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【14-01】2014年の日中関係の行方

2014年 1月15日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 安倍首相の靖国参拝はほんとうに誤算だったのかもしれない。現役の首相として靖国神社を参拝すれば、中国や韓国が猛烈に反対することは最初から分かっていることである。しかし、参拝しないからといって日中・日韓関係がよくなるわけではない、というのは小泉元首相の言い訳だった。おそらく安倍首相もそれをそのまま踏襲して昨年の年末に靖国神社に参拝したと思われる。

 日本の保守的な政治家と評論家は、なぜ首相が靖国を参拝してはいけないのかといつも強い口調で反論する。確かになぜ靖国を参拝してはならないのかをきちんと考えないといけない。日本の首相や政治家が靖国を参拝すると、中国政府と韓国政府は往々にして「軍国主義の復活」という決まり文句で批判する。それに対して、日本政府は戦後の日本の歩みを見れば分かるように、一貫して平和な道を歩んできた、どうして軍国主義が復活するというのだろうかと反論する。

 日本は平和な国である。これから日本が隣国を侵略するとは考えにくい。こういう意味からすれば、中国政府と韓国政府の批判はやや無力といえるかもしれない。

 一方、日本の首相や政治家が靖国神社を参拝してはならない理由として、中国政府と韓国政府はそこに戦争の戦犯が祭られていることを理由に挙げる。それに対して、日本の保守的な政治家と評論家は日本の文化では亡くなった人の霊には罪などないと反論する。そのうえ、安倍首相のように、自分の信条に基づいて日本国内の神社を参拝するのはなぜいけないのかと隣国からの批判をまったく聞き入れない。

 確かに、日本の首相は靖国を参拝しても、国際法にも国内法にも抵触しない。法によって禁止・制限されていない言動は法によって守られるべきである。しかし、一方において、靖国神社の特殊性を認めなければならない。安倍首相の靖国参拝が中国や韓国に批判される以前に、侵略戦争の加害者として被害者にもっと配慮を払ってしかるべきである。

1.安倍首相靖国参拝の意味

 保守的な政治家と評論家は戦争の戦犯を裁いた東京裁判の公正性に異議を唱える動きがある。それは戦勝国による裁きというよりも、アメリカが主導しアメリカにとって都合のよいように裁判が運ばれたことは間違いない事実である。侵略戦争の責任をすべて戦犯と裁かれた軍幹部に帰すことができるかどうかについて議論が残る。そこは戦後、日本を占領するアメリカの計算があったに違いない。侵略され酷い目に遭った中国の立場からすれば、なぜ731部隊の責任者が裁かれなかったのかを問いたい。そこにもアメリカの計算があった。これは周知の事実だが、アメリカは731部隊のすべての資料の提出を受けた代わりに、その責任者の責任を免じた。

 仮に東京裁判の公正性に異議を唱えるとすれば、日本の国内法で責任を裁くべきだった。何よりも、戦争の被害者の心を傷つけてはならない。戦争で日本国民も多大な被害を受けた。広島、長崎、そして東京空襲などでたくさんの犠牲者が出たといわれている。忘れてはならないのは日本に原爆を落としたのは中国や韓国ではないということである。にもかかわらず、安倍首相の靖国参拝の真意を釈明するために、自民党の元外務大臣らは新年早々ワシントンへ飛んだ。ここで問われるのは日本の政治家の責任感と正義である。弱いものをいじめ、強いものに媚びるような政治姿勢をこのまま保持すれば、日本は東アジアでますます孤立してしまう恐れがある。

 戦後の歴史を振り返るまでもないことだが、ドイツは戦争の負の遺産をうまく処理してきた。戦争における日本の行いとドイツのナチとは同じものではないとの指摘がある。おそらく殺戮の規模は異なるものだった。しかし、その犠牲者は1,000万人だろうが3,000万人だろうが、侵略戦争であったことに違いはない。

 筆者はたまたま南京で生まれた。日中の歴史において南京は特別な意味を持つものである。国民党時代の首都は南京だった。日本軍は首都南京を侵攻し占領したとき、たくさんの中国軍捕虜と市民を殺害した。これはいわゆる南京大虐殺という南京事件である。南京大虐殺の犠牲者をめぐり両国の歴史学者と評論家の間で意見の相違がある。南京大虐殺記念館の壁には虐殺の犠牲者が300,000人と書かれている。当時、内陸から避難してきた避難民のほとんどについて戸籍管理が行われていなかったことからこの犠牲者の人数は実数ではなく、シンボリックなものであるはずだ。中国的な考え方では、たくさん殺されたという意味で300,000人が犠牲になったとされている。それに対して、日本人の歴史学者と評論家はそんなに殺していないと主張する。しかし、実際の犠牲者人数は別として口で表現できないほどひどいことがされたのは事実である。結論的に、もしも安倍首相の靖国参拝にはなにか意味があるとすれば、それは薄くなりつつある両国民の戦争に関する記憶を再び呼び起したことにある。

2.深まる恨みあい

 日本の国際貿易の20%は中国に依存している。一方中国の主要な技術は日本企業からの移転に頼っている。日中経済の相互依存関係が急速に強まるなかで、日中両国の政治不信は大きな障害になっている。昨今、尖閣諸島(中国語名:釣魚島)の領有権をめぐる争いは両国の国益の対立によるものである。それは簡単に解決する問題ではない、というのは双方とも理解しているはずである。しかし、日中の政治不信と両国の国民感情の悪化を助長する政治指導者の言動は賢明とはいえない。

 日本では、中国政府共産党は中国人の反日感情を利用しているような論調が散見される。それについては、おそらく中国で行われている愛国・反日教育のことを指していると思われる。中国では、愛国・反日教育が行われているのは事実である。しかし、それは今から始まったものではない。筆者が小学校・中学校教育を受けた1970年代のときにもすでにあった。中国の歴史教科書をみれば、抗日戦争の歴史のみならず、アヘン戦争や八か国連合軍の侵略史も詳しく記されている。このこと自体は何の非もないはずである。

 無論、中国の歴史教科書に偽りがあることも事実である。たとえば、抗日戦争にもっとも貢献したのは共産党の八路軍と新四軍といわれているが、実際は、毛沢東が八路軍の新四軍をできるだけ温存し、蒋介石の国民党軍が日本軍と戦って疲弊するのを待っていたことは最近の研究で明らかになった(ジョン・ポムフレット)。そして、抗日戦争の歴史ではないが、朝鮮戦争の歴史に関する記述は間違っている。中国の歴史教科書では、朝鮮戦争は南の北への侵略によって引き起こされたものと記されているが、実際は、北が南を侵略した。

 歴史を振り返るときに、いったい何がほんとうだったのかと迷うときもあるが、基本的な史実をはっきりさせる必要がある。そのうえ、戦争の被害を清算するのではなくて、戦争の被害者に対する配慮が求められている。

 戦後の日本は確かに平和な道を歩んできた。これから日本は再び侵略戦争を引き起こすことも考えにくい。しかし、それは戦争の被害者の心を傷づけてもよい理由にはならない。終戦から70年以上経過した。日中両国はそろそろ戦争の負の遺産を処理してそれに蓋をする時期に来ているはずである。安倍首相の使命はこれに貢献することである。

 ギリシャの歴史家ツキディデスはペロポネソス戦争の歴史を総括したときに、「人間性が不変であることから、将来、類似したことが起こる」と戦争の危険性について警鐘を鳴らした(エディス・.ハミルトン)。日中はこれから戦争に突入するとは考えにくいが、日中関係悪化のスピードからその危険性が心配でならない。ツキディデスの予言が当たらないように祈るばかりである。