ける医療資源が不足し、医療現場大混乱に陥るのだ。

 そうしたことは武漢を見ていればよく理解できることだ。

 しかし、日本社会は政治的にこの問題を判断するという愚を犯してきた。世界の感染対策を見れば、最も成功した国の一つが中国であることは言を俟たない。だが、日本人の中に芽生えた嫌中感情が響いて、中国の「隠ぺい体質」とか「ウイルス研究所流出説」などにばかり目を向け、そこから学ぶことはなかった。

 実は、早期にCOVID-19に対応したとされる韓国も、中国と同じ結論に到達していて、それがボランティアの重要性だった。医療崩壊を回避するためにはどうしても臨時のマンパワーが必要になるのだから当然だ。

 もしいまCOVID-19とは別の新たな感染症が世界を襲った時、その態勢が整っている国とそうでない国との明暗がはっきりするという恐怖に、なぜ日本は気が付かないのだろうか。

 一方、第3波の到来と同時に興味深いニュースが世界を駆けめぐった。それは、イタリアの国立がん研究所(INT)が、「同国では新型コロナウイルスが昨年9月時点ですでに循環していたとの研究を発表した」(ロイター通信11月15日)という内容だ。この問題では英仏の研究者が昨年10月の時点でフランスに感染者がいたとの報告をしていたり、遺伝指紋から追った感染経路では武漢から世界に広がったのではないことが指摘されているなど、すでに科学の世界では珍しい話ではない。

 しかし日本では、いまだ公然と「武漢ウイルス」という言葉が一部で使われていたり、感染の責任が武漢にあるような書籍が大量に書店にあふれている。なかには、あのデタラメなトランプ政権の閣僚さえ即座に否定した生物兵器説までが目に付くのだ。これは日本人の知性の低さの証明なのか、国際情報の乏しさの象徴なのか、真相は不明だが恥ずかしい現実だ。

 よく中国のことを「謝らない国」という人がいるが、「武漢ウイルス」と発言した人々はこのニュースをどう読んだのだろうか。

 それにしても冷静な分析を失った日本の言論空間の弊害は深刻だ。日本の民間非営利団体「言論NPO」と中国国際出版集団が共同で実施した世論調査によると、中国に「良くない」印象を持つ日本人は89.7%になったという。大きく貢献したのは「武漢でCOVID-19を隠ぺいして世界に迷惑をかけた」との当初の報道だ。

 繰り返しになるが、「武漢から」というのには大きな疑問符が付き、「隠ぺい」についても当初の報道に多くの誤りがあった――とくに李文亮医師にかかわる報道で――ことは、中国を専門にしていれば知っていなければならない常識だ。感染対策の初動に問題があったとすれば、それは武漢市と湖北省が病気を軽視し、政治イベントを優先させたことだ。

 相手を批判するにしても正確な情報をもとにしなければ聞く耳は持たれないのだが、これだけ不正確な情報に国民が踊らされた状況ができてしまった現状は深刻である。政府は国民に見せる顔と現実的な外交とで使い分けをしなければならなくなるからだ。

 今週、「自由で開かれたインド太平洋戦略」が、いつのまにか「自由で開かれたインド太平洋」に変えられていたことが話題となったが、これこそ政権が現実的な対応をしている象徴的な現象だ。

 第3波の到来で、すでに地方の財源も大きく減っている中、この政権の判断は当然の選択だろう。反中感情を煽る人々が、中国排除で生じる巨大な損失を埋める妙案を出せたためしはないのだから。