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【24-16】デジタル人民元のクロスボーダー決済

2024年03月22日

露口洋介

露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授

略歴

1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。

 中国人民銀行の潘功勝総裁は、今年の全国人民代表大会(全人代)における記者会見の席上で、クロスボーダー人民元決済について言及した。これに関連してデジタル人民元によるクロスボーダー決済の検討状況についても概観することとしたい。

クロスボーダー人民元決済の現状

 中国の国会に当たる全人代は3月5日から11日まで開催されたが、3月6日に中国人民銀行のほか、国家発展改革委員会、財政部、商務部、証券監督管理委員会の経済関係閣僚が出席した記者会見が行われた。潘総裁は金融政策の方針について、①預金準備率の操作など様々な金融政策手段を運用して、通貨総量などの数量の合理的増加ペースを保持する、②預金・貸出双方の金利を引き下げることによって、社会全体の資金調達コストを引き下げる、③構造性手段によってイノベーションや減炭素などの分野への信用供与を促進する、④複雑な環境の下、マクロプルーデンス管理の一連の措置によって人民元為替レートの基本的安定を保持すると述べた。人民元為替レートと関連して、企業が人民元によるクロスボーダー決済を増加させていることを為替レート安定の背景として挙げ、1月から2月までの中国の商品貿易のクロスボーダー決済全体に占める人民元の比率は30%近くに達したと明らかにした。この比率は2022年の18.2%から2023年には25%に増加しており、さらに高くなった。

 この背景には、2022年2月に始まった金融制裁によって、ドルによる決済が困難となったロシアや、対米関係に懸念を持つ国家などが中国との取引を増加させ、そうした取引の決済を人民元にシフトさせたことがあると考えられる。中国の通関統計によると、ロシアとの輸出入額合計のドル換算前年同期比は2022年以降大幅に増加している(表)。中国、ロシアとBRICSを構成するインド、ブラジル、南アフリカについても同時期に増加している。一方、日本との間の輸出入額は同時期に一貫して減少している。中国との貿易取引が増加した国では、人民元決済の比率も増加したものと見られ、人民元クロスボーダー決済システム(CIPS)による決済額は、2024年1~2月が1兆1598億元で、前年同期比49.0%の大幅増加となっている。

表 中国の相手国別輸出入額増減率 (ドル換算前年比%)
(出所)中国海関総署
  2022年 2023年 2024年1~2月
合計 +4.4 -5.0 +5.5
ロシア +29.3 +26.3 +9.3
インド +8.4 +1.5 +15.8
ブラジル +4.9 +6.1 +33.9
南アフリカ +5.0 -1.2 +1.1
日本 -3.7 -10.7 -7.5

 今回の記者会見で潘総裁は、人民元国際化の現状について、人民元は世界第4位の決済通貨、第3位の貿易信用通貨、第5位の外為取引通貨であり、すでに国際的な使用についてネットワーク外部性を持ち始めたと評価した。

中央銀行デジタル通貨によるクロスボーダー決済の検討

 今回の記者会見では、デジタル人民元に関する言及は明示的にはなかったが、海外からの旅行者の中国国内における決済の利便性を改善するために、国内モバイル決済に海外のカードからの入金を認めたり、海外のモバイル決済を中国国内で利用できるようにすることなどの手段を拡大する方針が示されている。海外からの旅行者がデジタル人民元を利用しやすくするという方法もここでの検討課題と考えられる。

 その関連で、中国が進めている中央銀行デジタル通貨(CBDC)を利用したクロスボーダー決済の計画について概観したい。

 中国は、2021年2月に香港、タイ、UAEと国際決済銀行(BIS)が共同で検討するmBridgeプロジェクトに参加した。BISによると、同プロジェクトは国際貿易取引を主な対象として、銀行間(ホールセール)のクロスボーダー決済を行う多通貨CBDCの共通プラットフォームを構築しようとするものである。その目的として、①クロスボーダー決済の課題である高コスト、決済リスク、低速度などの問題を解決すること、②中央銀行マネーによるクロスボーダー決済を促進すること、③(米ドルなど第三国通貨ではなく)取引当事国通貨の利用を促進すること、④新しく革新的な支払い決済サービスの機会を創出することが挙げられている。

 アメリカ以外の2国間の貿易取引もかなりの部分が米ドルで決済されている。例えば、日本の通関統計を見ると、2023年7~12月の日本からアジア各国への輸出の48.1%が米ドル、44.0%が円で決済されており、同じく輸入では70.0%が米ドル、23.7%が円での決済となっている。日本と中国の間についても、日本側の輸出では円45.8%、米ドル42.3%、人民元11.4%、日本側の輸入では米ドル72.5%、円19.1%、人民元7.4%となっている。さらに銀行間の為替売買の段階でも米ドルが介在する。例えば、日中間の貿易取引で日本側の輸出の45.8%を占める円の決済について、支払い側の中国所在企業は中国の銀行で人民元を円に交換して支払いを行う。この交換取引に応じた銀行は銀行間市場で人民元売り、円買いの反対売買を行おうとする。しかし、同じタイミングで同じ金額の円を買い、人民元を売りたい銀行を見つけるのは常に容易とは言えない。そこで、この取引を人民元売り米ドル買い、米ドル売り円買いの2つの取引に分けて行うことが一般的である。円と人民元の間では2012年6月から銀行間市場における直接交換の制度が整えられたが、2023年の中国外貨交易センターにおける人民元の売買取引相手通貨の比率を見ると米ドルが97.16%、ユーロが1.35%、円が0.81%と、依然として米ドルが圧倒的である。これは市場における米ドルの流動性が豊富で銀行間市場で売買相手を見つけることが圧倒的に容易だからと考えられる。この米ドルのように他の2種類の通貨の交換に介在する通貨のことを媒介通貨(Vehicle currency)と呼ぶ。

 mBridgeでは、参加各国・地域の通貨による相手国への送金コストを低減し、決済時間も短縮することによって自国通貨の利用促進を図っている。従来の国際決済では、支払人→支払銀行→支払い側コルレス銀行→受け取り側コルレス銀行→受け取り銀行→受取人というプロセスだったが、これが支払人→支払銀行→mBridge→受け取り銀行→受取人という低コストで高速度のプロセスに置き換わる。さらに、銀行が相手国通貨と自国通貨の交換を行う場合は、mBridgeのプラットフォームにおいて、売買相手の金融機関を容易に見つけられるようなシステムを組み込んでいる。米ドルを経由することなく、双方の通貨の直接交換で為替売買を終了することが可能である。

 以上のように、mBridgeプロジェクトにおいて、貿易取引などのクロスボーダー決済の通貨について米ドルに依存せず取引双方の通貨を利用すること、双方の通貨間の為替売買においても媒介通貨としての米ドルの利用を減らすことが目指されている。これは、コスト低減や決済リスク抑制だけでなく、米ドルを使った金融制裁の回避という国家安全保障の観点も含んでいる。そして、中国はこのプロジェクトを通じて人民元国際化の促進を狙っている。

日本のCBDCによるクロスボーダー決済

 日本銀行の植田総裁は、2023年10月31日の記者会見において「日本銀行あるいは日本全体としてCBDCをまだ導入するという意思決定をしているわけではなくて、技術的な可能性を探り続けている段階」としている。一方、財務省が主催する「CBDCに関する有識者会議」の2023年12月のとりまとめにおいては「クロスボーダー決済の課題への対応を考えていく」ことの必要性が指摘されている。中国が進めているデジタル人民元による人民元の国際化に対し、円の国際通貨としての地位を後退させないために、日本もCBDCによる低コストで便利なクロスボーダー決済と銀行間為替市場における直接交換の促進について対応を進めるべきであろう。

(了)


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